范文雀の命日や死因は?寺尾聰との離婚理由や余貴美子との関係

女優の范文雀さんは、女優の余貴美子さんとはいとこ同士の関係です。范文雀さんは以前寺尾聰さんと結婚し、1年5カ月というスピード離婚をしています。また荻島真一さんとは同棲していた過去があります。悪性リンパ腫によって、54歳という若さで亡くなっています。

范文雀の命日はいつ?死因は何だったのか

范文雀さんは、54歳という若さで亡くなっていますが、その命日や死亡原因はなんだったのかを、調べてみました。

范文雀のプロフィール

范文雀さんは、1948年4月15日生れ、東京都中野区生まれの広島県広島市育ちです。国籍は台湾ですが、両親共に日本で育っていますから、范文雀さんは中国語をほとんどしゃべれません。

最終学歴は、上智大学外国語学部を中退ということです。范文雀さんは、5歳の頃に父親が音楽のために台湾に帰ってしまい、范文雀さんと母と兄の3人は、祖父母が住む広島に引っ越しています。

祖父母は広島の駅前で、「胡蝶園」という中華料理店を営んでいました。祖母は范文雀さんの事を気に入り、祖母が住む母屋に一緒に住み、母と兄は中華料理店の従業員の寮に住み込んでいたそうです。

上京してからの范文雀さん

祖母の元で、お嬢様として育った范文雀さんは、広島ノートルダム清心中学校を卒業しました。その後、祖母とはどうしても馴染めなかったのもあり、広島を出て東京に戻り、両親と一緒に暮すようになりました。

范文雀さんは、その後品川区東五反田の清泉女子大学を卒業し、上智大学外国語学部に入学していますが、大学を中退しています。

中退の理由は、清泉女子大学から既にドラマ出演していて、本格的に女優として生きて行く事を決めたからだそうです。その頃、「特別機動捜査隊」の端役に出演しています。

1998年に悪性リンパ腫と診断され入院

范文雀さんは、1998年に悪性リンパ種と診断され、約半年間の入院を余儀なくされ、ずっと治療を受けていました。しかし、退院して4年後の2002年10月に体調が悪化し、東京都内の病院に入院しました。

命日はいつ?死因は心不全だった

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范文雀さんは、2002年の10月に体調が悪化し、東京都内の病院に入院しましたが、同年の11月5日に54歳という若さで亡くなっています。死因は心不全でした。

范文雀さんの死因は、「心不全」と発表されていますが、本当のところは「悪性リンパ腫(血液のガン)による心不全」というのが正式な死因ということです。

悪性リンパ腫の死亡率は?

悪性リンパ腫とは、血液のがんで、細菌やウイルスなど病原体を排除する機能をつかさどるリンパ系組織とリンパ外臓器から発生します。日本で悪性リンパ腫にかかる患者は年間10万人あたり約10人程度です。

悪性リンパ腫はステージによって生存率が変わってきます。范文雀さんの当時のステージは分かりませんが、診断された時はステージⅣであった可能性が高いのではないでしょうか。

范文雀は結婚していた?子供は?

范文雀さんは、俳優の寺尾聰さんと結婚したいた過去があります。人気絶頂だった1973年に結婚し、芸能界を引退しています。しかし、その結婚生活は長く続きませんでした。

ドラマ「2丁目3番地」の共演をきっかけに寺尾聰と結婚

范文雀さんと寺尾聰さんが出会ったのは、1973年のテレビドラマ「2丁目3番地」でした。このドラマでは范文雀さんと寺尾聰さんは、恋人同士という設定でした。

このドラマ「2丁目3番地」でのストーリーと同じように2人の仲は進展していったようです。

寺尾聰と出会う前は荻島真一と同棲していた過去がある

范文雀さんと荻島真一さんは、かつてテレビドラマ「愛の嵐」で共演していた事があります。ドラマの中では、范文雀さんが荻島真一さんの演じる沢野信之の兄である沢野達夫の愛人という設定でした。

その荻島真一さんと、范文雀さんは同棲していた時期があります。交際と同棲を公表していましたが、結婚には至らず破局しています。

荻島真一さんは、1946年10月7日生れの声優で、多摩芸術学園演劇科を卒業しています。

1974年にスピード離婚!会見で語った離婚理由とは

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范文雀さんと寺尾聰との結婚生活は、わずか1年5ヶ月で、1974年にスピード離婚しています。離婚の原因などは詳しく分かっていませんが、范文雀さんが家庭よりも仕事を優先したかったというのが真相のようです。

范文雀と寺尾聰の間に子供はいた?

范文雀さんと寺尾聰さんは、1年5カ月の結婚生活がありましたが、その間子供は出来ていないそうです。

寺尾聰はその後星野真弓と再婚し現在は子供も設けている

寺尾聰さんは、1979年、秋の資生堂CMで「微笑の法則」に出演した、モデルの星野真弓さんと再婚しています。寺尾聰さんが33歳、星野真弓さんは20歳頃での結婚でした。

星野真弓さんは、その後芸能活動はせず、2人の間には、3人の子供がいるそうです。

范文雀と余貴美子の関係とは?

范文雀さんの事を調べて行くと、余貴美子さんとの関係が出てきます。そして、范文雀さんと余貴美子さんはどうやら、いとこの関係のようです。

范文雀と余貴美子は従姉妹

范文雀さんと余貴美子さんは、従姉妹の関係で、范文雀さんの母親の弟にあたる人が余貴美子さんのお父さんという関係です。

また、范文雀さんのお母さんと余貴美子さんのお父さんは、祖先が中国の広東省鎮平村から台湾に移住してきた客家(客家を話す漢民族)だそうです。

余貴美子のプロフィール

余貴美子さんは、1956年5月12日生れ、神奈川県出身の女優です。身長161cmで体重56kg、趣味は民謡で三味線をひく事だそうです。

余貴美子さんは、芸能界にいた范文雀さんの影響で、女優を目指そうと思ったそうです。

范文雀の若い頃は?ヌードが人気?経歴や出演作品

范文雀さんのヌードはあまり印象にないのですが、それほど派手なヌードではなく大人し目のヌードを披露していたようです。映画「新・女囚さそり701号」での濡れ場シーンで見せています。

范文雀はシシドカフカに似ていると言われている

范文雀さんは、女優や音楽活動をしているシシドカフカに似ていると言われています。確かに顔立ちや雰囲気から似ているところが多くあります。一番似ているのが、長い黒髪のヘアスタイルではないでしょうか。

顔立ちや容姿も似ていますが、全体的な雰囲気が、当時の范文雀さんとシシドカフカさんはよく似ています。

范文雀の身長は?ヌードを披露していたこともあった若い頃の美しい画像

范文雀さんの公式の身長や体重ですが、公式のものはないようです。范文雀さんは若い頃映画「新・女囚さそり701号」などで、ヌードを披露したこともあります。

1968年「特別機動捜査隊」で女優デビュー

范文雀さんは、1968年の映画「特別機動捜査隊」で女優としてデビューしています。第370話「挑戦」では、三枝子役で特別出演、第378話「美しき鷹」では麻里役で特別出演しています。

ドラマ「サインはV」で一躍人気となる

范文雀さんが本格的に女優として認められたテレビドラマは1969年に放送された「サインはV」でした。このドラマは、1964年の東京オリンピックで日本の女子バレーの金メダルの影響もあって人気となりました。

范文雀さんのは、ホームで育てられたジュン・サンダースの役で、最後は骨肉腫という病気で倒れるという役柄を演じました。ジュン・サンダースは、繊細な心を持ちながらも、表向きは突っ張っているという役でした。

志半ばで骨肉腫で倒れるというストーリーは、全国のファンから助命の嘆願が多く届くほどの人気でした。また、この役では范文雀さんは、混血の役でもあり、ドーランで肌を黒く見せていました。

ドラマ「アテンションプリーズ」で更に注目を集めた

ドラマ「サインはV」の次に出演した、スチュワーデス(現在のCA)を描いたドラマ「アテンションプリーズ」では、范文雀さんの人気を不動のものとしました。

范文雀さんは、この「アテンションプリーズ」で、田村早苗役として出演しています。田村早苗は100期生でしたが、落第したために主演の美咲洋子(紀比呂子)達の101期生として訓練を受けます。

最初は先輩意識があって突っ張っていた田村早苗(范文雀)でしたが、徐々に美咲洋子の熱意で打ち解けていくというストーリーになっています。

女優の宣伝映画「野良猫ロック」にも出演

范文雀さんは、1970年に公開された「女番長 野良猫ロック」にも出演しています。内容は、不良少女の突っ張りが展開する物語です。

この映画は、日活の女優達を集めて売り込むために制作され、范文雀さんを始め、梶芽衣子さん、和田アキ子さん、高野沙理さんらの女優と共に、地井武男さん、藤竜也さんなどの俳優も参加しています。

映画「新・女囚さそり701号」では濡れ場も披露した

映画「新・女囚さそり701号」は1976年に公開された篠原とおる原作の「さそりシリーズ」です。松島ナミ役には、前作までの梶芽衣子さんに代わって、多岐川裕美が演じています。

主演の松島ナミは、無実の罪で女囚となって地獄の日々を送る中実姉を殺され、恋人に裏切られ、復讐に燃えるというストーリーです。范文雀さんの役は、主演の松島ナミの姉の松島妙子を演じています。

この映画では、范文雀さんの濡れ場シーンもあって話題となりました。

離婚後は芸能界に復帰し「Gメン75」でアダルティな役を演じる

「Gメン75は」は1975年から1982年の8年間続いた警視庁庁舎から独立した特別潜入捜査班を舞台にしたドラマでした。范文雀さんは、307話から355話まで、レギュラーとして出演していました。

范文雀さんは、「Gメン75は」の後の「特捜最前線」のゲストで出演していますが、その中で二谷英明さんと、アダルティーなやり取りを演じています。

映画「人間の証明」ではキー人物を演じる

映画「人間の証明」は、1977年に公開され、主演は岡田茉莉子さん、松田優作さんで、范文雀さんはクラブホステスのなおみ役で出演しています。新見(夏八木勲)の愛人で、最後はひき殺されて海に捨てられます。

「人間の証明」は、「犬神家の一族」に次ぐ角川春樹事務所制作で、日本とアメリカを舞台にした、さまざまな人間の生きざまを描くサスペンス映画です。

その他脇役も含め多くの役を演じた

范文雀さんは、脇役として多くのドラマや映画に出演してきました。映画では、日活の「大幹部ケリつけろ」や、「可愛い悪女」テレビドラマでは「おんな友だち」、「忍法かげろう斬り」などに出演しています。

当時のバレーボールの人気

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范文雀さんが出演したテレビドラマ「サインはV」は、当時かなり人気がありましたが、その背景には1964年の東京オリンピックで金メダルと取得した日本女子バレーがあるようです。

当時の日本女子のバレーボールは、「東洋の魔女」と呼ばれ、恐れられていた存在でした。日本の女子バレーボールの活躍は、この東京オリンピック金メダルという輝かしい実績と共に成長してきたといえます。

テレビドラマの「サインはV」は、TBS系で放送され、大人から子供まで幅広い年齢層で熱狂的な支持を受け、最高視聴率39.3%、平均視聴率32.3%という驚異的な数字で大ヒットしたドラマです。

もともとは漫画だった「サインはV」

「サインはV」は、もともとは漫画の「サインはV!」を原作としたテレビドラマで、映画にもなっています。「アタックNO1」への対抗馬が欲しいという少女フレンド編集部の要請から企画されました。

「アタックNO1」に対抗するために、特訓や魔球を取り入れているのが特徴です。テレビドラマでは、ジュン・サンダース役の范文雀さんは、第10回から登場しています。

主演の朝丘ユミ役を岡田可愛さんが演じています。

「サインはV」の主演を演じた岡田可愛さんの現在

岡田可愛さんは、1948年10月19日生まれで現在70歳です。本名は伊藤可愛で、今はアパレル関係の仕事をしているそうです。岡田可愛さんは、青蘭学院高等学校(現星稜高校)を卒業しています。

大阪市生野区で6人兄妹の末っ子として生まれ、その名前は可愛いの「可愛」ではなく、「愛される可し」という意味、つまり人に愛されるようにという意味で名付けられました。

父親の事業の失敗で、小学校4年の大晦日に一家で東京の吉原へ移り住んでいますが、大晦日に引っ越しとは、その時の切迫した事情が想像されます。小学校6年の頃に姉によって、劇団日本児童へ入っています。

NEXT 女優としての岡田可愛さん