上申書殺人事件の概要は?三上静男と後藤良次の生い立ち・現在! 社会

上申書殺人事件の概要は?三上静男と後藤良次の生い立ち・現在!

暴力団員が起こした連続殺人事件、この事件の裏側には「先生」と言われる人物が暗躍していました。この事件は上申書殺人事件と言われています。この上申書殺人事の実行犯である後藤良次と「先生」と言われた首謀者である三上静男の生い立ちと現在を今回は紹介していきます。

目次

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上申書殺人事件とは

上申書殺人事件は茨城県で起きた石岡焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件の3件の殺人事件の総称です。これらはそれぞれ別個に起きた殺人事件ですが、その全てが後藤良次によるものでした。

当初は暴力団員である後藤良次が単独犯として刑事告訴されていたのですが、実は事件の裏側には「先生」という人物がいました。

「新潮45」が後藤良次に取材を続けていたことにより、この「先生」と言われる三上静男が事件の首謀者として浮かび上がってきたのです。

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そして後藤良次が逮捕後に茨城県警に上申書を提出し、3件の事件全てが三上静男の仕組んだものであることがその後の捜査で明らかになりました。

上申書殺人事件という名称は、事件の全貌が後藤良次の提出した上申書から明らかになったことでついた名称です。

死刑囚が殺人事件を告発するという珍事件

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2件の殺人と1件の遺体遺棄の合計3件の事件を起こす際、三上静男は後藤良次に実行犯として働く報酬を渡すことを約束していました。しかしその後別の事件で後藤が逮捕され、拘留されたことで約束は反故に。

後藤良次は、「先生」として慕っていた三上静男に裏切られたと感じたたため「新潮45」に事件の裏側に三上静男がいることを告白することにしました。

世話を頼んでいた舎弟が自殺したとき、舎弟の財産を三上静男によって勝手に処分されたことも彼に対して反感と不審感を覚えた理由だといいます。

後藤良次と三上静男の関係

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若い頃から暴力団の事務所に出入りしていた後藤良次にとって、不動産業を営んでいた三上静男は堅気の世界を教えてくれる存在でした。

実際には三上静男も堅気とは程遠い、あくどいやり口で不動産転がしを行っていたのですが、後藤良次は三上のことを「先生」と慕い、三上も後藤の面倒を見ていました。

後藤良次が殺人事件を起こす頃には、三上静男との間には明確な主従関係ができていたともいいます。

首謀者は三上静男・実行犯は後藤良次

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石岡焼却事件、北茨城市生き埋め事件、日立市ウォッカ事件の3件の事件はすべて首謀者が三上静男であり、実行犯は後藤良次でした。後藤良次は三上静男の指示のもと殺人を行っていました。

殺人だけでなく、後藤良次は被害者の死体の処理も行っていました。三上静男は被害者の一人であるカーテン店経営者を軟禁し、大量のアルコールを飲ませ続けるなど殺害方法についても指示を出していたといいます。

上申書提出に至った経緯と宇都宮監禁殺人事件

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後藤良次は宇都宮監禁殺人事件を起こした首謀者として逮捕されました。

宇都宮殺人事件は2000年に起きた事件で、後藤良次が仲間の暴力団員とともに男性1人を殺害した翌月に2人の男女を監禁し、うち1人を殺害したうえ3人に重傷を負わせた事件です。

この事件で後藤良次は起訴され、2003年に宇都宮地裁で死刑判決が裁判で言い渡されました。控訴、上告しますが、いずれも棄却されます。

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高等裁判所により、上告棄却が出た後、後藤良次は茨木県警に茨城県内で発生した2件の事件に対して、自分が関与したという上申書を出しました。これが上申書殺人事件が明るみに出たきっかけです。

茨城県警は後藤良次から上申書を受け取った際、驚愕しました。そして事件の裏付けを行うため、すぐに県警は捜査に乗り出したのです。

後藤良次が上申書を提出するまで、茨城県警は3つの事件のうち唯一被害者の遺体が残っていた日立市ウォッカ事件についても、病死として処理していました。

上申書殺人事件の経緯

上申書殺人事件が起こった原因として、三上静男が尋常ではなく金に執着していたことが挙げられます。彼は闇の錬金術師ともいわれるほど金に目がない男でした。

まず初めに起きた石岡市焼却事件では、三上静男と金銭トラブルがあった男性が被害者となりました。また2件目の北茨城市生き埋め事件でも、被害者の土地をめぐり事件が起きました。

3件目の日立市ウォッカ事件は保険金目当ての殺人事件でした。三上静男の私利私欲が、3件もの殺人事件を起こしたのです。

後藤良次が起こした宇都宮監禁殺人事件の詳細

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2000年7月30日、後藤良次は仲間の小野寺宣之と共謀して人材斡旋業の斎藤正二さんに「メンツを潰された」という恨みから暴行を加え、ぐったりした斎藤さんの両手両足を縛り、那珂川に投げ込んで殺害しました。

そして翌月の20日に後藤良次は舎弟4人と共に宇都宮市の元自動車販売業・小堀展史さん宅に上がり込み、マンション内で小堀さんを含む男女4人を縛り上げました。

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後藤良次らは被害者4人に多量の覚醒剤を打ち、1人の女性が覚醒剤の多量摂取により中毒症状を起こし死亡。残る3人はハサミなどの刃物でめった刺しにし、被害者や事件現場の居間に灯油をまいて放火します。

火をつけた後、後藤良次らは被害者の乗用車を奪い逃走し、3人の被害者は1人が自力で縄を解いて消化活動を行い、3人は重軽症を負いながらも一命をとりとめました。

宇都宮監禁殺人事件の判決

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事件の判決では死刑判決を受けます。控訴、上告を行いますが、棄却されます。この事件では女性に対して強盗殺人の罪が適応されました。これは関係証拠を総合した結果この罪の適応が妥当であると判断したためです。

弁護側は、後藤良次被告が「覚醒剤を使用し、それによる神経耗弱状態であった」といい、死刑回避を裁判所に求めていました。しかし「自己中心的で短絡的な犯行であり暴力団特有のものである。」とし棄却されました。

これらの理由により、控訴、上告も棄却され続け、2007年9月に死刑判決が確定します。

後藤良次が上申書を提出した3つの事件①石岡市焼却事件

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上申書殺人事件の中で最初に発生した事件になります。1999年11月に、三上静男が金銭トラブルを巡って60代男性を絞殺。その後、三上静男は後藤良次とともに男性の遺体を殺害現場から運び出します。

茨城県石岡市にある三上静男の会社内にある焼却炉に遺体を運び込んだ2人は、そこに廃材と共に遺体をいれ、新聞紙に火をつけ焼却炉の中に投げ込みます。そして死体を焼却し証拠隠滅を図ったのです。

この事件で発見された遺体は、黒焦げの状態であり、身元特定を行うことができない状態でした。しかし後藤良次が被害者男性の名前を挙げており「大塚」という人物であるということが分かっています。

後藤良次が上申書を提出した3つの事件②北茨城市生き埋め事件

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同じく1999年の11月、後藤良次は埼玉県大宮市の70代の男性を水戸市内の駐車場で拉致し、車で連行します。そして三上静男の所有する敷地に、手足を縛ったままの状態で生き埋めにしました。

三上静男の目的はこの被害者男性の所有する土地を自分名義として売却することで、莫大な土地代を自分の物にするというものでした。この事件の拉致から生き埋めに至るまでを後藤良次が行っていました。

この事件の被害者男性は倉浪篤二という男性であり、この上申書殺人事件の中で唯一被害者の中でフルネームのわかっている人物です。

後藤良次が上申書を提出した3つの事件③日立市ウォッカ事件

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2000年7月に三上静男はある家族に頼まれて、糖尿病と肝硬変を持病として持つ男に多量のアルコール飲料を飲ませて殺害するという事件を企て、後藤良次に犯行の指示を出しました。

この事件の被害者は67歳のカーテン店の経営者の男性でした。この事件ではただ被害者を殺害するだけでなく、遺体を山中に遺棄まで行っています。これは事故死を装う目的で、実際に被害者は病死と見られていました。

この事件は、三上静男、後藤良次だけでなく、被害者男性の家族も事件の裏にいた事件です。事件に関わった全員で、被害者にかけられた多額の保険金を山分けするという魂胆になっていたのです。

日立市ウォッカ事件は唯一告訴された事件

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後藤良次の告白により、上申書殺人事件は3つの事件が明らかになりました。しかしこの事件では立件された事件は1件のみで残りの2つの事件は不起訴処分となりました。

立件された事件は茨城県日立市ウォッカ事件のみでした。この事件では実際に遺体が発見されたため、事件の証拠を集めることができました。しかし、残りの2つの事件は十分な証拠が集まらず立件できませんでした。

石岡市焼却事件では被害者の遺体が焼却されていたうえに、被害者の苗字しか後藤良次も知らなかったため、被害男性の身元特定さえできなかったのです。

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また北茨城市生き埋め事件は被害者の特定はできたものの、遺体が遺棄されたという三上静男所有の土地から遺体が発見されず、被害男性に身寄りがないこともあって捜査が進みませんでした。

そのため少なくとも3人の被害者がいた可能性があるにも関わらず1件のみの立件となってしまったため、三上静男を死刑にすることはできませんでした。三上静男に出された判決は無期懲役となっています。

日立市ウォッカ事件で共謀した家族と三上静男の出会い

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被害者であるカーテン店経営者であった男性は、三上静男から借金をしていました。被害者男性は死亡する前、一時退院をして家族のもとへ帰ってきました。

保険金をあてにしていた家族は、借金返済の糸口がなくなります。そこへ三上静男が保険金殺人の話を持ち掛け、家族は保険金殺人の共謀者へとなっていくのです。

三上静男が被害者男性を軟禁し、アルコールを多量に摂取させていたことも家族はわかっていました。しかし、家族は止めることなく、むしろ保険金が手に入るという理由で保険金殺人を肯定していたのです。

被害者は後藤良次が上申書を提出する前は「事件性なしの病死」とされていたため、生命保険会社2社から約1億円の保険金が支払われていたとされます。これを三上静男は被害者の家族と山分けしていました。

上申書殺人事件の関連人物

上申殺人事件では、主犯の三上静男、実行犯の後藤良次以外にも多くの関連人物がいます。ここではその人物たちを紹介していきます。

元死刑囚の後藤良次の生い立ちと犯罪歴

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上申書殺人事件の実行犯であった後藤良次は14歳の頃、窃盗と殺人の罪で少年院に送られました。その後16歳で暴力団員になり、17歳、19歳の頃に再び少年院に送られます。

20歳の頃、特別少年院の職員との間でトラブルを起こし暴行をはたらいたとして、少年刑務所に送還されます。その後22歳で当時所属していた組が解散し、23歳で稲川会小田組に入ります。そして28歳で組長に。

31歳で対立する組長を殺害、殺害後出頭します。処分保留とされますが、35歳で暴力行為で逮捕となり、39歳で仮出所。その後、駐車違反取り締まり中の警察に対して公務執行妨害を起こし、水戸へ流れます。

後藤良次の家族・実家

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このような事件を起こしてきた後藤良次でしたが、彼には内縁の妻がいました。家族のために、毎月仕送りも行っていたといいます。

後藤は様々な暴力団を転々としていましたが、28歳で故郷の宇都宮に戻り「後良会」を結成しました。しかし組は解散してしまいます。その後、三上静男と知り合ってしまうのです。

三上静男と知り合った後に、内縁の妻への仕送りが月に80万から100万円へと増えていたと内縁の妻は語っています。後藤良次は三上の不動産ブローカーの仕事を手伝っていたといいます。

三上静男(先生)の生い立ち

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生い立ちはあまり明らかになっていませんが、幼少期から鳥を蹴ったり、絞め殺すなどの残虐性が見られていました。良心の呵責もなく、小動物が苦しむ様子を見て楽しんでいたとの話もあります。

事件の被害者に対しても坊主にしたり、身体にマジックで落書きする、監禁して苦しむ姿を楽しむなど、人を痛めつけることを楽しんでいる様子が見られるため、残虐性は生まれ持っていたもと考えられるでしょう。

金を得るためには手段を選ばず、舎弟を自殺に追い込むなど、自分の部下であっても自分に不利益であると考えたら躊躇なく切り捨てていました。三上静男は自分の利益を最優先するような人物でした。

不動産ブローカー三上静男の周囲からの評価

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不動産ブローカーとして暗躍していた三上静男は、汚いやり口で多額の利益を得ていました。売上を得ていたことで、周囲からはやり手のブローカーとしての評価をされていたようです。

その裏では暴力団と手を組むことで強大な権力を手にしており、資金を得るためには手段を選ばず、金を手にするためなら人の命すらも軽視していました。

悪知恵もよく働き、彼はほとんどの犯行を自ら行わないで暴力団員に行わせるなど、狡猾なやり方で犯罪を行っていました。

後藤良次と三上静男の違い(反社会性障害とサイコパス)

後藤良次と三上静男は同じ犯罪者であっても、大きな違いがありました。その違いとは後藤良次は反社会性障害であって三上静男はサイコパスであったという点だと指摘されています。

後藤良次は、自分の組を思ったり、内縁の妻のことを考えるなど他人のことを考えていました。また舎弟の面倒を見るなど他人のこと気にかけていました。さらに罪を告白するなど良心の呵責を感じていました。

しかし三上静男は幼少期から小動物を苦しめ殺害したり、被害者を監禁し、虐待殺害をすることを楽しんでいました。また犯行を行ったことに対して罪悪感もなく、虚偽を突き通そうとしていました。

新潮45記者の宮本太一

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宮本太一氏は新潮45に所属していた記者で、事件が明るみになった背景は彼がいたからです。もともと新潮45は事件の裏側を取材する週刊誌ではなく、女性のヌード写真を取り上げることが多かったとされます。

しかし、ある時東京拘置所に拘留されている宮本太一氏の知り合いから連絡が届きます。

連絡があったため拘置所に向かい、面会を行うと、「後藤という死刑囚が自分の余罪を告白しようと考えてる」と相談を持ち掛けます。そこで宮本太一氏は後藤良次と面会を行い、独自取材を行う計画を立てるのです。

死刑囚が自ら犯罪を語った前代未聞のスクープ

宮本太一氏が後藤良次への取材を行ったことで、明るみになっていない事件の真相が明らかになりました。取材をすることがなければ、闇に埋もれることになる可能性のあった事件の真相を知ります。

その後藤良次の語った事件の内容の調査を行いました。そして事件の内容を雑誌で出すことにより、3件の殺人を含む上申書殺人事件の存在を世に知らしめたのです。

上申書殺人事件のその後

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上申書殺人事件は、これまで明らかにされなかった事件が突如世の中に明るみになったことで、さまざまなメディアから注目を集めるようになりました。

この上申書殺人をもとに作られたノンフィクションミステリー小説である「凶悪‐ある死刑囚の告白‐」が出版されています。この著書は10万部を超えるベストセラーとなりました。

またこの小説に合わせて映画も制作され、全国で上映されました。タイトルは「凶悪」というタイトルになっています。この映画では山田孝之やリリーフランキーなど、日本映画界を代表する俳優が出演していました。

後藤良次の現在は内縁の妻と縁切り

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後藤良次は現在内縁の妻とは縁切りを行っています。これは後藤良次が内縁の妻に対して迷惑をかけたくないという理由で縁切りを行ったためです。そのため内縁の妻は後藤の身元引受人ではなくなりました。

さらに取材が行くかもしれないという懸念から、内縁の妻には面会にも来ないように忠告しています。後藤良次は妻に対して、「自分のどうしようもない人生に巻き込みたくなかった」と語っています。

親身になって面会や差し入れに来る内縁の妻に「他の女から差し入れが有るからいい」と言い、面会を断っていました。しかし、実際に他に交際関係にあった女性はおらず、差し入れは舎弟が行っていました。

三上静男の逮捕前の様子

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逮捕前の三上静男は、自分の身を案じて証拠の隠滅を図り始めます。2件目の被害者男性を自分の土地から掘り起こし、別の場所に遺棄するなど物的証拠を隠滅しました。

また後藤良次が世話をしてきた舎弟を自殺するまで追い込み、されに財産をすべて処分するなど事件に関係した人物まで三上静男の魔の手は迫っていました。

このように物的証拠や関係者を始末し、事件が公になっても自分が有利になるような環境をつくっていました。そのため上申書殺人事件のうち立件されたのも、1件になってしまったのです。

先生を「三上」と呼び捨て

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後藤良次は三上静男のことを慕い、「先生」と逮捕前や逮捕直後は呼んでいました。しかし三上静男が約束を守らず、自分の舎弟の財産を処分するなど、後藤良次の反感を徐々に買っていきました。

そのため、次第に後藤良次も三上静男に対して「先生」と呼ぶことも少なくなっていきます。また、三上静男に対して上申書を県警に提出し、三上静男を自らの証言で追い詰めようとします。

さらに三上静男の裁判では、三上静男に対して「先生」ではなく「三上」と呼び捨てにする姿も見られています。このように、2人の関係は三上静男の裏切りによって崩壊していったのです。

上申書殺人事件の裁判の判決と現在

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上申書殺人事件は、後藤良次の告白により発覚しました。そして首謀者でもある三上静男にも警察の手が迫っていました。三上静男はすべての証拠を隠滅しようとしましたが、失敗し最終的には逮捕されてしまいます。

また、首謀者の三上静男と実行犯である後藤良次が逮捕されただけでなく、上申書殺人事件の関係者にも捜査の手が伸びていきました。そのため、3件目の事件の被害者家族も捜査の結果逮捕状がでて、逮捕されます。

このように、三上静男が捕まったことにより、その関係者たちも徐々に逮捕され、罪が暴かれていきました。

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