シリル・アビディの現在はパン屋?復帰に向けトレーニング中?対戦動画も

2000年前後に活躍したシリル・アビディという人物をご存知ですか?シリル・アビディはキックボクサーとして活躍していましたが、現在は引退してパン屋をしていると噂されています。果たしてその噂は本当なのかどうか調べてみました。

シリル・アビディの現在はパン屋って本当?復帰の噂も?死亡説?

シリル・アビディには現在パン屋をしているという噂の他に、復帰の噂や死亡説があります。それらの噂や説は本当なのか、次から見ていきたいと思います。

「マルセイユの悪童」、「フランスのケンカ野郎」と呼ばれていたシリル・アビディ

シリル・アビディはマルセイユ出身の元キックボクサーです。

荒々しい喧嘩スタイルや幼い頃からよくストリートファイトをおこなっていたことから「マルセイユの悪童」「フランスのケンカ野郎」というニックネームで呼ばれていました。

1999年から2007年にかけて活躍していましたが、2007年の試合を最後に試合には出場しておらず、公式サイトの更新もとまっている状態です。

シリル・アビディは今はパン屋を売却していた?ジムとレストランを経営?

そんなシリル・アビディはKー1で活躍していた晩年にパン屋を営んでいたと言われていますが、実際にはパン屋ではなく「Abidi SARL」というベーカリーの会社を持っていました。

しかしシリル・アビディはベーカリー会社は10年前に売却しており、現在は「Le Gym Plan de campagne」というジムとレストランを経営しています。

2017年、シリル・アビディが現役復帰に向けてトレーニングしていると報道?

2017年、キック最大手のメディア「LiverKick」で、シリル・アビディが現役復帰に向けてトレーニングを再開していると報道されました。

シリル・アビディが最後に試合をおこなったのは31歳の時でした。それ以来10年以上、シリル・アビディが現役に復帰することはなかったため、このタイミングでの復帰報道には多くの人が驚かされました。

復帰の条件はジェロム・レ・バンナとの対戦?

「LiverKick」によると「アビディがジムでの練習に復帰し、条件が整えばリングに戻る」とシリル・アビディと親しい人物が語ったとのことです。

そんなシリル・アビディが「復帰の条件」として提示したのは、シリル・アビディの宿敵であり因縁の相手でもあるジェロム・レ・バンナとのリマッチでした。

シリル・アビディが失明や死亡したという噂は?

10年以上リングから遠ざかっていたことなどもあり、一時期はシリル・アビディが失明したという噂や死亡したという噂が流れました、どちらの噂もデマでした。

シリル・アビディとジェロム・レ・バンナの関係

シリル・アビディにとって、ジェロム・レ・バンナは因縁の相手と言われていますが、なぜそう言われるようになったのでしょうか。

シリル・アビディとジェロム・レ・バンナは相性が悪かった?

シリル・アビディとジェロム・レ・バンナは、それぞれフランスの立ち技格闘技を代表する選手です。

根っからの悪童であったシリル・アビディと番長呼ばれていたジェロム・レ・バンナは相性は悪いを通り越して「最悪」と言っても過言ではありません。

そんなふたりの因縁を決定づけることになったのが、2003年のK-1パリ大会で起こったあるできごとでした。

2003年のK-1パリ大会終了後のセレモニーでシリル・アビディが殴りかかる騒ぎに?

2003年6月におこなわれたK-1パリ大会の終了後のセレモニーで、シリル・アビディがジェロム・レ・バンナに殴りかかるという騒ぎが起こりました。

シリル・アビディはグローブをつけていない拳をジェロム・レ・バンナの顔面に繰り出し、さらにハイキックを打ちますが、ジェロム・レ・バンナはかろうじてこれらを避けたため、ケガなどはなかったようです。

アレクセイ・イグナショフとの試合でタオル投入によって敗れたシリル・アビディに、ジェロム・レ・バンナが厳しい言葉を投げかけたのが事の発端と言われています。

2005年にシリル・アビディとジェロム・レ・バンナが初対戦

そんな因縁を持つシリル・アビディとジェロム・レ・バンナは、2005年におこなわれた『K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS』で初めて拳をかわしました。

試合の結果は、5Rの終了間際にアビディのTKO負けとなりました。

この時のシリル・アビディとジェロム・レ・バンナの試合は、ふたりの間にある因縁から「怨恨試合」とも言われています。

シリル・アビディは負けを喫し、その後日本人選手に連敗して引退

ジェロム・レ・バンナに負けたシリル・アビディは、その後、日本人選手の堀啓・野田貢と戦います。

しかし連敗という結果に終わり、それを最後にシリル・アビディは現役から退くことになりました。

シリル・アビディの有名な対戦は?バイク事故直後に試合?

シリル・アビディとジェロム・レ・バンナの対戦は因縁なども含めて有名ですが、シリル・アビディの有名な対戦をここではいくつか紹介していきたいと思います。

対戦①:シリル・アビディ vs ボブ・サップ

2002年9月22日におこなわれた『K-1 ANDY SPIRITS 2002 〜JAPAN GP 決勝戦〜』で、シリル・アビディはボブ・サップと対戦しています。

ボブ・サップとの試合の中で、シリル・アビディは攻撃にひるんで背中を向けてダウンするといった精神的な弱さと気持ちの不安定さを見せてしまいました。

試合の結果は1ラウンドでKO負けとなりました。

対戦②:シリル・アビディ vs ボビー・オロゴン

2004年12月31日におこなわれた『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』で、シリル・アビディはボビー・オロゴンと対戦しています。

最初はボビー・オロゴンとマイク・ベルナルドが対戦する予定でしたが、マイク・ベルナルドの首の負傷により、シリル・アビディが代理として出場することになりました。

試合結果は「0-3」で、シリル・アビディの判定負けとなりました。

対戦③:シリル・アビディ vs ピーター・アーツ

2000年12月10日におこなわれた『 K-1 WORLD GP 2000』の決勝戦で、シリル・アビディはピーター・アーツと対戦しています。

試合結果は「0-3」で、シリル・アビディの判定負けとなりました。

対戦④:シリル・アビディ vs レイ・セフォー

2000年12月10日におこなわれた『K-1 WORLD GP 2000 決勝戦』で、シリル・アビディはレイ・セフォーと対戦しています。

試合結果は1ラウンドでKO負けとなりました。

対戦⑤:シリル・アビディ vs ドン・フライ

2001年12月31日におこなわれた『INOKI BOM-BA-YE 2001』で、シリル・アビディはドン・フライと対戦しています。

『INOKI BOM-BA-YE 2001』は総合格闘技イベントであり、この試合は「K-1vs猪木軍」というくくりでおこなわれました。

試合結果はドン・フライにチョークスリーパーを決められ、シリル・アビディの負けとなりました。

対戦⑥:シリル・アビディ vs ジェロム・レ・バンナ

2005年5月27日におこなわれた『K-1 WORLD GP 2005 IN PARIS』で、シリル・アビディはジェロム・レ・バンナと対戦しています。

この時、シリル・アビディは試合の1週間前にバイクによる転倒事故で首と左足を怪我しており、万全の体調ではありませんでした。

試合結果は5ラウンドまで戦った末にKO負けとなりました。

シリル・アビディのその他の話題は?

今でも人気のあるシリル・アビディは、格闘技以外のところでも話題になっています。

シリル・アビディとバダ・ハリが戦ったらどっちが強い?

バダ・ハリはオランダ出身のボクサーで「悪魔王子」という異名を持っています。

そんなバダ・ハリとシリル・アビディが戦ったらどちらが強いのかという話題で、掲示一部掲示板は盛り上がりを見せていました。

「なんとなくバダハリ」

「そうですか。確かにバダハリの方がテクニックはあると思います。
アビディはガードが甘いし。でもパワーでは負けてないかと。」

「いや、やっぱアビディかも。バダハリがバンナとやってアビディみたいにあそこまで戦えるとは考えにくい」

(引用:FC2ザ掲示板 K−1夢の悪童対決!シリルアビディVSバダハリ勝つのはどっちだ!?)

 

TAXi3にシリル・アビディが出演?

『TAXi3』はリュック・ベッソンが製作・脚本を担当したフランス映画です。スピード狂のタクシードライバーの主人公・ダニエルが、少し頼りない刑事のエミリアンと一緒に事件を解決していくストーリーです。

シリーズ3作品目となる『TAXi3』はサンタクロースの格好をしたサンタクロース強盗団を追うことになるのですが、この作品の中にシリル・アビディは犬を散歩させる警察官役として登場しています。

作品のロケ地がマルセイユだったことから、シリル・アビディの出演が実現したそうです。

K-1はどうしてできたのか?Kの意味とは?

K-1はどのようにできたのか、またK-1のKとはどういう意味なのか調べてみました。

K-1は日本発祥のキックボクシングイベント

「K-1」は1993年から開催されているヘビー級を中心としたキックボクシングイベント・格闘技ブランドです。

格闘技と言えば、少し前に亀田3兄弟がその奔放なパフォーマンスで話題になっていました。

K-1の「K」の意味

K-1の「K」は「空手」「キックボクシング」「カンフー」「拳法」などといった立ち技格闘技、格闘技そのものを意味している他に「KING」の頭文字を意味しています。

K-1の「1」はナンバーワンを意味しており、これは「立ち技格闘技の世界一の最強の格闘者を決める大会を行う」というK-1が設立されたコンセプトからきています。

この「K-1」という名称は、全日本新空手道連盟創師である神村榮一がつけたものといわれています。

1993年にK-1はじめてとなる大会がおこなわれた

1992年10月4日に『格闘技オリンピックIII〜’92カラテワールドカップ』で「”10万ドル争奪世界最強決定トーナメント”を来年開催する」ことが正式に発表されました。

この翌年の1993年4月30日に『K-1 GRAND PRIX ‘93 〜10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント〜』が開催され、8人の選手達による無差別級トーナメントが繰り広げられました。

この1993年におこなわれた大会が、記念すべきK-1第1回目となりました。

海外に進出したK-1

1995年にはアンディ・フグをメインイベンターに迎えて、アンディ・フグの母国であるスイス・チューリッヒのハレンスタジオンで、K-1初となる海外大会を開催しました。

それ以降、2000年まで毎年同じスタジアムで大会を開催し、1997年にはナゴヤドーム・大阪ドーム・東京ドームをめぐり、それぞれのドームで大会を開催しました。

中でも東京ドームで開催された『K-1 GRAND PRIX ’97』の決勝戦では、ドームが満員となる54,500人の観客を動員しました。

脱税事件による体制の変化

2002年12月にK-1の興行会社である株式会社ケイ・ワンが法人税法違反で摘発されたことをきっかけにK-1を仕切っていた石井和義が全ての役職を辞任することになりました。

2003年からは元格闘技雑誌編集者・谷川貞治の新会社がK-1の主催・運営することになり、谷川がイベントプロデューサーに、角田信朗が競技統括プロデューサーに就任しました。

谷川の就任以降はタレントを出場させるなど視聴率を意識してか、キャラクター性を強く押し出すようになったため、古いファンの一部からはこれまでの実力路線に戻してほしいと批判の声も上がりました。

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