「最後の晩餐」のユダの謎とは?描かれた場所や他の人物謎もまとめ おもしろ

「最後の晩餐」のユダの謎とは?描かれた場所や他の人物謎もまとめ

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フィリポ(ピリポ)

フィリポ(ピリポ)は弟子達の中でも親しみやすい人物で、旅の中では食料を調達する係を任されていました。

川の岸辺にいたところをイエス・キリストに直接招かれて弟子になりましたが、的外れな言動が多く、イエス・キリストに呆れられていたとも言われています。

「最後の晩餐」では両手を胸にあてて、何やらイエス・キリストにうったえるような仕草をしている姿が描かれています。

マタイ

マタイは随順の早さ・気前の良さ・謙虚さを持ち合わせると共に「マタイの福音書」に与えられている「特別に高い地位」を合わせた「4つの徳」が備わっていた人物とされています。

「最後の晩餐」ではユダ・タダイ、シモンと共に顔を見合わせている姿が描かれています。

ユダ・タダイ

ユダ・タダイはイスカリオテのユダと同じ名前のため、ローマカトリックでは祈りをささげることがさけられていました。

そのためユダ・タダイは「忘れられた聖人」とも言われており、また新約聖書の「ユダの手紙」の著者ともされています。

「最後の晩餐」ではマタイ、シモンと共に顔を見合わせている姿が描かれています。

シモン

もともとシモンは反ローマ帝国の過激派組織でユダヤ民族主義グループの出身でした。

最初はイエス・キリストを政治利用しようと考えていたようですが、イエス・キリストの復活後に考え直し、温和な弟子になったと言われています。

「最後の晩餐」ではユダ・タダイ、シモンと共に顔を見合わせている姿が描かれています。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた絵画

レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」以外にもいくつかの絵画を残しています。そんなレオナルド・ダ・ヴィンチの作品の一部を紹介していきたいと思います。

レオナルド・ダヴィンチの絵画は「リアルさ」が特徴

レオナルド・ダ・ヴィンチは「医学」にも精通していたことから、より立体的で正確な筋肉を絵画の中で描いています。

また「幾何学」や「解剖学」にも詳しかったため、モチーフとなるものを必ず二等辺三角形に配置し、そうしてできた図形の中に解剖学的に正しく人物の肉体を描いていました。

ルネサンス的手法のひとつにとして「肉体表現」があげられていますが、レオナルド・ダ・ヴィンチは自身の作品の中で「肉体表現」をうまく打用いていました。

ブノアの聖母

「ブノアの聖母」はレオナルド・ダ・ヴィンチが、1478年に描いたとされている作品です。

この作品はアンドレア・デル・ヴェロッキオのところで修業を積んだレオナルド・・ダヴィンチが、画家として独り立ちして最初に描いたものだと言われています。

またこの作品に描かれている「花と聖母子」はレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画で有名な構成の作品のひとつで、ルネサンス期の若い画家達に幾度となく、この構成を模倣されていました。

荒野の聖ヒエロニムス

「荒野の聖ヒエロニムス」はレオナルド・ダ・ヴィンチが、1480年から1482年頃にかけて描いたとされている未完作品です。未完成の理由としては依頼者との金銭トラブル・スランプといった説があります。

この絵画は西方カトリック教会の4博士の一人である聖ヒエロニムスがシリアの砂漠で足に棘がささり動けなくなっているライオンを治癒したという伝説を描いたものと言われています。

当時のフィレンツェではライオンが飼育されていたことから、レオナルド・ダ・ヴィンチはこの作品を描くにあたり、実際のライオンをモデルにした可能性が高いと考えられています。

白貂を抱く貴婦人

「白貂を抱く貴婦人」はレオナルド・ダ・ヴィンチが、1489年から1490年頃にかけて描いたとされている作品です。

絵画の中で白貂を抱いている貴婦人はミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァの愛妾であるチェチーリア・ガッレラーニではないかと言われています。

白い貂は毛皮が貴族や王族の衣装に使われることから所有者が上流階級であること、白い毛皮が汚れるくらいなら死を選ぶという清浄を示す象徴と考えられています。

「最後の晩餐」には想像以上の謎が隠されていた

「最後の晩餐」には想像以上に多くの謎が隠されていました。

実際にレオナルド・ダ・ヴィンチがこの作品にどんな謎や想いをこめたのかはわかりませんが、そういったことを考えながら改めて絵画を楽しんでみると、なにか新しい発見があるかもしれません。

最後の晩餐を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチに関する記事についてはこちら

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