即身仏とは?自らミイラになる僧侶たちの過酷な修行と失敗例

即身仏とは、苦行を重ねた修行者の遺体をミイラとして残したものの意味ですが、ミイラとの違いはどこにあるのでしょう。そこに至るまでの失敗とはどういうものなのか?即身仏のお守りがあるようですが、ご利益はあるのでしょうか?さまざまな疑問を探っていきます。

即身仏とは?

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僧が厳しい修行を積んで死に至り、その身体をミイラにしたものということから、即身仏にはどうしてもおどろおどろしい、キワモノ的はイメージが付いて回ります。ミイラとはどのような違いがあるのでしょうか。

また、即身仏になることにはどのような意味が込められており、修行はどのように行うのか、失敗例などもご紹介します。

即身仏の意味

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即身仏とは、飢饉や疫病、世の不条理から人々を救うため、高僧が厳しい修行を行うことで悟りを開き、絶命した後その身体をミイラ状態にして残したものを意味します。

身体を腐らせず、良い状態のミイラとして残すことが非常に重要になりますが、困難が伴うことから失敗も数多あるといわれます。修行はそのための身体作りに重きを置き、大変過酷なものとなります。

これまで人々の救済のために働いてきた僧が、死後もその願いを果たすために行うものであり、決して僧が自分のために即身仏になるのではないのです。

即身仏と即身成仏の違い

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即身成仏とは、修行することによって生身の肉体を持ったまま、究極の悟りを開いて仏になることを意味し、空海が開いた真言密教の教えとなります。

成仏とは、肉体や精神的な欲、怒り、執着など煩悩から解放され、悟りの境地に至ることを指します。また、現世に未練を残さず仏になることを意味することもあります。

即身成仏はあくまで生きたまま成仏することであって、即身仏は修行を続けた末に死亡してミイラ化し、物理的に身体が仏になることです。混同されがちではありますが、まったく異なる意味を持つのです。

即身仏は高僧の究極の姿

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即身仏になるには、厳しい修行に耐え得る強い意志と精神力が要求されます。さらに生前に善行を行い、徳を積んだ者であることや、信者や弟子たちから信頼され、尊敬される高い人格が必要とされます。

まさに高僧と呼ばれる者しか許されない修行と言えましょう。そして即身仏を目指した高僧たちは、即身仏になるべく、何年にも及ぶ想像を絶する修行に耐え、悟りの境地に至るのです。

自らを難行苦行に投じることで人々を苦しみから救おうと願い、修行を通して自己をあらゆる煩悩から解放しました。その姿は修行の最終的に行き着くべきところであり、究極とも言える形でもあります。

即身仏を考えたのは空海

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空海が開祖の真言密教の教義では、修行によって悟りの境地に至り、生きたまま仏となることを意味する即身成仏を唱えています。さらに、僧は死ぬことはなく、永遠の瞑想に入ると考えられます。

僧が入定、つまり永遠の瞑想に入ることは、生身の身体のまま仏となることを意味し、これが即身仏ということになります。空海は病で死を迎える前に生きたまま土中入定することで、即身成仏を体現しました。

空海は日本で初めての入定をした僧であり、日本初の即身仏であると言えます。高野山の公式見解では、空海は未だ死んではおらず、現在も高野山で入定しているということです。

即身仏になる為の修行とは?

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失敗なくベストな状態の即身仏を作り出すためには、死後の身体をいかに腐敗させずにきれいな状態を保つかにかかってきます。そのための入念な準備が重要になります。

僧たちは何年、時には何十年にも及ぶ過酷な修行において即身仏に至るために必要な身体作りをしていかなければなりません。その厳しい修行とはどのようななのでしょうか。

五穀断ちの苦行を1000日行う

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即身仏に至る修行として、木食修行と土中入定を行うことが課せられます。木食修行とは、徹底的に身体から脂肪を落とすことで、即身仏になるのに適した身体作りをする段階になります。

脂肪が残っていることで、遺体が腐敗しやすくなるのを防ぐために、極限まで絞り込む必要があったのです。また、過酷な修行のもとに悟りを開くことが最終的な目的となるので、そのための修行という見方も出来ます。

この木食修行というステップに入ると、まずは完全に穀物を断ち、カロリーの低い木の実などで命をつなぎながら身体を作る五穀断ちを1000日間行います。この間は身体作りと並行して苦しい修行も行っています。

木食へと移行しヒ素を体内に10年近くかけて蓄積させる

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五穀断ちを終えると、木食へと移行し、さらに身体から脂肪と水分を絞ります。木食行は入定までの間ずっと行われ、最長10年にも及んだ者もあるようです。この間の苦しみは筆舌に尽くし難いものであっといわれます。

木食に利用されていた木の皮などの中には漢方薬となるものもあり、これらの薬効を利用して過酷な状況下における衰弱から逃れていたとも考えられています。

また、即身仏の修行が多く行われた湯殿山の修行者たちは、湯殿山に湧く温泉やその堆積物を飲んだことにより、ヒ素が体内に蓄積していました。ヒ素は防腐効果があり、即身仏の成功に一役買っていたとの説もあります。

土中入定をし鐘の音が聞こえなくなると即身仏となる

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木食行を終えると、やがて土中入定に入ります。僧の身体はこの時、脂肪や水分が極限まで絞り出され、すぐにでも即身仏になれるような状態に仕上げられています。まさに生きながらにしてミイラのようになった姿です。

土中入定は、深さ3メートルほどの穴を掘ったところに石を組み、石室を築きます。さらに木棺が入れられ、その中に僧が入るのです。そして、節を抜いた竹筒で通気を確保した状態で石室の蓋を閉じ、埋められます。

生きたまま埋められた僧はその中で鈴を鳴らしながら読経し続けます。そしていつしか鈴の音が途絶え、僧が息絶えたことを知らされると、通気口が塞がれ、絶命した僧は即身仏になるまでの月日を石室の中で待つのです。

土中入定の前には漆の樹液を飲む?

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即身仏を目指す者たちは、土中入定の石室に入る際、漆の樹液を飲むこともありました。これを飲むことで発汗や嘔吐をもたらし、最後まで体内の水分を絞り出そうとしたと見られます。

また、漆の持つ防腐効果により、蛆や菌の繁殖を抑える効果もあったといいます。その後、絶命した僧は一旦掘り出され、座禅を組み直すなどして整えられた後、埋められます。

そして1000日間経た後に掘り出され、腐敗せずにミイラ化していれば即身仏として成功という訳です。ここまでしても朽ち果ててしまい、失敗に終わることも多かったといわれています。

即身仏の失敗例や悲しい話

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高い志を抱き、辛い修行にも耐え抜いた者だけが許される即身仏という究極の信仰の形ではありますが、即身仏にまつわる失敗例や悲しい話なども多く存在します。

即身仏の失敗例とはいったいどのようなものなのか。また、悲しい話とはどのようなものなのでしょうか。

即身仏は失敗例の方が多い

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世の苦しみから人々を救うべく、多くの僧たちが即身仏になることを志していた筈ですが、現存するものが18体しか無いということからも、即身仏として自らを後世に残すことが非常に困難であることが窺い知れます。

失敗とはどのような形で起こるのでしょうか。紐解いてまいりましょう。

失敗例➀修行を断念する

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即身仏になるための修行は、修行を積んだ高僧といえども非常に過酷であったと思われます。ミイラ化に適した身体を作るための工程は計り知れないほどの苦しみがあり、途中で逃げ出したとしても不思議ではありません。

中には修行の最中に病気になったり、死に至る者さえありました。また、あまりの過酷さに精神的に追い詰められ、断念した例も多数あるといわれています。

失敗例➁骨になってしまう

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即身仏になるための修行が多く行われていた東北地方ですが、気温も低く比較的気候が適していたとはいえ、多湿であることには変わりなく、失敗も少なくありませんでした。

多湿であれば腐敗が進みやすく、組織は分解されて朽ちて行きます。極限まで脂肪と水分を排出させ、漆を飲むことで防腐効果を与えていたとしても、やはり自然の摂理には勝てなかったということなのでしょう。

失敗例➂忘れられてしまう

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即身仏の失敗例として人的な要因もあげられます。土中入定の後、ミイラ化させるにはおよそ3年間の月日が必要になります。人間が1つのことを覚えていられるのにも限界があり、忘れ去られた事例も存在します。

協力者が申し伝えをしないまま死んでしまい、誰も修行者のことを知ること者がいなくなったなど、不都合が重なることもあったのかも知れません。

このように人々に忘れ去られたまま放置され、未だ地中深く眠っている即身仏も存在している可能性もあります。

失敗しない為には人間関係も重要視される

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即身仏を完成させるには、土中入定の後は完全に人の手だけが頼りです。周囲の力なくしては成功はあり得ないのです。修行者の思いの深さを感じ、なんとしてでも即身仏にさせてあげたいという心が彼らを結びつけます。

修行者と協力者の信頼関係が充分に築けていることや、信仰や尊敬の度合いが濃密であるかなど、人間関係も非常に重要になります。

本人の血の滲むような努力はもちろん、気候など環境的な要因や周囲の人々の対応による人的な要因も、即身仏として成功させる上での重要なキーポイントとなるのでしょう。

明治時代は即身仏は自決とみなし禁止された

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明治時代に自殺幇助を禁止する法律が出来た関係から、即身仏は自殺とみなされ、禁止されるに至ります。また、遺体を掘り出すことも墳墓発掘にあたるため、即身仏が出来ているかを確かめる術もありませんでした。

明治に入ってから作られた即身仏は、入定年をこの旧刑法制定以前に偽ったり、死後に遺体を埋葬する方法を取るなど、法に触れない方法を模索した跡もうかがえます。

しかし、これらはかなりの年月が経過したのちに調査の名目でやっと発掘されるなど、日の目を見るまでには苦難がありました。この法の壁により、発掘されることなく放置された即身仏も多数あると見られています。

即身仏の悲しい話

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とある村にやって来た一人の若い僧が、世の中の苦悩から人々を救いたいと即身仏になる決意をし、洞穴に入りました。そして、村人に自分が逃げ出しそうになったらこの洞穴に閉じ込めて欲しいと頼んだのです。

ある時、僧があまりの辛さに洞穴から這い出して来てしまいました。そこに通りかかった子供が痩せ衰えた僧を気の毒に思い、食べ物を与えようと家に戻ったところ、大人たちに見つかってしまいます。

僧はどうなった?

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僧は洞穴に閉じ込められ、二度と外に出ることはありませんでした。数日間は読経が聞こえ、その声はいつしか途絶えました。数年が経過した頃、洞窟の中を開けてみると僧は立派な即身仏となっていたのでした。

子供はあの時自分が大人に見つかっていなければ、僧は逃げ出してどこかで生きていたのかも知れないと悔いました。

そして大人になり、年をとってからも、僧が居た洞窟に食べ物を届け続けているといいます。即身仏となった僧の亡骸はどこかの寺で今でも祀られているそうです。

即身仏のお守りにはどのような効果がある?

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山形県の湯殿山総本寺瀧水寺大日坊は、即身仏である真如海上人が安置されているお寺として有名ですが、こちらには大変ご利益のあるお守りが存在します。いったいこのお守りにはどのようなご利益があるのでしょうか。

真如海上人の即身仏は、6年に1度、丑年と未年に衣替えをされますが、このお守りにはその際に身に着けていた法会を裁断したものが込められています。

人が親切になる?

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この真如海上人のお守りを身に着けた人の中には、心が安らかになる気がする、周りの人が親切になる感じがするという感想を持つ方もいるようです。実際のところはどうなのでしょうか。

人々の幸せを願い、そのために自らを捧げた真如海上人ですから、その思いがお守りに宿ったということも十分考えられます。その思いを感じ取れば温かい気持ちになるのも不思議ではないのかも知れません。

また、守られていると思うことで自己重要感が高まり、それが心理的に作用することで周囲の人に大切にされるといった結果に繋がったとも考えられます。どちらにせよ、良い効果があったのならば喜ばしいことです。

開運の効果があると言われている

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この即身仏のお守りのおかげでご利益があったという人々のお礼参りが大変多いとのことです。代表的なものですと、交通安全、病気平癒、学業成就、良縁、子授けなどがあげられています。

これというものに限定されず、オールマイティなご利益といった印象です。人々の根本的な幸せに直結するあらゆる願いを聞き届けてもらえるということから、開運の効果があるとの評判を呼んだのではないでしょうか。

たいそうなご利益があると言われている

手術をすることになっていたという人の夢枕に真如海上人が立ち、その後無事に手術が成功したという話や、東日本大震災の際も、お守りを持っていた多くの人が難を逃れたといいます。

病気が治ったり、命を救われたという人々からたくさんのお礼参りや便りが後を絶たないそうです。この霊験あらたかなお守りは公式サイトからも購入出来るそうなので、興味ある方は覗いてみてはいかがでしょう。

お寺ではラミネート加工された真如海上人のブロマイドなどの販売もあるとのことです。いつでも真如海上人の姿を拝むことが出来る、こちらもある意味お守りとも言えます。

即身仏とミイラの違いとは?

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さて、即身仏は干からびた遺体という点から何かとミイラと混同されがちですが、即身仏とミイラではいったいどこに違いがあるのでしょうか。出来るまでの過程から探っていきます。

即身仏とミイラは過程が異なる

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即身仏は、何年にも及ぶ厳しい修行をする中で、腐敗を防ぐために体内の脂肪や水分を極限まで落とし、ミイラ化しやすい身体に自ら仕上げていかなければなりません。

これに対し、ミイラは自らの意思ではなく、他人の手によって死後の遺体から内臓等を取り出し、防腐処理などの加工を施したものになります。

このように、即身仏とミイラでは出来るまでの過程が違います。

ミイラは後世の復活を祈っている

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古代エジプトでは、肉体は死んでも魂は永遠に生き続けると考えられていました。そして来世でその魂が復活した際には身体が必要になるので、遺体を出来るだけそのままの状態に保つ必要があったのです。

そこで、遺体を腐敗させることなく保存する方法としてミイラが考案され、死者の後世での復活が祈られたといいます。このように即身仏とは、作成に至るまでの過程ももちろんですが、動機面でも違いがあるのです。

日本に現存する即身仏一覧と画像

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日本に現存する即身仏は18体といわれ、人々の信仰を集めながら今でも大切に各地の寺に安置されています。

衆生を思いやり、厳しい修行を自らに課してきた即身仏たちは、いったい何を思い、どのように生きてきたのでしょうか。

偉大な僧たちが即身仏になるまでの道のりをご紹介していきます。

本明寺の本明海上人【山形県】

本明海上人はもともとは武士でしたが、藩主が患った眼病の平癒祈願を命じられたのをきっかけに湯殿山に入りました。さらに祈願を続け帰らずにいたところ、藩主の怒りに触れ厳しい処罰を受けます。

その後病は平癒、祈願が認められたことで仏門に入り、荒廃した寺を立て直しました。1683年入定、湯殿山で修行をした即身仏の中では最古のものとなります。

大日坊の真如海上人【山形県】

農家の長男として生まれた真如海上人は、仕事中の事故でとある一人の子供を死なせてしまった弔いのために出家しました。20代の頃から木食修行に入り、96歳で入定するまでの70年あまりの間それを続けました。

真如海上人は入定から3年後、見事な即身仏となりました。天明の大飢饉は真如海上人が即身仏になったのち、終息したとされ、真如海上人の思いが伝わったといわれています。

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