薩摩隼人とはどういう意味?起源は?特徴は?頭がおかしい? おもしろ

薩摩隼人とはどういう意味?起源は?特徴は?頭がおかしい?

薩摩隼人の意味や起源を調べると、意外と明確でなくて謎の部分も多いようです。また、薩摩隼人を題材にした「ドリフターズ」や「ゴールデンカムイ」に登場するヒーローは異様に強く、頭がおかしいのではないかと思える性格や特徴が出ています。

薩摩隼人ってどういう意味?起源は?大和と兄弟で神武天皇と親族だった?

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薩摩隼人という言葉は、元々どんな意味があるのかを調べてみました。

薩摩隼人とはどういう意味?薩摩の武士のこと?鹿児島出身の男性を指すことも?

薩摩隼人とは、薩摩(鹿児島)に住んでいた隼人(古代南九州に居住していた部族)一族が勇ましく素晴らしいことで知られたことから薩摩出身の武士または、鹿児島出身の男性のことをさします。

隼人とはどういう部族?起源は?

2018年の大河ドラマは「西郷どん」というタイトルで話題になっています。そしてこのドラマの舞台となっている薩摩は独特の地域です。ではなぜ独特の地域なのかを調べました。

隼人とは、はやひと(はやびと)、「はいと」とも呼ばれ、「ハヤブサの人」の形容とも方位の象徴となる四神に関する言葉の中から、南を示す烏隼の隼の字によって名づけられたともいわれています。

隼人というと、男らしさと勇敢さといったイメージがあり、男の子の名前に付けれられたりしています。しかし本当の隼人とはそんな爽やかなイメージとは全く違った部族でした。

古代九州の部族とは

古代の鹿児島の北部にある熊本には、熊襲という怖い名前の部族がいました。基本的には、熊襲も隼人も同じような名称だといいます。

九州の長崎、佐賀、福岡にも土蜘蛛という部族がいたということが分かっています。その部族は大和に反抗していたといい、熊襲は特に大和に反抗したことで、大和に滅ぼされてしまったそうです。

しかし、隼人だけは大和に協力的で、平安時代初頭まで朝廷に仕えていたという記録があります。

隼人は古事記、日本書紀にも載っている?山幸彦と海幸彦?隼人と大和は兄弟?

隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅・日向(現在の鹿児島・宮崎県)に居住した人々です。隼人は山幸彦と海幸彦の昔話に出てきます。そしてこの話は古事記や日本書記にも載っていて有名な話です。

山幸彦と海幸彦の昔話は、兄が海幸彦で弟が山幸彦ですが、最終的に弟の山幸彦が大和朝廷の祖先となり、兄の海幸彦が隼人となったと結んでいる話となっています。

この神話の伝説は、宮崎県に広く残っていて、そして山幸彦は神武天皇の祖先にあたるという話です。このことは、薩摩、熊本、宮崎が大和発生に関わっているのではないかといえるかもしれません。

摩の由来は何?いろんな説がある?

薩摩という言葉の意味は、はっきり定まっていないようです。ひとつには、薩摩の名は、諸国名義考によれば、幸浜(さちはま)で、幸は特物(さつ)、また猟(さつ)の意味だとする説があります。

薩摩は幸島であり、神話のいう山幸や海幸の意味であり、島というのは周囲に界隈があって一区域をなすところで、摩は島の略であるという説もあります。

また、海幸・山幸の幸から、サチツマ(幸の間=幸の国)とありサツに仏教用語で観音菩薩を表す「薩」があてられて「薩間」から「薩摩」となったという説もあります。

薩摩と言われるようになる前は阿多と呼ばれていた?

薩摩といわれる前の地域名は阿多(アタ)と呼ばれていました。現在の鹿児島は薩摩だけではなく大隅という地域と合体しています。日本書記には大隅隼人と阿多隼人という文字があります。

大隅と阿多の地域には隼人という文字が使われているから、隼人がどんな種族だったのかを調べることで隼人のことが解明できます。隼人の大きな特徴は戦士だといえます。

日本の剣術は剣道と剣法に分かれ、剣法の代表的なのが天然理心流であり、新選組の近藤勇で有名です。しかし、その天然理心流の近藤勇が恐れていたのが、薩摩の示現流でした。

鹿児島の上野原遺跡で弥生式土器に似たものが発掘されている?

鹿児島県の上野原遺跡で弥生式土器のようなものが、発掘されています。弥生時代というのは、弥生式土器というのっぺりとした素焼きの土器と水田稲作からそう呼ばれています。

鹿児島の上野原遺跡は、縄文時代の遺跡ですが、その遺跡で弥生式土器に似たものが発掘されたことは意義があります。弥生土器が弥生人によって作られた定説がくつがえってしまうからです。

鹿児島は稲作に適していませんから、稲作をしないで生き延びた縄文人と、新たに海流に乗ってやってきた新縄文人の地域になっていたようです。

隼人は神武天皇と親族だった?

初代の天皇が神武天皇ですが、その神武天皇は宮崎県の日向から出発し、近畿地方まで遠征しています。ですが、皇室の始まりにおいては、九州ということになります。

古事記や日本書紀にも、神武天皇は宮崎の日向から来たと書かれています。その時の日向地域は特定されていませんが、隼人の住居地でもあります。

記述では、神武天皇は結婚していて、吾平津姫(あひらひめ)は古代の大隅国の存在した郡の名前があって、吾平津姫が大隅隼人出身だと分かります。この事から薩摩隼人の一族は神武天皇と親族だったようです。

薩摩隼人の特徴は?性格は?

薩摩隼人はどんな特徴があって、どんな性格なのかを調べてみました。鹿児島はもともと地域の土壌がシラス台地で、稲作をする弥生系日本人とは違い、狩猟型の民族地域でした。

これは、鹿児島や熊本の歴史でもあり、長崎県の五島列島にも隼人らしき人々が住んでいたと古文書に記されていますが、これは鹿児島から移住した人達ではないかといわれています。

薩摩が他の地域とは違うという理由は、狩猟型縄文人の末裔であり、そのことが薩摩人の戦闘能力が異常に高いことと関係があるといわれています。その戦闘能力は後の示現流という剣法で開花されたようです。

薩摩隼人の特徴は?男性はぼっけもん気質で焼酎気質?

桜島の火山灰に覆われた鹿児島では、土地も痩せ、農業には適さないため、強靭な精神を鍛えることに自然と目を向けたといいます。それが豪快な県民性を形成し、不言実行を善としました。

「議を言うな(つべこべ言うな)」とは不言実行の事を現わし、また「焼酎気質」やぼっけもん(鹿児島の方言で大胆な人)と言われるほど、熱しやすく冷めやすい情熱的な人が多いそうです。

保守的で、男尊女卑の思想が残っていて、年長者や権力者には絶対的に従うというタテ社会型といえます。無愛想で照れ屋、お世辞を言えないので誤解も多いが本心は思いやりがあるようです。

女性は薩摩おごじょ?真面目で控えめだけど芯は強い?

鹿児島県の女性のことを「薩摩おごじょ」といったりしますが、「薩摩おごじょ」は優しくて気立てがよく、しっかりしているといわれています。また、真面目で控えめですが、芯が強いそうです。

しかし鹿児島の男性に比べたら、柔軟で対応力もあるようです。

薩摩隼人は頭がおかしい?異常な風習や逸話まとめ

昔の薩摩隼人は、一般的には考えにくいような行動や風習があったそうです。どこまでが本当なのか分かりませんが、その逸話を紹介します。

漫画での薩摩隼人が頭おかしい?本当なの?

薩摩隼人を題材にした漫画も多くありますが、その内容は現実性のないものだったり、頭がおかしいのではないかと思ったりしますが、薩摩人の特異性を考えるとあり得ない話ではないようです。

薩摩隼人は犬を食べる?本当に食べていた?えのころ飯とは?

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「薩摩隼人は犬を喰らう」というイメージは江戸時代からあったようです。川柳では、薩摩武士といえば、やたら犬を食べる連中といわれていました。

また、幕末に来日していたロシア人の記録にも「薩摩人は死んだ犬を食べる」と書いていますから、かなり信憑性があります。しかし、日本各地では犬食は昔からあったようで、縄文時代にもありました。

「えのころ飯」というのは、薩摩の野戦料理の一種で、そこらの犬を捕まえて腹を裂き、その中に米と水を入れて火にかけて食べていたといいます。戦場では鍋釜があるとは限らず、生み出された料理でした。

薩摩隼人は切腹が多かった?何かあれば切る?

薩摩武士は、「衛府の七人」の中馬大蔵のように、何かあれば切腹しているイメージはありますが、これには史実的根拠もあるようです。

薩摩藩は、名君揃いで有名だった半面、政治的な処断が多くなるという一面がありました。そうしたお家騒動や政治的対立の結果、切腹するケースが多い藩という一面があります。

ですから、薩摩人がことさら切腹が大好きだということではなさそうです。

ひえもんとりは実在した?

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「ひえもんとり」とは、死刑囚の内蔵を取り合うという風習で、戦場でも恐れを抱かないための胆力の訓練の一環でした。

この訓練に参加したのは、足軽以下の低い身分の武士で、参加者は互いに殺し合わないように予め、刃物を持つ事ができませんでした。

自分の歯で死体にかぶりつき、罪人の亡きがらの傷口から胆嚢など、手を突っ込んで取り出していたそうです。

示現流・自顕流が強い?薩摩隼人は強すぎて怖い?

薩摩人の朝は、示現流の立ち木打ちから始まるといわれています。朝から木刀で木を力の続く限り打ち続けて鍛錬します。薩摩人は日頃の暮らしや身分の不満をそうやって発散させていたのかもしれません。

1600年の天下分け目の関ヶ原の戦いで、敗れた西軍に属して、わずかの兵で敵中突破し、徳川家康を恐れさせたという島津軍でした。また、朝鮮出兵で獅子奮迅の活躍をしたのが島津軍でした。

そうした島津軍の強さの背景には、出水兵児修養掟に代表される武士道教育があります。

宴会では火縄銃のロシアンルーレットで肝練り?

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薩摩式教育法として、火縄銃の導火線に火を付けたロシアンルーレット式酒盛りがあったそうです。弾に当たって死んだとしても運が悪いと笑い、それを見て悲しむことはないという教育法でした。

関ヶ原の戦いでの島津義弘の撤退命令が頭おかしい?

1600年9月15日に起きた関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍は徳川家康率いる東軍に敗れ、西軍は次々と各部隊が敗走していました。ところが、そんな中、最後まで陣から動かなかったのが島津軍でした。

島津義弘率いる島津軍約300人は、敵中(約80,000人)に孤立してしまいました。普通ならば、この時点で降伏するか寝返るかそれとも逃げるかといった選択をしそうですが、義弘の下した決断は違っていました。

その時に島津義弘が放った言葉が、「敵の最も勢いのある敵勢の中に突っ込め」だったそうです。この言葉には異論もあり、義弘が討死(自害)を口走ったため、豊久が必死に止めたという話もあります。

作品に出てくる薩摩隼人はどんな感じ?

「ドリフターズ」などの薩摩隼人に関する作品にはどんな内容が書かれているのかを紹介します。

作品に出てくる薩摩隼人①:「ドリフターズ」の島津豊久

「ドリフターズ」に出てくる島津豊久は、壮絶な戦死を遂げたあと命を落としたと思われた瞬間に異世界にワープしてしまいます。

作品に出てくる薩摩隼人②:「ゴールデンカムイ」の鯉登少尉

「ゴールデンカムイ」の鯉登少尉は、主人公の敵である「第七師団歩兵第27聯隊」の新任少尉です。優れた身体能力を持っていますが、反面軍人としてやや注意力に欠けているところがあります。

彼は示現流の使い手でもあり、興奮すると薩摩弁になってしまい周囲が聞き取れなくなるといった設定です。

作品に出てくる薩摩隼人③:「衛府の七忍」の薩摩ぼっけもん

「衛府の七忍」の薩摩ぼっけもんは、鬼才・山口貴由先生の豊かなイマジネーションによって生みだした薩摩が描かれています。

あまりにも強烈な「薩摩ぼっけもん」の暴れっぷりがネットを中心に話題となりました。

鹿児島のヒーロー?とは?

「薩摩剣士隼人」(さつまけんはやと)は、鹿児島県のローカルヒーローで、自身を主人公とした特撮テレビドラマの名称です。現在、鹿児島テレビで日曜朝6時30分から放送しています。

現在の鹿児島県人の性格とは

鹿児島県人の特色をよく現わしている言葉に「てげてげ」があります。これは「適当」という意味になります。実は「てげ」だけでも適当という意味ですが、二つ重ねて使うことが多いそうです。

薩摩隼人の気性の荒いイメージとは違い、いかにも南国ののんびりした性格が特徴だといえます。

鹿児島県人は商売が下手とよく言われますが、自分達で作った商品が他県で名前を変えられても「まあ、売れているし、いっかー」で済ませる気質だからです。

時間に対してルーズ

鹿児島県人の特徴として、時間に対するルーズさがあります。沖縄県民の「沖縄時間」(指定した時間内には集まらない)が有名ですが、鹿児島県人にもあてはまります。

たとえば、現地集合とかで約束したときに、東京都民の感覚で約束時間の10分前に現地に着いても友だちの姿がなく、電話したらこれから家をでるところということはよくあることのようです。

これは、披露宴だろうが、大事な商談だろうが基本的にはそんな感じだそうです。しかし、これは鹿児島県での話であり、鹿児島県人も他県に行けばそれなりに時間を守るようです。

現代の薩摩隼人は健在なのか

薩摩隼人の薩摩の語源は以外にも諸説あるようで、明確でない部分も多いようです。しかし、鹿児島地域の地盤の関係で稲作などの農業ができず、その厳しい環境がその後の薩摩人の性格の強さを養ったようです。

その性格の強さは、狩猟型縄文人の末裔からきているともいわれています。また江戸時代からの示現流の剣法は、あの天然理心流の近藤勇も恐れていたといわれています。

ただ、鹿児島県人がそうした薩摩隼人や「ぼっけもん」ばかりかと言えばそうでもなく、それらを理想としているともいえます。人情味があるが、保守的であったり上下関係に厳しかったりするようです。