旭川女子中学生集団暴行事件の概要!加害者と被害者の現在は?

旭川女子中学生集団暴行事件は、1996年12月に発覚した性的いじめ・暴行、強姦事件です。犯人10人に対し被害者は1人。そして加害者、被害者ともに中学生であると共に、卑劣な事件の詳細と教師の不適切な対応がメディアに取り沙汰されました。

旭川女子中学生集団暴行事件の概要

geralt / Pixabay

1996年12月、教師からの通報によって発覚した北海道旭川市の中学校で起こった集団暴行事件です。被害者は女子生徒1人。犯人は同中学校の男子生徒総勢10人と、近年例を見ない集団暴行事件です。

最初は少し「からかう」程度で、女子生徒も凄く嫌がるほどの事ではなかったのですが、その行為は徐々にエスカレートしていきます。

最終的に女子生徒を精神的に追い詰めるほどの悪質ないじめ、そして性的暴力にまで及んだこの事件は通報されるまで2年以上もの間続いており、被害者女子生徒の心と身体に酷く深い傷を残すものとなったのです。

1996年に北海道の市立中学校の女性を集団暴行

geralt / Pixabay

1996年12月24日、街中がクリスマスムード一色となるこの日。被害者の女子生徒が中学3年生の時に事件は起こりました。下校途中だった女子生徒は、3人の加害者男子生徒たちによって学校に連れ戻されます。

校内では主犯格の生徒を含め男子生徒7名が待ち構え、総勢10人の男子生徒たちに取り囲まれた女子生徒は「助けて」と叫び抵抗します。悲痛な叫びに手を差し伸べる者はいなく、校内の男子トイレに連れ込まれます。

トレイ内では殴るなどの暴行を受け、加害者生徒10人のうち3人は見張り役、6人の生徒は女子生徒の身体を触るなど弄び、1人の男子生徒は女子生徒を強姦しました。そして女子生徒に水をかけ水浸しにしたのです。

性的暴行や強姦を受け泣いているところを教師が通報

Counselling / Pixabay

被害者の女子生徒はトイレ内での集団暴行被害を受けた直後、廊下で泣き崩れました。それを親友が見つけ駆け寄りました。そしてこの出来事を教師に訴えたのです。

話を聞いた教師は、まず女子生徒を家まで送り届け、その後警察への通報しました。この通報をきっかけに、それまでの2年をも超える長い期間の集団暴行事件が実態が明るみとなったのです。

事件があった旭川市立北都中学校について

elizabethaferry / Pixabay

1947年5月「旭川市立第七中学校」として開校。2年後の1949年9月に「旭川市立北都中学校」と改称。2015年に中央中学校が新設され(常盤中学校、聖園中学校と併せ統廃合)これにより閉校となりました。

現在も校舎は存在していますが、校舎の1階部分の玄関や窓には板が打ちつけられ、侵入が出来ないようになっています。体育館やグラウンドは中央中学校の部活などで現在も使用されています。

当時の北都中学校は、生徒たちが「学校美術館」と呼ぶほど学校内には美術品が飾られており、何故かトイレ内にまで美術品が飾ってあるという少し異質な雰囲気を醸し出していたようです。

事件当時は荒れた時代だった?

Free-Photos / Pixabay

事件が発生した1996年当時、不良生徒たちの素行は酷く、この中学校では不良生徒たちが荒れ狂う動物園のような状態だったと言います。

この頃、加害者の不良生徒たちは中学3年生となり、自分たちが最上級生となったことでより一層狂暴化しました。校内を原付バイクで走ったり他の生徒にカツアゲをさせたり、時には教師を殴ることもあったようです。

旭川女子中学生集団暴行事件の時系列

sasint / Pixabay

この集団暴行事件は、女子生徒が中学校に入学した1994年、女子生徒が中学1年生の頃から実は始まっていました。当初は、その容姿からクラスのアイドル的な存在だった女子生徒をからかう程度の軽微なものでした。

しかし、加害者である男子生徒の1人が女子生徒に告白し振られたことで行為は次第にエスカレート。耐えられなくなった女子生徒は教師に報告しますが、教師は男子生徒を軽く注意する程度の対応しかしませんでした。

教師に注意された事で、女子生徒に怒りを覚えた男子生徒は暴走していきます。女子生徒を裸にして身体を触わり、口淫を強要し、最終的には日常的に性的暴行が繰り返されるほどの事態となってしまうのです。

事の発端は被害者となるクラスのアイドル的女子生徒に振られたから

geralt / Pixabay

中学1年生の2学期早々に、加害者である不良グループのリーダー格の男子生徒は被害者の女子生徒に告白しますが、女子生徒は告白を断りました。このことがリーダー格の男子生徒のプライドを傷つけたのでしょう。

女子生徒への好意は怒りに変わり、リーダー格だった男子生徒の「からかい」でしかなかった行為は日に日に悪質化し、「いじめ」や「性的暴行」へと変化していくのです。

1994年中学1年秋頃からスカートめくりが始まった

castleguard / Pixabay

当時、不良グループの間では、被害者の女子生徒以外にも可愛いと思う女子生徒に対してスカートめくりをしたり、お尻を触るなどの行為を日常的に行っていました。

しかしお尻を触るというのは「軽く触る」ということではなく、特別教室に連れていき1人の女子生徒を数名で押さえつけ身体を弄ぶのです。昼休みの間、不良生徒たちが満足するまで身体を触り続ける行為だったのです。

被害者の女子生徒がスカートめくりのターゲットになったのは中学1年生の秋頃です。告白の一件の後から始まったのでしょう。不良グループからのスカートめくりは日常的に行われるようになっていきました。

リーダー格の男子生徒だけがしていた行為

zhivko / Pixabay

被害者の女子生徒に告白する前から、女子生徒に想いを寄せていたリーダー格の男子生徒だけは、女子生徒のお尻を軽く触ったり胸を揉むなどの行為をしていました。

ただ、この頃はまだ被害者の女子生徒は男子生徒に胸を揉まれても、「ちょっとやめてよ」と笑いながら流す程度で、周囲にはふざけてじゃれあっているようにしか見えない対応だったようです。

女子生徒が本気で嫌がる素振りを見せなかったことも、加害者である男子生徒のその後の行為を助長させるきっかけとなってしまったのかもしれません。

両親に相談するが教師には言えずエスカレート

luxstorm / Pixabay

周囲にはじゃれあっているようにしか見えなかった行為も、被害者の女子生徒は本心では嫌だったのでしょう。実は早い段階で両親に相談をしています。両親からは「そんな人は無視しなさい」と言われます。

両親はきっと、中学生の男子が好きな子をからかう程度の「いたずら」でしかないと受け止めたのでしょう。悪質な事件に発展するなどとは想像もしなかったはずです。

両親からのアドバイスを受けた女子生徒は、教師には相談しませんでした。中学1年生という多感な年ごろの女子が、教師とはいえ他人に対して性的被害を話すことは、気恥ずかしさもあり躊躇したのでしょうか。

スカートめくり以上の性的いじめが始まる

3dman_eu / Pixabay

この頃にはスカートめくり以上の性的いじめが始まっていました。リーダー格の男子生徒が振られたことで、不良グループの仲間たちもリーダー格の生徒と一緒となり、性的いじめをエスカレートさせます。

不良グループの数名で被害者の女子生徒を囲んでスカートの中に手を入れ、パンツの上から女子生徒の股間を触ったり、女子生徒の机にアダルト本を入れておいたりと卑猥な行為に変わっていったのです。

中学1年秋に耐え切れず教師に報告

coyot / Pixabay

被害者の女子生徒は、中学1年の秋には卑猥な嫌がらせに受けており、それに耐え切れず遂に勇気を出して教師に報告をします。報告を受けた教師は加害者の男子生徒を呼び出しやんわりと注意をします。

卑猥な嫌がらせをしても叱責されず軽い注意しか受けなかったこと、そして教師に自分たちの愚行を報告した女子生徒に対する怒りは、不良生徒たちの行為を更にエスカレートさせるきっかけとなってしまいました。

中学1年冬に裸にされる

Myriams-Fotos / Pixabay

教師からの注意を受けた後、不良グループの生徒たちの性的いじめは加速し、猥褻行為も悪質化します。中学1年の冬になると休憩時間に限らず授業中でも平気で被害者の女子生徒を連れ出すようになります。

加害者生徒たちは複数名で女子生徒を取り囲み、両脇を捕まえて強引にトイレや特別教室に引きずって連れていき、服を脱がして裸にした後その身体を弄ぶのです。口淫を強要するようになったのもこの頃からでした。

執拗に身体を弄ぶ行為は日常化し、行為は性交直前までいきます。しかしあくまでも性交直前までで性交渉はなかったのです。この性的いじめや猥褻行為は、中学2年の夏までエスカレートしながら続きました。

性交渉しないために必死だった

Kurious / Pixabay

この頃、性交渉することがなく行為が性交直前で終わっていたのは、加害者生徒たちが寸前で止めていたというよりも、被害者の女子生徒が自分の身を守るため、殴られても必死に抵抗していました。

性交しない替わりに加害者生徒たちは女子生徒に敬語を使わせるようになり、更には口淫まで強要します。男子生徒たちは順番待ちの列を作り、入れ替わり口淫させるのです。

「性交渉だけは絶対にさせない」と、女子生徒は加害者たちのどんな要求にも応え、必死に耐え続ける日々を送るのでした。

中学2年夏に男子生徒の家に連れ込まれる

geralt / Pixabay

性的いじめ、暴力が繰り返されますが、被害者の女子生徒は誰にもそれを訴えませんでした。暴力や脅迫に怯えていたのでしょう。そしてそれが性交渉をしない為の最善策だと信じていたはずです。

しかし1995年、被害者の女子生徒が中学2年生の夏、男子生徒の家に連れていかれ逃げ場を失った女子生徒は、遂に強姦されてしまいます。これが女子生徒にとって初の性交渉でした。

この強姦をきっかけに、思春期真っただ中である加害者の男子生徒たちの性的興奮・欲求は抑えられないものとなり、女子生徒に対する性的暴力は更に酷いものとなっていくのです。

その後日常的に性的暴力が繰り返される

初めて強姦されて以降、被害者の女子生徒に対する性的暴力は日常化、更に暴力行為自体も悪質化はエスカレートしていきました。口淫の強要以外にも度々強姦されるようにもなってしまいます。

当初は女子生徒も必死に抵抗していましたが、その度に激しく暴力を振るわれます。夏休み前には肋骨辺りを骨折し入院していたそうです。そして酷く暴力に怯えるようになりました。

暴力から逃れるため

Jackie_Chance / Pixabay

女子生徒は「なんでも言うことを聞くから痛いことはしないで下さい」と加害者生徒に懇願します。過激な暴力から逃れるため、女子生徒は抵抗することを諦めるしかなかったのです。

被害者の女子生徒は、リーダー格の男子生徒を「ご主人様」と呼ぶように言われます。ご主人様の命令は『絶対』です。反抗的な素振りを見せると殴られ、タバコの火を身体に押しつけられました。

美味しいミルクやご主人様の命令

Myriams-Fotos / Pixabay

以前と変わらず口淫を強要、射精後は精液を口から吐き出すことは許されていないので飲み込みます。そして「美味しいミルクをありがとうございます」と卑猥なセリフを言わされるようになります。

ご主人様に命令されれば、それがどの場所だろうと裸になり、命令されればどこであろうと口淫もしました。クラスメイトがいる教室内だったとしても裸になり、口淫しなければならないのです。

脅迫され追い詰められる

Momonator / Pixabay

殴るなどの暴力と並行し、被害者の女子生徒は「脅迫」を受けていました。その脅迫は女子生徒自身に対するものもあれば、女子生徒の家族をターゲットした脅迫もあったようです。

女子生徒は「兄貴とセックスさせるぞ」と言われたり「母親も犯すぞ」と脅されます。「家を燃やすぞ」という脅迫は、彼らの悪質性から本気でやりかねないと最も恐れていた脅しでした。

女子生徒自身も性的暴力を強要される度に「〇〇しないと全員で輪姦するぞ」「やらないと殺すぞ」などと常々脅迫されており、恐怖に慄く女子生徒は指示に従うしかありませんでした。

1995年中学2年秋に男性教師が無視

geralt / Pixabay

1995年、女子生徒が中学2年の秋には、放課後の教室で猥褻な行為をされているのを通りかかった男性教師が目撃しています。女子生徒は男性教師に向かって「助けて」と叫びますが無視されてしまいます。

女子生徒の悲痛な叫びを背にし、この男性教師は何を思ったのでしょうか。学校の評判でしょうか。それとも自分自身の保身のでしょうか。

この後、女子生徒が助けを求めたことに加害者の男子生徒は怒り、トイレに場所を移し女子生徒の後頭部を殴るなどの暴力、背中にタバコの火を押しつける暴行を加え強姦し、個室に監禁し水をかけたのです。

エスカレートしていく男子生徒たち

isabellaquintana / Pixabay

口淫や強姦が日常的に行われ、被害者の女子生徒も抵抗することなく従順な奴隷のようになると、加害者の男子生徒たちは「性的欲求」を満たすだけでは満足せず、性的いじめを悪質化させます。

可愛い女子生徒の身体を散々弄び、それが当たり前の日常となってしまうと、今度はまるで自分たちの『玩具』と言わんばかりに女子生徒に対し凌辱の限りを尽くしていくようになるのです。

男子生徒たちの女子生徒に対する性的いじめ・暴力は校内外の至るところで行われるようになります。近隣でも知られるほど有名で、旭川市内の他の中学校でも噂になるほどでした。

尿をためたペットボトル

rawpixel / Pixabay

加害者の男子生徒たちは、被害者の女子生徒に対しペットボトルに排尿することを強要し、その尿をためたペットボトルを教室に持ち込ませます。

女子生徒のいる目の前で、同じクラスの男子生徒に匂いを嗅がせ、その反応を見て笑い転げ合うのです。

また、家庭科教室から漏斗を盗み、その漏斗を使って空きペットボトルに尿をためて女子生徒に飲ませることもありました。

ノーパン命令

GDJ / Pixabay

被害者の女子生徒が中学3年の1学期頃には、下着を着けずに登校するよう命令されます。そのころには加害者の男子生徒たちによって、陰毛を剃刀ですべて剃られていました。

毎日、リーダー格の男子生徒が登校すると「ノーパンチェック」があり、女子生徒は2階の男子トイレへと呼び出され、そこで下着を着けていないかチェックされるのです。

男子生徒が「ノーパンチェック」と呼称すると、女子生徒は自らの手でジャージをおろし下半身を露出し、下着を着けていないことを確認してもらいます。そして口淫するのが一連の日課でした。

剃毛やタンポンを使って遊ぶ

Engin_Akyurt / Pixabay

加害者の男子生徒たちは、剃毛した被害者生徒の陰毛までも遊び道具として使用していました。剃毛した陰毛を透明のカードケースにいれて保管し持ち歩いていたのです。

この陰毛を同級生の男子生徒に触らせ(「女子生徒の陰毛だぞ」とでも言っていたのでしょうか)、触った男子生徒が興奮し、勃起すると殴るという遊びを行っていました。

そして下着の着用禁止とともにタンポンの使用を強要していたので、被害者の女子生徒が使用したタンポンも没収し、剃毛と同様、他の男子生徒に見せたり臭いを嗅がせて遊んでいたのです。

最も恐れていた六角椅子でのいじめ

Tama66 / Pixabay

執拗に繰り返されるいじめの中で、被害者の女子生徒を恐怖に陥れていたのが「六角椅子」を使ったいじめです。このいじめは女子生徒が泣きわめくのが見て笑うことが目的でした。

この椅子は重く頑丈で中は空洞の造りです。女子生徒に正座をさせ頭を床につけさせます。座った状態で丸まるような姿勢です。そこに六角椅子を被せると女子生徒の身体は椅子の空洞にきつく入ります。

更にその椅子の上に男子生徒たちが座るのです。空洞に余っている隙間などありません。正座のまま背中を押しつぶされ、息も苦しくなり女子生徒は泣いて許しを請うことしか出来ませんでした。

校外でも口淫させられる

josemdelaa / Pixabay

被害者の女子生徒へのいじめや性的暴力は校外でも行われ、公園や橋の下に連れていき過激な暴行をくわえました。女子生徒は複数人の男子生徒たちに身体を弄ばれ、口淫を強要され精液を浴びせられるのです。

この行為を目撃したという人もいますが、アダルトビデオの撮影だと思ったそうです。同時に「それにしても若いな」と感じたそうですが、声を掛けることも通報することもありませんでした。

リーダーは「マインドコントロールの天才」と自画自賛

dankele / Pixabay

リーダー格の男子生徒は、被害者の女子生徒に自分をご主人様と呼ばせ、どんな猥褻な要求にも従うようになり「俺らはマインドコントロールの天才だ」と自画自賛していました。

当時は、1995年にオウム真理教が起こした地下鉄サリン事件の後でしたので、オウムの事件で有名になった「マインドコントロール」という言葉を使ったのでしょう。

確かに、不良グループの中でリーダ格で内気な男子生徒を手下にし、女子生徒を凌辱しても教師や周囲の大人に咎められる事もなければ、生徒もまだ少年なので有頂天になり自己陶酔してしまいそうです。

1996年4月に女性教師が無視

 

1996年4月頃には、被害者の女子生徒が加害者の男子生徒たちに特別活動教室に連れ込まれそうになりますが、その教室には女性教師が居ました。女子生徒は女性教師に「助けて」と叫びました。

ここで身を挺して助けてこそ教師です・・・が、女性教師は男子生徒たちに「帰れ」と怒鳴られます。女子生徒の助けを請う叫びは空を切り、女性教師は女子生徒を無視しその教室を立ち去るのです。

女性教師が立ち去ってしまった特別活動教室で、女子生徒はいつものように男子生徒たちから猥褻な行為を受けてしまうのです。

教師たちは皆黙認していた

3dman_eu / Pixabay

中学2年の秋に男性教師に助けを求めた時も、男性教師は手を差し伸べることなく立ち去っています。この頃女子生徒は授業中でも平気で連れ出されたり、体育の授業中に体操服を脱がされたりしています。

校内の至るところで裸になるよう命令され、口淫を強要されています。教師たちは女子生徒が不良グループに酷いことをされているとわかっていながら黙認していたのです。

必死になって助けを求めた女子生徒は、教師たちが自分に背を向けて立ち去る姿を見て、きっと絶望したに違いありません。

NEXT 後輩にも権威を示すため加担させる