豊田商事会長刺殺事件の真相は?黒幕の存在と犯人や関連人物のその後

1985年、永野一男というある企業の会長が銃剣を持った犯人に刺殺され、居合わせたマスコミによってその様子が生中継されました。口封じ説や黒幕説が浮上した「豊田商事会長刺殺事件件」の概要や関連人物のその後、事件の真相についてみていきましょう。

豊田商事会長刺殺事件とは

豊田商事会長刺殺事件とは、1985年6月18日に詐欺の加害者である永野一男会長が殺害された事件です。マスコミが生中継をしている最中に殺害されるという事態に、世間は大きな衝撃を受けました。

事件後も残党グループによる詐欺事件が発生したり、犯人の黒幕説が浮上したりして話題が止むことのなかったこの事件ですが、何故被害者は刺殺されるに至ったのでしょうか。

そんな刺殺事件の概要やきっかけとなった詐欺事件の全貌、さらに残党グループによる事件や黒幕説の真相についてご説明していきます。

被害総額は2000億円・被害者は3万人の戦後最大級の詐欺事件

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1985年、豊田商事が詐欺行為をしているとして国民生活センターなどへの通報が急増しました。被害者の中には自殺者まで出てしまい、国民生活センターには豊田商事専用の相談口が作られました。

同年4月に同系会社である鹿島商事の勧誘行為を行っていた社員が詐欺行為で逮捕されたことをきっかけに、詐欺事件に対する捜査が本格的に行われて豊田商事の悪行も明るみに出ました。

豊田商事の詐欺行為による被害者は約3万人、被害総額は2,000億円という大規模な詐欺事件であり、これは2019年現在でも「戦後最大級の詐欺事件」と言われています。

詐欺事件の実行犯・豊田商事会長が刺殺された

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大規模な詐欺事件が社会問題となっていた同年の6月18日、当時32歳だった豊田商事の永野一男会長は大阪府大阪市の自宅マンションにて自称右翼の男2人に刺殺されました。

永野一男会長を襲ったのは飯田篤郎(当時56歳)と矢野正計(当時30歳)の2人で、かつての部下が詐欺事件の被害を受けており「殺してきてくれ」と頼まれたことが動機でした。

銃剣で襲われた永野一男会長は全身を13か所刺されていて、すぐに病院に運ばれました。ですが腹部の刺し傷が致命傷となり、出血多量で17時15分に死亡しました。

豊田商事会長刺殺事件の概要

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では、豊田商事が引き起こした「戦後最大級の詐欺事件」とはどういった事件だったのか、さらにその詐欺はどんな手口で行われたのか、詳しくみていきましょう。

資産運用に注目が集まっていたバブル時代初期、1980年代に起きた事件

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1980年代はバブル時代に差し掛かっていた時代です。男女雇用機会均等法が成立した年でもあり、男女関係なく積極的に残業して稼げるだけ稼ぐという風潮がありました。

景気の良い時代だったため金(きん)に対する関心も高まっていて、職業や年齢に関係なく金(きん)を購入する人が増えるなど先物取引が横行していました。

先物取引とはいわゆるデリバティブの一つで、価格や数値が変動する各種有価証券・商品・指数等について、未来の売買についてある価格での取引を保証するものを言う。(引用:Wikipedia)

1985年の日本10大ニュース

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豊田商事の永野一男会長が刺殺されたこの事件は「1985年の日本10大ニュース」で2位となりました。ちなみに、豊田商事会長刺殺事件の2か月後に起きたある飛行機事故が1位となっています。

それは8月12日に発生した「日本航空123便墜落事故」です。歌手の坂本九も犠牲となったこの事故の詳しい内容は、以下の記事でご紹介しています。

豊田商事の手口「現物まがい商法(ペーパー商法)」と、社員の勧誘方法

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永野一男会長を中心に豊田商事が行っていた詐欺行為というのが「現物まがい商法」と呼ばれるもので、金塊などを販売して支払いをさせるものの現物は渡さないという手口でした。

豊田商事の社員たちは、金塊を自宅で保管するのは危険だとして「純金ファミリー契約証券」という預かり証を渡していました。多額のお金を払っても手元に残ったのは証書1枚だったということです。

特に一人暮らしの高齢者や専業主婦をターゲットとしていました。何度もターゲットの自宅を訪れて世間話を繰り返し、心を開かせてから金塊を売りつけるという姑息な手法だったといいます。

1985年6月18日、豊田商事会長・永野一男が報道中に刺殺される

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そんな悪質な詐欺行為も警察の捜査によって暴かれ、6月18日に永野一男会長が逮捕されるという情報が出回ったため、多くのマスコミが彼の自宅マンションの玄関前に集まっていました。

そして16時半を過ぎた頃、飯田と矢野が現れてガードマンに「永野を出せ」と要求したため、ガードマンは連絡を取ろうとその場を離れて階下に下りていってしまいました。

すると飯田と矢野は玄関の扉を椅子で叩き始めます。それでも扉が開かなかったため、横にある小窓のアルミサッシを蹴破り、窓ガラスを割って部屋に侵入しました。

カメラに収められた全容

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部屋から返り血を浴びた2人の男が出てくる場面、飯田が「警察呼べ、はよ」「俺が犯人や」と落ち着いた口調で喋る場面、マスコミが「110番!110番!」と慌てる様子の全てが撮影されていました。

この時代はまだ携帯電話が普及していなかったため、近くの住宅に駆け込んだマスコミ関係者によって通報がなされ、飯田篤郎と矢野正計は現行犯逮捕に至りました。

多額の資金を集めて豪遊していたとされる永野一男会長でしたが、殺害された当時の所持金はわずか711円だったといいます。

豊田商事の多くの社員が逮捕され、倒産

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6月には営業停止となった豊田商事ですが、裁判所による仮差し押さえが行われる直前に資産隠しをしたとして、財務部長代行や財務部係長、常務らが逮捕されました。

豊田商事グループの統括会社であった「銀河計画」という会社の専務や副社長も逮捕に至り、豊田商事グループは崩壊の一途を辿りました。そして同年7月1日には破産宣告を受けています。

豊田商事会長刺殺事件の関連人物

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では次に、豊田商事会長刺殺事件の実行犯や被害者である永野一男会長について、さらに豊田商事という会社について詳しくみていきましょう。

豊田商事会長刺殺事件の犯人

豊田商事会長刺殺事件の実行犯である飯田と矢野は、殺すつもりはなく警察に出頭させることが目的だったと語り、マスコミに煽られて殺害に至ってしまったと供述しました。

その場にいた人の証言によると、実際に「ドアを叩いて終わりか!」「小窓から中に入れるぞ!」などと犯人たちを煽っているとも感じられる声が聞こえていたといいます。

豊田商事の会長・永野一男

永野一男は1952年8月1日、岐阜県の貧しい農家の家に生まれました。父親とは死別し、母親は宗教にのめり込んで多額の借金を抱えていたため、15歳の頃に島根県の叔父に預けられています。

島根県の中学校を卒業してからは日本電装株式会社(現・デンソー)という自動車部品工場に就職しましたが、長続きせずに2年で退職しました。

その後は転職を繰り返す生活をしていて、顧客のお金を勝手に使っていたとして解雇されたこともあるといいます。さらに23歳の頃には競輪場でスリを行い逮捕されました。

豊田商事について

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永野一男は逮捕から5年後の1981年4月、「大阪豊田商事」という名前で株式会社を設立しました。その後、有名なトヨタ自動車株式会社と誤認させるために「豊田商事」と改名しています。

豊田商事株式会社は全国に60店舗も設立され、従業員は合わせて7,500人にも上るなど営業の幅を拡大させていきました。

そんな中で社員たちが大声で「オイショ!オイショ!」と連呼する異様な朝礼の風景や、契約に関して過大なノルマを課すなど度を超えた社員教育が話題となりました。

豊田商事の社員の給料は?

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豊田商事はイベントに有名な芸能人をゲストとして呼んだり、テレビCMを流すなど、会社のイメージアップを図ることで詐欺の実態を隠していました。

ゆえに売上も高く、成績の良い社員は月に数千万円、平社員でも月に1,000万円は稼いでいたといいます。

永野一男会長自身も自家用クルーザーや小型飛行機を所持していたり、ランボルギーニなどの高級外車を乗り回したりしていたとされています。

豊田商事会長刺殺事件の報道(当時の映像あり)

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永野一男の自宅前を張っていたマスコミによって撮影されたこの事件は、NHKや民放テレビにて無修正で報道されました。

返り血を浴びた犯人たちや、ストレッチャーで運ばれていく血まみれの永野一男が生々しく映し出され、アナウンサーが慌てて「子供には見せないでください!」と呼びかけたといいます。

さらにその場にいたマスコミに非難が殺到するという事態が起こりました。では、何故マスコミが非難されたのか、さらに当時の実際の映像について詳しくご説明していきます。

殺人現場を生中継するも、助けに入ったマスコミはいなかった

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先ほどもご説明したように、この日は永野一男会長が逮捕されるということで多くのマスコミがカメラを構えて集まっていました。その数は40人を超えていたといいます。

そんな中で永野一男会長が襲撃されて殺害されましたが、止めに入るマスコミは1人もいませんでした。それどころか、マスコミはカメラを回し続けて生中継を続けました。

これには「撮影してないで止めるべき」「目の前の殺人をネタにするな」など非難の声があがりました。ですが「銃剣を持った2人組が現れたら誰だって躊躇する」という擁護の声もあったといいます。

当時の報道映像はあるか?(閲覧注意)

飯田と矢野が部屋に侵入する場面、返り血を浴びた犯人たち、さらに血まみれの永野一男会長がストレッチャーで運ばれていく様子まで、全てが映像として残されています。

上記に掲載した動画は実際のものになります。被害者の様子までは映っていない動画ですが、血や凶器などがハッキリ映っていてかなりショッキングな内容ですので、閲覧には十分ご注意ください。

豊田商事会長刺殺事件の真相は?

2人の男が現行犯逮捕された豊田商事会長刺殺事件ですが、実は多くの謎が残っているとされていて、口封じ説や、実行犯の他に黒幕がいるという黒幕説などが囁かれています。

こちらではたびたび囁かれている口封じ説と黒幕説について、詳しくご説明していきます。

事件の真相?黒幕は別にいた?口封じ説

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豊田商事会長刺殺事件では、詐欺で集めた多額の資金の行方が分からなくなっていることや、実行犯の2人が借金をしていたことなどから、口封じ説や黒幕説が浮上しています。

今となっては真相を確かめることは出来ませんが、様々な憶測が飛び交うきっかけとなった資金の行方と実行犯の借金について詳しくみていきましょう。

被害者から集めた2000億円のゆくえ

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被害金額は2,000億円ですが、そのほとんどが既に流用されて残っていませんでした。債権回収で被害者の元に戻った金額は10%程度であり、残りの1,800億円は行方が分からなくなっています。

自家用クルーザーや小型飛行機などを所持していた永野一男会長ですが、1,800億円全てを使い切るほどの金額ではなく、事件後の調べでそれらの所有物は見つかりませんでした。

このことから永野一男会長以外にもお金を使っていた人物がいて、その人物が口封じのために永野一男会長1人に責任を押し付けて殺害させたのではないかとも言われています。

犯人には多額の借金があった

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さらに事件後の警察による捜査では、実行犯である飯田篤郎と矢野正計は多額の借金を抱えていたということが判明しています。

特に主犯格である飯田篤郎が経営する鉄工所は、あと少しのところで競売にかけられるという状況にまで追い詰められていたとされています。

ですが逮捕された直後には、犯人たちの口座に借金を返済できるだけの額が入金されていました。このことから、お金に目が眩んで殺人を引き受けたのではと言われています。

豊田商事会長刺殺事件の被害者とその後

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次に、豊田商事による詐欺事件の被害者となった高齢者についてや、債権回収に名乗りを上げた中坊公平という弁護士について詳しくみていきましょう。

狙われた孤独な高齢者の感情

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豊田商事の営業社員たちは、ターゲットである一人暮らしの高齢者に対していきなり金塊を売りつけるようなことはしませんでした。

まずは家を何度も訪れて世間話をしたり、家事を手伝ったりして良好な関係を築いていきました。さらには肩を揉んであげたり、仏壇があれば線香をあげていたといいます。

身寄りもなくたった一人で暮らしている高齢者の寂しさに漬け込む姑息な手法です。高齢者の中には、社員を孫のように可愛がっていた人もいたといいます。

弁護士・中坊公平が債権回収にあたるも被害者に戻ったのは被害額の1割強

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豊田商事の倒産にあたって債権回収を行ったのは、中坊公平でした。彼は1972年に起きた千日デパート火災事件や1975年に起きた森永ヒ素ミルク中毒事件で被害者弁護団長を務めた弁護士です。

中坊公平は「詐欺目的での雇用契約は無効であること」と、「給料から引かれて納税されたお金は還付金になるべき」だという2つの点に注目して債権回収を行いました。

約5年に渡って債権回収に尽力した中坊公平でしたが、最終的に被害者の元に戻ったのは被害額の10%程度という結果に終わりました。10%とは、200億円ほどです。

豊田商事会長刺殺事件の関連人物のその後と現在

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永野一男を刺殺した2人の犯人は現行犯逮捕されましたが、1986年3月12日に行われた裁判にて主犯格の飯田篤郎は懲役10年、矢野正計は懲役8年が言い渡されました。

では、そんな2人の犯人についてのその後と、債権回収に尽力した中坊公平のその後、さらに豊田商事の残党が起こしたと言われている事件について詳しくみていきましょう。

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