柴田光太郎の現在や大田市場食堂のその後は?結婚はしている?

柴田光太郎さんはあまりテレビに出る機会に恵まれず知らない方も多いと思いますが、柴田光太郎さんは昭和の名俳優、田宮二郎さんの長男です。今回はそんな柴田光太郎さんの現在や太田市場食堂は運営されているのか、結婚しているかなどについてまとめました。

マネーの虎に出ていた柴田光太郎は現在何をしている?

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柴田光太郎さんはあのマネーの虎の志願者として出演しかなりその資金額や太田食堂で話題になった方です。そんな柴田光太郎さんは現在何をしているのでしょうか。

柴田光太郎のプロフィール

  • 本名:柴田 英光(しばたひでみつ)
  • 生年月日:1966年1月13日53歳
  • 出身:東京都
  • 身長:184cm
  • 職業:俳優
  • 家族構成:田宮二郎(父)藤由紀子(母)田宮五郎(弟)
  • 趣味:テニス・ゴルフ・馬術・スキー・料理・剣道・麻雀
  • 言語:フランス語・英語

柴田光太郎さんは、紀宮様の婚約相手である黒田慶樹さんと学習院で同級生だったそうです。

また父の田宮二郎さんは「クイズタイムショック」や「白い巨塔」などの代表作で知られる昭和の名俳優でもあり司会者でも出演され、母の藤由紀子さんは元女優で弟の田宮五郎さんも俳優です。

2007年より広尾学園高等学校で英語科教師を務める

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柴田光太郎さんは学習院大学文学部英米文学科を卒業し、学習院大大学院人文科学研究科イギリス文学専攻博士前期課程を終了し、この経歴を生かし2007年には広尾学園高等学校に英語教師として勤め始めます。

しかし僅か3年という短い教員生活を終え辞職されフランスへと語学留学されました。

現在は青稜高等学校の英語講師を務めている

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フランスに留学後、母である藤由紀子さんに芸能界入りを強く勧められ、柴田光太郎さんはそれに従い芸能界入りしますがそれほど向いていなかったのかまた教師に戻り、東京の進学校青稜高校で英語を教えています。

現在は青稜高校で英語の教師を勤め週5日22コマの授業を受け持っており、同校は東京大学、早稲田大学、慶応大学などの難関校に生徒を送り込んでいる受験対策に優れている進学校です。

このことに対し柴田光太郎さんは「たくさんの生徒を預かっていて、ものすごく責任のある仕事なんですよ」ととてもやりがいのある仕事だとコメントしています。

教職を第一にしつつ現在も芸能活動を続けている

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マネーの虎以来あまりテレビやメディアに顔を出さなくなった柴田光太郎さんですが、どうやら教職を本職とし、本職に支障がでない程度で芸能活動を続けられています。

近年では2015年には「The Hybrid 鵺の仔」に出演されているため完璧に芸能界から姿を消したのではなく現在は舞台を中心に活動しています。

マネーの虎に出演した柴田光太郎の太田市場食堂の現在は?

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柴田光太郎さんはマネーの虎の志願者だった柴田光太郎さんですが、資金を得て開店した太田市場食堂の現在はどうなっているのでしょうか。

マネーの虎の志願者として出演していた柴田光太郎

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マネーの虎に志願した理由は「みんなが元気になれる食堂を作りたい」と資本金855万円を番組に依頼しました。

柴田光太郎さんはなんでも本職や俳優業とは別に副業として飲食店をし経営しビジネスにしたいというのがマネーの虎の出演動機だったそうです。

弟の田宮五郎が飲食店を経営していた影響もあり食堂を開店

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柴田光太郎さんの弟で俳優の田宮五郎さんはいろいろなビジネスを経営されておりその一つである飲食店にて柴田光太郎さんもお手伝いをされていました。

しかしお店を閉めることになりその時お客さんに「やめないでくれ」と言われ、「やっていてよかったな」「機会があればまた店を出したい」と思いその経緯から自分でお店を出したいと思うようになったそうです。

当時の視聴者からの評判は?

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副業がしたいからという理由で食堂を開店なんて考えが甘いと番組中でも批判があり「話の要点が掴めない話し方、苦労知らずの金持ち息子」「ビジネスを舐めすぎている」と視聴者の方からも評判はかなり悪かったです。

しかし、最終的には柴田光太郎さんが「一年間この食堂に専念する」という約束で高橋がなり社長さんから融資をいただけることができ、無事食堂を開店させることができます。

その後は失敗だった?現在はやっていない様子

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柴田光太郎さんの食堂は失敗し、現在も運営はされていません。

柴田光太郎さんのビジネスが失敗した際も、世間で大した話題になっておらず柴田光太郎さんはビジネスに向いていなかったようです。

本当かどうか定かではありませんが現在は日本麻雀説明機構を訪問し、今後麻雀ビジネスを始めれるかもしれないというう噂です。

柴田光太郎は結婚している?

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本職との両立をしている為あまりメディアに顔を出さない柴田光太郎さん現在結婚されているのでしょうか。

オーラの泉より結婚は2002年にしていることが判明

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柴田光太郎さんは2008年06月14.21日放送のテレビ番組「オーラの和泉」で2002年に福祉関係にの仕事に携わっている一般女性と結婚していたことを明かしました。

もうすでに結婚生活は17年目(2019年現在)に突入し2人の間には1男2女の子どもを授かっています。

オーラの泉で語った後の妻となる女性と見たものとは

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柴田光太郎さんはオーラの泉で結婚前、後の妻となる女性(現妻)とある恐ろしい体験をしたと語りました。

それは妻になる女性と町を歩いていた際ばったり昔からよく知る知人に会い、妻になる女性を紹介したところその知人は目を見開き知人の首が2人に近寄ってくると、くるっと2人の間を回って戻っていく姿でした。

柴田光太郎さんは慌てて妻を連れその場を離れましたが、後に妻も「あの人誰?なんか首が伸びてじっと私を見ていた」と、それを聞いた江原さんは「きっと品定めにきたのね」とコメントしまいした。

柴田光太郎の家族構成と経歴

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柴田光太郎さんとその家族の仲には不仲説や深い溝があるなどと言われています。ここでは家族構成や家族の経歴についてまとめました。

父親は「白い巨塔」などで知られる田宮二郎

柴田光太郎さんの父親は昭和の名俳優で映画「悪名」シリーズ、映画「白い巨塔」クイズ番組「クイズタイムショック」の司会を勤め、ドラマ「白い巨塔」と数多くの代表作を残しました。

凛としたルックスと高身長でかつ筋肉もあり日本中の女性を虜にし、さらにはエリート系や甘い系、悪役まで数多くの役柄を勤め大映の看板俳優と呼ばれていました。

しかし田宮二郎さん主演の「白い巨塔」の最終回を撮影せずに自殺され関係者や視聴者はショックを隠しきれませんでした。

母親は元女優の藤由紀子

柴田光太郎さんの母親はドラマに「人間の条件」などに出演していた元女優で、田宮二郎さんと同じ大映に所属し大映の顔になりつつありましたが田宮二郎さんとの結婚を機に芸能界を去られました。

今では孫3人に恵まれ現在は元麻布の自宅を解体し、外国人の方向けにマンションを建て、そこでオーナーと管理をしています。

藤由紀子さんは2人の息子を同時に愛すということはしてこず長男である柴田光太郎さんにだけ愛し、期待し、亡くなった田宮二郎さんを重ねられていたそうです。

弟は俳優の田宮五郎

柴田光太郎さんの弟の田宮五郎さんは父親譲りのルックスで人気を取り大河ドラマにも出演したことがありこれからの俳優人生に期待されていましたが2014年11月6日にくも膜下出血の療養の末この世を去りました。

田宮五郎さんは生前の父親の言いつけを守り誰よりも父を尊敬し、父の背中を追っていた1人でした。

田宮五郎さんは28歳の時中尾あきらさんの姪っ子と結婚され娘を1人授かりますが、結婚から8年後に離婚され、同世代である浅野ゆう子さんと交際されて病気の療養中も支え田宮五郎さんの死に際も看取られました。

浅野ゆう子との関係は?

浅野ゆう子さんは弟の田宮五郎さんの恋人で5年ほど交際していましたが田宮五郎さんがくも膜下出血で倒れ浅野ゆう子さんは仕事の合間を縫って病院に通い、趣味のテニスやゴルフを辞め田宮五郎さんに付き添いました。

その際、母の藤由紀子さんも兄の柴田光太郎さんも、特に田宮五郎さんをサポートをすることはなかったですが浅野ゆう子さんの懸命な看病も虚しく、田宮五郎さんは亡くなってしまいました。

当時、2人は同居していたと噂されていましたし、フジテレビ「ノンストップ!」で浅野ゆう子さんは田宮五郎さんと結婚も考えていたと歌手の小林幸子さんが明かしました。

兄弟仲は悪かった?家族の確執の理由とは

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2人は幼い時に父親を無くし女手一つで育ててくれた母、藤由紀子さんでしたが母親の愛情は兄の柴田光太郎さんばかりに注がれ理由はわかりませんが、田宮五郎さんはあまり母から愛されていなかったようです。

柴田光太郎さんと田宮五郎さんは1歳しか歳が変わらず、誕生日も同じで顔も良く似ていて世間では「双子みたい」と言われていますが、そのような理由から皮肉なことに2人の仲はあまり良好とはいえません。

父の死を公式ブログで語っていた

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当時、田宮二郎さんは戦後の日本軍の隠匿資産に莫大な投資、怪しげな詐欺にあったのではないか、また田宮二郎さんは躁鬱病で発作的に自殺したのではないかとも言われていました。

しかし柴田光太郎は父は海外の漁業権、石油の採掘権話にのりお金を取られ、さらに30歳代半あたりから薄毛に悩んでいた田宮二郎さんは英国で手術を受けたが失敗し、偏頭痛と皮膚の変形に苦しんでいたと語りました。

そして極め付けが大女優との不倫関係が重なり、鬱の状態が悪化していき田宮二郎さんを自殺に追い込んだと、柴田光太郎さんは語っていました。

オーラの泉で語った父との最期とは

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柴田光太郎さんはオーラの泉出演時、父、田宮二郎さんが亡くなる前に起きた不思議な出来事について語っていました。

それはスキー合宿に行く柴田光太郎さんを見送る父、田宮二郎さんに柴田光太郎さんはなぜだか「さようなら」と言ってしまい 咄嗟に「行ってきます」と言い直したが振り返ると父親の脚だけ見えなかったそうです。

亡くなる数日前にも熱いお茶が柴田光太郎さんにかかったが全く熱くなく「変だなと思った」と、それを聞いた出演者の江原さんは「それは予知」「すでにお父さんは覚悟ができていたのではないか」と語られまいした。

柴田光太郎の経歴

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ここで柴田光太郎さんの経歴を細かくまとめました。

1991年に学習院中等科・高等科で英語教師を3年間務める

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平成3年から5年まで学習院中等科、高等科において英語科教諭を務めますが、僅か3年で辞職しフランスに語学留学します。

その後福祉施設にて自閉症、精神障害、ダウン症を抱える子どもたちにアドバイスする、アドバイザースタッフとして働いき、同時進行で中・高校受験生対象の進学塾の英語講師を勤めています。

フランスに語学留学後に「おはよう!ナイスデイ」で芸能界デビュー

柴田光太郎さんは、フランスに留学後の1995年にアメリカへも語学留学予定でしたがフランス留学中にテレビ番組からオファーがありました。

そして1995年10月にレポーターとしてフジテレビジョンのワイドショー「おはよう!ナイスデイ」に出演し晴れてテレビデビューを果たしました。

バラエティ番組の「5時に夢中!」では4代目MCとして2008年1月 – 12月まで出演し、番組内では「変態キャラ」として共演者の岩井志麻子さんや中瀬ゆかりさんにいじられていました。

父の自殺のトラウマから克服した方法とは

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父の田宮二郎さんの自殺した時にマスコミに激しく質問されたことがトラウマになり、そのトラウマのせいで初めてテレビ番組でレポーターを勤めた収録ではなにも話せずに終わりました。

しかしその収録後1人のカメラマンが「俺は片方の眼でファインダーを、もう片方の眼お前を見ている。だからお前は俺の眼に向かって話すことだけを考えろ」と言われこのトラウマを克服することができました。

柴田光太郎さんはテレビでレポーターとして活躍するようになってから「父の自殺の事をメディアに冷たく書かれ、この人たちは人間の心があるのか」と 秘めていた思いを語りました。

レポーターだけではなくドラマ「必要のない人」で俳優デビューも果たす

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柴田光太郎さんは父親譲りのルックスと知的な硬派系レポーターとして活動が期待されていてテレビ番組だけに止まらず、NHK総合テレビの水曜ドラマ「必要のない人」に野村健太役として俳優デビューを果たしました。

その後バラエティだけに止まらず、代表的な映画「時をかける少女」をはじめ様々な映画やドラマ、テレビ番組で活躍されています。

柴田光太郎さんのニックネームは「ブラマヨ」

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有吉弘行さんが柴田光太郎さんのニックネームを「ブラマヨ」と名ずけられました。

理由は定かではありませんが、柴田光太郎さんとブラックマヨネーズの吉田敬さんの輪郭や雰囲気が似ていることからそのようなニックネームをつけれらたと考えられます。

そのことに関しネットの一部では「良く見ると似ている」という声も上がっています。

父、弟の死を乗り越えた今

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弟の田宮五郎さんは父親の田宮二郎さんが生前に言った「人間を知らずにこの職業につくものじゃない。自分は若くして俳優になったので、想像でしか役に入れなかった」という言いつけを守りこの世を去られました。

今まで父親の言いつけを守って来なかったという柴田光太郎さんは父親の意志を受け継ぎ、今後芸能活動をどこまで続けられるのでしょうか。

また幼い頃の父親の死、不仲だった実の弟の死を乗り越え、教師として日本の未来をみなう子どもたちに何を教えていくのか、今後とも期待が高まります。