吉田日出子の現在は?結婚や高橋克典との関係や病気について エンタメ

吉田日出子の現在は?結婚や高橋克典との関係や病気について

吉田日出子さんは、若い頃から舞台や映画で活躍していました。また、私生活では、高橋克典さんや小日向文世さんと同棲していた過去もありました。現在は高次脳機能障害という病気を患って療養中ということです。そんな吉田日出子さんは、結婚はしているのかなどを調べました。

目次

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吉田日出子の現在は?結婚してる?高橋克典・岡林信康・小日向文世との関係

女優の吉田日出子さんは、現在ほとんどテレビに出演していないようですが、芸能活動をしているのでしょうか。同棲していたことのある高橋克典さん、小日向文世さん、岡林信康さんとの関係を調べました。

吉田日出子のプロフィール

吉田日出子さんは、1944年1月7日生れの女優、石川県出身で本名を平松日出子といいます。高校を卒業後に俳優養成所に入っています。現在75歳です。

高校卒業後は劇団文学座の研究生となり、退団後は串田和美さんと共に自由劇場を立ち上げています。吉田日出子さんは、その演技力を高く評価され、1967年と1976年の2回、紀伊国屋演劇賞を受賞しています。

吉田日出子さんの名前が一般的に知られるようになったのは、1979年にリリースした、「上海バンスキング」でした。この「上海バンスキング」の公演は15年という長い期間の公演となりました。

吉田日出子は今現在も結婚はしていない

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吉田日出子さんは、これまで色々な人との同棲がありましたが、結婚はしていないのか気になります。しかし、吉田日出子さんが結婚しているといった事実はないようです。

男性との恋愛は好きなのですが、同棲までで、結婚生活は嫌いだったのかもしれません。自分の考え方がしっかりしている吉田日出子さんですから、結局は男性に縛られたくなかったのかもしれません。

無名時代の高橋克典と同棲していた

吉田日出子さんのことを調べていくと、どうしても「高橋克典と同棲」というキーワードが出てきます。それで、本当に吉田日出子さんと高橋克典さんが同棲していたのかを調べました。

吉田日出子さんと高橋克典さんは、かなりの年の差がありますが、高橋克典さんは1961年4月1日生れですから、現在57歳です。吉田日出子さんは、現在75歳ですから18歳も年が離れていたことになります。

吉田日出子さんと高橋克典さんは、高橋さんがまだ無名の頃に同棲していたという事実があります。当時高橋克典さんは収入がなく、満足に食べていけなかったため、吉田日出子さんが生活を支えていたようです。

小日向文世とも熱愛の噂!同棲していた時期があった

吉田日出子さんは、以前小日向文世さんとも同棲していたことが分かりました。小日向文世さんは、北海道出身、1954年1月23日生れの俳優で、ファザーズコーポレーションに所属しています。

今年65歳で、俳優としても熟年の域に達していますが、それでも吉田日出子さんとは10歳の年の差があります。吉田日出子さんは、年下キラーだったのでしょうか。

小日向文世さんは、中村雅俊さんの付き人から劇団俳優として活躍するようになりました。劇団に所属している頃の看板女優だったのが吉田さんで、小日向文世さんは、相手役を務めることも多かったそうです。

事実婚だったと言われる岡林信康

吉田日出子さんは、フォークシンガーの岡林信康さんとも同棲していましたが、事実婚だったといわれています。。岡林信康さんは1946年7月22日生れで、実家が教会であることで知られています。

岡林信康さんは現在72歳です。それでも吉田日出子さんより3歳年下ということになります。吉田日出子さんは、当時から若い人が好きで本人も気持が若い方だったのかもしれません。

吉田日出子さんは、これまで複数の男性と同棲生活をしていますが、岡林信康さんとの関係が一番深かったといわれています。結婚はしていませんが、やはり事実婚の間柄だったのではないでしょうか。

岡林信康さんとは公認の仲

吉田日出子さんは、岡林信康さんのコンサートにも飛び入りで出演したことも何度かあったようで、2人の関係は噂だけでなく、公認の仲だったということでしょう。

高橋さんや小日向さんは吉田さんが支えていたところがあるようですが、年の近い岡林信康さんには、吉田さんは甘える立場だったのかもしれません。

吉田日出子の現在は?病気で闘病中?

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吉田日出子さんは、現在は高次脳機能障害で闘病生活を送っているのかもしれませんが、どれくらい回復しているのかについては分かっていません。

2007年以前から台詞が覚えられなくなっていっていた

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吉田日出子さんは、自分の著書でも書いていますが、以前から舞台のセリフがうまく覚えることができない状態になっていました。それだけでなく、普段から通っていた道で迷うことが何度もありました。

吉田日出子さんは、異変を感じて病院で脳の検査を受けることにしました。結果は思わしくなく、前頭葉に傷が見つかったそうです。診断の結果「高次脳機能障害」という病気であることが分かりました。

2007年に高次脳機能障害により主演舞台を降板

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吉田日出子さんは、2007年に主演舞台を突然降板しています。そのあと芸能活動を休止していましたが、2014年11月に出版した自伝により、高次脳機能障害だあったことを告白しています。

吉田日出子さんは、現在でもリハビリを続けているようですが、どこまで回復したのか詳しいことは分かっていなません。

認知症やアルツハイマーとは異なる高次脳機能障害とは?

「高次脳機能障害」という病気は、脳の損傷によって起こる神経心理学的な障害だそうで、症状は人によってまちまちで、記憶障害や注意障害が起こる病気です。

認知(高次脳機能)とは、知覚、記憶、学習、思考、判断といった認知過程と行為の感情を含めた精神機能をいいますが、病気や事故によって脳が損傷されて、認知機能に障害が起きた状態を高次脳機能障害といいます。

2014年に経験をもとに「私の記憶が消えないうちに」を出版

吉田日出子さんは、2014年に「私の記憶が消えないうちに」というタイトルで、本を出版しています。この本は、2007年に主演舞台を降板した理由について赤裸々に書いていて、話題となっています。

吉田さんは、女優として致命的なこの病気を隠しておくかどうかを悩んだそうですが、最終的に公表することを決意し、自伝を出版しています。出版は1993年晶文社の「女優になりたい」から2冊目です。

出版にあたってのインタビューで吉田さんは、「障害や認知症を恐れてばかりではつまらない。障害や認知症の境界線を引かず、ありのままの自分、相手を受け止めてください」とコメントしています。

若い頃は綺麗だった吉田日出子の75歳現在も闘病生活が続いている

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吉田日出子さんは、若い頃は劇団の看板女優を務めていたほど、人気で個性的な美人女優でした。2007年に病気を患っていた吉田さんですが、治療は順調に進んで2010年に復帰しています。

しかし、復帰しているという話ですが、テレビなどの表舞台には出ていないようで少し気になるところです。

吉田日出子の経歴や生い立ち

吉田日出子さんは、石川県金沢市の出身で、父親は彫刻家で、母親は臨月近くに金沢に来て吉田さんを生んだそうです。父親は生後1ヶ月で出征し、母親は新潟に疎開しました。

東京都立北園高等学校を卒業後、俳優座養成所に入っています。

吉田日出子の家族構成

吉田さんの父親は戦死しています。吉田さんは三姉妹の真ん中です。

俳優座養成所に入り1966年自由劇場を立ち上げる

吉田日出子さんは、俳優座養成所に入った後、研修生となり、1966年に自由劇場を立ち上げています。その時、いくつかの賞も獲得しています。

若い頃は劇団の看板女優を務めていた

吉田日出子さんは、若い頃、自分で立ち上げた自由劇場の看板女優を務めていました。

「あたしのビートルズ」「赤目」「盟三五大切」「天守物語」で紀伊国屋演技賞受賞

吉田日出子さんは、1967年と1976年の2度、紀伊国屋演劇賞を受賞しています。

その他の受賞歴

吉田日出子さんは、紀伊国屋演劇賞の他に、1989年の「社葬」で第14回報知映画賞最優秀助演女優賞、日本アカデミー助演女優賞を受賞しています。

また1986年には菊田一夫演劇賞を受賞しています。菊田一夫演劇賞というのは、作家菊田一夫さんの功績を記念し、演劇界の発展のため、東宝が1975年に創設した演劇賞のことです。

日本初のブロードウェイ・ミュージカルを上演

吉田日出子さんは、日本では初のブロードウェイ・ミュージカルを上演するなど、積極的な舞台活動を行ってきました。

独特な声質から清水ミチコのモノマネレパートリーの一人に

吉田日出子さんは、独特な少し高い声質ですから、清水ミチコのモノマネで一躍有名となったこともあります。清水ミチコさんの貴重なレパートリーの1人だといえます。

病気になるまで舞台をメインに様々な役を演じていた

吉田日出子さんは、高次脳機能障害を発症するまで、数々の舞台や映画に出演していました。多くの個性的な役柄をこなしています。

吉田日出子の主な出演作品

数々の賞を受賞してきた、吉田日出子さんの主な主演作品を紹介していきます。

1974年「妹」

1974の映画「妹」は、兄と妹の哀歓を描いた青春映画です。監督は藤田敏八さんで、吉田日出子さんは、山本ミナコ役で小島秋夫(林隆三)の恋人役です。主演は秋吉久美子さんと林隆三さんです。

1979年「上海バンスキング」

「上海バンスキング」は、斉藤隣さんの戯曲で、中華民国の上海を舞台に、時代に翻弄された人々を描いた音楽劇です。1979年から15年間もの長きに渡って公演されています。

この公演では、吉田日出子さんは、メインボーカリストとして活躍していました。

1986年「ドタ靴はいた青空ブギー」

「ドタ靴はいた青空ブギー」は、1986年10月7日から11月26日まで公演され、吉田日出子さんは、この公演で菊田一夫演劇賞を受賞しています。

1989年「社葬」

「社葬」は1989年の映画で、東映京都撮影所制作、東映配給で行われました。吉田日出子さんは、この「社葬」で第14回報知映画賞最優秀助演女優賞と日本アカデミー助演女優賞を受賞しています。

この「社葬」は、会社版の「仁義なき戦い」ともいわれています。

2000年「三文役者」

「三文役者」は、主演が「弱虫」の竹中直人、「皆月」の荻野目慶子です。吉田日出子さんは、アサ子役で出演しています。

「リンゴの木の下で」をCMソングとして歌っている

「上海バンスキング」でも取り上げられ、吉田日出子さんが歌った「リンゴの木の下で」は、その後2002年に日産サニーのCMソングとして使用されています。

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