山岳ベース事件とは?集団リンチによる殺人事件?被害者の詳細まとめ

山岳ベース事件はあさま山荘事件の原因ともなった、過激派新左翼連合赤軍の仲間同士での総括と称した暴行によって12名が死亡した事件です。今回は事件を主導した森、永田といったリーダー、事件の原因や現場の跡地、事件をモチーフとした映画や漫画などについてまとめます。

山岳ベース事件とは?あさま山荘事件後に発覚した殺人事件?事件の概要と背景は?

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有名な「あさま山荘事件」の原因ともなり、仲間内で過激な思想が暴走し12名もの人間が仲間割れで死亡した世紀の大量殺人事件「山岳ベース事件」とはどんな事件なのでしょうか?事件の概要と背景をまとめます。

山岳ベース事件とは?連合赤軍が起こした大量リンチ殺人事件?

「山岳ベース事件」とは1971年から1972年にかけて、新左翼組織「連合赤軍」が引き起こしたリンチによる大量殺人事件です。

仲間内で統括と称して集団リンチを行い、暴行や食事を与えないなどの虐待行為で内臓破裂や衰弱死、凍死などによって多数を死に至らしめました。

山岳ベース事件はあさま山荘事件で逮捕された犯人の自供で発覚?

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山岳ベース事件でのあまりにも凄惨な真相は、連合赤軍のメンバーがその後に引き起こした「あさま山荘事件」の犯人達が逮捕された後の自供によって明らかにされ、社会を震撼させました。

あさま山荘事件の概要は?山岳ベース事件の生き残りが起こした事件?

あまりにも有名な事件「あさま山荘事件」はそもそもがこの山岳ベース事件を引き起こしたグループの生き残りの男性5名が、警察からの逃亡行為の最中に場当たり的に引き起こした事件でした。

山岳ベース事件で殺害されたメンバーは12人?

山岳ベース事件で激しい暴行や虐待を受けて殺害されたメンバーは総勢で12名に登ります。その中には女性や妊娠8ヶ月だった妊婦も含まれていました。

殺害された理由は、指輪や化粧をしていた、資金集めがうまくいっていないのに銭湯に入った、恋人同士でキスをしていた、暴行に加わらなかったなどの理不尽としか言い様のないものばかりでした。

事件発生当時の背景?学生運動が盛んだった?

「山岳ベース事件」が発生した1970年頃は、1960年代に盛んになった学生運動が次第に過激化し警察による追求が激しくなっている時期でした。

こうした学生運動に対しては、当初は若者の情熱の発露であるとして寛容な雰囲気が社会にありました。

しかし、この頃には過激化した新左翼メンバーが銃砲店の襲撃、銀行強盗、交番の爆破などの凶悪犯罪を度々起こし、社会から危険視されるようになり、逮捕者も続出する事態となっていました。

国際共産主義から新左翼が誕生?連合赤軍が生まれた?

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当時の共産主義の中心となっていたソビエト連邦から、全世界に共産主義を広める運動「国際共産主義運動」が盛んに起こっていました。これを受けて日本国内でも過激な左翼運動が勃発していました。

しかし、次第にソ連は国内政治に力を傾け、国際的な共産運動は下火になっていきます。これを受けて日本共産党も過激な武力闘争路線から転換しソフト化していきます。

しかし一部の過激派左翼がこれに反発。独自での武力闘争継続を目指す過激派の集団「新左翼」が生まれます。この過激派達の有力グループ2つが連合し結成されたのが山岳ベース事件を引き起こした「連合赤軍」でした。

連合赤軍とは?赤軍派と革命左派が結成?リーダーは?

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「山岳ベース事件」「あさま山荘事件」を引き起こした連合赤軍とはどんな集団だったのか?その成り立ちやリーダー達についても見ていきましょう。

連合赤軍とは?赤軍派と革命左派が連合赤軍を結成?

「連合赤軍」とは有力な新左翼グループであった「赤軍派」と「革命左派」が1971年に互いの利害の一致から協力関係を結び、連合することで結成されたグループです。

赤軍派は資金が豊富だった?

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後に「連合赤軍」を結成する事になる赤軍派は「M作戦」という金融機関を襲撃して強盗行為を行う活動によって豊富な資金を持っていました。しかし弱点として有力な武器を持たないという点がありました。

赤軍派リーダーだった森恒夫

当時の赤軍派のリーダーは他の有力幹部がほとんど逮捕されて獄中にあったことから、森恒夫という当時27歳の男が事実上の最高幹部となっています。

山岳ベース事件で総括と称して集団によるリンチを引き起こし、合計で12名の死亡者を出すに至った元の原因を作ったのはこの森恒夫だと言われています。

この森恒夫が組織を維持し崩壊を防ぐため、また、共同で戦線を張る「革命左派」に対して自分達が優位性を保つために、次第に過激な行動を取る様になったとされています。

革命左派は武器が豊富?

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赤軍派と革命左派が連合して「連合赤軍」を結成した理由は互いの利害が一致したためでした。当時「革命左派」は銃砲店を襲撃して大量の銃器と弾薬を所持していました。

有力な武器を持たない「赤軍派」がこれに目をつけます。一方で「革命左派」の方も資金力不足に悩まされており、豊富な資金を持つ「赤軍派」との協力は魅力的でした。

こうして利害が一致し「赤軍派」と「革命左派」の共同戦線「連合赤軍」が結成されます。しかし、彼らは当初一枚岩とはいかず、互いに警戒と敵対心を持っていました。これが後に山岳ベース事件を引き起こすのです。

革命左派のリーダーだった永田洋子は嫉妬が激しかった?

赤軍派とともに連合赤軍を結成した「革命左派」のリーダーは永田洋子という当時27歳の女性でした。この永田洋子は山岳ベース事件での総括を主導した人物であるとされます。

永田洋子が過激な行動に走った理由として激しい嫉妬心があげられる事があります。永田はバセドー病を患い目や顔が腫れ自分の容姿にコンプレックスを持っていたそうです。

さらに子供を産めない体だったそうで、他の女性に対して強い嫉妬心を燃やしていたといいます。特に女性に対しての追求激しかったされ、女性被害者の総括は主に永田の主導であったとの証言もあります。

山岳ベース事件が起こった原因は?総括とは?どんな生活をしていたの?

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何故「山岳ベース事件」が起こったのか?その原因についても詳細に見ていきましょう。総括とはなんなのか?彼らの山岳地帯に築いた「ベース」での生活についてもまとめます。

山岳ベース事件の殺害方法が凄惨?「総括」がエスカレートし「死刑」へ?

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山岳ベース事件で殺害された被害者の遺体は、性別がわからないほど顔が腫れ上がった遺体もあるなど、極めて凄惨なものでした。何故ここまでの暴力を彼らは仲間内で振るったのでしょうか?

それは「総括」という考え方が暴走した結果であった様です。元々左翼達の使う「総括」という言葉は、過去の自分の行いを反省し今後の改善を目指すという意味で使われていました。

森恒夫はこの言葉を拡大解釈し、総括の名の下に暴行を加えて気絶させ、再び目が覚めた時には共産戦士に生まれ変わっているという理論を唱え、仲間の総括を手助けするために殴るという理屈で激しい暴行を加えました。

集団リンチ殺人が起こった原因・理由は?心理は?

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森恒夫はこの理屈を仲間にも強要、殴らないものは真の共産戦士ではないとの理屈を持ち出し、新たな総括をさせる対象としました。これを恐れた他のメンバーも積極的に暴行に加わっていきます。

また、主導した森恒夫自身も臆病な男であったとされ、自分の立場を守るために少しでも疑いの心を抱くとすぐに総括の対象とするため些細な失敗などを追求し、集団での攻撃対象に仕立てました。

また、周囲に攻撃させたのも共犯関係に仕立て上げ、脱走を防ぐ目的があったとされます。これに加えて永田洋子の異常なまでの嫉妬心の強さが加わり、暴行に歯止めがかからなくなったとされます。

山岳ベースの生活は極限の集団生活だった?

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集団での凄惨なリンチ殺人が引き起こされたもう一つの理由として考えられるのは、彼らの山岳ベースでの生活がかなりの極限的状況にあった事もあげられるのではないでしょうか?

彼らは警察からの追求を逃れるために山岳地帯にベースを築き、その場所を転々と移動する生活をしていました。拠点となるのは小さな小屋で29人もの人間がこの中に詰め込まれていました。

冬の山岳地帯で夜は氷点下15度。トイレも風呂もない環境に過激派の人間達が集団生活を送っていたわけです。この極限的な環境こそが「山岳ベース事件」を引き起こす大きな要因となったのは間違いないでしょう。

山岳ベース事件の「総括」の対象者の決定方法は?脱走者を警戒?

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山岳ベース事件での「総括」の対象者の決定方法は、永田洋子と森恒夫の二人のリーダーの気分によるところが大きかったと言われます。

特に森恒夫は脱走者を出して警察に駆け込まれる事を強く警戒していたとされ、「山を降りたものは殺す」と言い放っていました。これによって森が脱走の疑いを持っただけでも総括の対象とされました。

また、集団リンチをさせたのも共犯に仕立て上げて脱走を阻止するためでした。次第に森恒夫は理解不能な強引な理屈をつけ次々と総括対象者を決定していきました。

山岳ベース事件の詳細な経過は?

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山岳ベース事件の流れをもう少しわかりやすくするために、時系列順に詳細を見ていきましょう。

山岳ベース事件の経過①:印旛沼事件

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山岳ベース事件の発端となった1971年8月に発生した「印旛沼事件」は「革命左派」から脱走したメンバー男女1名ずつの2名をその後メンバーが殺害印旛沼に遺体を埋めた事件です。

二人の脱走者が出ている事を聞いた「赤軍派」リーダー森恒夫は「スパイや離脱者は処刑すべき」と発言。これを受けて「革命左派」の幹部永田洋子と寺岡恒一は脱走者2名を処刑する事を決断してしまいます。

女性の脱走者を飲み会だと騙して誘い出し、睡眠薬を飲ませから絞殺。その後男性の脱走者も同じ手で殺害しようとしますが、警戒して酒や食べ物に手を付けようとしないので取り押さえて無理やり絞殺しています。

山岳ベース事件の経過②:赤軍派が交番襲撃し革命左派はベースを移動

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1971年9月11日、森恒夫の指示により赤軍派のメンバー植垣康博、坂東國男らがナイフを持って福島県の交番を襲撃します。この目的は森の唱えた「殲滅戦」という理屈で警官を殺害して銃を奪うというものでした。

これは、森が赤軍派が革命左派に対して強いと思わせ、優位に立つための独断専行による行動でした。しかし、交番には警官は不在で失敗に終わっています。

一方の革命左派は10月25日、拠点としていた神奈川県の「丹沢ベース」から脱走したメンバーが逮捕された事を受け、警察への情報漏洩を恐れ、静岡県の「井川ベース」へと拠点を移動させています。

山岳ベース事件の経過③:新倉ベースで合同軍事訓練

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1971年12月、赤軍派と革命左派は新倉ベースでの合同軍事訓練を行なっています。この時、革命左派のメンバーが付近まで来た際に水筒を所持していなかったため。出迎えたメンバーがベースへと支援を依頼します。

この事に対して、赤軍派のメンバーは革命左派の考えが甘い、山を舐めているなどと猛烈に批判しています。これは森恒夫の指示によるもので、自分たちが優位に立ちたいとの思惑があった様です。

山岳ベース事件の経過④:連合赤軍が誕生し総括開始

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赤軍派と革命左派は合同訓練を経て12月20日に互いのリーダー森恒夫と永田洋子が会合し「連合赤軍」が誕生します。以降、双方のリーダー二人の主導により総括が開始されます。

山岳ベース事件の経過⑤:リーダー2名が逮捕され事件発覚

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連合赤軍のメンバーたちの間で「総括」の名の下に集団リンチが行われる様になり、2月12日までの間に総括を原因とした死亡者は12名にも上ります。

地獄の様な共同生活の中、リーダーの二人は資金を獲得するために山を降りたところ、その不在時を狙って3名のメンバーが脱走します。それを聞いた二人はベースの放棄を指示し残りのメンバーは妙義山へと移動。

その後、森と永田は妙義山ベースに戻りますが、メンバー達は警察の山狩りを受けて既に逃走した後でした。そこで森と永田も警官隊に包囲され、ナイフを持って抵抗しますがその場で逮捕され、漸く事件は収束しました。

山岳ベース事件で殺害された被害者と詳細な総括内容まとめ①

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山岳ベース事件で殺害された12名の被害者たちの総括内容についてもまとめていきます。

山岳ベース事件の被害者①:尾崎充男

尾崎充男は当時22歳の東京水産大学の学生でした。統括を受けていた加藤能敬を殴るさい過去に加藤が自分を批判した事を追求します。

しかしこれを聞いた森恒夫が「個人的な恨みで殴るのか!」と激怒し、とばっちりで統括対象となります。リンチ受けた後−15度の山中に縛り付けられたあげく放置され凍死しています。

山岳ベース事件の被害者②:進藤隆三郎

新藤隆三郎は当時21歳の日仏学院生でした。縛り付けられたメンバーや出入り口を気にしているとして脱走を企んでいると森恒夫に疑われ、過去の恋人が逃亡して警察にタレ込んだことを蒸し返され総括されます。

内臓が破裂するほどの激しい集団暴行を受けたのちに、極寒の屋外に縛り付けられて放置「もうだめだー!」と叫び声をあげ死亡したと言われています。

山岳ベース事件の被害者③:小嶋和子

小嶋和子は市村学園短大出身で当時22歳でした。印旛沼事件で遺体を運ぶさいの運転手を務めており、この事が原因で精神的に不安定な状態でした。

総括中にも関わらず恋人の加藤能敬とキスをしている所を目撃され、それが問題視総括の対象とされます。暴行の後、極寒の山中に放置され凍死しています。

山岳ベース事件の被害者④:加藤能敬

加藤能敬は和光大学の当時22歳、総括中の恋人小嶋和子とのキスが問題視され、総括の対象者となります。暴行の後、小嶋と共に極寒の山中に放置、総括の態度が評価され屋内に戻されますが、その後死亡します。

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