京都・崇仁地区出身の芸能人はいる?部落の地域・出身の芸能人まとめ エンタメ

京都・崇仁地区出身の芸能人はいる?部落の地域・出身の芸能人まとめ

国内外から多くの観光客が訪れる京都市、日本の古都として神社仏閣が軒を連ねる中、京都にも被差別部落があったのです。今回は崇仁地区出身の芸能人はいるのか調べてみました。また、他の部落の出身者も見ていきます。そもそも被差別集落とは何なのかもまとめていきます。

目次

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京都の被差別部落・崇仁地区とはどのような場所なのか

まず、被差別集落だった崇仁地区(すうじんちく)とはどのような場所なのかを見ていきましょう。日本全国に転々と存在する同和地区ですが、京都の同和地区出身と噂されている芸能人についてもまとめていきます。

関西有数の被差別部落として知られている京都・崇仁地区とは?

崇仁地区とは京都府の中心地、京都駅南口(八条口)から数分歩いたところにあり、被差別部落があったとされている地域です。被差別部落とは江戸時代の身分制度により、差別が生まれた地域のことを指します。

明治以降に身分制度がなくなり、関東では被差別部落の存在は過去のものと考える人が増えましたが、関西では依然として差別意識が残ってしまっているとされます。

特に崇仁地区は関西でも有数、京都府内では最大の被差別部落があった地域で、現在は地域内に被差別部落としての暮らしや歴史などが展示されている柳原銀行記念資料館があります。

資料館の前身であった柳原銀行は、明治32年に崇仁地区の町長だった明石民蔵という人物ら、地元有志によって建てられました。ちなみに柳原銀行は、日本で唯一同和地区出身者が設立した銀行でもあります。

記念館には、崇仁地区の詳細や被差別部落の実態、昭和の時の街の様子が資料と写真で紹介されています。現在街の姿は大幅に整備・改善されているため、地区の歴史を見ることができる数限られた場となっています。

昭和の頃は経済的な困窮を象徴するような密集した家屋が多くありましたが、現在は綺麗なマンションや、いわゆる改善住宅が立ち並び、老朽化した家屋を壊した後に空き地のままとなった場も多くあります。

地区内には高瀬川が流れている。かつては生活排水が流れて衛生面で問題があったが、今は綺麗に整備されている。ウグイのような川魚もいて、水質もよいものであった。

(引用:西の禁書目録)

崇仁地区内には古くからある住宅やお店が現在も残っている場所もあります。

そんな中には革皮関係を生業とするお店も多く、これは被差別部落での仕事は人や動物の死に関わるものが多かったという特徴から来ています。

また2023年には崇仁地区内に京都市立芸術大学のキャンパスが移設される予定となっており、現在は工事が進められるとともに、路上や廃屋にアート作品を展示する試みも行われています。

このことから高齢化が進んでいた崇仁地区には観光客や若者が訪れるようになり、活気のある街へと変化を迎えているのです。

崇仁地区出身の芸能人はいるの?

Pexels / Pixabay

では、そんな崇仁地区出身の芸能人はいるのでしょうか?調べてみたところ崇仁地区出身と公表している芸能人はいませんでした。

崇仁地区出身の芸能人はいませんが、被差別部落出身と公表している芸能人や噂のある方は何人かいらっしゃいます。噂のある方たちはどんな方なのでしょうか。

京都の被差別部落出身と噂の芸能人・有名人①:野中広務

京都の被差別部落出身と噂のある有名人1人目は、2018年1月に他界した故・野中広務さんです。

野中広務さんは官房長官や大臣を務めたことのある政治家であり、京都府副知事を務めた際に自ら京都府南丹市の被差別部落出身者であることを公表しました。

「総務大臣に予定されておる麻生政調会長。あなたは大勇会 の会合で『野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ』とおっしゃった。そのことを、私は大勇会の三人のメンバーに確認しました。君のような人間がわが党の政策をやり、これから大臣ポストについていく。こんなことで人権啓発なんかできようはずがないんだ。私は絶対に許さん!」
野中の激しい言葉に総務会の空気は凍りついた。麻生は何も答えず、顔を真っ赤にしてうつむいたままだった。— 魚住昭『野中広務 差別と権力』

(引用:Wikipedia)

麻生太郎氏が野中さんのことをこのように批判したことがありました。麻生太郎氏はこの発言について差別発言はしていないと主張していましたが、これに対し野中広務さんも大きく批判する姿を見せています。

野中姓20件。2000年電話帳。衆院議員の野中広務(自民党)の出身地区。野中は「僕が生まれた城南町, その時は大村といってたんですが, これが片方は部落ではない。 片方は未解放部落でした。同じ字の中でね」と発言している。

(引用:Wikipedia)

出身地の船井郡園部町(南丹市)についてこのように発言していたことがありました。また「京都府未解放地区の生活実態」という社団法人部落解放研究所が発行した書物にも被差別部落であったことが記載されています。

京都の被差別部落出身と噂の芸能人・有名人②:倖田來未

京都の被差別部落出身と噂のある芸能人2人目は、歌手の倖田來未さんです。倖田來未さんは京都市伏見区深草、もしくは伏見区竹田出身だと言われています。

そしてどちらも「京都府未解放地区の生活実態」にて被差別部落であったことが示されています。ちなみに、伏見区竹田は「竹田の子守唄」という被差別地域の歌発祥の地であると言われています。

実家については呉服屋だという話や運送業をしているといった話が回っており、それについても明確なところはわかっていません。

また倖田來未さんと言えばmisonoさんと実の姉妹であることが知られていますが、misonoさんは小学生時代に過酷ないじめを経験したことを告白しています。

このいじめの原因も被差別部落出身だったために起きたのではないか?と考察する意見もありますが、伏見区も広いため、姉妹が竹田出身なのかどうかも定かではありません。

京都の被差別部落出身と噂の芸能人・有名人③:島田紳助

京都の被差別部落出身と噂のある芸能人3人目は、元芸人・タレントの島田紳助さんです。島田紳助さんは暴力団との関係が露わとなり、現在は芸能界を引退しています。

島田紳助さんの出身地は京都市南区唐橋西寺町で、ここが同和地区であったことを示す文書はありません。

しかし島田紳助さんには被差別部落出身説があります。それは島田紳助さん自身が、母校大谷高校での講演会で自分が部落出身だと公表したという話があるためです。

この発言と、京都市南区には牛馬などの家畜を屠殺し食肉に加工する屠場があり、屠場は被差別民のエタが住む地域に作られることが多かったということが、島田紳助さんの出生に関する噂の根拠となっています。

しかし、母校での講演会で島田紳助さんが被差別部落出身であることを明かしたという話も公的な記録が残っているわけではないため、この発言自体も本当にされたものなのか疑問が残ります。

その他の被差別部落地域と出身の芸能人まとめ

ここではその他の被差別部落出身者について迫っていきましょう。いったい被差別部落出身者にはどんな方がいるのでしょうか?公表している人から噂のある人まで様々いらっしゃいました。

被差別部落出身を公表している芸能人:三國連太郎(群馬県太田市)

被差別部落出身と言われている芸能人1人目は、俳優の三國連太郎さんです。三國連太郎さんは昭和の大スターですが、2013年90歳で亡くなっています。

三國連太郎さんは出生地は群馬県太田市で出身地は静岡県の西伊豆でした。群馬県太田市は育ての父の職場があり、静岡県西伊豆はその育ての父親の故郷でもありました。

三国さん自身親が被差別部落出身者だったということを公表しており、差別問題にも真正面から向き合っていました。ご自身が書いた著書『親鸞に至る道』ではこのように綴っています。

曹洞宗には『曹洞法語集』という本がありまして、身分・階級によって戒名をつくるきまりをしなんしております。この本のもとをたずねますと、徳川時代の初期に浄土宗の報誉という坊さんが書いた『無縁慈悲集』というものがあって、それを下敷きにして書いたものだそうです。

徳川の幕藩体制が支配秩序を完成させる以前から、寺々では人びとの生きている間にある差別を容認するのみならず、死んだあとまで差別する戒名を作ったのであります。

(引用:往生際悪記)

死んでもなお差別をする戒名をつけることを反対し、息子の佐藤浩市さんには「戒名はいらない」「散骨して誰にも知らせるな」「三國連太郎のまま逝く」と言い残したそうです。

また三國連太郎の養父が被差別部落出身であったことから、血縁関係のない祖父が被差別部落出身となる佐藤浩市さんは、部落とは関係のない生まれということになります。

被差別部落出身の噂がある芸能人①:加藤あい(愛知県あま市甚目寺)

続いての被差別部落出身との噂のある芸能人は、女優の加藤あいさんです。彼女は愛知県あま市甚目寺地域の出身であると言われています。

この地域は被差別部落であったことが知られており、地元では彼女が部落出身であるということは有名だと噂になっています。

しかし出身地についてはもう一つ、西春日井郡出身という情報があります。同和地区Wikiにはこちらも部落があったと記載しているため、加藤あいさんが被差別部落出身だという可能性は高いとの意見もあります。

ただ、加藤あいさんの出身地を被差別部落だったと記していた「同和地区Wiki」は、1975年に刊行された『部落地名総鑑』という被差別部落を一覧でまとめた書籍の情報を元にしたサイトです。

この『部落地名総鑑』は戦前に政府が同和対策事業を進めるために制作した被差別部落一覧を元にしていると考えられていますが、『部落地名総鑑』には地名の誤表記もあるため情報の真偽には諸説存在します。

そのため同和地区Wikiに載っていた情報が正しいとは限らず、加藤あいさんの出身地についても本当に被差別部落なのかは不明です。なお、現在は人権保護の観点から同和地区Wikiは削除されています。

被差別部落出身の噂がある芸能人②:萬田久子(大阪市大正区)

続いては女優の萬田久子さんです。萬田久子さんは大阪市大正区出身であり、この地域には被差別部落が多くあったことが知られています。

萬田さんのご実家は「肉のマンタ」という精肉業を営む大変大きな会社で、精肉業はエタの生業出会ったことから萬田さんが被差別部落出身だと噂されています。

しかし、2016年9月15日放送のNHKのTV番組『ファミリーヒストリー』で萬田久子さんのルーツについて取り上げられ、実家は精肉業ではないことが明らかになりました。

萬田久子さんの父方の家系は祖父の代から印刷業を営んでおり、母親も洋裁の仕事をしていたとのことで、祖先まで遡っても精肉業に携わっていた人はいません。

『ファミリーヒストリー』を見る限り、萬田久子さんの実家が精肉業という噂が流れた原因として考えられるのは、萬田さんが幼い頃、父親が副業で中央卸売市場で運送の仕事をしていたことくらいでした。

被差別部落出身の噂がある芸能人③:杉良太郎(神戸市番町)

被差別部落出身と言われている芸能人4人目は、歌手で俳優の杉良太郎さんです。杉良太郎さんは神戸市番長の出身で、この地域は西日本最大の被差別部落のあった地域と言われています。

しかし公称では杉良太郎さんは神戸市長田区宮川町出身であるとしており、両親も違う地区の出身だという話があります。そのため、被差別部落出身だという話が事実かどうかは不明確です。

被差別部落出身の噂がある芸能人④:やしきたかじん(大阪市西成区)

続いては、歌手でタレントのやしきたかじんさんです。たかじんさんは、大阪市西成区出身だと公表されています。

彼のルーツや人生が描かれた「ゆめいらんかね やしきたかじん伝」という本があり、生い立ちに関しても多くはありませんが記されています。

かつて屠畜場があり、皮革産業で栄えた西成は、あらゆるマイノリティを吸収してきた下町である。たかじんの父親も、第二次世界大戦前後に朝鮮半島から大阪に渡ってきた在日韓国人であった。

(引用:ダ・ヴィンチニュース)

ただ西成区というのは被差別部落が生まれた江戸時代ではなく、昭和初期に大阪に仕事を求めて移り住んできた低所得者層が定住したため、現在のように日雇い労働者が集まる地区になったとされています。

そのため西成区出身=被差別部落出身というわけではないので注意が必要です。また現在の西成区も全ての地区で治安が悪いわけではなく、一般の家庭も数多く生活していることを忘れてはいけません。

被差別部落出身の噂がある芸能人⑤:八代亜紀(東京都墨田区東墨田)

続いての被差別部落出身と噂される芸能人は、歌手の八代亜紀さんです。八代亜紀さんは熊本県出身と公表していますが、本当は東京都墨田区東隅田出身という噂があります。

東京都墨田区東隅田は古くから屠畜場があり、皮革を扱う産業が発達しています。そして、江戸時代の頃よりその職業に関わる人々が暮らしていました。

1800年に賤民頭の浅草弾左衛門について記した「弾左衛門書上」によると、江戸時代には斃死した牛馬の解体や刑吏、勧進等の芸能などの職に携わる者が暮らしていた。徳川後期の記録には「木下川の非人頭久兵衛、手下七人」とある。

(引用:Wikipedia)

このことから八代さんの出身地が熊本ではなく東隅田であるということが本当であれば、被差別部落出身の可能性が高いと言えるでしょう。

しかし、熊本地震の援助などで自身が熊本出身だと公にしているため、これは噂に過ぎないという可能性の方が高いとみられています。

被差別部落とは?成り立ちや歴史は?

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そもそも被差別部落とはどのように誕生したのでしょうか?その起源は江戸時代の身分制度にあり、誰もが歴史の授業で習う『えた・非人』の階級の人たちが住む場所とされた地域・集落のことを言うのです。

士農工商と言う『武士』『農民』『職人』『商人』と言う身分のさらに下とされた『えた』『非人』は住む場所や生業まで限定され、さらには結婚する相手までも同じ身分の限られた人のみとされていました。

被差別部落はどんなところにあるの?

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そもそも被差別部落は、川のそばに多くありました。当時防波堤などはなく、川の周りを整備されている地域は大変少なかったため、その土地を所有している人はいませんでした。

農業ができるような土地を持たないエタ・非人の人たちは、川沿いの地域に追いやられたのです。

屠畜を職業とする人が多かったため、川の水で動物の血を洗い流し、川が赤く染まってしまうことがあったと言われています。

身分制度は廃止されたものの差別は現在でも残っている?

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江戸時代が終わると同時に、身分制度も廃止されました。そのため、エタ・非人として生活していた人々も今までの身分制度から開放されるようなったのです。

しかし、そう簡単に差別から逃れることはできませんでした。周辺地域の住人にはえた・非人が住んでいた地域は知られていましたから、いくら制度がなくなっても人の対応が変わることはなかったのです。

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時代が変わることによってその地域は被差別部落・被差別集落・同和地区と呼ばれるようになりました。

そしてこの地域は他の地域よりインフラの整備も遅れるなど、比較的環境が悪かったことから、差別の対象であるとともに援助を受けるべき地域と変化していきました。

同和利権とは?

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被差別部落の環境改善対策として巨額の予算が、計上されてきた同和対策事業に関わる活動により同和団体が政治家・役人・暴力団と結託し公共事業に便乗して手に入れる、巨額の利権をさす語のことを言います。

この同和利権を利用して教育現場への同和教材を大量販売したり、公務員に同和採用枠や、校区に同和地区がある学校に、多くの教師を優先的に配置させるといった同和加配なども行うといったことが主に見られます。

被差別部落の存在が逆差別を生んでいるという指摘もある

長らく理不尽な理由で差別され、経済的にも苦労を強いられることが多かった被差別部落の人々の生活を向上させるため、国や地方自治体は様々な支援を行っています。

しかし、この支援が行き過ぎている、ここまで税金を投入するのは弱者を過度に優遇する逆差別なのでは?不公平感が近隣の住民との軋轢を生んでしまうのでは?という指摘の声も現在では少なからず存在します。

上の動画では崇仁地区で暮らす人達にインタビューをしており、被差別部落の人々はどういった支援を受けているのかについて、1つのケースを知ることができます。現状を知りたい方には、おすすめの内容です。

恋人が同和地区出身だったら・・彼らに向けられる偏見

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ここでは、同和地区出身の恋人を持つと言う一人の女性が見た差別の様子をお届けします。人生相談やお悩み相談を受けている方に届いた一通の相談メール。その内容は次のものでした。

「1年付き合っている彼氏がいます。結婚話が続くにつれ彼が同和地区出身者だと言うことがわかりました。ご両親も筋金入りで、地区の専用団地に住んでおられました。」と始まります。

「私の住んでいるところでは、偏見が根強く親戚も猛反対しています。私自身も正直嫁ぐのは怖いです。色々考えると立ち向かう勇気が持てません。しかし彼のことは大好きでとても辛いです。」といったものでした。

知ることが大事だと言うこと

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この相談を受けた人物もマイノリティな環境で育ってきたことから、相手を知らないことが怖いことなのだとおっしゃっています。被差別部落出身だからといって「頭のいい人もいれば悪い人もいる」それは逆も然りです。

武士の中にも頭が悪い人もいれば、いい人もいたでしょう。でもその人のある一点を知っただけで『嫌い』が『好き』へと変化するようになるのです。

そして、部落出身者を怖いと思うなら目をそらさず知らなければならないと言います。部落出身だと言うことに動揺し、不安を感じたように相手も不安に感じていることを忘れてはいけません。

解決しない被差別地域の同和問題

現代でも根強く残る被差別部落に対する差別問題は、なかなか消えることがありません。部落出身だと公言していたり、噂されている芸能人の方々も才能や努力をして活躍をしている人たちばかりです。

崇仁地区だけでなく全国各地存在していた被差別部落出身者が、自分の身近に存在したらどうするのか、自分が同じ立場ならどうするのか、まずは知ることから始めなくてはならないのかも知れません。