神作譲(小倉譲)が再犯で現在は谷村?母、小倉悦子についても! 社会

神作譲(小倉譲)が再犯で現在は谷村?母、小倉悦子についても!

コンクリート事件の準主犯格として1989年に逮捕された小倉譲。1999年には刑期を終えて出所し神作譲と改名して生活ていましたが、2004年に再犯し、知人男性を拉致監禁し暴行し再び逮捕されています。今回は裁判の様子や現在の様子、母小倉悦子についてもまとめます。

目次

[表示]

「コンクリート事件」の犯人、神作譲(小倉譲)が再犯

3839153 / Pixabay

1989年、社会を震撼させた女子高生コンクリート事件の準主犯格として逮捕され懲役刑を受け、1999年に出所していた神作譲(コンクリート事件後に小倉譲から改名)。

人間とも思えない凶悪な犯罪を犯した神作譲(小倉譲)でしたが、出所後も全く反省の色を見せておらず、出所から5年も経っていない2004年5月に逮捕監禁致傷事件を起こし、またしても逮捕されています。

まずは、神作譲(コンクリート事件後に小倉譲から改名)の再犯事件「三郷市逮捕監禁致傷事件」の事件発生から裁判まで、そこでの神作の態度などまでの概要を詳しくまとめていきます。

2004年に三郷市逮捕監禁致傷事件を起こす

TheDigitalArtist / Pixabay

神作譲は出所からわずか5年ほど後の2004年5月19日午前2時頃、知人の男性(当時27歳)に「俺の女を取っただろう」などと因縁をつけて殴り、金属バットで脅して車のトランクに無理やり入れて拉致します。

そのまま男性は埼玉県三郷市のスナックに連れ込まれて店内に監禁され、神作譲から激しい暴行を受け、全泊10日の大怪我を負っています。被害男性は午前7時頃にようやく解放され、そのまま警察に駆け込みます。

警察は事情を聞き、2004年6月4日、神作譲を逮捕・監禁致傷容疑で逮捕しました。神作譲は取り調べを受け「ちょっとやりすぎた」と容疑を認め、6月25日に逮捕・監禁致傷罪で起訴されました。

jodylehigh / Pixabay

その後の警察の取り調べによって、神作譲は自分が好意を抱いていた女性と被害者の男性が交際していると思い込み、男性にしつこく絡み、因縁をつけるなどしていた事が明らかになっています。

つまり、自分が好意をもっていた女を取られたと思い込み、自分のプライドを維持するために相手を威嚇し上位に立つという目的のためだけに過去のコンクリート事件での犯行を語っていたという事になります。

この時点で、コンクリート事件で被害者にしたことを反省するどころか、何の抵抗もできない罪のない女性を複数人で一方的に痛めつけ殺害した事を武勇伝の様に思っている事は明らかです。

事件が起こったスナックの場所

神作譲が被害者の男性を拉致監禁したスナックは、神作譲の母親小倉悦子が経営する店舗で、埼玉県三郷市三郷にある「ACB(アシベ)」というお店でした。

Comfreak / Pixabay

神作譲はこの店内に被害者男性を午前2時頃から午前7時頃まで数時間にわたって殴る蹴るなどの暴行を加えています。午前7時頃にようやく解放した理由は神作譲自身が疲れたからという身勝手なものでした。

暴行中神作譲は「俺の女を取っただろう。殺すぞ。俺は人を殺したことがある」などと恫喝していますが、被害者男性には全く身に覚えがなく、訳がわからないままに暴行を加えられています。

被害者が事件について語った

StockSnap / Pixabay

この暴行を受けた被害者男性は以前から神作譲の知人という事ですが、たまたま自分の勤める花屋の社長の知り合いの若い衆だった神作譲に目をつけられ、神作譲の方から頻繁に接触してくる様になったのだそうです。

Herm / Pixabay

そして、携帯電話に頻繁に電話が掛かってくる様になり、やがて深夜に突然家に上がり込んでくる様になったのだそうですが、被害男性は神作譲の暴力団風の見た目を恐ろしく思い拒否する事が出来なかったのだそうです。

家に上り込む様になった神作は被害男性に過去に自分が犯した「コンクリート事件」について自慢げに語ってきたそうです。神作はニヤニヤと笑いながら犯行時の内容を詳しく語ったのだそうです。

Momonator / Pixabay

被害男性の語ったその内容は耳を疑う様なものでした。まず神作譲るは「俺はなあー、少年のとき10年もムショに入ったんだよー」と自慢げに言ったのだそうです。

被害者がその発言に恐怖を感じて何も言わないでいると「綾瀬のコンクリート詰め殺人って知ってるだろ。あれだよ」などと自ら過去の犯罪について嬉しそうに語り始めたのだとか。

andrejcook / Pixabay

「タバコに火をつけてさ、その煙を、その子の鼻の下に近づけても、息をしてなかったんだよ」「遺体をこんな感じで、ドラム缶に入れてさ、コンクリを詰めこんで」などを軽い感じで話したのだそうです。

裁判の様子

12019 / Pixabay

こうした被害男性の証言から、神作譲が人間の仕業とも思えない凶悪な犯罪行為コンクリート事件について微塵も反省の心を抱いていない事が明らかになりました。

その後の「三郷市逮捕監禁致傷事件」での裁判での発言や態度などにもそれは表れていました。検察側は神作が被害男性に対して「俺は人を殺した事がある本当に殺す」などと脅迫した事を主張。

対して、神作譲はそんな脅迫も監禁もしていないと主張し監禁ではなく「被害男性と店でお茶を飲んで話していた」拉致については「男性が自分からトランクに入った」などと子供の言い訳かと思える主張を繰り返します。

TheDigitalArtist / Pixabay

さらに続けて「これだけで逮捕監禁とは、なんとも言えないんですけど」などと開き直った態度を見せ、反省のかけらすらも見せませんでした。

これを受けて裁判長は、犯行は執拗かつ危険で身勝手としながらも、以前の出所後は派遣社員として働くなど一定の更生努力が見えるとして懲役4年の実刑判決を下しています。

mohamed_hassan / Pixabay

裁判長は判決を読み上げた後「今度こそ、本当の意味での再出発、人生のやり直しをすることを期待しています」と結んでいます。これを聞いている時、神作譲はうなだれた様子だったそうです。

神作譲(小倉譲)が起こした「コンクリート事件」とは?

ここで、神作譲(小倉譲)の現在を見て行く前に、この男が少年時代の過去に起こした社会を震撼させた凶悪事件「コンクリート事件」についても、もう一度詳しく振り返って起きましょう。

kanami-y / Pixabay

コンクリート事件が発生したのは1988年11月の事でした。午後8時頃アルバイトから帰宅途中だった当時17歳の高校生だった被害者の少女が、当時未成年の少年2人(宮野・湊)に突然拉致されます。

少年らは被害者少女をホテルへと連れ込み強姦します。その後、神作譲(当時は小倉譲)は最初に犯行に及んだ犯人達から電話で連絡を受け先輩の宮野に「女を帰さないで下さい」と頼み、後から合流しています。

これにもう1人の少年渡邊を加えた4人は、被害者少女を連れ回した後犯人の1人湊伸治の自宅へと拉致、その後40日間に渡って監禁を続け、激しい暴行と凄惨な虐待を加えました。

犯人達はライターで体に火をつける、陰部に異物を挿入して破壊する、シンナーを吸引させ裸にして真冬のベランダに放置するなどの凄惨な暴行を続けます。すると次第に被害者少女は無抵抗になったそうです。

adege / Pixabay

顔が腫れ上がり、前歯は全ておられる、傷が化膿して異臭を放つ様になるなどすると、犯人達は少女を邪魔に思う様になります。食事や水分もほとんど与えられないまま放置され少女は次第に衰弱していきます。

そして1989年に入ったばかりの1月4日の朝方、夜通し行なっていた賭け麻雀に大敗して機嫌が悪かった宮野は少女に激しい暴行を加え、他の3人もそれに加わります。その翌日の昼、ついに少女は生き絶えます。

犯人達は、被害者の遺体の処理に困り、ドラム缶に詰めてコンクリートで固めて遺棄すればバレないと考え、盗んできたセメントとドラム缶で遺体をコンクリート詰めにして遺棄しました。

事件には10人を超える加害者がいたとされますが、事件後に逮捕され実刑を受けたのは小倉譲の他、湊伸治、宮野裕史、湊伸治の4人だけでした。当時10代の彼らは少年法に守られ、既に全員が出所しています。

神作譲(小倉譲)の生い立ち、コンクリート事件が起きるまで

harutmovsisyan / Pixabay

続いては、神作譲(小倉譲)がコンクリート事件を起こすまでの生い立ちについてもまとめていきます。何故この様な凶悪犯罪を犯し、出所後も反省を見せず再犯したのか?

神作譲の幼少期からの生い立ちを見ていけば何かがわかるのでしょうか?

幼少期から母子家庭で育つ

thisguyhere / Pixabay

神作譲(小倉譲)は1971年5月11日に生まれました。両親の折り合いは悪く小学校3年のころに父親が愛人を作って家を出ており、以降は母親小倉悦子と姉、家族3人の母子家庭で育っています。

この頃から母親は一人で子供二人を養って行くために水商売で働いており、結果として神作譲はほったらかしの状態で幼少期を過ごしたとされています。

Pexels / Pixabay

こうして育った神作譲は、コンクリート事件を起こした17歳当時、神作譲の身長は既に180cmを超える巨漢であったそうです。剃りあげた眉毛につり上がった目でかなり威嚇的な風貌であったと言われています。

高校は2度中退

MabelAmber / Pixabay

放置されて育ったとはいえ高校の途中までは真面目で健全な学生だった様で、スポーツに情熱を燃やして部活を二つ掛け持ちするなど精力的に学生生活を送っていたとされます。

しかし怪我をきっかけに部活を辞めると不良化、校内暴力で退学となっています。ちなみに共犯の宮野とは中学時代の後輩、先輩の間柄でした。この関係がのちに神作を不良の道へと進ませたと言われています。

高校中退後、「コンクリート事件」の犯人らと共にヤクザに

cocoparisienne / Pixabay

高校を中退した後、神作譲は定時制の高校に2ヶ月ほど通いますが、すぐに不登校となっています。この時期に配線工などのアルバイトを転々としながら、宮野ら不良少年グループと犯罪行為を繰り返しています。

この時期、後にコンクリート事件で逮捕実刑を受ける事になる宮野・湊・渡邉らと共にヤクザ組織に入り、使い走りの様に扱われています。神作は下部組織「極青会」の副会長という役職を名目的に与えられています。

「コンクリート事件」を起こす

Free-Photos / Pixabay

こうして、宮野・湊・渡邉らと犯罪行為を繰り返す中、1988年11月に「コンクリート事件」を起こしています。ちなみにこれ以前にも神作らは女性を拉致して強姦すると行った犯罪行為を度々犯していました。

神作譲は、コンクリート事件の中心となった4人の中でも宮野裕史に続くサブリーダー的な立ち位置で犯罪行為を主導したとされています。後に神作は周囲に「実は自分がリーダーだった」などと嘯いています。

自分を大きく見せるために、過去にあれほど社会を震撼させたおぞましい事件を持ち出す事からみても、神作譲は事件を起こしてから現在に至るまで、ずっと狂っていると言えるのかも知れません。

神作譲(小倉譲)の「コンクリート事件」への対応

SplitShire / Pixabay

コンクリート事件で準リーダー的立ち位置にあったとして逮捕され、実刑判決を受けた神作譲でしたが、その後の事件への対応、向き合い方などには強く疑問を感じざるを得ません。詳しく見ていきましょう。

裁判で5年〜10年の不定期刑が確定

Ichigo121212 / Pixabay

コンクリート事件での神作譲への判決は、懲役5年以上10年以下の不定期刑という判決が下されています。罪のない17歳の少女を弄び殺害した罪の重さに比べてあまりにも軽い判決との印象を感じざるを得ません。

これは、当時、神作譲らの犯人達は16歳から18歳までの少年達であり、少年法によって守られていた事が原因でした。現在は神作含む全員が出所しており、社会復帰を果たし自由に生活しているのです。

裁判での様子

OpenRoadPR / Pixabay

神作譲は逮捕後「出所したら少しでも(遺族に)償いたい」などと泣きながら言っています。さらに法廷では「先輩である宮野の命令に逆らえず、被害者への暴力は自分の意思ではない」と言った趣旨の主張をしています。

また、裁判時の神作譲の様子は終始、非常に反省した様な態度を見せていました。

実際に償いはほとんどされなかった

guvo59 / Pixabay

しかし、その後の出所後の神作譲の振る舞いを見る限り、逮捕後や裁判での反省の様子は全て口から出まかせの演技であったと考えざるを得ません。

神作は出所後、遺族に対して賠償金50万円だけを支払い、その後は一切支払いをしていません。それどころか裁判終了直後に母親は高級マンションを購入、神作自身も出所後に高級車を購入するなど豪遊しています。

本来、遺族への賠償に充てるべきお金を全て自分の欲望のために使い、過去の事件を自慢げに語り、さらには再犯までも犯すなど、その振る舞いは最早鬼畜の所業だと言って差し支えないでしょう。

神作譲(小倉譲)の出所から、再犯を起こすまで

KELLEPICS / Pixabay

神作譲(小倉譲)のコンクリート事件出所後の経歴についても見ていきたいと思います。その後のこの男の生活ぶりを見ると、そのあまりに身勝手で、自己中心的な人間性が浮かび上がってきます。

1999年、「コンクリート事件」の刑期終了で出所

Free-Photos / Pixabay

神作譲は1999年の8月3日に奈良少年刑務所を「コンクリート事件」の刑期終了で出所しています。この頃に更正保護司の神作久子氏と養子縁組をし、小倉譲から神作譲に名前を変えています。

こうした実態のない養子縁組は違法ですが、一部報道によって小倉譲という実名が発覚していたため、このままでは社会生活は困難として更生保護司の方の厚意で縁組がなされたと思われます。

神作譲の出所後の行動の数々は、この保護司の方の厚意すらも土足で踏み散らかす行為だと言わざるを得ません。

その後、コンピューター会社に入るも辞職、暴力団へ

ambroo / Pixabay

出所後には、刑務所内で学んだコンピューター知識を使ってIT関連の企業にアルバイト勤務した様ですが勤務態度は非常に悪かったそうです。そんな中で、コンクリート事件の事が発覚して辞職しています。

アルバイト先を退職に追い込まれた神作譲は、再び暴力団事務所へと出入りし始めます。暴力団関係者の間でも神作譲の何をするかわからない凶暴な性格は知られており恐れられていたという事です。

神作譲が暴力団組織に正式に構成員として所属したのかやその時にどういった待遇を受けていたのかなど、詳しい情報などは見つかりませんでした。

2002年頃に結婚

Free-Photos / Pixabay

こうした経緯もあってか日本国内で普通に仕事をして生活していくのは難しいと考えた神作譲は、中国に渡って仕事をしようと考え、2002年頃にとある中国人女性と結婚したとされています。

この結婚したとされる中国人女性がどんな人物であったのかは明らかになっていません。中国に渡ることを目的にした結婚ということで、偽装結婚の可能性も考えられますが、真相は不明です。

2004年に再犯、離婚

dariolafelicia / Pixabay

しかし、2004年6月に「三郷市逮捕監禁致傷事件」にて再犯した頃にこの中国人女性とは離婚したと見られ、中国に行って働くという計画は頓挫してしまいます。

神作譲(小倉譲)の母親、小倉悦子について

niekverlaan / Pixabay

神作譲(小倉譲)の母親小倉悦子は、息子の起こしたコンクリート事件の裁判終了の直後に高級マンションを購入するなど常軌を逸した非常識過ぎる行動をとっていますが、どの様な人物なのでしょうか?

神作譲(小倉譲)の家族構成

Monsterkoi / Pixabay

まず最初に神作譲(小倉譲)の家族構成についてまとめていきたいと思います。神作譲の家族は事件後の週刊誌報道などで、父、母、姉の4人家族である事が明らかになっています。

父親は事件当時は42歳で運送会社の配送員だったとされています。神作譲が小学3年生の頃に愛人を作り母親と別居しています。愛人との間に2人の子供がいるそうですが、神作譲母との籍はそのままだそうです。

事件後や神作譲が再犯を犯した際にメディアがこの父親の元にも取材に訪れていますが「お話しすることはありません。お帰りください」とのみ語ったのだそうです。父からすれば最早関係のない息子なのでしょうか?

rkarkowski / Pixabay

母小倉悦子は、事件当時43歳、都内のデパートで勤務した後結婚後は洋裁の内職で働いていたそうです。父親が愛人の元へ行った後は水商売で働きながら二人の子供を育てていた様です。

姉は事件当時は20歳で、私立高校を卒業した後に都内で会社員をしていた事が明らかになっていますが、それ以外の情報は一切わかっていません。恐らく母や弟とは距離を置いているのではないでしょうか?

神作らの起こした「コンクリート事件」は犯人達のあまりの極悪非道ぶりが社会を震撼させた事件であり、その家族もまた、まるで鬼畜生であるかの様に見られました。恐らく平穏な人生を送る事は難しかったでしょう。

NEXT:「コンクリート事件」の後、逆ギレして被害者のお墓を破壊
1/2