大月(福田)孝行の生い立ちと現在は?光市母子殺害事件の概要 社会

大月(福田)孝行の生い立ちと現在は?光市母子殺害事件の概要

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「来世で弥生さんの夫になる」発言

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犯人の大月孝行に責任能力があるかどうか調べるための精神鑑定が行われましたが、その際に鑑定をした大学教授に以下のようなことを発言しています。

「僕は死刑になって来世で弥生さんの夫となる可能性がある」「そうなると洋さんに大変申し訳ない」(引用:News BFC)

報道ステーションでの父親の問題発言

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当時の凄惨な事件を報道ステーションに問われた時の対応と返答にも注目が集まりました。(引用:大月孝行の生い立ち~壊れた父親壮絶DV母の自殺でモンスターに)

インタビューで親としての責任を問われると、父親は「僕に出来ることは何もない」「責任?俺にどうせいちゅうんじゃ」と発言しました。

さらに謝罪を述べていないことを問われると、「時間がなかった」「被害者を刺激しないほうがいいやろ」とまるで他人事のような発言をして大きなバッシングを浴びました。

父親の他の発言

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  • 「息子が事件を起こしたのは、他の大人にも責任がある」
  • 「こっちもたまったもんじゃない」
  • 弥生さんの夫に対して「再婚して新しい家庭を築きなさい」

被告人が宛てた知人と本村さんへの手紙

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大月孝行は第1審を終えたあと、知人に対して「私を裁ける者はいない」「終始、笑うのは悪なのが今の世」といった手紙を出しています。

反省の色も見せず、殺人が故意であったとする内容のことも書かれていました。さらに遺族の本村洋さんに対して「被害者のことやろ?ありゃ、調子づいてる」と語っています。

そして最初の判決で無期懲役が下された時の手紙には、「勝ったと言うべきか負けたと言うべきか」「検事が控訴しなければ終わる」「心はブルー、外見はハッピー」と書かれていました。

「ドラえもん」発言

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裁判では大月孝行の「ドラえもん発言」が話題となりました。それは弥生さんの遺体を押し入れに隠した理由を聞かれた時、「ドラえもんが助けてくれると思った」と発言したことです。

ですが最初からこのような発言をしたのではなく、裁判の差し戻しが行われたあとに発言し出したことから、安田弁護士が引き出した発言ではないかと言われています。

確定判決についてのそれぞれのコメント

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死刑が確定する前の無期懲役が下された時、弥生さんの夫である本村洋さんは「司法には絶望した」「社会に出たら私が殺してやる」と怒りを露わにした発言をしています。

死刑が確定したあと、本村洋さんは「嬉しいとか喜びの感情はない」と静かに語り、最高検察庁は「最高裁が下した判決は妥当だ」とコメントしています。

大月孝行の弁護側は「判断を誤っている。殺意が故意ではなかったことが無視されている」としたコメントを発表しました。

光市母子殺害事件弁護団懲戒請求事件とは

光市母子殺害事件では、事件から数年後に弁護団に懲戒請求書が送られるという「弁護団懲戒請求事件」が発生しています。その事件について、みていきましょう。

2007年テレビ番組内での橋下徹の発言がきっかけ

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きっかけは2007年5月27日に放送された「そこまで言って委員会」にて、橋下徹(のちの大阪市長)が「弁護団が許せないなら懲戒請求をすればいい」と視聴者に呼びかけたことでした。

結果、7,558通もの懲戒請求書が視聴者から弁護士会に届けられましたが、橋下徹本人は時間と労力をかけられないという理由で請求しませんでした。

さらに懲戒請求をすると、相手の弁護士から逆に訴えられる可能性があるというリスクを説明しないまま呼びかけたこともあり、橋下徹に苦情の声が寄せられました。

弁護士4人が橋下徹に対する訴訟

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そして光市母子殺害事件の弁護団のうち4人は橋下徹の行動が不法行為であるとして、2007年9月に1,200万円の損害賠償を請求する事態となりました。

2008年10月2日、広島地裁で行われた第1審では弁護団側の主張を認め、名誉棄損だとして橋下徹に800万円の賠償が発生するという判決を下しました。

橋下徹は控訴しながらも和解金として856万円を支払っています。しかし2011年7月15日、最高裁は橋下徹の一連の行動は不法行為とは言えないとして弁護団側の逆転敗訴となりました。

弁護団員19人が橋下徹及び読売テレビに対する訴訟

上記の裁判とは別に、2009年11月27日には光市母子殺害事件の弁護士総勢19人が「弁護士への名誉棄損」を理由に橋下徹と読売テレビを訴訟しました。

具体的には「大月孝行被告の発言を捏造しているかのような内容だった」として、総額1憶2400万円の賠償金と、謝罪広告を掲載することを求めました。

ですが2013年4月30日に広島地裁で行われた裁判で「人身攻撃とみられる表現はなかった」として請求を棄却し、2015年3月26日に最高裁でも第1審での判決が認められました。

橋下徹に懲戒処分

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裁判で罪に問われることはなかった橋下徹ですが、2010年9月17日に「弁護士の社会的品位を落とした」として2か月の業務停止が大阪弁護士会から言い渡されました。

2009年に実名入りの本が出版される

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事件発生から10年後の2009年に、著者・増田美智子が関係者への取材を重ねて執筆したという、犯人の実名入りの本が出版されました。

本のタイトルにまで実名が用いられ、世間からは「犯人の実名を売り物にしている」と非難の声が相次ぎ、大きな話題となりました。

「F君を殺して何になる― 光市母子殺害事件の陥穽 ― 」が出版

2009年10月に「福田君を殺して何になる」という本が出版されました。犯人が当時未成年だったため、「F君を殺して何になる」と表示しているサイトも多数あります。

著者の増田美智子は実際に大月孝行と面会をして、凶悪で残忍だというイメージとは全く違う彼の姿に衝撃を受けて実名入りで本を出版するに至ったといいます。

実名入りに伴い裁判が起きるが出版差し止めにはならず

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「本人に了解を取っている」とする著者・増田美智子ですが、プライバシーの侵害を理由に弁護団から出版の差し止めと1,300万円の損害賠償が請求されました。

2012年5月23日、広島地裁は弁護団の主張を一部認めて66万円の損害賠償を課しますが、「本人が実名の記載に同意済みだった」として出版差し止めは認められませんでした。

少年死刑囚となった事件について

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光市母子殺害事件のように未成年でありながら死刑判決が下された事例は他にも複数ありますが、そのどれもが常軌を逸するほどの凄惨な事件でした。

では、そんな少年死刑囚となった事件について、概要と裁判での判決を中心に詳しくみていきましょう。

娼婦等連続4人殺人事件

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1967年4月24日、愛知県のホテルにて当時19歳だった渡辺清が売春婦の女性(当時36歳)と言い争いになり、首を絞めて殺害したのちに現金3万円を奪って逃走する事件が起きました。

警察の捜査をかいくぐった渡辺清は、8月5日にも大阪府で当時26歳だった男娼(売春する男性または買春される男性)を刺殺しています。

さらに犯行は止むことなく、1972年4月には大阪府で売春婦を性交したのちに絞殺し、翌年の3月にも同じ状況で売春婦を殺害し、渡辺清は逮捕されました。

裁判での判決

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大阪地裁で行われた第1審では、計画性は無く衝動的な犯行だったとして無期懲役判決が言い渡されましたが、1988年6月2日に最高裁が判決を棄却し死刑が確定しました。

渡辺清は死刑執行されておらず現在も大阪拘置所に収容されていて、「4件の殺人のうち2件は関与していない」と主張して再審請求を行っています。

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

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1994年9月から10月にかけて、大阪府・愛知県・岐阜県で不良少年によるリンチ殺人事件が起こりました。逮捕されたのは小林正人、芳我匡由、大倉淳の3人で、いずれも未成年でした。

最初の事件は9月28日、大阪府にて通りすがりの男性に因縁をつけて暴行したのち絞殺しました。さらに10月6日には愛知県で、女性関係のトラブルで知人を瓶で殴打し殺害しました。

翌日、3人は中学時代の同級生2人に因縁をつけて暴行し、車で岐阜県まで運んで金属パイプで撲殺しました。腕の骨は砕け、全身の血管から血が噴き出るほど殴打したといいます。

裁判での判決

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2001年7月9日に名古屋地裁で行われた判決公判では、小林正人の死刑が言い渡されましたが、他の2人は傷害致死罪で無期懲役と言い渡されました。

控訴審判決では、この判決が軽すぎるとして死刑適用に傾きました。そして2011年3月10日、最高裁で3人の死刑判決が確定しました。未だ3人とも死刑執行はされておらず収容中となっています。

石巻3人殺傷事件

2010年2月10日、宮城県石巻市にて当時18歳だった千葉祐太郎が元交際相手の家を襲撃し、刃渡り18センチの牛刀で3人を殺傷しました。

元交際相手の少女の知人である男性は、右胸を刺されて重傷を負うものの一命を取り留めました。ですが少女の姉と友人は牛刀で何度も刺されて死亡しています。

少女自身も足を刺されて車で連れ去られますが、警察により軽傷で救出され、犯人も逮捕されました。少女は千葉祐太郎と交際中、何度も暴力を振るわれていたことが判明しています。

裁判での判決

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2010年11月25日に仙台地裁で行われた第1審にて死刑判決が言い渡され、2016年6月16日に最高裁で死刑が確定となりました。

千葉祐太郎は、平成生まれの犯人として初めての死刑判決となり、世間でも大きな話題となりました。死刑執行はまだ行われておらず、現在も仙台拘置支所に収容されています。

市川市一家4人殺害事件

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1992年3月5日、暴力団との金銭トラブルで200万円もの大金を必要としていた関光彦(当時19歳)は、以前強姦したことのある女子高生のマンションに侵入しました。

家にあった現金8万円を奪うと、寝ていた祖母を絞殺します。そして少女と母親が買い物から帰宅したため母親を包丁で刺殺し、幼かった妹も刺し殺しました。

深夜になり仕事から帰宅した父親のことも、通帳のありかを聞いてから刺殺しています。翌日午前9時頃、父親の会社から様子がおかしいと通報があり警察が突入、少女は救助されました。

裁判での判決

1994年8月8日に千葉地裁で死刑判決が言い渡され、2001年12月3日に最高裁にて死刑が確定しました。平成時代に入ってからの少年犯罪で死刑判決が確定したのは、この事件が初めてでした。

そして2017年12月19日、44歳になった関光彦の死刑執行が東京拘置所にて執り行われました。

ドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」

光市母子殺害事件を題材としたドラマ「なぜ君は絶望と闘えたのか」が、2010年9月25日から2夜連続でWOWOWにて放送されました。文化庁芸術祭で大賞を受賞しています。

実際に事件を追っていた門田隆将というジャーナリストの記録を元に、遺族の挫折や絶望を詳細に描いたドラマで、ジャーナリスト役を江口洋介が、遺族である本村洋役を眞島秀和が演じています。

視聴者からは高評価を受けた

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このドラマは事件の凶悪性ではなく、事件後の遺族たちの闘いや少年法について、さらに死刑制度の是非などに焦点を当てた物語となっています。

視聴した人のほとんどから「観て良かった」と高く評価され、また「観るのがツラくなるほど、詳細に描かれたドラマ」というコメントも投稿されました。

生い立ちと凶悪犯罪の関係性

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凶悪な少年犯罪と言われた光市母子殺害事件は、犯人が虐待を受けていたことや、実の母親が自殺したという壮絶な生い立ちが人格を作り上げた結果によるものでした。

日本でも海外でも、凶悪犯罪を犯す犯人に共通していることは「生い立ち」と「家族との関係性」であると言われています。大月(福田)孝行もそのうちの1人となってしまいました。

死刑が確定されるまでの闘いや、遺族のその後について興味を持たれた方は「なぜ君は絶望と闘えたのか」を視聴してみてはいかがでしょうか。

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