深浦加奈子の死因はがん?壮絶な闘病生活と女優魂について エンタメ

深浦加奈子の死因はがん?壮絶な闘病生活と女優魂について

今回は、若くして亡くなった女優、深浦加奈子さんの人生についてまとめました。多くの有名ドラマに名脇役として出演し、惜しまれながらこの世を去った深浦加奈子さん。死因や闘病生活について、家族について、また往年の出演作についてもまとめました。

目次

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多くの人から惜しまれた深浦加奈子の死因は?

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深浦加奈子さんは、たくさんのドラマに名脇役として出演されていました。深浦加奈子さんはどんな人だったのか?なぜ亡くなったのか?家族はいたのか?調べてみました。

48歳の若さで亡くなった深浦加奈子のプロフィール

  • 生年月日:1960年4月4日
  • 血液型:A型
  • 出身地:東京都
  • 没年月日:2008年8月25日

深浦加奈子さんは公務員の家庭に生まれました。母親は、彼女に公務員になって欲しいと思っていたようです。また、プロレスラーのザ・ロックの大ファンで、来日の時にはサインを求めていたこともあります。

幼い頃の深浦加奈子さんはどんな子だった?

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小学生の頃からテレビから出てきたような美少女で、まつ毛が長いため、体育館裏で付けまつ毛をしていると噂が立ちました。成績優秀でしたが、「天才バカボン」に夢中になるなど、風変わりなタイプでした。

2008年8月25日S状結腸癌により死亡

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深浦さんは、2008年8月25日22時57分、S状結腸癌のため死去しました。当時48歳でした。9月2日に近親者と親しい関係者のみで告別式が執り行われています。9月24日にはお別れの会が開かれました。

ベッドに座ったまま息を引き取った

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深浦加奈子さんの闘病生活は壮絶なものであったそうです。最後まで女優業を続けるために、終末期医療を拒否していたという深浦加奈子さん。最後はベッドに座った状態で息を引き取ったそうです。

最後はどんな様子だった?

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最後の数週間、身体は限界を迎えて、深浦さんは入院します。肝臓の機能が低下して黄疸が見られ、肺も半分ほど潰れて息をするのもやっとな状態で、最後には喋ることもままならなくなり、ついに息を引き取りました。

深浦加奈子は結婚していたのか?

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闘病生活を続けていた深浦加奈子さん。当時、「仕事が恋人と言って、生涯独身」と報道されていたため、結婚はしていなかったようです。喪主もお父様がされていました。

深浦加奈子の壮絶な闘病生活

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深浦加奈子さんは周囲にがんであることを公表せず、闘病生活を送っていました。年齢が若いこともあり、たくさんの臓器に転移もし、闘病生活はかなり壮絶なものであったそうです。

「美女か野獣」の撮影中に激しい腹部の痛みに襲われS状結腸癌が判明

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2002年冬、「美女か野獣」撮影の際、深浦加奈子さんは激しい腹部の痛みに襲われ、都内の病院に緊急搬送されました。そこで診断されたのが、今や死因としてガン死亡率トップ3内に入る、S状結腸癌でした。

がんと診断されるまで

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腹部に痛みを感じた時に、検査を受けましたが、異常はみつかりませんでした。痛みもすぐ治まり、そのまま撮影を続けました。撮影が終了した2003年3月に、彼女は都内の病院に緊急入院しがんの診断が下りました。

S状結腸癌(大腸がん)はガン死亡率のトップ3に入る

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S状結腸癌とは、大腸のS状結腸にできるがんのことです。下痢など軽い症状から始まるため、なかなか発症に気付かず、発見時には進行していたという例が多い癌です。近年はガン死亡率トップ3内に入っています。

「仕事は恋人」故に周囲を反対を押し切り女優魂を魅せる

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がんが発覚した際、家族や周囲の人間は治療に専念するよう勧めています。しかし、深浦さんはそれを拒否しました。がんであることを公表はせず、闘病しながら仕事に打ち込みました。

手術で明らかになったガンの転移

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最初の検査では、まだ転移は認められませんでしたが、手術で開腹してみると、リンパ節転移を伴っていることが分かりました。手術は成功し、深浦さんは復帰を果たしますが、その後再発や転移を繰り返していました。

詳しい病状は?がんのステージは?

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初めの診察で、深浦さんのS状結腸癌は、浸潤やリンパ節転移のないステージ2というものでした。しかし、2週間後の3月24日の手術の結果、リンパ節転移を伴うステージ3bに達していることが分かりました。

診断を聞いた家族の反応は?

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管理栄養士で看護師でもある深浦さんの母親は、摘出されたトレイの上の15〜16cm×7〜8cmの肉片を触り、しこりが3cmに達する大きさであることを知り、状況の厳しさを思い知ったそうです。

症状は悪化しモルヒネや酸素吸入器に頼る

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症状は悪化していき、激痛でモルヒネを打って痛みを和らげていたようです。よく母親から背中をさすってもらっていました。また呼吸も困難になり、酸素吸入器に頼ることもあったようです。

2005年重篤な腸捻転に苦しみ迷惑を避け事務所から独立

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がんが発覚してから2年後、2005年4月には深浦さんは重篤な腸閉塞に苦しみます。翌年には、肝転移も起こします。腸閉塞を起こした時、「迷惑をかけたくない」と所属事務所のシス・カンパニーから独立しました。

事務所から独立した後は?

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事務所を独立後、父親の経営する会社に入りました。母親は会社を辞めて食事のサポートを、姉は深浦さんのマネージャーとなりました。義兄は治療全般のサポートを行い、家族一丸となって深浦さんを支え続けました。

医者から「治療の術なし」と終末医療を勧められたことも…

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がんによる痛みはひどくなり、医師からは終末医療を勧められたこともあったそうです。しかし、深浦さんは仕事をするため、その提案を拒否したそうです。深浦さんの女優業への熱い想いが垣間見えます。

自ら放射線治療を提案し吐き気や嘔吐と闘う

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深浦加奈子さんは自分でネットで放射線治療を探し、提案しました。この治療によって吐き気や嘔吐に苦しんみました。また、脱毛も起きウィッグを被っていたようです。

闘病生活を奮い立たせていたのはニコラスという一匹の猫

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2006年秋、深浦さんは一匹の猫を拾い、ニコラスと名付けます。深浦加奈子さんはニコと呼んでとても可愛がっていました。辛い状況でも、ニコラスを可愛がることで、自らを奮い立たせていたのかもしれません。

闘病記に記された家族との絆

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深浦さんのお父様は、闘病記を出版しています。闘病記の中には、壮絶な闘病生活のこと、それを支えた家族のこと、またお父様の想いが詳細に記載されています。

深浦加奈子さんが家族に送ったプレゼント

深浦加奈子さんは亡くなる前に、両親や姉、義兄対して、それぞれの誕生日に手製のプレゼントを贈っていました。それは、自分のために頑張る家族にへのささやかな感謝の気持ちの現れでした。

遺骨は海に散骨して欲しいと頼む

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2008年2月には、最後の仕事を終え、自宅で治療に専念します。。深浦さんは両親に自分の遺骨は海に散骨して欲しいと頼んだそうです。遺骨の一部は、彼女の希望通りに大好きだった逗子の海に撒かれたそうです。

深浦加奈子のがんと闘いながらも引き受けた最期の仕事は?

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深浦加奈子さんの20年以上に渡る女優人生で最後に引き受けた仕事はなんだったのでしょうか?まとめてみました。

最期の舞台は「新しい橋」

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最後の舞台は2008年2月の「新しい橋」となりました。一見平穏そうな夫婦の破局と崩壊、彼らと家族、関係するいく組かの夫婦・男女の愛憎関係を描いた作品です。荒ぶる絶望の海での深浦さんの演技が好評でした。

最後の仕事は「描けなかった2枚の絵 原爆が投下された日の記憶」のナレーション

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最後の仕事は2008年7月の報道番組のナレーションでした。深浦さんは「絶対にやりたい」と言っていました。母親には「この仕事が最後になる」と話しており、その通り、東京に戻ってから容体が急変しました。

映画の遺作は「ぼくのおばあちゃん」

遺作のこの映画は死後、2008年12月に公開されました。岡本健一さんが菅井きんさん扮する祖母との思い出を振り返る話です。深浦加奈子さんの役は、岡本健一が少年時代に通っていた八百屋のおかみさんでした。

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