梅川昭美の生い立ちや三菱銀行人質事件の動機!角田美代子は愛人か?

1979年1月に大阪市の三菱銀行北畠支店で人質事件が起こりました。まだTVの規制もゆるく、中継にみなが釘付けになっていました。最後に特殊部隊に射殺されるという衝撃の最後を遂げた人物がいました。それが、梅川昭美です。どうしてこのような事件がおこったのでしょうか。

大竹市強盗殺人及び三菱銀行人質事件を起こした梅川昭美とは?

映画にもなり、この事件と犯人を知らない人はいないと思います。一体どんな人だったのでしょうか。

大竹市強盗殺人及び三菱銀行人質事件を起こした梅川昭美とは?

日本のシリアルキラーの1人です。小さい頃から極貧のなか、苦労しながら成長しました。父親が怪我により離職、その後離婚し、父親に引き取られるも、家出し母親と生活します。

働き詰めの母親か放任したことから非行に走り、2度の猟奇的事件を起こした重大犯罪人です。

真面目な1面もあり、読書家で仕事もしっかりしていました。両親の愛情に飢えていたのか、すべて社会が悪いと責任転嫁していたのか、どんな心境で事件を起こしたのか、誰にもわかりませんね。

三菱銀行人質事件の概要

30歳になるから大きなことをする、という宣言後の1979年1月26日、三菱銀行北畠支店に猟銃をもって押し入りました。

500万用意しろ!と入るなり発砲し、客や銀行員30人以上を人質として立てこもりました。その後解決までに警察官2人、銀行員2人を射殺しました。

人質を全裸にし、肉の盾として自分の周りにたたせるなど、卑劣極まりない行いをし、2日たち、限界と感じた警察が特殊部隊を突入させ、梅川を射殺して人質を解放しました。

大竹市強盗殺人事件の概要

まだ少年、梅川昭美が15歳での最初の殺人事件です。非行に走り家出して一人暮らしを始めたものの、やはりお金がなく、自分が働いていた工務店に強盗に入りました。

そこの妻を残虐に殺害し金庫を盗んで逃げましたが、すぐに捕まり特別少年院に送られることとなりました。このときから梅川の危険な性質が現れてきたといえます。

悲惨?梅川昭美の生い立ち

梅川の生い立ちはどんなものだったのでしょうか。どうして凶悪事件を起こしてしまったのでしょうか。まずは生い立ちから紹介します。

8歳で両親が離婚し貧しい生活

広島県佐伯郡小方村に産まれました。両親共に高齢だったので、待望の息子だったのではないでしょうか。昭美が産まれる前に姉は亡くなり、親子3人家族でした。

元々貧しかったようですが、8歳のとき父親が脊髄の病気で歩行困難になり失職しました。その後、母親は家を出て離婚しました。

父親に引き取られ広島から香川県に引っ越すが冷遇

両親の離婚後、父親と一緒に郷里の香川県に引っ越しますが、長男なのに若くして家出し家を継がなかった為に戻っても一族に冷遇されました。

その待遇を憎悪し反発した昭美は、1年後家出し、母親を頼って広島県に逃げ帰りました。

グレて高校退学

そんな中、昭美の学生時代はどうだったのでしょうか。

中学時代

母親の元に戻りましたが、母親は朝から深夜まで働いていたため放任され、喫煙、暴力等非行に走ります。頻繁に補導されるようになり、外泊を繰り返していました。

高校退学

広島工業大学附属工業高等学校に入学する事が出来ましたが、不登校でした。非行は相変わらずで、オートバイを盗んだ事で逮捕され、4ヶ月で退学させられました。

両親が復縁し更生を図る

目に余る非行の状態に悩んだ両親は、昭美のためにと復縁して一緒に生活しようとしました。しかし、昭美は一人暮らしを始めます。

15歳で一人暮らしを始めたものの、すぐにお金に困り、最初の殺人事件を起こしてしまいました。

そういう事件を起こしている反面、昭美本人は読書家で、ニーチェやフロイドなど様々な本を読んでいました。さらに、少年院を出た後は真面目に働いてもいました。

母親は韓国人だった?

これはデマです。調べてみれば、日本人のシリアルキラーは在日系が多いという噂で、そういう話が流れたようです。実際は昭美の母親は日本人です。生死は分かりません。もし生きていれば90歳を超えています。

女性との交際について

すごくモテるという訳では無いですが、誰もいなくて困る、という事もなかったようです。結婚こそしませんでしたが、27歳まで7年間付き合った彼女がいたそうです。

非常に嫉妬深く、DVもあったようです。ヤキモチから彼女を全裸で放り出すという事も数回あったという話です。

最後は15歳の鳴海清の元カノのホステスと付き合っていました。15歳にして、重罪人と出会ってしまった彼女はどうしているのでしょうか。ご存命なら70歳ぐらいですね。

大竹市強盗殺人事件について

梅川昭美が起こした最初の殺人事件である大竹市強盗殺人事件について紹介します。

事件の概要

 

1963年12月16日、広島県大竹市で起こりました。大竹市栄町の土建業者の妻のA子さん(当時23歳)が殺害されました。6ヵ所を刺されていた上に無数に殴打され無残な姿で発見されました。

現金や株券さらには通帳が入った金庫が奪われていたため、強盗殺人事件として捜査が始まりました。

殺害の動機と供述

1週間後、もともとそこで土木作業員として働いていた当時15歳だった昭美が逮捕されました。16歳まであと2ヶ月あり、当時の少年法により少年として取調べが行われました。

殺害の動機は「(金を取るのに)邪魔だから殺した」「他の奴らはぬくぬくと暮らし、なんで俺だけが貧乏して苦しまないかん」と他人や社会のせいに転嫁するような供述をしました。

少年院行きとなる

少年法により、山口の特別少年院へ送致収容されました。大人なら無期懲役や死刑にもなりかねない重罪でしたが、少年のため、わずか1年半で退院しました。

審判の最後に「少年の病質的人格はすでに根深く形成されていて、容易に矯正しえないものである。少年が今後、社会に出れば同様の多種の非行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性がある。」と補足しました。

少年院は「このような資質の少年を放任することは危険であり規制する必要がある。この病的な人格は根深く形成されており、矯正は困難反社会的行動や犯罪に結びつきやすく、累犯の可能性が高い」と鑑定しました。

三菱銀行人質事件について

 

次は三菱銀行人質事件を紹介します。皆の記憶に残っている事件ですね。

事件の概要

三菱銀行人質事件は昭和史に残る凶悪事件です。簡単に紹介していきます。

1979年1月26日(1日目)始まり

銀行閉店時間の15時ごろ三菱銀行(現三菱UFJ銀行)北畠支店を梅川は襲撃しました。梅川は5000万円を要求し、散弾銃を2発威嚇射撃したことから始まりました。

通報しようとした20歳の銀行員にむけて発砲、流れ弾で行員2人を負傷させました。観念した銀行員が現金をつめ、梅川はそのまま逃走するはずでしたが、逃げ出した客が通報したため立てこもるようになりました。

かけつけた警部補に発砲、射殺しました。その後到着した警官にも発砲して射殺しました。これを受けて午後2時35分に大阪府警に銀行の異常事態が通知され、3分後には大阪府内の全署に緊急配備指令発令されました。

たてこもり

その2分後には武装警官約320名が銀行を包囲、付近500mの道路閉鎖したため、梅川は銀行のシャッターを下ろし客12人と行員31人合計43人を人質としました。その後親子連れと妊婦計4人が解放されました。

出入り口にバリケードを作らせ、全員を裸にし肉の盾として自分の周りに立たせました。そして最年長の行員に発砲し、とどめをさすように言われた行員が死んでいると説明、梅川は耳を切り取るように命令しました。

仕方なく行員は耳の上半分を切り取りました。警察はシャッター7箇所穴をあけ、ホットラインを引き、ATMを動かして店内を観察、スピーカーの配線を変え音声を聞けるようにして常に監視していました。

1月27日(2日目)

警察は三菱銀行の3階に作戦指揮室を作り指揮にあたりました。人質を少しずつ解放していきました。母親と父親の弟が説得するも投降しませんでしたが、その後人質にトイレの使用を認めるようになりました。

トイレにきた人質に警察は励ましたり、情報収集をしていました。自分の借金返済に向かわせた行員もいました。そして行員の申し入れから、負傷者も解放され、他に隠れていた5人も警察に救出されました。

限界が近いと考えた警察は一度突入し、遺体を回収しましたが、梅川は服を行員と交換して偽装をしていたため取り押さえることが出来ませんでした。

1月28日(3日目)

突入のタイミングを狙っていた警察は、中の行員に突入できそうなら合図するように指図し、突入できる体制をととのえていました。

午前8時41分、行員が新聞を読みながら居眠りをし猟銃から手が離れていた梅川を確認し警察に合図しました。

その直後、7名の機動隊員が人質に「伏せろ!」と叫ぶとともにバリケード代わりのキャビネットの隙間からカウンター内に突入、計8発を発射しそのうち3発が梅川の頭と首、胸に命中して床に崩れ落ちました。

最後は発砲され死亡

先に書いたように、最後には突入されて機動隊に射殺されました。即死だったという話もありました。

が、実際は大阪警察病院に運ばれて、脳波があったので弾丸摘出手術や輸血などの治療を行いましたが、頚部貫通した銃創により死亡しました。

動機は母親を楽にさせたかった?

実際のところは本人が亡くなっているのでわからないです。ただ事件を起こす前日に「俺もおふくろを心配させたらあかん歳や」という発言をしていたそうです。

立てこもり中も母親の手紙を見て、肉の盾にしていた女子行員に服を着るように言ったことから、母親への愛情があったことが伺えます。またそのときに「母親を楽させてやりたい」とももらしていたそうです。

知人への借金返済が本当の動機?

2日目に借金の返済に行員を出したことや、実際にかなりの借金があったことがわかっています。なので、借金返済が第一目的だったのではないかと推測されています。

梅川昭美と角田美代子の関係について

梅川昭美を調べていると、角田美代子と関係があったのではないか、と言う記事が多くあがっています。本当でしょうか。

角田美代子とは

2012年10月に発覚した尼崎の連続殺人死体遺棄事件こと通称「尼崎事件」の主犯です。尼崎事件とは1987年頃発生した女性失踪事件が発端で、少なくとも25年間に血縁関係もない人々と生活を送っていました。

仲間同士で暴力や殺人など恐怖の日々を送っていたようです、発覚せず、2011年11月に監禁されていた40代女性が脱出し警察に助けを求めたことからようやく発覚しました。

ほぼ全員が被害者であり加害者であり、角田美代子にマインドコントロールされていました。そのような状態だったので全容はわからず、美代子本人が留置場で自殺したことから、真相はわからないままです。

鳴海清の死後梅川昭美の愛人となった逸話

第3代目山口組組長の田岡です。この人物を射殺しようとしたのが鳴海清です。鳴海清の愛人だった女性がその後梅川昭美の愛人になったという逸話があります。この人物が角田美代子ではないかと言われているのです。

女子行員が角田美代子だった?

最後に解放された女子行員が梅川とかなり仲良かったという証言があります。ストックホルム症候群なだけかもしれませんが、この女性が愛人の角田美代子だったのではないかという噂があるのです。

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