青山吉伸弁護士(オウム真理教)の現在は?なぜ死刑執行を免れたのか

青山吉伸はオウム真理教の顧問弁護士だった人物であり、父親は大証二部、紳士服の最大手のトミヤアパレルの創業者である青山武次郎です。2002年に12年の実刑判決を受けていましたが、2014年に刑期を終え、現在は故郷の大阪に妻と暮らしています。

オウム真理教の青山吉伸の現在は?

オウム真理教の青山吉伸は、オウム真理教の顧問弁護士であり「法務大臣」といわれていた人物です。

青山吉伸が関係したオウム真理教事件には、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、宮崎県資産家拉致事件などがあります。しかし青山吉伸への判決は滝本太郎弁護士サリン襲撃事件による懲役12年でした。

判決は2002年で懲役12年の実刑判決ですが、2009年に仮出所しています。そして2014年に刑期満了となっていますから、現在は自由の身となっているようです。

現在60歳近い、大阪府柏原市で父親の残した遺産で生活

青山吉伸は現在、地元の大阪府柏原市に戻って普通に暮らしているようです。大阪の両親は既に亡くなっているということですが、父親が残した資産で細々と生活しているようです。

また、マンションの不動産の家賃収入もあるそうですから、かなり恵まれた生活を送っているのではないでしょうか。

同級生と結婚していると言われている

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学生時代の同級生とお見合いで結婚していて、子供もいるようです。1988年に生まれた娘がいるという情報もあります。

子供の年齢からすると、青山吉伸が結婚したのはオウム真理教に入信する前ではないかと思われますが、はっきりした結婚年齢は分かりません。

弁護士資格剥奪され活動は行っていない様子

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青山吉伸は、1995年6月13日に日本弁護士連合会から弁護士登録を抹消され、2002年1月31日に弁護士法第7条に基づき、弁護士資格を失効しています。

現在は弁護士の仕事はしていないようですが、実刑の前科がある場合は刑法第34の2によって、10年以上経過しないと言い渡しの効力はなくなりませんから、刑の執行終了後10年経過しないと欠格事由となります。

つまり青山吉伸は、2024年にならないと弁護士登録ができませんから、現在は当然弁護士ではないということになります。

収入は?

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青山吉伸は弁護士の資格をはく奪されていますし、2024年にならないと弁護士登録ができません。しかし彼が2024年以降に登録申請するのか、その申請が実際に通るのかも分かりません。

現在の青山吉伸は、別の仕事をしているかは分かりませんが、収入はなくても父親の遺産とマンション収入で生活できているようです。

2012年青山高原つつじクォーターマラソンに出場していた

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青山吉伸は、三重県伊賀市が主催する、2012年の青山高原つつじクォーターマラソンに出場しています。

2012年といえば、2014年の刑期満了前の仮出所中のはずですが、公の場に顔を出していることになります。参加人数は何名か分かりませんが、59分19秒のタイムで273位の成績だったようです。

ゼッケンには「青山吉伸 柏原市 No1040」と書かれていたそうです。柏原市ということは、やはり故郷に戻っていることで間違いないようです。

オウムとは現在連絡は取っていないと言われている

青山吉伸は現在、オウム真理教関連とは縁を切りたいそうで、元幹部らとは連絡はとっていないという情報があります。

青山吉伸の目撃情報!2018年買い物姿が目撃される

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現在は親から譲り受けたマンションで嫁と暮らしているようで、実際に近所の薬局などで、日用品を購入しているところを頻繁に目撃されています。

天才と言われた青山吉伸の生い立ち

青山吉伸の父親は大証二部、紳士服の最大手のトミヤアパレルの創業者である青山武次郎ですから、かなり裕福な家庭に育ったといえるでしょう。

在学中の21歳の時に、最年少で司法試験に合格していますから、かなりの秀才だったのでしょう。

青山吉伸のプロフィール

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青山吉伸は、大阪府柏原市の出身で、1960年3月9日生れの現在58歳です。大阪府立高津高等学校を卒業し、京都大学法学部を卒業しています。大学卒業後に司法修習を経て弁護士になっています。

1984年に大阪市の「なにわ共同法律事務所」に入所して、西淀川公害訴訟などを手掛けています。オウム真理教に入信したのは、1988年でホーリーネームはアパーヤージャハで、当時のステージは正悟師です。

1989年12月5日に正式に出家し、教団での役職は顧問弁護士であり、法務省大臣という肩書を持っていました。

トミヤアパレルの御曹司だった幼少期

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父親の会社は「トミヤアパレル」という大正時代から続いていた老舗です。創業当初は、子供服メインでしたがのちに、紳士用ドレスシャツの製造業会社として1991年に大証二部に上場し、東京に本社を移転します。

この会社は青山吉伸の叔父にあたる木田社長が後任となっています。しかし経営状況は悪化し、2009年に160億円の負債を抱えて倒産しています。

トミヤアパレルの倒産の手続きをした弁護士は、青山吉伸が就職していた「なにわ共同法律事務所」に属していた海川直樹弁護士で、以前から青山家とはつながりがあった人のようです。

経歴

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京都大学法学部に在学中に司法試験に合格し、1984年の24歳の時に「なにわ共同法律事務所」に就職しています。

1988年28歳の時にオウム真理教に入信するとともに「なにわ共同法律事務所」から独立し、「青山吉伸法律事務所」を開業し、翌年の1989年29歳の時に出家し、オウム真理教の顧問弁護士となります。

天才エリートがオウム真理教に入団したきっかけ

通勤途中の満員電車で腰を痛めたらしく、ヨガを始めたのがオウム真理教主催のヨガ教室でした。ここで青山吉伸は麻原彰晃(松本智津夫)の書籍を読むようになります。

青山吉伸は、このヨガ教室によって腰痛は治ったそうです。また、麻原彰晃(松本智津夫)の書籍を読んだことなどがきっかけで、1988年にオウム真理教に入信しています。

オウム真理教ではどのような立ち位置だったのか

青山吉伸は、教団が省庁制を採用した後は、その立ち位置は法務大臣であり、実質的な仕事はオウム真理教関係の顧問弁護士をしていました。

2014年に刑期満了

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青山吉伸は2002年に12年の実刑判決が下っていますから、2014年には刑期が満了となっています。現在は大阪府の実家に戻って妻と暮らしています。

洋服の青山との関連性

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「洋服の青山」と青山吉伸の父親が経営していた「トミヤアパレル」は関係しているのではといわれていますが、「洋服の青山」とは全く関係ないそうです。たまたま名字が同じ青山だっただけのようです。

青山吉伸が関与されたと思われる事件

青山吉伸が関係したオウム真理教による事件は多数あるようですが、それらの事件の内容について調べてみました。

滝本太郎弁護士サリン襲撃事件

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滝本太郎弁護士サリン襲撃事件は、1994年5月9日に起こったオウム真理教信者による殺人未遂事件です。青山吉伸はこの事件によって懲役12年の実刑判決を受けています。

この事件は麻原の愛人であるマハームドラー・ダーキニー(当時17歳)が、裁判所の駐車場に駐車していた滝本弁護士の車のフロントガラスとボンネットの間にサリン約30ccを流し込み、殺害しようとした事件です。

被害者である滝本太郎弁護士は、1989年11月に疾走した坂本弁護士に代わり、オウム真理教被害者対策弁護団の中心人物でした。彼が手がけた信者のほとんど全員が脱会しています。

宮城県資産家拉致事件

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宮城県資産家拉致事件は、1994年3月27日に宮崎県小林市で起きた事件で、オウム真理教が起こした組織的犯罪でした。

被害者である小林市の旅館経営者には、3人のオウム真理教信者がいて、その旅館経営者の資産に目を付けた教団が、財産収奪目当てに誘拐を計画していました。

オウム真理教信者の四女が、父親である旅館経営者に睡眠薬を飲ませ、オウム真理教付属医院に監禁しました。旅館経営者は約5ヶ月間監禁されていましたが、財産を布施する理由で8月21日に解放されています。

公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

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公証人役場事務長逮捕監禁致死事件は、1995年にオウム真理教が当時目黒公証人役場の事務長だった男性を拉致・監禁し殺害、死体損壊した事件です。

事務長の妹は1993年にオウム真理教に入信していましたが、その妹が所有する目黒公証役場の土地と建物など全財産を布施して出家させようとし、妹は事務長に匿われました。そのことで麻原は事務長を拉致しました。

1995年3月1日、事務長はチオペンタールナトリウムの過剰投与によって殺害され、遺体は中川智正らによって焼却炉で焼却され、骨や灰は木片で叩いて粉砕し、更に硝酸で溶かし本栖湖に流して死体を遺棄しました。

青山吉伸はなぜ死刑執行を免れたのか

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青山吉伸はオウム真理教が起こした事件に多数関与していたと見られていますが、確実な証拠がなく、12年の実刑が下りただけでした。

罪を問うことが出来たのは滝本太郎弁護士サリン襲撃事件のみだった

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青山吉伸は、麻原彰晃が滝本氏殺害を示唆するときに「魔法を使う」という言葉を使いました。青山は、この言葉をLSD(薬物)だと思っていたとして殺意を否認していました。

そして、同じ弁護士という立場を利用して、滝本氏を呼び出す役割りを担っています。この事件の殺人未遂によって青山吉伸は2002年に懲役12年の実刑判決が下りて、弁護士資格も失っています。

青山吉伸はこの事件のみ証拠があがり、その他の事件では微罪だったり、証拠不十分ということで、立件できなかったそうです。

専門知識があった故に死刑を免れたのか?

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青山吉伸は実質7年しか刑務所には服役していなかったのですが、それは青山吉伸が法律の専門家であったために、その抜け道を熟知していて、法律知識を巧みに使って罪を逃れていたといいます。

たとえば、宮崎県資産家拉致事件や公証人役場事務長逮捕監禁拉致死事件、坂本弁護士一家殺人事件など、青山吉伸が関与しているのは明らかなのですが、巧みに刑を逃れられてます。

青山吉伸は、宮崎県資産家拉致事件や公証人役場事務長逮捕監禁拉致死事件、坂本弁護士一家殺人事件など実行犯でないとして、刑は軽くなっていますが、下調べなどの情報収集をしていた可能性が十分にあります。

青山吉伸が出版した書籍

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青山吉伸には、国土法事件で逮捕された際に、宗教弾圧であるとした数々の書籍があります。

たとえば、「真理の弁護士」シリーズ(オウム出版)や、「理想社会」シリーズ(オウム出版)でそれぞれ多くの本を出版しています。

真理の弁護士シリーズ

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「真理の弁護士がんばるぞ!オウム真理教顧問弁護士の周期」「ファッショは始まっている」「なぜわたしは逮捕されなくてはならなかったのか」などが出版されています。

理想社会シリーズ

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「共産党から真理へ」、「つくられた冤罪 弾圧の真相」、「空想から科学へ、そして真理の世界へ 上下巻」といった書籍を出版しています。

地下鉄サリン事件の直後青山吉伸にギャルのファンクラブが?

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1995年の地下鉄サリン事件当時、連日のようにオウム真理教報道が、取り沙汰される中、一般女性によるオウム真理教幹部の追っかけギャルが生まれ、全国規模でのオウム・ファンクラブまで結成されていました。

一連のオウム報道が盛り上がることで、オウム真理教の幹部たちがメディアへの露出が多くなり、彼らに魅了される一般人が密かに増えていました。ファンクラブの会員は、ほぼ100%が女性で、20代が中心でした。

ファンの対象となったオウム真理教の幹部で、圧倒的な人気となった上祐史浩で、その次が大人しげな童顔で弁護士資格を持つ、青山吉伸だったそうです。彼らに次いで人気だったのが、村井秀夫や新実智光でした。

青山吉伸以外の教団幹部の現在は?

青山吉伸以外の当時のオウム真理教の教団幹部にはどんな人物がいたのか、また現在何をしているのかを調べてみました。

上祐史浩

上祐史浩は、1962年12月17日生れで現在56歳です。オウム真理教信者としてのホーリーネームはマイトレーヤでした。英語が堪能で巧みな詭弁を弄する事から「ああ言えば上祐」と言われていました。

上祐史浩は、福岡県久留米市の出身で銀行員の父と元教師の母の元で育ちます。その後、父親が転職し上京しましたが、父親の女性問題によって両親は別居し母子2人暮らしとなります。

早稲田大学在学中の1986年8月に「オウム神仙の会」に入会し、1992年12月には、「尊師」に次ぐ位階の「正大師」に昇進し、亀戸異臭事件にも参加し、一歩間違えば死刑もありえました。

上祐史浩がオウム真理教に入信するまで

上祐史浩は入信する前は、宇宙戦艦ヤマトや江川卓、超能力といったものが好きな少年だったそうです。成人前の上祐史浩はあまり目立たない人物だったようです。

大学時代から、超常現象チベット仏教やヨーガなどに強い興味をしめし、オカルト雑誌「トワイライトゾーン」に掲載されていた麻原彰晃の記事をきっかけに、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」に入会します。

上祐史浩の現在

2002年1月29日に「アーレフ」教団代表に就任していますが、2018年にオウム裁判が終結し、麻原死刑執行間近と噂された時、麻原の死刑執行については賛成していたそうです。

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