
稲葉事件の真相とその後!稲葉圭昭と息子・畑中絹代の現在と映画!
稲葉事件は北海道警察所属の警官が覚せい剤や銃を密売として逮捕された事件です。北海道警察の人間が覚せい剤で逮捕された初の事例となっています。その背景には腐敗した警察の体系、捜査協力者とのトラブルなどがあったそうです。この記事では稲葉事件についてまとめていきます。
目次
[表示]稲葉事件とは?
稲葉事件は北海道警察内で薬物逮捕者が出た初めての事例です。警察官が薬物を使用したとして世間を騒がせました。稲葉事件の概要をまとめました。
北海道警察の生活安全特別捜査隊班長、稲葉圭昭が起こした事件
稲葉事件とは、2002年7月に北海道警察生活安全特別捜査隊班長所属の稲葉圭昭警部が逮捕された事件です。
罪状は覚せい剤取締法違反容疑と銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑。北海道警察で薬物の逮捕者が出たのは初の事例でした。
しかも覚せい剤は稲葉圭昭警部が個人的に使用するために売人から購入していたのではなく、自ら密輸に関与して利益を得ていたこと、拳銃を暴力団に売りさばいて小遣い稼ぎをしていたことが発覚。
さらに取り調べの中で過去に稲葉圭昭警部が携わったおとり捜査事件において、道警本部が行った捜査方法は故意に犯意を誘発するように仕組まれたものであったという疑惑も浮上したのです。
そこから民間企業の営業売上のように、警察内で検挙率の高さが重要視されていることが明らかになり、北海道警察が事件を偽造していたとの話も出て社会問題となったのです。
稲葉事件の経緯
稲葉事件は警察官の薬物使用が発覚し逮捕・有罪判決にまで至った事件です。稲葉事件の経緯について詳しくまとめていきたいと思います。
2002年7月5日、W氏が覚せい剤取締法違反(所持)を自首、稲葉圭昭を告発
2002年7月5日に飲食店経営者のWが覚せい剤を持って札幌北署にて自首、その後逮捕されました。
Wは自首した際、北海道警察の稲葉圭昭が覚せい剤を所持・使用していたと告発します。
捜査協力者(エス)とは?W氏と稲葉圭昭の関係
稲葉圭昭は警察官になると暴力団関係の捜査に携わりました。情報を入手するため暴力団関係者を捜査協力者として雇い、内部の情報を得ていました。
しかし、稲葉圭昭は資金の調達に困り、捜査協力者と共に拳銃や覚せい剤の密輸に手を染めたのです。
自首したWも捜査協力者の一人でした。稲葉圭昭とは親密な中でしたが、二人の間に金銭トラブルが生じ、そのことがきっかけで自首・告発に踏み切ったそうです。
2002年7月10日、稲葉圭昭を覚せい剤取締法違反(使用)で逮捕
2002年7月10日の午前中、Wの告発を受けた札幌北署は勤務中だった稲葉圭昭に任意同行を求め尿検査を実施。すると覚せい剤の陽性反応が出ました。
その日の午後、稲葉圭昭は覚せい剤取締法違反で逮捕されました。
調べによると2000年ごろからストレス解消のために覚せい剤を使用していたといいます。北海道警察は7月12日に稲葉圭昭を懲戒処分としています。
2002年7月18日、稲葉のアジトを家宅捜索、拳銃と覚せい剤を押収
2002年7月18日、北海道警察薬物対策課は稲葉圭昭の名義で借りられていたアジトを家宅捜索します。
するとアジトでロシア製の自動式拳銃PSMとビニール袋に入った覚せい剤0.44gが発見され、稲葉圭昭は銃刀法違反と覚せい剤取締法違反容疑で再逮捕されました。
その後、札幌地検は覚せい剤取締法違反容疑で稲葉圭昭を起訴します。
2002年7月23日、稲葉の自宅マンションを家宅捜索
2002年7月23日、薬物対策課は稲葉圭昭の自宅マンションを家宅捜索に入ります。
そこで覚せい剤約92.9gを発見。薬物対策課はこれを密売目的と判断し、8月21日、稲葉圭昭を覚せい剤取締法違反(営利目的所持)容疑で再逮捕しました
後に密売によって約2000万円の利益を得たことが判明します。9月11日、札幌地検は覚せい剤取締法違反及び銃刀法違反容疑で稲葉圭昭を追起訴しました。
稲葉を含む銃器対策課4人の捜査員が書類送検に
10月17日、稲葉圭昭を含む銃器対策課4人の捜査員が偽証等の容疑で書類送検を受けました。
1997年11月14日、ロシア人船員が銃刀法違反・加重所持で有罪判決を受けた事件がありました。K警視の指示で現場にパキスタン人の捜査協力者がいたことを捜査書類に記述しなかったのです。
さらにこの事件の公判でも「パキスタン人がいたことは確認していない」と嘘の証言をした容疑がかかっています。
K警視が首吊り自殺
2002年7月31日、稲葉圭昭の元上司にあたるK警視が札幌市内の公園のトイレで首吊り自殺しました。遺書もなく、自殺した原因は不明とされています。
前日に事情聴取を受けたK警視は自殺したこの日に2度目の事情聴取を受ける予定でした。
2002年12月27日、4名の容疑が確定
2002年12月27日、事件に関わった4名の容疑が確定しました。容疑者と容疑は以下の通りです。
- 稲葉圭昭:虚偽公文書作成・同行使容疑及び偽証容疑
- K警視:死亡したため不起訴
- N警視:虚偽公文書作成・同行使容疑
- C警部補:偽証容疑
以上の容疑について札幌地検はそれぞれに起訴猶予処分を下しました。
札幌地検はおとり捜査を合法的なものだったと判断したのです。
稲葉事件発覚に到るまでの経緯と警察の腐敗
稲葉事件は様々な人たちの私利私欲を満たしたがために起きた事件でした。その背景には警察の腐敗があったのです。事件の経緯や警察の腐敗についてまとめていきたいと思います。
稲葉圭昭の出生
1953年10月、事件の容疑者・稲葉圭昭は北海道門別町で生まれました。
父親は警察官で転勤が多く、道内を転々としていたそうです。稲葉圭昭は柔道の名手として知られていましたが、柔道を仕込んだのは父でした。
稲葉圭昭の少年時代とは
警察官の父親から3歳のころから柔道を仕込まれていたようで、成長と共にメキメキと実力をつけていきました。
昇段試験の際、様子を見ていた警官の目に留まり柔道の名門・北海高校に推薦で入学。番長と呼ばれるまでになったそうです。
高校卒業後は東洋大学に進学し、そこでも柔道に打ち込み活躍しました。
補導歴も
インターハイが終わり、引退を迎えた稲葉圭昭は町での遊びに夢中になっていました。喧嘩、恐喝、万引きは日常茶飯事だったそうです。
ある日、札幌駅で高校生を恐喝して暴行し、その場を立ち去ろうとした際、私服の鉄道公安官に声を掛けられそのまま補導。後日、札幌中央署に呼び出され取り調べを受けたといいます。
将来なりたかった職業は?警察官にはなりたくなかった
稲葉圭昭は将来柔道の指導者になろうとしていたそうです。
柔道の特待で東洋大学に入学し、教職課程を取ります。しかし教育実習の費用の3000円を出すのが嫌だったのと、めんどくさかったのでやめてしまったそうです。
補導歴があったことから警察官には絶対なりたくなかったと本人が語っています。
1976年4月、道警に入る
1976年4月に稲葉圭昭は北海道警察に柔道の特別採用で入ります。
配属されて間もないころ、先輩と警邏に出た際すすきのの交差点に穴が開いているのを発見。先輩の指示でA4サイズの書類を交通課に提出します。
翌日同じところを通るともう道路が修理されていたのです。それを見て「警察ってスッゲエなぁ〜」と感動したそうです。
1977年4月、道警本部警備部機動隊に配属
警察官になった翌年の1977年4月、稲葉圭昭は柔道特別訓練隊員として道警本部警備部機動隊に配属されます。
1977年に北海道警察が柔道で優勝したのをきっかけに柔道を引退します。
1979年8月、道警本部刑事部機動捜査隊に異動
1979年8月、道警本部刑事部機動捜査隊に異動。機動捜査隊の任務は夜間の札幌で起きた殺人や強盗に対処するのが主なものです。
稲葉圭昭はどんどん頭角を現し84年、巡査部長に昇任。札幌中央署刑事第二課暴力犯係主任を務めます。
さらに88年には北見署刑事課暴力犯係主任、90年4月に警部補に昇任し、旭川中央署刑事課暴力犯係主任と順調にキャリアップを積んでいきます。
1993年4月、道警防犯部銃器対策室に配属
1993年4月、稲葉圭昭は道警防犯部銃器対策室の銃器犯罪第二係長として配属されました。
1990年の長崎市長銃撃事件、1992年の金丸信自民党副総裁銃撃事件などこの当時日本では銃火器による事件が多発していました。
それを受けて警察庁は全国の警察に銃器対策室を設置させ、銃器の摘発に躍起になっていました。
8年間で100丁近い拳銃を押収し「銃隊のエース」に
道警防犯部銃器対策室に配属された稲葉圭昭はその後2001年4月に警部に昇進。
生活安全特別捜査隊へ異動するまでの8年間でなんと約100丁の拳銃を押収したそうです。このことから「銃隊のエース」と呼ばれるまでになりました。
しかしそのやり方は決して褒められたものではなく、1993年の銃刀法改正よる自主減免制度を利用し自作自演のねつ造をするなど点数稼ぎを行っていました。
次第に資金工面が困難になり、密売へ
暴力団内部に捜査協力者を多数作り、拳銃の摘発に成果を上げてきた稲葉圭昭ですが、捜査協力者に渡す報酬の資金繰りがどんどん苦しくなっていきます。
すると稲葉圭昭は刑事の立場を利用して覚せい剤や大麻などの密売着手します。
4000万円以上の利益は高級車や愛人との交際費へ
その立場を利用し密売にまで手を伸ばした稲葉圭昭。麻薬密売によって得た収益は4000万円にも上ると言われています。
利益は主に捜査協力者の報酬に使われましたが、愛人との交際費や高級車購入などにも使われていたそうです。
稲葉圭昭の交際相手の畑中絹代も逮捕
稲葉事件で逮捕されたのは稲葉圭昭などの事件関係者だけではありませんでした。実は稲葉圭昭の交際相手・畑中絹代も逮捕されているのです。詳しくまとめてみました。
畑中絹代とは
畑中絹代とは稲葉圭昭の交際相手で道警銃器対策課の巡査部長でした。密売で上げた4000万円の収益をつぎこんでいた交際相手とはこの人物です。
畑中絹代は稲葉圭昭の密売隠蔽に関わっていました。
畑中絹代の写真や画像は?
畑中絹代の画像をGoogleで検索をするとシマノレーシング所属の畑中勇介選手と結婚した、同姓同名の別人の画像が出てきます。畑中絹代本人の画像はネットには流出していないようです。
稲葉圭昭は畑中絹代との交際費も密売で工面していた
稲葉圭昭は畑中絹代との交際費を密売で工面していました。畑中絹代も警察官であったのですから、金がどこから出ていたのか全く知らなかったというわけではないでしょう。
稲葉事件発覚後の稲葉圭昭家宅捜索の際、畑中絹代の自宅も家宅捜索の対象となりました。その際畑中絹代の自宅から覚せい剤吸引用のパイプ2本が押収されます。
しかし畑中絹代はそれらのパイプは稲葉圭昭のマンションから持ち帰ったものだったと証言します。
2002年8月17日、稲葉圭昭の息子・暴力団関係者の乗る車が衝突事故
2002年8月17日、畑中絹代・稲葉圭昭の息子と暴力団関係者の乗る車が衝突事故を起こします。
調べによると暴力団関係者の男は父親の逮捕で落ち込んでいる息子を励まそうと息子と、その母親である畑中絹代を誘い出し、飲酒をします。反社会的勢力の人間とプライベートで会う間柄だったのです。
その後畑中絹代の車で帰宅しますが、道中で追突事故を起こしそのまま逃走。車は暴力団関係者が運転していましたが畑中絹代は「自分が運転した」と嘘の自供をしたのです。