佐野房子が監禁された新潟少女監禁事件の概要は?佐藤宣行の現在は? エンタメ

佐野房子が監禁された新潟少女監禁事件の概要は?佐藤宣行の現在は?

世の中では日々多くの事件が起こっていますが、ニュースになるのはほんの一部です。今回は新潟県で起きた「新潟少女監禁事件」についてご紹介していきたいと思います。この事件の詳細から、加害者である佐藤宣行の生い立ちや犯行の動機、そして現在までを詳しく見ていきます。

目次

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佐野房子が被害者となった新潟少女監禁事件の概要は?犯人の佐藤宣行とは?

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今回ご紹介していく「新潟少女監禁事件」とはどういった事件なのでしょうか?また新潟少女監禁事件を起こした佐藤宣行とはどのような人物で、事件を起こした動機はなんだったのでしょうか?詳しく見ていきます。

佐野房子を佐藤宣行が監禁した新潟少女監禁事件とは?

「新潟少女監禁事件」とは、1990年11月に新潟県三条市の路上で当時9歳だった学校から帰宅途中の佐野房子さんを車のトランクに詰め込み誘拐しました。

9年と2ヶ月後の2000年1月に、新潟県柏崎市の佐藤宣行の自宅で被害者である佐野房子さんは発見されることとなり、その後、無事に保護されました。

約9年という長期間に及ぶ誘拐事件の発覚は日本中を震撼させることとなりました。ここからはこの事件を深く掘り下げて見ていきます。

事件の概要①:佐藤宣行は一度少女の監禁に失敗していた?母親が執行猶予を監督?

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実は佐藤宣行は新潟少女誘拐事件を起こす1年前の1989年に一度、誘拐事件を起こそうとしましたが失敗しています。一度目の誘拐は、新潟県柏崎市の路上で当時9歳の少女を誘拐しようとしました。

しかし、少女の同級生が気づき学校に伝え、教師達によって取り押さえられましたため未遂に終わりました。この事件で佐藤宣行は懲役1年・執行猶予3年の有罪判決を受けます。

しかし、初犯ということもあり実刑にはなりませんでした。それどころか裁判所は再犯の可能性は低いとし、執行猶予中の監督・指導は母親に任せました。ここから新潟少女誘拐事件へとつながる事になるのです。

事件の概要②:1990年11月、新潟県で学校から帰宅途中の佐野房子を誘拐

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誘拐未遂事件から1年後の1990年11月、佐藤宣行は新潟少女誘拐事件を起こします。新潟県三条市の路上で帰宅途中の佐野房子さんを車のトランクに押し込んで、自宅に連れ帰ったのです。

佐藤宣行は佐野房子さんに、刃渡り約14cmのサバイバルナイフを突き付け、脅したそうです。このサバイバルナイフは佐藤宣行が護身用として携帯していたものだったらしいです。

ではなぜ佐野房子さんを誘拐したのでしょうか?

佐藤宣行は精神疾患の障害があった?犯行動機がやばい?

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佐藤宣行が逮捕後の供述で佐野房子さんを誘拐した動機について「周りには誰も人がいなかったし、少女のことを可愛いと思ったので、自宅で一緒に過ごしたいと思ったから」と言ったそうです。

「少女が可愛かった→独占したい→連れて帰ろう」というあまりにも自分勝手な考えをそのまま行動に移すというのは普通の感覚の人であればいません。

このような佐藤宣行の異常行動は、逮捕後に診断された分裂病型精神障害や自己愛性パーソナリティ障害という精神疾患の影響によるところが大きいと言えるでしょう。

佐藤宣行は監禁開始時母親と同居していた?どうして気づかれなかったの?

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事件当時、佐藤宣行は母親と同居していたと言います。そのため佐野房子さんを誘拐した後自宅に連れ帰り、母親に気づかれないよう、普段車を停めている母屋ではなく、自室のある増築部分の玄関前に車を停めました。

その後、佐野房子さんを抱きかかえて2階の自室に上がった後、何事もなかったかのように車を正面玄関へと回し、あたかも今帰ったかのように装ったそうです。

佐藤宣行の母親は事件発覚後、息子が少女を誘拐し、自室に監禁していたことについて全く気づいていなかったと言います。

佐藤宣行は佐野房子を友人だと思っていた?

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佐藤宣行は事件発覚後の裁判で「彼女とはうまくやっていたと思っていたし、趣味の話せる友人だと思っていた」と供述しています。しかし、当然ながらそう思っていたのは佐藤宣行だけです。

実際には、佐野房子さんに「この部屋からは出ず、ずっとここで暮らすんだ。言うことを聞かなかったらお前なんか山に埋めてやる。海に浮かべてやる」と脅迫したそうです。

佐野房子さんは佐藤宣行による暴力と脅迫で、恐怖と絶望を植え付けられ、生きるためにはこの部屋を出るべきではないと思い、だんだんと逃亡する気力も失っていきました。

佐野房子には北朝鮮による拉致説も浮上?関連を装った男に母親が呼び出された?

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佐野房子さんが誘拐された当日、母親は警察に通報しました。その後、警察や学校関係者などの捜査関連人物合わせて200名規模による捜索が連日行われましが、佐野房子さんが発見されることはありませんでした。

捜査が進むに連れ、佐野房子さんを発見する事に諦めムードが広まるとともに当時、北朝鮮の拉致問題が知られ始めた時期で「横田めぐみさん」の拉致の状況と極めて酷似しているのではという声も上がりました。

他にも事件には全く関係ない男が関係者を装い佐野房子さんの母親をファミレスに呼び出し、逮捕される事件が起きるなど新潟少女監禁事件についての情報や状況が錯綜し捜査は混乱を極めたと言います。

佐藤宣行の生い立ちや経歴は?精神疾患があった?父親と母親との関係は?

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9年2ヶ月という長い期間、少女を監禁した佐藤宣行はどのように育ったのでしょうか?精神疾患は本当にあったのでしょうか?

佐藤宣行の生い立ちや経歴、家族について詳しくみていきます。

佐藤宣行は小さい頃なんでも与えられて育った?両親に溺愛されていた?

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佐藤宣行の父親は結婚時点で61歳、佐藤宣行が生まれた時には63歳、母親も心中騒動が原因で婚期が遅れ35歳で結婚、佐藤宣行を39歳で産みました。そんな高齢の両親に佐藤宣行は育てられました。

両親の年が老いてからの子供ということもあり、佐藤宣行は「ボクちゃん」と呼ばれ、小さい頃から自室を与えられたり、欲しいものは全て買ってもらうなど溺愛されながら育っていきました。

佐藤宣行は高校時代、オカマと呼ばれていた?

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佐藤宣行は工業高校に進学しました。体格はどちらかと言えば大きい方で、身長175cmあったそうです。

しかしそんな体格とは裏腹に、覇気がなく、なよなよとした話し方から「オカマ」と呼ばれ、学校では目立たない存在になっていたそうです。

そんな環境も影響して、佐藤宣行はこの頃から自分の殻に閉じこもるようになり、学校で貯まった鬱憤などは家の中で晴らすようになってしまいました。

事件当時は29歳で無職、引きこもりだった?

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佐藤宣行は新潟少女監禁事件を起こした当時、29歳で無職でした。高校卒業後、自動車部品製造の工員となったようです。

ある日、佐藤宣行が出勤途中に立ち小便をしたとき「蜘蛛の巣にかかって汚れた」という理由で会社には向かわず、家に引き返したという奇妙なエピソードがあります。

このような奇行が続きわずか数ヶ月でその会社を退社、その後は働かず「引きこもり」の状態で生活していました。

佐藤宣行は強迫性障害による不潔恐怖症だった?父親も?

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この事件を起こした佐藤宣行は「強迫性障害に起因する不潔恐怖の症状」や「分裂病型精神障害」の精神病理上の傾向ががあるということです。

佐藤宣行の父親は柏崎市でタクシー会社を経営していました。父親も潔癖症で、時間さえあれば頻繁にタクシーを洗車していたそうです。このような父親の行動が佐藤宣行に遺伝したとみられています。

また、父親が高齢だったことから小学校の父母参観等で同級生から父親を「おじいちゃんみたい」とからかわれ、老いを汚いもの、醜いものという感覚になってしまいました。

佐藤宣行は父親に暴力を振るい、最後は家から追い出していた?

老いを汚いものと考えるようになってしまった佐藤宣行は高齢の父親に暴力を振るうようになり、父親が80歳の時に家から追い出します。佐藤宣行に追い出された父親はその後、異母姉の家に避難していたそうです。

父親は介護施設で3年間過ごし、佐藤宣行が事件を起こす前年に3年間過ごした介護施設で亡くなっています。

その後母親と口論になり自宅に火をつけたことも?

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勝手に父親を追い出した佐藤宣行と母親は口論になり、母親が「私も出て行く」と言ったそうです。

すると佐藤宣行は激昂し、家にあった仏壇に火をつけ、危うく火事になるところでした。その後、良岡市の国立病院の精神科にて強迫神経症と診断されます。

即日入院し、向精神薬を投与され、1ヶ月ほどで良くなり退院しました。

佐藤宣行は心理的発達段階「肛門期」に問題があった?

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「肛門期」とは心理学者のフロイトが提唱する幼児期の5つの心理的発達段階の2段階目にあたるもので、この時期に親の教育により、トイレトレーニングやタイミングのコントロールなどを覚えます。

またフロイトによると、子供はうんちをお金や幼児に象徴交換するという傾向にあるようで、この「幼児に象徴交換」という点において小児性愛に密接に関係があるものと言われました。

新潟少女監禁事件で言えば、佐野房子さんがした排泄物をビニール袋に入れて廊下に並べていた佐藤宣行の行動は「自身の性愛の象徴が佐野房子さんの排泄物であり、手元から手放したくなかった」という解釈ができます。

佐野房子が監禁されていた事件当時の状況は?

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ここまで佐藤宣行という人物の生い立ちなどを見ていきましたが、過去に強迫神経症と診断されたり、父親を家から追い出したりするなど様々な行動を起こしていました。

ではここからは9年2ヶ月という長期間の監禁生活を強いられた佐野房子さんがどのように過ごしていたのか見ていきます。

佐野房子が監禁されていた当時の状況は?暴力を振るわれていた?

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佐野房子さんを誘拐した初期は、顔面を数十回殴ったり、脅迫的な言葉を浴びせたり、ナイフを突きつけたりという肉体的・精神的な暴力から始まりました。

また、ベットの上から勝手に降りない、大声をあげないという命令もあったそうです。1年目からは苦痛で声をあげたり、言いつけを守らなかった時には「スタンガンの刑」としてスタンガンによる暴力も追加されました。

スタンガンによる苦痛で声をあげそうになった時、佐野房子さんは自分の身体や毛布を噛むことにより声を上げないように耐えていたそうです。

佐野房子はストックホルム症候群だったの?

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監禁生活中に逃げる機会があったのでは?という声も多く聞かれました。佐野房子さんは監禁生活中、ストックホルム症候群の状態にあったのではないかと言われています。

ストックホルム症候群とは、監禁事件や誘拐事件の被害者が生き残るための戦略として犯人との間に心理的なつながりを築くことを言います。

しかし、佐野房子さんは新潟少女監禁事件の裁判で「手足の拘束が解かれた後も見えないガムテープで縛られている感覚だった」と監禁生活を振り返っており、決して男と一緒にいたかったわけではないと言っています。

佐野房子は発見時、重度の栄養失調だった?服もボロボロ?万引きした服?

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佐藤宣行は佐野房子さんにボロボロになるまで同じ服を着せていました。流石に着れないというところまでなると近くのショッピングセンターで万引きしてきてその服を着せていました。

これは、少女の服を買うことが出来なかったのと、母親に犯行を気づかれないようにするため頼めなかったからです。

食事は当初、佐藤宣行の母親が重箱詰の弁当を夜食として作っていたのでこれを佐野房子さんに与えていましたが、途中からおにぎりなどのコンビニ弁当に切り替えられました。

佐野房子は9年間で一回しかシャワーを浴びていなかった?

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佐野房子さんは佐藤宣行にベットから降りないように命令されていました。命令に逆らうと暴力を受けたためずっとベットの上で生活していたとみられます。

しかしベットから誤って落ちてしまい、埃まみれになった時、目隠しをされた状態でシャワーを浴びせられたそうです。

佐野房子さんがシャワーを浴びたのは、9年間の監禁生活の中でこの一度のみです。

トイレはビニール袋にしていた?

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佐藤宣行は「強迫性障害に起因する極度の潔癖症」で、他人が使用したトイレが使えないほど重症なものだったため、佐藤宣行もビニール袋に排泄していました。

また、1階にしかトイレがなかったため母親に気づかれないためにも、佐藤房子さんにも自分と同じようにトイレを使わせることはなく、ビニール袋に用を足させました。

佐藤宣行は他人の使ったトイレには不潔と感じますが、排泄物そのものには感じないでという極めて特殊な感性を持っていたので、佐野房子さんが用を足した排泄物が入ったビニール袋も捨てずに廊下に並べていました。

佐野房子が発見されたきっかけは?佐野房子の様子は?

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9年間という長い間監禁され続けた佐野房子さんですが、どのようなことがきっかけで発見されることとなったのでしょうか?

想像を絶する劣悪な環境を強いられた佐野房子さんは発見された時、どのような様子だったのでしょうか?詳しくみていきます。

新潟少女監禁事件が発覚するきっかけとなったのは佐藤宣行の母親への虐待だった?

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佐野房子さんの失踪から9年2ヶ月が経とうとしていた頃、新潟少女監禁事件は思わぬ形で終結しました。発覚のきっかけとなったのは、佐藤宣行から母親への度重なる暴力からでした。

以前から佐藤宣行は自宅の障子や窓ガラスを破壊するなどの暴力行為を行なっていました。監禁開始から5年後、母親は保健所に息子の家庭内暴力を相談していたそうです。

監禁事件発覚の1年前には佐藤宣行は母親にもスタンガンを使用するようになりました。息子の家庭内暴力の激化に耐えられなくなった母親が医療機関に相談し、担当医の勧めで強制保護という形をとることになります。

母親への強制保護から佐野房子が発見された?

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強制保護当日、医療関係者や市職員、保健所職員で組まれた特別チームは佐藤宣行の自室に踏み込みました。医師が「お母さんの依頼で診察に来ました」と声をかけ、返事を待たず入りました。

すると、佐藤宣行は黙って入ったことに抗議し、入院が必要と伝えられると激しく暴れたため、最終手段である鎮痛剤を打ち、眠りについた佐藤宣行は病院に搬送されました。

佐藤宣行が暴れた際に、医師は自分たちだけでは危険と思い柏崎警察署に応援要請をしていました。しかし、人が出払っていると断られてしまったそうです。この時の対応も後々、問題とされました。

佐野房子は目立った知力の遅れはなかった?競馬や車、数学の知識があった?

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佐藤宣行は佐野房子さんに虐待を強いる一方で、友達のように趣味の話をしたり、会話をしたかったようです。そのため、自分の好きな競馬やF1などの話をよくしていたそうです。

また、同年代の友人として佐野房子さんを求める上で「子供のままいてもらっては困る」と考えた佐藤宣行は本を与えたり、ラジオを聴かせたりしていたそうです。

また勉学については主に数学を教えていたと逮捕後の供述で話しています。

佐野房子は妊娠していたの?

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9年2ヶ月という長い間、監禁されていた佐野房子さんですが、佐藤宣行からの暴行により妊娠したのでは?という憶測がありました。

インターネットで調べても妊娠について様々な推測が飛び交っていますが、妊娠したという事実はありません。そのため、真相はわかりません。

新潟少女監禁事件で問題となった警察の対応まとめ、マスコミ報道にも批判?

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この新潟少女監禁事件では佐野房子さんが佐藤宣行に9年2ヶ月という長い期間、監禁生活を強いられることとなってしまいました。

なぜ発見されるまでに9年2ヶ月という長い歳月がかかってしまったのでしょうか?そこには警察の対応にも問題がありました。

また、佐野房子さんが発見されてからのマスコミの報道にも多くの批判が集まりました。警察の対応とマスコミの報道の問題について詳しくみていきます。

新潟少女監禁事件への対応から警察の不祥事が問題に?

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新潟少女監禁事件では、佐藤宣行の犯行についてだけでなく、警察の事件成立前から発覚に至るまでの対応についても注目されました。

そこには柏崎警察署および新潟県警、警察の関係者による杜撰な捜査対応がありました。これは、警察の不祥事として世間から大バッシングを受けました。

ここからは新潟少女監禁事件で問題となった警察の対応について大きく4つに分けてみていきます。

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