東大ポポロ事件の概要と判決!批判や意見まとめ!大学の自治って? 社会

東大ポポロ事件の概要と判決!批判や意見まとめ!大学の自治って?

東大ポポロ事件は「ポポロ劇団」の学生らが警官に暴行を行ったという事件です。検察が学生を起訴し最高裁までもつれ込んだ事例の一つです。現在でも違憲なのではないかなどの議論が繰り広げられています。今回は東大ポポロ事件の概要や判決、事件のその後などについてまとめます。

目次

[表示]

東大ポポロ事件とは

東大ポポロ事件とは、東京大学公認学生団体「ポポロ劇団」が演劇発表会を行なった際に、会場にいた私服警官に学生が反省文を書かせたり暴行を加えたという事件です。

その後の調査で警察は東大のキャンパス内で張込・尾行などを行い学生の思想調査などを行っていたことが判明します。

大学の自治に関する最高裁判所判例をもたらした事件であり、学問の自由やそこに含まれる大学の自治が問題となり世間で話題となりました。

東大ポポロ事件の概要

stux / Pixabay

世間でかなり話題となった東大ポポロ事件。ここではそんな東大ポポロ事件の概要についてまとめていきます。

1952年2月20日、ポポロ劇団が松川事件をテーマとした演劇上演会を開催

383961 / Pixabay

1952年2月20日、東京大学公認団体のポポロ劇団が東京大学本郷キャンパス法文経25番教室で松川事件をテーマとした演劇「何時の日にか」の演劇上映会を開催しました。

この演劇上映会は大学側の許可のもとに行われました。

松川事件とは国鉄三大ミステリー事件の1つ

volfdrag / Pixabay

松川事件とは、1949年8月17日に起きた福島県の東北本線で起きた列車往来妨害事件です。下山事件、三鷹事件と同様「国鉄三大ミステリー事件」の一つとして有名です。

線路に細工が加えられており、それが原因で列車は脱線。乗務員ら数人が死亡しました。

容疑者は逮捕され裁判にかけられますが全員無罪に。真犯人を特定・逮捕することができずに事件は迷宮入りしました。

学生が本富士警察署の私服警官4名が観客の中にいるのを発見

Alexas_Fotos / Pixabay

ポポロ劇団が演劇を上映しているとき、学生が観客の中に4名の私服警官がいることに気づきます。

後ほどこの警官たちは本富士警察署の私服警官だと判明します。

学生は暴行を加え、私服警官3名の警察手帳を没収、謝罪文を書かせた

観客の中に私服警官を発見した学生は3人の私服警官を拘束し、警察手帳を奪います。

その後学生は謝罪文を書かせ、暴力をふるったというのです。

この警察手帳は後に大学の決議により返却されますが、メモにはキャンパス内で学生の思想動向調査をしていたとの書き込みがありました。

検察は「暴力行為等処罰に関する法律(暴力行為法)」違反で学生を起訴

3839153 / Pixabay

検察は警官に暴行を加えた学生2人を「暴力行為等処罰に関する法律(暴力行為法)」に違反したとして起訴しました。

検察官によれば「警察手帳の提示を行た際に学生から暴行を受けた」と主張しており、法廷で戦う姿勢を見せました。

この起訴された学生の一人が、後に秋田県横手市で市長を務めた千田謙蔵です。

東大ポポロ事件が起こった要因や背景

Free-Photos / Pixabay

なぜ東大ポポロ事件は起こってしまったのでしょうか?それには政府と学生たちが衝突するという背景がありました。

当時日本は戦後復興し民主主義という考え方が浸透していました。しかし冷戦中でアメリカの資本主義陣営に所属していました。

それにより警察は労働運動や社会主義運動などの反政府活動に警戒を強めていたのです。本富士警察署の私服警官がキャンパス内で調査をしていたのもこのためです。

東大ポポロ事件の裁判の判決と判決文

mohamed_hassan / Pixabay

東大ポポロ事件により検察は学生らを起訴しました。ではその後の裁判の判決はどうなったのでしょう?詳しくまとめていきます。

東大ポポロ事件の争点

大学ポポロ事件の論点は以下の3点が主なものでした。

  • 学問の自由
  • 大学の自治
  • 警察の介入の正当性

かなり難しい問題でこの裁判は結局最高裁までもつれ込みました。

憲法23条に定める学問の自由とは

Free-Photos / Pixabay

学問の自由は憲法で定められている立派な権利です。主に研究・研究発表・教授の自由が認められています。

主に大学に適応され、簡単に言えば講義・研究などの学問的活動は外部の干渉を受けないというものです。

日本国憲法の23条で定められており、以下のように記載されています。

日本国憲法第23条

学問の自由は、これを保障する。(引用:Wikipedia)

学問の自由を保証する大学の自治

rawpixel / Pixabay

憲法によれば大学の自治も学問の自由に含まれるので外部が侵害してはならないという取り決めがあります。

大学内で収集不可能な事態が起こったとしても、要請がない限り警察は介入することができないのです。

学生は大学にとって必要不可欠な構成員であるとの認識はされていますが、大学の自治という立場にたったとき学生をどう扱うかはたびたび議論されます。

第一審での判決は、学生側の無罪

PetrJank / Pixabay

1954年5月11日に東京地方裁判所で行われた第一審では、学生の行為が大学の自治を守るための正当な行為だと判断し無罪を言い渡しました。判決文は以下のようになっています。

「大学は元来、学問の研究および教育の場であって、学問の自由は、思想言論集会などの自由と共に、憲法上保障されている。これらの自由が保障されるのは、それらが外部からの干渉を排除して自由であることによってのみ、真理の探究が可能となり、学問に委せられた諸種の課題の正しい解明の道が開かれるのである。」(引用:Wikipedia)

第二審(控訴審)でも、学生側に無罪判決

Myriams-Fotos / Pixabay

第一審で学生に出された無罪判決に対して検察側は上告をします。

第二審は1956年5月8日に東京高等裁判所で行われます。

しかし第二審でも第一審を支持したため学生たちに対して無罪が言い渡されました。判決文は以下のようになっています。

「学問の研究並びに教育の場としての大学は、警察権力及至政治的勢力の干渉、抑圧を受けてはならないという意味において自由でなければならないし、学生、教員の学問的活動一般は自由でなければならない。そして、この自由が他からの干渉を受けないためには、これを確保するための制度的及至状況的保証がなければならない。それは大学の自治である。大学の自治は、学問、思想、言論などの自由を実行的に確保するために過去幾多の試練に耐えて育成されてきた方法であって、我が国においてはすでに確立された、制度的とすら言ってよい慣行として認められているものである。かくして、大学はそれ自体、一つの自治の団体であって、学長、教員の選任について充分に自治の精神が活かされ、大学の組織においても学長の大学管理権を頂点として自治の実態に沿うような構成が作られている。加之、学生も教育の必要上、学校当局によって自治組織を持つことを認められ、一定の規則に従って自治運動を為すことが許されている。」(引用:Wikipedia)

最高裁では一転し、これまでの判決を破棄、差し戻し

ijmaki / Pixabay

第一審二審と学生側に無罪の判決を言い渡され検察側はさらに上告します。

そして1963年5月22日に行われた最高裁では今までの判決を一転させる判決を下します。

なんと一審二審の判決を破棄し、審理を東京地方裁判所に差し戻したのです。

最高裁はなぜ差し戻したのか

ijmaki / Pixabay

最高裁はなぜ審理の差し戻しを行ったのでしょうか?最高裁は以下の理由で差し戻しを行いました。

「大学の学問の自由と自治は、大学が学術の中心として深く真理を探求し、専門の学芸を教授研究することを本質とすることに基づくから、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味すると解される。大学の施設と学生は、これらの自由と自治の効果として、施設が大学当局によって自治的に管理され、学生も学問の自由と施設の利用を認められるのである」。

「本件集会は、真に学問的な研究と発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動であり、かつ公開の集会またはこれに準じるものであつて、大学の学問の自由と自治は、これを享有しないといわなければならない。したがって、本件の集会に警察官が立ち入ったことは、大学の学問の自由と自治を犯すものではない」

(引用:Wikipedia)

つまり最高裁は学生が大学を自治する一員ではなく、ただの利用者に過ぎないと判断したのです。

さらにポポロ劇団が上映していたのは当時社会問題となっていた松川事件を題材にしたものであり学問の自由と自治の範囲外で、警察官はそれらを侵す行為をしていないとしました。

最終判決では学生が有罪確定

SJJP / Pixabay

学生側の権利が認められ、このまま無罪で終わると思われた東大ポポロ事件ですが最高裁で振り出しに戻ってしまいました。

差し戻し後行われた第一審では学生側に有罪判決が言い渡されます。その後の控訴・上告も却下されました。

最終判決では学生の1人が懲役6ヶ月、もう1人が懲役4ヶ月で、どちらも執行猶予2年つき問う結果になったのです。

東大ポポロ事件のその後

Shingo_No / Pixabay

どこまでが学問の自由、大学の自治なのかについて論争を巻き起こした東大ポポロ事件。ではその後はどうなったのでしょうか?東大ポポロ事件のその後についてまとめていきます。

東大ポポロ事件は違憲でなく合憲!批判や意見は

JESHOOTS-com / Pixabay

学生側に有罪判決が下され東大ポポロ事件は幕を閉じました。そこから半世紀以上たった現在でも違憲だという批判意見は後を絶ちません。

多い意見としては、警察が東大キャンパス内で思想調査を無断で行っていた件について考慮されていないとうものです。

またポポロ劇団が行った講演は大学側が許可を出したものであり、大学側の判断が尊重されていないという意見も多数見受けられました。

「京大ポポロ事件」も起こる

2014年、私服警官が過激派の情報調査のために京都大学内に無断で立ち入ったため、過激派所属の学生から暴行を受けるという事件が起きました。

この事件で京大側も「事前通告なしに警察官が構内に立ち入ることは誠に遺憾です」とコメントしネットで話題を呼びました。

この事件は「京大公安事件」と呼ばれていますが、東大ポポロ事件を想起させることから一部の人たちからは「京大ポポロ事件」とも呼ばれています。

学問の自由や大学の自治とは

Free-Photos / Pixabay

東大ポポロ事件は憲法にも記されている学問の自由、大学の自治とは何かという論争を巻き起こした事件でした。

学生は大学を自治する一員なのか、どこまでが学問なのかなどは現在でも論争を巻き起こす深いテーマとなっているのです。

現在では公務員試験の憲法に関する問題でも出題されています。

昔は激しかった学生運動

RyanMcGuire / Pixabay

東大ポポロ事件のように学生と政府が対立するという構図は昔から顕著でした。そんな学生運動についてまとめてみました。

学生運動とは?

Pexels / Pixabay

学生運動の歴史は古く、始まりは大正デモクラシーの時期だといわれています。学生による社会的・政治的な運動を学生運動と呼び、戦後に最盛期を迎えました。

学生運動の活動家は普段サークルや自治会で学習や答弁を行い、学内で演説を行ったり、看板やポスターを制作したりと比較的地味なものです。

しかし時折この活動が高揚し、政治に関心のない人たちを巻き込む場合があります。そうなるとボイコットやデモ、建物占拠といった過激なものになっていきます。

東大闘争

1968年、東大医学部の学生がインターン制度に代わる登録医制度に抗議すべく、無期限ストを行います。これにより大学側は学生・研修医17名を処分します。

しかしこの処分された学生の中に全く無関係の学生がいたことが発覚。学生たちは処分撤回を求めましたが大学側はこれを拒否します。

しばらく硬直状態となりますが同年の6月に状況打開を図った一部急進派学生が安田講堂を占拠。機動隊が出動する騒ぎにまで発展しました。

日大闘争

日大闘争は1968年から1969年にかけて日本大学で続いた大学紛争です。この闘争が起きた背景には日本大学の不正行為がありました。

日本大学の理工学部教授は裏口入学により多額の金を稼いでおり、しかも脱税までしていました。さらに莫大な使用用途不明金が発覚し学生たちの怒りが爆発。闘争に発展しました。

日大側は経理詳細の公開、全理事の退陣を約束しましたがすぐに撤回。大学側が警察に通報し学内に機動隊が投入されました。

岡山大学

日大闘争から半年後、同じような闘争が岡山大学でも起きました。

岡山大学の学生が職員に対して集団暴行を行ったとして大学長が学生を告発しました。それにより岡山県警は学内に強制捜査を行います。

しかし学生約150人がこれを妨害。大学内に突入した機動隊に学生らが投石を行い、その投石を頭部に受けた警官が死亡したのです。

NEXT:まだまだ出てくる東京大学で起こった事件
1/2