横浜バラバラ強盗殺人事件の概要とその後!犯人池田容之らの現在

2009年、船橋のホテルで生きたままチェーンソーで殺害するというショッキングな事件が発生します。横浜バラバラ強盗殺人事件と呼ばれた本件の犯人、池田容之の生い立ちや被害者である高倉順一さんの最後、衝撃的な傍聴記録など調査しました。

横浜バラバラ強盗殺人事件とは

横浜バラバラ強盗殺人事件とは2009年6月、神奈川県横浜市金沢区で起きた殺人事件です。

殺害方法が冷酷かつ残虐であること、そして裁判員裁判が始まって以来初の死刑判決が下された事件として有名になりました。

横浜バラバラ強盗殺人事件の概要

横浜バラバラ強盗殺人事件は残虐非道な犯行を行ったとして犯行グループの一人、池田容之の名前が知られています。

しかし事件はグループによって行われており、横浜バラバラ強盗殺人事件で起訴されたのは7人でした。総勢8人関わったとされており、1人は逃亡しています。

組織的な犯行であり、事件の背後に大きな力を持った組織があるのではないかという説もあります。プチエンジェル事件を彷彿とさせるという声もありました。

2009年6月18日〜19日、犯人グループが男性2人を船橋のホテルに監禁

犯人は単独ではなくグループによる犯行でした。池田容之含む犯行グループと共犯者の一人は以前よりベトナムから覚醒剤を密輸していたのです。

2009年6月18日~19日、犯行グループの池田容之と共犯者は歌舞伎町で高倉順一さんを含む麻雀店を経営していた男性達2人を千葉県船橋のホテルに呼び出し監禁しました。

被害者の一人の首を生きたままチェーンソーで切断し殺害

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池田容之は被害者の一人の首を生きたままチェーンソーで切断します。その際、被害者はやめるように懇願しました。

Iは「家族に電話させてほしい」「殺さないでくださいせめて殺してから切ってください」と懇願する経営者の首を、「動いちゃ駄目だろ、切れないじゃないか」と生きたまま電動のこぎりで切断し殺害し、共犯に「人形みたいでしょ」と語った。

(引用:Wikipedia)

もう一人も刺殺し切断、横浜港や山梨県の山中に死体遺棄

もう一人の被害者は刺殺したのちに遺体を解体、横浜港と山梨県の山の中に遺棄しました。

2009年6月24日、死体が発見され事件が発覚

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横浜バラバラ強盗殺人事件が発覚したのは死体が見つかったからです。2009年6月24日、横浜市金沢区幸浦2丁目で岸壁に男性の遺体があるのを発見されたのです。

最初に見つかったのは下半身でしたが、翌日に男性と思われる頭部が2つ、右足がない下半身、結束バンドで拘束された両手首が発見、2人分の遺体であることが判明します。

そしてその後山梨県富士山のふもとで遺体の胴体が発見されました。司法解剖で遺体の切断はノコギリと鋭利な刃物で行われたと判明します。

そのほか遺体には内出血のあとが幾つも見つかっています。死因や死亡推定時刻の特定には至りませんでした。

池田容之ら犯行グループはその後覚せい剤取締法違反で逮捕されます。共犯者は覚せい剤取締法違反の容疑で警視庁に指名手配されました。

2009年10月15日に池田容之は横浜バラバラ強盗殺人事件で死体遺棄の容疑で再逮捕されます。

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2009年11月11日には高倉順一を含む被害者の2人を殺害、1300万円を被害者のうちの1人から奪っており強盗殺人の容疑で再逮捕されました。

バラバラ殺人事件として渋谷区短大生切断遺体事件も知られています。詳しくは以下の記事をお読みください。

横浜バラバラ強盗殺人事件の関連人物

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残忍な犯行だったため犯人池田容之の生い立ちに問題があったかのように見られましたがそんなことはなく、学生時代は生徒会長を務めるほどでした。

主犯格・池田容之

横浜バラバラ強盗殺人事件の主犯格は2人いました。そのうちの1人が池田容之です。

犯行に及んだ動機は麻雀店の経営でトラブルが起こっていたからです。

麻雀店を以前経営していたのは池田容之とともに事件を起こしたもう一人の共犯者、近藤剛郎でした。

池田容之は近藤剛郎に殺害を頼まれました。そして当時麻雀店を経営していた被害者達を船橋のホテルに監禁します。

池田容之はホテル側に「ドラマの撮影をするので音が出るかもしれないが気にしないでくれ」と話をしています。

ホテル関係者は2部屋を数人で宿泊として借りていたと証言、見た目は普通の人達に見えたことをのちに話しました。

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池田容之は被害者から1300万円を奪い、殺害に至ります。

池田容之と共犯者の近藤剛郎は事件において異なる役割を担っていました。池田容之はいわば実行犯、実際に被害者達を殺害する役です。

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近藤剛郎は横浜バラバラ強盗殺人事件を計画した人間であり、実行するように指示していた人物だと言われています。そのためか、本事件の黒幕だとも言われています。

事件当時、池田容之は31歳で近藤剛郎は25歳でした。近藤剛郎の方が年下だったのです。けれど近藤剛郎は池田容之よりもはるかに大きな権力を持っていました。

池田容之の生い立ち

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池田容之は兵庫県で生まれました。その後横浜市で育ちます。父親は銀行員で幼い頃は生活に困ったことはなかったと言われています。

非行に走る家庭環境だったわけでもなく、当時の池田容之を知る人物によると明るい性格だったそうです。

小学生時代も普通に生活しており、素行不良ではありませんでした。中学校では生徒会長を務めたこともあります。通学していた市立高校も卒業しました。

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その後就職、22歳の時に池田容之は結婚します。しかし横浜バラバラ強盗殺人事件発生当時は離婚していました。

池田容之には元妻との間にできた娘が1人いました。離婚後は養育費をきちんと支払っていたといいます。

池田容之は娘のために月10万円を仕送りしていたと言われています。そのためお金を稼ぐことに必死になっていました。

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高校卒業後に就職したものの、長続きはせず、池田容之は職を転々としていました。

当初は工場や工事会社等で仕事をしていましたが、やがてホストで働くようになります。暴力団に所属することもありました。

横浜バラバラ強盗殺人事件発生当時は岩盤浴店で雇われ店長をしていたと言われています。

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また、覚せい剤を密輸するグループのリーダーという一面も持っていました。所謂運び屋と呼ばれるグループです。

このグループには一時30人以上所属していたこともあり、億単位のお金を稼いでいました。当時の池田容之は覚せい剤の密輸で得たお金で生活していたと言われています。

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池田容之は事件発生の前、2007年公開の「アメリカン・ギャングスター」を観ていました。そして強く影響を受けたのです。

麻薬で大金を稼ぐというストーリーで、池田容之は「麻薬王」に憧れたといいます。そしてのちに近藤剛郎に密輸に誘われるのですが映画の影響もあってかすぐに了承しました。

共犯者・近藤剛郎

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池田容之の共犯者、近藤剛郎は東南アジアから覚せい剤を密輸していました。手に入れた覚せい剤を転売して利益をあげていたといいます。

近藤剛郎は池田容之を密輸に誘いました。その時、池田容之は収入はもちろん、非日常で刺激的な世界に憧れたとも話しています。近藤剛郎は元早稲田大学生でした。

最初に逮捕された3人

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死体が発見されたのち、被害者の2人はなんらかのトラブルに巻き込まれたのだろうと警察は捜査を始めました。

そして2人の交友関係を調査していき、滋賀県に住む三田恭志郎(当時22歳)と伊吹真吾(当時21歳)、宮原直樹(当時21歳)が死体損壊、遺棄容疑で逮捕されます。

この3人は6月19日から20日、レンタカーを借りて船橋のホテル内で被害者の遺体を損壊、その後運んで横浜市金沢区の海に遺棄しました。

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3人は被害者との面識はなかったといいます。遺体を運んだことを認めているものの、損壊してはいないと供述しました。

3人の関係は遊び仲間で、別の4人の男性と滋賀から来ていたことがわかっています。

被害者の高倉順一、水本大輔

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横浜バラバラ強盗殺人事件の被害者は東京都世田谷区の麻雀店を経営していた水本大輔さん(当時28歳)と神奈川県大和市の会社員だった高倉順一さん(当時36歳)です。

被害者達は元暴力団の組員だったことが判明しています。被害者の2人は知人同士だった言われており、2人とも6月20日頃行方不明となりました。

被害者達には婚約者や家族がいたと言われています。殺害される際、家族に電話をしたいと懇願していました。

横浜バラバラ強盗殺人事件のその後

横浜バラバラ強盗殺人事件のその後、裁判員裁判が始まります。

遺族の思い、犯人の母親や元妻の思い、殺害動機や犯行のようすなどを考慮し選ばれた国民が刑を考えなくてはなりません。

池田容之のその後、裁判の判決

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2010年10月14日に横浜地方裁判所が覚せい剤密輸の件に関して有罪とする部分判決を言い渡します。裁判員制度での裁判員の負担を軽減させるため区分整理を採用したのです。

2010年11月1日、横浜地方裁判所で池田容之の強盗殺人、死体遺棄事件の初公判が開かれました。

2010年11月4日、公判にて被告人質問が行われます。被告人の池田容之は私利私欲のために犯行に及んだと殺害動機を告白し反省している態度を見せました。

2010年11月10日に横浜地方裁判所で論告求刑公判が開かれました。横浜地方検察庁は池田容之に死刑を求刑します。

裁判員裁判において死刑が求刑されたのは本事件で2件目でした。裁判員裁判で初めて死刑求刑が行われたのは新橋ストーカー殺人事件です。

2010年11月16日には池田容之に関わる判決公判が開かれます。横浜地方裁判所は検察庁の求刑の通りに死刑判決を下しました。裁判員裁判で死刑が判決されたのは初めてのことでした。

傍聴記録からわかる事件の残虐さ

横浜バラバラ強盗殺人事件は殺害の手口が残虐だと注目された事件です。傍聴記録には殺害シーンの詳細が記されていました。

被害者の高倉さん「風呂場はやめてください!密室はこわいです!」
被告人池田「安心しろ、溺死なんて甘ったれた殺し方されるとでも思ってるのか」
被害者の高倉さん「そんな!さっきの電動ノコギリは嫌です!せめて殺してからにして下さい!」
被告人池田「勇気あるなあヤクザだっけお前?望み通りギロチンしてやるよ」
(池田被告はここでチェーンソーを最大速度に切り替える)
被害者の高倉さん「ごめんなさい!ごめんなさい!せめて母親と妻に一言だけ電話させてください!」
被告人池田「泣くなよお前アッハッハ(ハサミで淡々と被害者の指を数えながら切り落とし)俺も上には逆らえないからよ」
被害者の高倉さん「おねがいします!ウワー!!ウオ、オオオ、ゴフ」
(首が切断された)
被告人池田「きたねーなこの野郎。この道具早えーな!見た?30秒もかからなかったな!こいつ気持ち悪いヤクザだな」

(引用:NAVERまとめ)

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被害者達が元暴力団組員だったこともあり、殺害されても仕方がなかったという意見もありました。

しかし生きたまま切断されるという衝撃的な殺害方法、そして実行した池田容之は人間ではない、という声が非常に多く現在でも恐ろしい事件として語られています。

裁判で関係者が池田被告に放った言葉

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池田容之の母親が被害者の遺族あてに手紙を書きました。

「池田容之の母親だから、同じDNAを持っている。自分も息子が犯した罪の中にいる」として「寝ても覚めても今度事件をどう背負って生きていくか考えている」と弁護側が法廷で読み上げています。

池田容之は初公判からずっと淡々とした態度でしたが、この手紙で表情が崩れたといいます。手にしていたタオルを目に押し当てるシーンもありました。

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有罪という部分判決が出たのち、池田容之はどう反省すればいいのか、死をもって償うか迷っていました。答えが出せないと心境を打ち明けています。

それに対し母親は生きて償ってほしいと上申書に綴っており、読み上げられました。

一方、午後の審理で殺害された被害者達の遺族が意見を述べました。麻雀店経営者の妹は裁判員達に対して「死刑を躊躇した時は考えてもらいたい。遺族にとって無期懲役は無罪も同然」だと話しています。

母親は池田容之に立つように要求、「大事な人間がバラバラにされたうえ海に捨てられたらどれほど悲しむと思うのか」と責め詰りました。

婚約者だった女性は事件が起こるまでの3年間被害者と交際していました。極刑を求めており、事件の真相を知りたいとしていますが真相は恐ろしく耐えられないだろうと胸の内を明かしています。

被害者の1人、会社員の妻は裁判員に伝えたいことを問われた際、「家族の幸せ、主人の笑顔を返してほしい」と答えています。

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遺族達の意見陳述に涙する裁判員もいました。また、池田容之の元妻の供述調書も弁護側は読み上げています。

「2人を殺害し、遺族に『申し訳ない』としか言えない。罪を償って(社会に)帰れるのなら、ずっと待ち続けたい」と述べた。

(引用:カナロコ)

裁判官は控訴を勧めるも控訴取り下げ、現在も収監中

判決後、裁判長は池田容之に控訴を勧めるという異例の対応をとりました。裁判員達の負担を減らすためだったのではないかとも言われています。

裁判員を務めた50代の男性は判決後の記者会見でとても悩んだこと、幾度も涙を流したことを明かしました。

池田容之は判決を言い渡されたのち、収監先である横浜刑務所横浜拘置支所で弁護団と接見します。弁護団に控訴はしないと話していましたが弁護人が説得しました。

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2010年11月29日、東京高等裁判所に控訴しましたが2011年6月16日付で池田容之が控訴を取り下げており、死刑が確定しています。

弁護人は控訴取り下げの無効を主張、東京高等裁判所審理継続申し立てを行っています。そのため2011年8月末の時点で判決は未確定となっていました。

しかし2012年7月以降、収監先である東京拘置所では「死刑確定者処遇」となっています。現在でも東京拘置所に収監中であると言われています。

共犯の近藤剛郎は国際手配へ、その後の行方は

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池田容之と犯行グループのメンバーが逮捕されても近藤剛郎は捕まりませんでした。2009年12月に国際手配されており、現在でも捜索が続いています。

近藤剛郎は2008年11月の密輸事件にも関与していたと見られています。マレーシアから覚せい剤を関西航から持ち込もうとして無職男性と元東洋大ボクシング部員が逮捕された事件でした。

現在はタイへ逃亡していると見られています。

井の頭公園バラバラ殺人事件

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バラバラ殺人事件の中では井の頭公園バラバラ殺人事件も有名な事件です。1994年4月23日に発覚した事件で未解決のまま公訴時効が成立しました。

東京都三鷹市の井の頭恩賜公園でポリ袋に入れられた人間の足首が廃棄されているのを清掃員が発見、警察官が公園を捜査したところ切断された人間の体がいくつもゴミ箱から見つかりました。

遺体は袋に入れられていたのですが漁師たちが使う特殊な方法で結ばれており、手足の指紋が削られている点などから素人の犯行ではないと考えられてきました。

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被害者は公園の近くに住んでいた建築士の男性ということが判明していますが死因は不明です。

この事件について、目撃証言などから怨恨説や後述の事故遭遇説、遺体の状態が複数人による組織的な犯行や異常性を匂わすことから宗教団体関与説など様々な説が錯綜していた。しかし、被害者の交友関係からは全く犯人像が浮かばず、また、犯人に結びつく物証や情報が乏しく、2009年4月23日、犯人の特定に至ることなく公訴時効成立を迎えた。犯人の動機など不明な部分が多い事件である。

(引用:Wikipedia)

なお、時効から6年経過したあと新しい証言が出てきました。露天商の元締めが外国人の露天商と揉めたことがあること、被害者とそっくりだったことを証言しています。

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外国人露天商だと思っていた相手は実は某国の工作員で、襲撃予定日が漏洩したため元締めは監視、命を狙われるようになったといいます。

そうして元締めが都内のホテルを転々とし逃亡していたところ事件が起きたのです。

被害者の知人にも見間違えられるほど被害者とそっくりだったといい、この事件は自分と被害者を間違えて殺害した外国人工作員による殺人事件なのではないかという証言でした。

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