「最後の晩餐」のユダの謎とは?描かれた場所や他の人物謎もまとめ

「最後の晩餐」という絵画をご存知でしょうか。レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた世界的にも有名な絵画のひとつですが、実はこの作品にはさまざまな謎が込められていました。この記事では「最後の晩餐」に込められた謎について見ていきたいと思います。

「最後の晩餐」のユダの謎?ユダはどこに座っていたの?

「最後の晩餐」は誰もが一度は見聞きしたことのある有名な絵画のひとつです。

この「最後の晩餐」に関しては、今もさまざまな謎が残されています。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「最後の晩餐」はどういう場面?

「最後の晩餐」はキリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の晩餐を描いており「12人いる弟子の中のひとりが私を裏切る」とキリストが予言した場面です。

この後、ユダの裏切りによってイエス・キリストは十字架にかかり、処刑されます。

絵画の「最後の晩餐」というタイトルはこのことからきています。

裏切り者と予言されたイスカリオテのユダ

イエス・キリストを裏切ったとされるイスカリオテのユダとは、一体どういった人物だったのでしょうか。

イスカリオテのユダは12人いたイエス・キリストの弟子のひとりであり、長く旅を共にしていたこともあり、とても信頼され、金銭関係の管理を任されていました。

しかしイスカリオテのユダは銀貨30枚でイエス・キリストを売り渡し、イエス・キリストを裏切りました。このことからイスカリオテのユダは銀貨の入った袋が一緒に描かれることが多くあります。

「最後の晩餐」のユダの謎①:ユダの描かれた場所

「最後の晩餐」の場面は聖書に登場することもあり、多くの画家が絵画にしてきましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた「最後の晩餐」だけはユダの描かれた場所がちがっています。

他の画家達がユダを手前にし他の弟子達と向き合う形で描いているのに対し、レオナルド・ダ・ヴィンチは他の弟子達と同じ向きにし、イエス・キリストが信頼していた弟子のペトロとヨハネの間にユダを描いています。

これは最後の晩餐の時点では裏切り者がユダであることを他の弟子達はまだわからず騒然となったであろう場面を描いたとされています。

「最後の晩餐」のユダの謎②:裏切り者はユダだけなのか?表情が見えないのはなぜ?

近年の研究で「ユダの裏切りはイエス・キリストの指示によるものだった」という説が浮上しました。絵画の中ではユダの表情だけが見えませんが、これは「裏切り者であるから」と考えられていました。

しかしよく見るとユダの後ろにはペテロがいます。ペテロはイエス・キリストが連行される際に「こんな人は知らない」とイエス・キリストを裏切った、もうひとりと言われています。

レオナルド・ダ・ヴィンチはペテロの前にユダを描くことで「ユダの裏切りの背後にはペテロがいる」ということを暗に伝えたかったのではないかと考えられています。

「最後の晩餐」のユダの謎③:なぜイエス様はユダを弟子としていたのか?

ユダはイエス・キリストへの信仰心があまりなかったという記述があります。実際に福音書にユダに関する記述は他の弟子達と比べると少ないからイエス・キリストとは親密でなかったことがわかります。

ヨハネの福音書によれば、最後の晩餐でユダの裏切りを予言したイエス・キリストは「しようとしていることを、今すぐしなさい」とユダに言ったとされます。

教父文書には「イエスを裏切ったユダが実は誰よりも真理を授かっていて裏切りの神秘を達成した」とあり、イエス・キリストは裏切り者であるユダの重要性を理解していたと考えられています。

「最後の晩餐」のユダの謎④:ユダはなぜイエス様を裏切ったのか?

ユダが裏切った理由についてあげられる1番目の理由は「ユダがイエス・キリストを神と信じていなかったこと」です。他の弟子達とちがいユダはイエス・キリストを主と呼ぶことも忠実を誓うこともなかったようです。

2番目の理由は「親交がなかったこと」です。共観福音書では弟子の名前はイエス・キリストと親しいとされた順番に載せられていますが、ユダの名前は最後にのせられています。

3番目の理由は「ユダが欲深かったこと」です。ユダが弟子達の金銭を管理していたことはユダが金に興味を持っていたことのあらわれとされ、弟子になったのも何らかの利益を得るためだとも考えられています。

その他にも「最後の晩餐」には謎がいっぱい?

上にあげたもの以外にも「最後の晩餐」には多くの謎が残されています。ここではそんな謎の5つを順に見ていきたいと思います。

謎①:ペトロのナイフ

ペトロが後ろ手にしている手には、よく見るとナイフが握られ、その一方で左手はヨハネの肩に置かれ、まるでヨハネに何かを語りかけているようにで、対するヨハネもペトロに耳を傾けているように見えます。

レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたペトロを平行移動させてみると、ペトロがイエス・キリスト詰め寄る姿と重なり、またナイフの先はヨハネに向かっています。

ヨハネが中性的に描かれていること、ヨハネをイエス・キリストの右隣に平行移動させると寄り添った形になることから、ヨハネは「マグダラのマリア」ではないかともいわれています。

謎②:ヨハネはどういう人物だったのか

ヨハネはヤコブと共に漁師をしていましたが、その後、イエス・キリストと出会い最初の弟子となりました。

「ヨハネによる福音書」ではイエス・キリストが十字架にかけられた際にただひとりいた弟子として書かれています。

また「ヨハネ福音書」では、イエス・キリストの墓が空っぽであると聞いてペトロと共にかけつけ、真っ先にイエス・キリストの墓にたどりついた弟子とされており、伝統的に「使徒ヨハネ」のことだと信じられています。

謎③:晩餐のメニュー

「最後の晩餐」のメニューとは一体どんなものだったのでしょうか。

「共観福音書」によると最後の晩餐は15日で子羊の肉を食べる「過越の食事」となり、パン・ワイン・羊を置くのが通例となっています。

しかし「ヨハンによる福音書」では最後の晩餐は14日で「過越の食事」とは関係ないとされており、レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画では羊ではなく魚が置かれています。

謎④:コップの数

ぱっと絵画を見るかぎりではコップは12個しか描かれていないように見えるが、人数分にあたる13個描き込まれている。

その13個目のコップはペトロのナイフの直下にあるとされています。

また現在の教会が行なっている聖餐の儀式の起源となった聖杯(カリス)が描かれていないのは、聖餐の制定が共観福音書によるものであり、ヨハネ福音書には書かれておらず、必ずしも一般的ではないからです。

謎⑤:「最後の晩餐」に隠されたM

実はイエス・キリストは結婚しており、息子がひとりいたと言われています。その相手がレオナルド・ダ・ヴィンチがヨハネとして描いた女性・マグダラのマリアだったのではと言われています。

マグダラのマリアは娼婦だったこともあり、描かれる際には胸元のあいた服におろした長い髪が特徴とされていますが、この特徴はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた「モナ・リザ」と一致しています。

またとある資料はモナ・リザについて「黒いベールを着ている娼婦」と書いていることから「モナ・リザ」は実はマグダラのマリアだったのではないかと考えられています。

「最後の晩餐」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチとは

最近では、とあるアプリゲームにもキャラクターとして登場しているので、名前を知っている人も多いのではないでしょうか。

モナ・リザを描いたことでも有名なレオナルド・ダ・ヴィンチとは、一体どのような人物だったのかをここでは見ていきたいと思います。

レオナルド・ダ・ヴィンチはどんな人物だった?

レオナルド・ダ・ヴィンチは1452年にフィレンツェに生まれた、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家です。

芸術以外に音楽、生理学、建築など興味は多岐に渡り、それぞれの分野で功績を残すなど、その多才さから「人類史上最も多才な人物」と言われています。

完璧主義者だったため完成させた絵画は少なく、同時に弟子や動物に愛情を注ぐといった優しい一面も持ち合わせていました。またレオナルド・ダ・ヴィンチは「サヴァン症候群」だったのではないかと考えられています。

レオナルド・ダ・ヴィンチの功績とは?

レオナルド・ダ・ヴィンチが残した功績は数多くありますが、戦車の設計図や、ハングライダー・ヘリコプターの原型の設計図など現在にも深く関わっているものばかりです。

レオナルド・ダ・ヴィンチが残した功績は生きている間に公開されなかったため、直接学問にかかわることはありませんでしたが戦車の設計図やヘリコプターの原型など、どれも今の生活にかかわるものばかりです。

レオナルド・ダヴィンチが残した功績の中でも有名なのが、人間が手を広げた長さと自身の身長が同じであることなどがこまかに描かれている「ウィトルウィウス的人体図」です。

「最後の晩餐」に用いられた技法や技術とは?

「最後の晩餐」は描かれた当時としては革新的な技法や技術が用いられています。

そのひとつが「遠近法」です。レオナルド・ダ・ヴィンチは遠近法を用いることで奥行きを演出しており、小さく開けられた穴から紐を張り、天井などを描いたと考えられます。

そしてもうひとつが「明暗法」です。光が当たっている場所を明るく、光が当たっていない場所を暗く描く表現技法です。どちらも今では当たり前に用いられている技術ですが、当時はかなり珍しい技術・技法でした。

「最後の晩餐」はいつ頃描かれたの?

「最後の晩餐」が描かれた時期についてはさまざまな説がありますが、もっとも有力とされているのが1495年から1498年に描かれたという説です。

最後の晩餐がいつ描かれたのかというはっきりとした記録が残っておらず、そのため描かれた時期についてはっきりとしたことはわかっていません。

「最後の晩餐」が描かれた場所は?どこにあるの?

「最後の晩餐」はレオナルド・ダヴィンチのパトロンであったスフォルツァ家当主であるルドヴィーコ・スフォルツァの要望によって描かれたものでした。

ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれたこの絵画はレオナルド・ダ・ヴィンチの数少ない完成作と言われています。

現在も絵画は残っており「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」として世界遺産に登録されています。

「最後の晩餐」のユダのモデルは実際の犯罪者?

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれている弟子にはそれぞれモデルとなった人物が存在しています。

中でもユダのモデルは、ミラノにあった刑務所でモデルに最適な服役者を探し、その人物をモデルに描きました。

モデルとなった服役者の詳細はわかりませんが、刑務所に足を運んで、わざわざモデルを探したことから、この作品へのこだわりが見て取れます。

「最後の晩餐」の使い方は?どういう意味?

「最後の晩餐」と聞くと絵画のイメージから「人生最後に食べる食事」という意味を浮かべる人も少なくありませんが、実際の意味合いはちがうものです。

「最後の晩餐」は「過ぎ越しの祭り(パスオーバー)」という奴隷状態にあったイスラエル人の先祖が助け出されたことを感謝するための祭りを祝うためのものです。

そのため食べる物も酵母菌を使わずにつくったパンなどと決まっており、食べ物にはそれぞれ象徴的な意味が込められています。

「最後の晩餐」には終末予言コードが描かれていた?

「最後の晩餐」には終末を予言するコードが描かれているという説が「ダ・ヴィンチ・コード」を通じて話題になりましたが、もうひとつの暗号がこの絵画の中には隠されていると言われています。

ヴァチカンの研究者でもあるサブリナ・スフォルツァ・ガリツィア氏によると、絵の中には24時間が黄道12宮と24文字のラテンアルファベットであらわされていると言います。

彼女の解読によると「4006年3月21日に起こった大洪水が11月1日まで続き、人類は滅亡する」というレオナルド・ダ・ヴィンチの恐ろしい予言が隠されているということです。

イエス様の弟子達について

「最後の晩餐」にも描かれているイエス・キリストの弟子達は一体どのような人物だったのでしょうか。

上でふれたユダ・ヨハネ・ペトロをのぞく、他の弟子達について見ていきたいと思います。

バルトロマイ

バルトロマイは友人であるフィリポの紹介でイエス・キリストに出会い、その時にイエス・キリストから「あなたは真のイスラエル人」と言われたことに感激し弟子になります。

「最後の晩餐」ではイエス・キリストからは一番遠い、テーブルの左端に位置し、立ち上がってイエス・キリストの話を聞こうとしている姿が描かれています。

小ヤコブ

小ヤコブは信仰深い人物であり、多くの人がイエス・キリストと間違えてしまうほど、イエス・キリストと容貌が似ていました。

「最後の晩餐」では左手をヤコブに伸ばす姿が描かれています。

小ヤコブの「小」とは大ヤコブよりも入会した順番があとだったためにつけられたもので、優劣などは関係ありません。

アンデレ

アンデレは元々漁師をしており、弟・シモンと漁をしている最中にイエス・キリストと出会います。

その時に「わたしについてきなさい、人間をとる漁師にしよう」と言われたことをきっかけに網を捨てて、イエス・キリストについていったと言われています。

「最後の晩餐」では両手を胸のあたりまで上げて驚いたようなポーズで描かれています。

トマス

トマスは現実主義者で、イエス・キリストが復活した時も信じなかったため「疑心トマス」と言われていました。

しかしわき腹にある傷跡に手でふれ、トマスはようやくイエス・キリストが復活したことを信じました。

「最後の晩餐」では右手の指を一本立てている姿が描かれています。これは「裏切り者はひとりですか」とたずねていると考えられています。

大ヤコブ

大ヤコブは気性が荒く短気の野心家で、同じく気性の荒い弟・ヨハネと共に「雷の子ら」と言われていました。

ある村をおとずれた際に、村人に歓迎されていないのを見た大ヤコブは「彼らを焼き滅ぼしてしまいましょうか」と言って、イエス・キリストに戒められたという話が伝わっています。

「最後の晩餐」では両手を大きく広げて、なにやら大げさな身振りをしている姿が描かれています。

フィリポ(ピリポ)

フィリポ(ピリポ)は弟子達の中でも親しみやすい人物で、旅の中では食料を調達する係を任されていました。

川の岸辺にいたところをイエス・キリストに直接招かれて弟子になりましたが、的外れな言動が多く、イエス・キリストに呆れられていたとも言われています。

「最後の晩餐」では両手を胸にあてて、何やらイエス・キリストにうったえるような仕草をしている姿が描かれています。

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