オーパーツの謎!世界・日本のオーパーツまとめ!未だ解明されない不思議 おもしろ

オーパーツの謎!世界・日本のオーパーツまとめ!未だ解明されない不思議

世界には21世紀になっても、いまだに解明されていない多くの不思議があります。いったい、だれが、いつ、どうやって作ったのかと、首をかしげたくなる物が存在します。ここでは日本も含め世界中の不思議な物、オーパーツと、それにかかわった人たちをまとめて紹介します。

目次

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オーパーツとは?場違いな工芸品?!

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オーパーツとは、その時代の知識や技術では到底作れないもの、「場違いな工芸品」を意味します。

オーパーツの語源

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もともとは、それを生み出した時代や文化のレベルに合わない、「場違いな工芸品」という意味の英語のフレーズ:out-of-place artifactsから造られた造語です。

英語の表記では、oopartsとなります。

不可解な謎に挑むアメリカの超常現象研究家が、便宜的な分類用語として使いだしたのが始まりです。

未知の超古代文明が存在する?!

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学校で習ってきた人類の歴史からみると、当時のレベルより遥かに高度な技術や知識なくしては作れない物、オーパーツの存在は大いなる謎です。

そしてオーパーツは、私たちの文明の前に、別の高度な文明が存在していたのではないか、未知の超古代文明の存在の可能性さえ示唆するものなのです。

宇宙文明説も

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当時の人類では不可能な高度な技術は、ひょっとしたら宇宙からもたらされたのではないかという説もあります。

たとえば、エジプトやメキシコのピラミッドは、時の権力者がその力を誇示するだけでなく、地球や惑星の動きなどの宇宙の規則を現しています。何より、その大きさは高い空から見るにふさわしいサイズです。

いまだ解明されていないオーパーツまとめ【未知の古代文明】

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それでは、超古代文明の技術で作られたとしか思えない、世界のオーパーツを順に見て行きましょう。

現在の技術でも再現が困難な水晶髑髏

現在でも精巧な研磨加工技術がないと製作が難しい水晶髑髏は、1927年イギリスの探検家フレデリック・ミッチェルへジスが、中米のベリーズのルバアントゥン遺跡を発掘中に、祭壇の下から見つけ出したものです。

この水晶髑髏は、取り外しが可能な下顎部分を含めて、1個の大きな石英結晶体を研磨加工したのもので、ほぼ実物大の人間の頭蓋骨をかたどっており、解剖学的にも忠実に作られています。

髑髏の下に光源を置くと、光が髑髏の内部で複雑に屈折して、とても神秘的に光るため、祭祀やまじない等の儀式で使われたであろうことは、容易に想像できます。

世界最古の地図!ピリ・レイスの地図

当時は知られていなかった南極大陸の海岸線が、正確に描かれているピリ・レイスの地図は、1929年トルコのイスタンブールにある、トプカピ旧宮殿博物館の保管庫で発見されました。

専門家の鑑定の結果、16世紀オスマン・トルコ帝国時代の海軍提督ピリ・イブン・ハジ・メムド(レイスは提督の意味)が、1513年に作成したものと判明しました。

作成時は、コロンブスの新大陸発見から20年ほどしかたっておらず、何より南極大陸は発見まであと3世紀も必要でした。超古代文明や宇宙人からもたらされた知識が無ければ成り立たない不思議な地図です。

錆びないデリーの鉄柱

インドの首都デリーの郊外にあるクトゥプ・ミナールの境内には、錆びない不思議な大鉄柱がそびえています。この大鉄柱は、古代インドを統一したアショーカ王の名にちなんで、アショーカ・ピラーと呼ばれています。

直径約44センチ、高さ6.9メートルの精錬された鉄で造られた円柱は、1500年以上も風雨にさらされながら、ほとんど錆びていません。

調査によると、アショーカ・ピラーは不純物を多く含む鉄そのもので、普通なら錆びやすいはずです。ステンレス合金でもないのに錆びない鉄柱、これは現代の製鉄技術や鋳造技術をもってしても不可能なことです。

世界最古のレンズ!アッシリアの水晶レンズ

長径4.2センチ、短径3.45センチの透明な水晶レンズは、1853年イギリスの考古学者オースティン・ヘンリー・レヤードが、イラク国内で古代アッシリアの遺跡ニムルドを発掘中、偶然に発見しました。

この水晶レンズは、メソポタミア文明の大発見につながった、大量の楔形文字粘土板とともに、大英博物館に持ち込まれました。材質はロッククリスタルでできており、出土した遺跡の推定年代は紀元前700年代です。

いっぽう教科書の歴史では、光学レンズは10世紀ごろから登場してきます。紀元前に水晶レンズが顕微鏡や望遠鏡の役目を果たしていたかもしれません。

人類最古の天文盤!ネブラ・ディスク

紀元前の人々が暦として使っていた青銅製の円盤が発見されたのは、ごく最近の1999年、ドイツのザクセン・アンハルト州の南の街ネブラの近く、先史時代保護区でした。

この円盤は、その後3年間ほど骨董業者らの間で流通したあと、盗掘品だったので2002年警察当局によって保護されました。現在はネブラの北東にある街、ハレの先史博物館に収蔵されています。

ネブラ・ディスクは、青銅製で直径約32センチ、重さは約2キログラム、中央から外側に行くにつれて薄くなる形状をしています。分析の結果、約3600年前に作られた人類最古の天文盤であるとの結論がでました。

天体や星座を表している?!コスタリカの石球

何の役目をしたのかは分からないけれど、中米コスタリカのジャングルの中から巨大な石の真球が次々と発見されたのは、1930年代初頭にアメリカの果物会社がバナナ農園を開墾した時でした。

現在までに200個以上発見されており、大きさは直径2センチの小さなものから、2メートルを超えるものまで、大小さまざまです。石球の製作年代は西暦300~800年、ディキス石器文化が有力視されています。

石球の配置に規則性があり、天体や星座を表しているという説がありますが、真偽のほどはわかりません。古代インディオが当時の道具だけで、どうやって大きな石を加工して真球を作り上げたのか、ミステリーです。

桁外れの技術レベル!アンティキティラ島の機械

ギリシア時代の機械式計算機、いわゆるアナログコンピュータは、1900年クレタ島北西に位置するアンティキティラ島の沖合で、紀元前の沈没船の中から発見されました。

このブロンズ製の機械は当初無視されていましたが、1959年にイギリス・ケンブリッジ大学のデレク・デ・ソーラ・プライス科学史教授が論文「古代ギリシアのコンピュータ」を出して考察がすすみました。

1971年には、ガンマ線とエックス線で機械を撮影し、歯車のかみ合い方などの内部構造を明らかにしました。機械を復元した結果、太陽と月はもちろん諸惑星の動きと日時を、極めて正確に表すことが証明されました。

空飛ぶ宮殿の設計図?!ヴィマナ

1985年に論文「古代インドの飛行機械」を発表した、ディリーブ・クマール・カンジラル博士は、古代サンスクリット文献に現れた不思議な「飛行車ヴィマナ」の綿密な検討を行っています。

太古のインドに高度な科学文明が存在し、ヴィマナはその象徴であるとする専門家たちは、古伝書「ヴァイマーニカ・シャストラ(飛行車経典)」こそ、ヴィマナの存在を証明するものだと主張しています。

その書はヴィマナ全般を扱っており、パイロットに必要な知識、冶金学、装備、動力の仕組みから、ヴィマナの分類まで詳細に書かれており、基本的にはシャクナ、ルクマ、スンダラ、トリプラの4タイプと述べています。

現在でも作成不可能!1億年以上前の鉄製ハンマー

現在の技術でも作成不可能な鉄製ハンマーは、1934年アメリカ・テキサス州ロンドンのオルドビス紀の地層から出土しました。その後の証言から、その上の地層で1億年以上前の白亜紀アプト期説が優勢になりました。

1989年、このハンマーの鉄の成分を分析した結果、鉄96.6%、塩素2.6%、硫黄0.74%、珪素0.06%でした。最大の注目点は、現在の技術では作れない塩素を含んだ合金であるということです。

いっぽうで、これは19世紀のハンマーに「コンクリーション」という自然現象が起きて、鉄の酸化した部分に周辺のミネラルが作用して、わずかの期間で化石のように変化したという説がでています。

目が光る?!ピラミッド・アイ・タブレット

全知全能の「プロビデンスの目」に似た模様を持つピラミッド状の物体は、1980年代に南米エクアドルのラ・マナで、金採掘工ギレルモ・ソトマヨーアによって、廃坑から300余りの遺物と一緒に発掘されました。

このタブレットは、高さ27センチの三角形で、頂点の部分には1つの目が彫られています。タブレットをブラックライトで照らすと、目の部分が光ります。さらに目の下には水平な13段のレンガ模様が刻まれています。

これは、アメリカ合衆国の国章の裏のデザインと同じで、1ドル紙幣にも採用されているものです。13段のピラミッドの上には、全知全能の「プロビデンスの目」が描かれており、統治と監視のシンボルになっています。

運搬方法の謎!バールベックの巨石

レバノンの首都ベイルートの北東約85キロメートルの街、パールベックにある遺跡は、1世紀から3世紀にかけて、ローマ帝国の皇帝が造営したもので、ジュピター・ビーナス・バッカスの三神殿の廃墟となっています。

いちばん大きいジュピター神殿の最奥部、内陣の土台を構成する先住民遺跡の石組みは基壇石と呼ばれ、それ自体が高台より8メートル高い位置にあります。その西側の城壁を兼ねた石組みの中に問題の巨石があります。

この巨石は、3個組合せの通称「トリリトン」(驚異の三石)と呼ばれています。高さ3メートル強、幅4メートル強、長さ20~21メートル、重量は650~970トンと推定され、建築用の切石としては世界一です。

絶命生物の生存説!パレストリーナのナイルモザイク画

恐竜と人間が共存していた証拠となるのでしょうか、それはイタリア・ローマ近郊の都市パレストリーナにある、古代ローマ時代の紀元1世紀ごろに作られた、フォルトゥナ神殿の遺跡からみつかりました。

この神殿にあるナイル川の氾濫を題材にした、通称「パレストリーナのナイルモザイク画」がオーパーツで、その中には遥か昔に絶滅していたはずのイグアノドンに似た恐竜の姿が人と共に描かれています。

創造説を唱える人たちから歓迎されるであろうこのモザイク画ですが、さらにポンペイ遺跡で見つかったナイル川を題材としたモザイク画にも、別の恐竜のような生物が描かれていました。

いまだ解明されていないオーパーツまとめ【宇宙文明】

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地球外の文明が介在したとしか思えないオーパーツが、世界には散在しています。

ここからは、その紹介をして行きましょう。

スペースシャトルのアクセサリー?!黄金シャトル

西暦500~800年ごろ南米コロンビアの北部で栄えたシヌー文化の遺跡から、黄金シャトルは発掘されました。縦横5~6センチ、高さ1.5センチの黄金細工は、ペンダントのような装飾品と考えられています。

当初は全て動物形態を表したものと思われていましたが、アメリカの動物学者アイヴァン・T・アンダーソン博士が、その中に動物学上のいかなる既知の生物とも似ていない黄金シャトルを発見しました。

航空専門家に分析を依頼したところ、極めて理にかなった飛行物体の特徴を備えていると評価されました。いくつかある黄金シャトルは、機首、コックピット、主翼、胴体、垂直尾翼、水平尾翼で構成されています。

3000年前に存在していた?!トルコのロケット

1975年トルコのオスマニエ県トプラッカレ、シリアに近いこの街でロケット型の石の彫刻は、紀元前9世紀から紀元前6世紀ごろに、トルコ東部を中心に栄えた古代王国ウラルトゥの遺跡から発掘されました。

作家で考古学研究家のゼガリア・シッチンはこの彫刻に注目し、自身の著作でカプセル型宇宙船だと主張して話題になりました。その後、このロケットは「トプラッカレ・スペースシャトル」と呼ばれました。

長さ23センチ、幅8センチ、高さ9.5センチのロケットには、コックピットや膝をかかえて座るパイロットの姿が彫られています。パイロットの後ろには垂直尾翼、後部には複数のジェット噴射ノズルが出ています。

宇宙船の破片?!カンブリア紀の金属ボルト

オーパーツの中でも極めて情報が少なく確認が困難な物の1つが、1997年にロシアのブリャンスク森林地帯で発見された金属製ボルトです。ボルトは完全に岩石で覆われていて、そのサイズは約20センチでした。

モスクワ地質研究所が岩石の生成年代を調べたところ、約15億年前のカンブリア紀であると判明しました。地表は海でおおわれ、三葉虫などの原始的な生物が繁栄をしていた時代で、人類の影も形もありません。

この時代に誰が金属ボルトを使っていたのか?地球を訪れた宇宙船が何らかのトラブルを起こした際に、飛び散った部品の一部と主張するロシアの教授もいます。

火星に存在する謎のオーパーツ

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1976年火星を周回中のヴァイキング1号からの電送写真データを、コンピュータで復元している中、特異な地形のデータが出てきました。それは、縦横2キロメートル以上ある、人間の顔そっくりの巨大な岩山でした。

人面岩は火星の北半球、マーレ・アンダリウム平原の南東付近にありましたが、この一帯には他にも人工物が存在します。人面岩の左側に円形の窪み、さらに四角い台地、3個のピラミッド型構築物が写っています。

それでも偶然の産物と言えるのか、と疑問を抱いた科学者たちがその後さらに研究を進めました。その結果、人面岩はほぼ完全に左右対称であり、ピラミッド型構築物も含め人工物の可能性が非常に高いと言えます。

いまだ解明されていないオーパーツまとめ【日本】

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ここでは日本に存在するオーパーツをまとめてみました。

聖徳太子の地球儀

兵庫県太子町の斑鳩寺には、開祖聖徳太子の地球儀とも呼ばれる「地中石」が伝わっています。その地球儀には、ヨーロッパ、アジア、アフリカだけでなく、南米大陸や発見前の南極大陸などが表されていると言われます。

実際の地中石は石ではなく、海藻糊を混ぜた漆喰でできています。この技法は戦国時代以降のもので聖徳太子の時代ではありませんが、ゆかりの寺に奉納されたため太子の地球儀と呼ばれました。

兵庫県の鎮の石室

兵庫県高砂市の「生石(おうこし)神社」には、神体として祭られる不思議な巨石「石の宝殿」またの名を「鎮の岩室(しずのいわや)」があります。

巨石は、幅6.4メートル、高さ5.7メートル、奥行き7.2メートルで、重さは500トンを超えると推定されています。岩山の中腹を削って切り出されており、下部の岩盤は大きく窪んで池になっています。

わずかにつながった底部中央の支柱状の部分が巨石自体の死角になり、巨石が池の上に浮かんでいるように見えるため、浮石とも呼ばれています。

秋田県の大湯環状列石

秋田県十和田湖の南にある縄文時代後期の遺跡、大湯環状列石は約4000年前に作られた、日本を代表するストーンサークルです。

大湯環状列石には、万座と野中堂というサークルがあり、万座は直径約52メートル、野中堂は44メートルです。使われている石の6割は、石英閃緑ヒン岩と呼ばれる淡い緑色の石で、大湯川から運ばれてきたものです。

発掘調査により、環状列石は「集団墓」であるとともに、葬送儀式などを行った「祭祀施設」であったと考えられています。

浮世絵にハンバーガー?!

浮世絵が江戸時代の風俗画だと思いこんでいると、途端にオーパーツの仲間入りをしてしまう、典型的な例がこのハンバーガーです。

話題の浮世絵には、確かに足元に無造作に捨てられたハンバーガー書かれています。実は、ハワイ在住の日系アメリカ人画家の寺岡政美氏が、1970年代から80年代にかけて描いた現代の浮世絵だったのです。

浮世絵をモチーフにした作品を描く寺岡氏が、マグドナルドが日本に上陸して徐々に浸透していく、そんな時代を浮世絵にハンバーガーで表現したのです。

浮世絵のスカイツリー

江戸時代末期の浮世絵師、歌川国芳が描いた「東都三ツ股の図」に東京スカイツリーが描かれていると話題になりました。

1831年に描かれたこの浮世絵には、江戸時代にはありえない高さの塔が建っており、それがスカイツリーによく似ており話題になりました。井戸掘り櫓ではないかとの説がありますが、高すぎると指摘もされています。

ところで国芳は、デフォルメや誇張も積極的に取り入れて、風刺を効かせた浮世絵師でした。ありえない高さの櫓も、そんな風にみればありとなりますね。

うつろ船・空船

江戸時代のファーストコンタクトは、1803年茨木県沖でおきました。

漂着したのはどんぶり型の乗物で、中には異国の女性が乗っていました。船には見たこともない文字が書かれていました。女性は箱のような物を持っていて、それを大事にしています。

やがて漁師たちは気味が悪くなり、女性を船にもどして、漂流させてしまいます。

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