渋谷区短大生切断遺体事件の概要・動機は?兄が妹を殺害|両親の現在も

2007年に発生した渋谷区短大生切断遺体事件は、歯学部を目指し浪人していた武藤勇貴が、妹の短大生武藤亜澄を撲殺し遺体をバラバラにした事件です。今回は事件の概要から武藤勇貴の生い立ち、高校、歯科医だった両親との関係やその後や現在の様子についてもまとめていきます。

渋谷区短大生切断遺体事件の概要

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2007年12月30日に発生した「渋谷区短大生切断遺体事件」は当時浪人生だった21歳の次兄武藤勇貴が、当時短大に通っていた19歳の武藤亜澄さんを殺害し、遺体をバラバラにした事件です。

2007年に起きた兄が妹を殺害した事件

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渋谷区短大生切断遺体事件は、2007年の年末、12月30日の午後3時過ぎに発生したとされます。武藤亜澄さんと武藤勇貴の家は、両親ともに歯科医で、それぞれ歯科医院を経営していました。

その日、母と長兄は母の福島県の実家に帰省しており、父親も午後3時頃に外出し、家には武藤勇貴と武藤亜澄さんの二人だけが残されていた中で犯行が行われています。

父は外出先から23時頃に帰宅しますが、事件には気付かず翌日午後2時に武藤勇貴を予備校へと送ってから、遅れて帰省しています。事件発覚は両親の帰宅後、母親が異臭に気づき遺体を発見した事によってでした。

遺体をバラバラにしたことで世間に衝撃を与えた

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武藤勇貴は殺害した武藤亜澄の遺体をバラバラに切断しており、頭部を切断して頭髪を切り、乳房までもを切断し、遺体の一部は生ごみ処理機で処理するなど猟奇的な内容が週刊誌などで報じられ世間に衝撃を与えました。

渋谷区短大生切断遺体事件の時系列

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まずは、渋谷区短大生切断遺体事件を時系列で詳しく見ていきましょう。

2006年12月30日午後長女の言葉に逆上し殺害

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2006年12月30日の午後3時過ぎ頃、家に二人で残された武藤亜澄さんと武藤勇貴の兄妹は、数日前に武藤亜澄さんと母親が揉めた事で口論になります。その中でまず武藤勇貴が武藤亜澄さんの頭部を木刀で殴打。

亜澄さんは頭から出血し「寒い」と訴えながらも1時間以上兄妹は話し合ったと言います。その時に亜澄さんが言った「勇君は『勉強しないから成績が悪い』というけど、夢がないね」という言葉に勇貴は逆上します。

タオルで亜澄さんの首を絞めて殺害、その後「本当に死んだか不安になった」として浴槽に水を貯めて亜澄さんの頭を沈めるなどしています。

殺害後遺体とバラバラにし一部をディスポーザーへ

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武藤勇貴は、殺害した武藤亜澄さんの遺体から着衣を脱がせ、その後、文化包丁とノコギリなどを使用して遺体を切断します。頭部や脚、腕、下腹部、胸部などを、関節部分から十数個に切断したとされます。

バラバラにした遺体を何重にも重ねたポリ袋4袋分けて縛り、自室のクローゼットに3袋、キャビネットに1袋に分けて隠します。胸部と下腹部についてはディスポーザー(生ごみ処理機)で処分しています。

続けて、ノコギリと包丁は洗ってから元の場所に戻し、返り血を浴びた衣服を洗濯、殺害現場となった風呂場をきれいに掃除して証拠隠滅を図っています。

父親には「サメが死んでしまったので部屋を開けないで」

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武藤勇貴は、外出先から23時頃に帰宅した父親に対しては「観賞用のサメが死んだから、臭いがしてもあけないで」と言っています。その翌日午後2時頃、勇貴は父に送られて予備校の合宿へと行っています。

武藤勇貴はこの予備校合宿に、殺害した武藤亜澄さんが剥ぎ取った下着を持って行ったとされています。

1月3日母親が異臭に気付き事件発覚

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1月3日、両親と兄が福島県の母の実家から帰宅します。その日の午後9時頃母親が武藤勇貴の部屋から異臭がする事に気がつき、バラバラにされた武藤亜澄の遺体を発見、午後10時半頃父親が警察署に届け出ています。

その後、通報を受けた警視庁代々木署は、翌4日に武藤勇貴を死体損壊の容疑で逮捕、1月15日には殺人の容疑で再逮捕しています。

武藤勇貴の生い立ちと性格

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妹を撲殺して遺体をバラバラにするという猟奇的な犯罪を犯した武藤勇貴とはどの様な人物なのでしょうか?その生い立ちについて見ていきましょう。

歯科医一家として生まれる

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武藤祐太は代々歯科医の家庭に生まれた生い立ちを持っています。幼い頃から兄弟たちは両親から歯科医になる期待をかけられ、事件当時、兄は日大歯学部に通っていました。

武藤勇貴は小学校受験をしますが失敗、その後公立の小学校を卒業後、中高一貫校である日大豊山高校を卒業するなど、ここまでは順調と言える生い立ちを持っています。

高校卒業後歯学部を目指し三浪中だった

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しかし高校卒業後、武藤祐太は日大歯学部の受験に失敗し、事件当時3浪中でした。予備校でも歯学部コースに通っていたという事なので、継続して歯科医を目指していた様です。

両親が語る性格について

事件後、武藤勇貴の両親が世間に向けて手記を発表しています。それによると武藤勇貴の性格について「優しく、家族に対し暴力をふるったりするようなことは1度もありませんでした」と書いています。

これに対して被害者の武藤亜澄の性格に関しては「大変気が強く、絶対と言っていいくらい自分から非を認め謝るということのできない」などと書き、殺人犯である兄を庇うかの様な内容には疑問が呈されました。

覚せい剤の疑いについて

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武藤勇貴は事件当時、両親に期待をかけられ続けた生い立ちや、高校卒業後3浪してしまっている現状に精神を病んでいたのか精神科に通い抗うつ薬を服用していたと言われています。

この抗うつ薬が覚せい剤の類似物質であるとの指摘がある様で、これが事件に関係しているのではないかとの見方がある様です。

渋谷区短大生切断遺体事件の動機

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兄が妹を殺害しバラバラにするという、あまりにも常軌を逸した内容である渋谷区短大生切断遺体事件の動機についても気になります。

受験のプレッシャー説

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武藤勇貴の生い立ちでも見た様に、武藤家は代々歯科医の家柄で、特に母親の実家は祖父の代に歯科医を一度閉業しており、歯科医の家系を復興させたいとして母親からかなりの重圧をかけられていた様です。

にも関わらず、武藤勇貴は歯学部受験に何度も失敗し3浪中、翌年には4度目の受験が控えている状況であり、かなりのプレッシャー状態にあったと見られ、この事が凶行の原因になったとの見方があります。

武藤亜澄の発言説

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また、そうした極限のプレッシャー状態の中で、自由奔放に生きていたと言われる武藤亜澄からの発言「夢がないね」「歯科医になるのは人のまねだ」などの発言に逆上し、突発的に殺害したとの見方もあります。

「ごめんなさい」の一言があれば変わっていたかもしれない

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両親は、前述の手記の中で「なぜあのとき、亜澄が「ごめんなさい」と兄に謝ってくれなかったのか」としもし謝っていれば武藤勇貴は凶行に至らずに済んだのではないか?などと書いています。

これもまた、両親が加害者被害者双方の親である自分たちの責任を放棄し、被害者である武藤亜澄さんにその全ての責任を押し付けているかの様な印象を与え、批判を浴びています。

武藤勇貴の被害者武藤亜澄の関係

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続いて、加害者と被害者となってしまった兄妹、武藤勇貴と武藤亜澄さんの関係についても見ていきましょう。

武藤亜澄は女優を目指してた

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武藤亜澄さんは、小学校受験に成功し大学までエスカレーターでいける「白百合学園」に入学した生い立ちを持っています。しかし亜澄さんは高校入学を機に白百合学園から別の高校へ転校します。

この辺りから亜澄さんは両親の引いたレールから降り短大に通いながら、劇団や芸能事務所に所属するなど、「高峯駆(たかみねかける)」の芸名で女優を目指すなど、自分の思う人生を進み始めていました。

これに対して、ずっと親の敷いたレールを走ってきた生い立ちを持つ武藤勇貴は、自由に生きる妹が許せず、強い怒りを持っていたとの見方もあります。

武藤亜澄を反抗挑戦性障害と語る

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武藤勇貴は裁判の最終陳述で妹が「反抗挑戦性障害」であったと語っています。反抗挑戦性障害は権威的な人物に対して攻撃的、挑戦的になる障害で、周囲との馴染みにくいとされます。

両親の手記にも「亜澄の他を顧みない自由奔放な性格と言動は、家族から理解されていなかった」と書かれています。とはいえ、あたかもこうなったのは被害者にも責任があるかの様な言動には違和感を覚えます。

高校の時兄妹喧嘩で差別があったと漏らす武藤亜澄

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武藤亜澄さんはブログにて、両親から高校時代の兄妹喧嘩の時などに対応に差別があったと書いています。しかし両親は平等に扱っていたと言っています。

三年間口をきかないような冷たい関係ではなかった

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また、一部の報道では武藤勇貴と武藤亜澄は、勇貴の高校卒業以来3年間口も聞かない様な険悪な関係にあったとされていますが、両親は手記の中で「それは若干事実と違う」と書いています。

両親は、武藤亜澄さんが高校を卒業した際に、亜澄さんが入学した短大を勇貴がネットで検索して見つけた事などを例にあげてそれを否定しています。

二人は近親相姦的な要素があったのか?

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また、一部の週刊誌やネットニュースなどの報道では、武藤亜澄と武藤勇貴の間に性的な関係性が存在したのではないか?とも言われます。

根拠となっているのは武藤亜澄さんが過去に出演したDVD映画が禁断の愛をテーマにしたものだった事や勇貴が裁判にて亜澄さんが自分の事を「あずみんの勇君」と呼んでいた事を供述した事などが挙げられます。

渋谷区短大生切断遺体事件のその後

渋谷区短大生切断遺体事件のその後についても見ていきましょう。

武藤勇貴の奇行

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武藤勇貴は、亜澄さんの遺体をバラバラに切断したその後、陰毛を剃り、臀部の肉を剥ぎ取ってタッパーの中に保存、内臓を取り出して洗いプラスチックの箱に入れていたなどの情報もある様です。

裁判

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渋谷区短大生切断遺体事件の裁判は2008年5月27日の公判で、検察側が求刑した懲役17年に対して懲役7年の判決が下っていますが、東京地検が不服として控訴しています。

2009年4月28日の高裁で2審判決では、1審判決を破棄し懲役12年の判決が下っています。今度は弁護側が上告しますが、最高裁は2審判決支持し、懲役12年が確定しました。

報道が猟奇性について取り上げる

渋谷区短大生切断遺体事件では、兄が妹をバラバラにして、その遺体を弄んだ様な形跡さえ見られるその凄惨な内容から週刊誌やタブロイド紙を中心にその猟奇性がこぞって取り上げられました。

警察に不祥事

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また、この事件では警察が重要な証拠品を無くす不祥事を起こしています。2007年1月6日に凶器や衣服などの重要証拠4点を、捜査員がゴミと間違えて廃棄してしまったそうです。

最終陳述での優等生ぶり

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武藤勇貴はこの事件の裁判における最終陳述において、冷静な口調で妹への気持ちとその後の償いについて淡々と陳述。そのあまりに優等生的な内容は、事件の猟奇性との対比からとても不気味に映りました。

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