宇都宮病院事件の概要とその後!事件時の石川院長の病院経営の実態は

宇都宮病院事件をご存でしょうか?この事件は精神科病院であった報徳会宇都宮病院で石川院長のもとに起きた精神障がい者への差別的見解から起きた悲劇の事件です。現在の精神保健法制定への足かけとなった事件で看護師たちが犯人となった事件です。詳しく調べてまとめました。

宇都宮病院事件とは

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宇都宮病院事件は昭和58年に栃木県宇都宮市で起きた2名の死者を出した暴行殺人事件です。事件が起きた病院は報徳会宇都宮病院という精神科の病院で、事件の発覚後その精神病棟の閉鎖性などが波紋を呼びました。

新聞報道により病院スタッフによる患者への集団暴行や無資格者による医療行為、不必要な入院の強制などの不正行為が明らかになりました。

宇都宮病院事件の経緯

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宇都宮病院事件は現在の精神保険法の誕生のきっかけとなった事件です。事件のみならず、当時の病院の体制などが問題視されました。宇都宮病院事件の経緯についてまとめます。

1983年4月24日、当時32歳の入院患者が看護助手らから暴行を受け死亡

宇都宮病院事件で最初の死亡事件は1983年4月24日に起きました。当時32歳であった統合失調症で入院していた男性患者が看護助手に点滴台の鉄パイプで暴行を受け死亡してしまいました。

死亡した男性患者は食事の内容に不満を漏らし、それをきっかけに看護助手と口論になり、エスカレートしての暴行殺人でした。当病院の石川院長は家族にはてんかん発作による心臓衰弱だと説明しました。

1983年12月、当時35歳だった入院患者が看護職員たちから暴行を受け死亡

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1件目の死亡事件の後、わずか10か月後に2人目の犠牲者が出ました。当時アルコール中毒で入院していた35歳の患者が見まいに来ていた家族に病院の待遇について不満を漏らしたのでした。

その後家族が帰ってからその話を聞いていた古参の患者や看護職員にその男性は集団リンチを受けました。その結果、その患者は血を吐いて翌日までには死亡しました。この死を石川院長は病死として片づけました。

宇都宮病院に不法収容されていた患者が東大病院を訪れ告発し事件発覚

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1983年に宇都宮病院に入院していた患者が東京大学医学部付属病院精神科病棟を訪れました。そのときにその患者は宇都宮病院内の悲惨な内情を暴露し、告発する意思を東大病院に伝えました。

東大病院は精神病棟内に「宇都宮病院問題担当班」を設置

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東大病院側が行った対策について詳しく触れます。まず告発を受けた東大病院は「宇都宮病院問題担当班」を設置しました。その後「宇都宮病院問題担当班」は弁護士の戸塚氏や社会党政策審議会と協力体制を敷きました。

その後東京大学精神科医師連合が宇都宮病院問題究明のための調査チームを結成

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東大病院側は弁護士と社会党と協力体制を敷いた後、宇都宮病院問題を調査していた朝日新聞社宇都宮支社と情報交換をしていきます。その結果、告発した患者の証言が決め手となり、事件発覚へつながりました。

1984年3月14日付の「朝日新聞」で事件が報道される

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事件発覚後、朝日新聞は報道記事を掲載しています。1984年3月14日の朝日新聞ではこの一連の事件を『患者2人に「死のリンチ」』という見出しで大々的に発表しました。

事件発覚までの3年間で院内死は200人以上

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信じられないことに、事件発覚までにこの宇都宮病院では3年間で200人以上の死者を出していました。このことは、いかに宇都宮病院が石川院長のもと悲惨な体制を敷いていたかを示しています。

宇都宮病院内部の実態は

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宇都宮病院の悲惨な内情がある患者の東大病院への密告によって明らかになりました。石川院長のもとにとられていた体制の問題は法の問題にも絡み、現在の精神保健法への影響力を持っています。

無資格解剖が日常的、無資格の看護職員を積極的に雇用

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精神患者のなかでも特異な症状を持つ患者が入院すると宇都宮病院はその脳を欲しがりました。その患者が死亡したあとに看護師やケースワーカーといった無資格者に脳の解剖をやらせていました。

その数は年に10数体と言われています。収集した脳は東大の脳研の武村伸義助教授に提供されていました。武村伸義助教授は宇都宮病院の非常勤も務めており宇都宮病院側は脳の提供で「東大」という箔を得ていました。

1970年代からは作業療法と称して入院患者にも労働させる

宇都宮病院事件が朝日新聞で報道されたのは1984年ですが、それ以前の1970年代から患者に石川院長一族の企業で働かせていました。

石川院長は患者に対し作業療法だといい、仕事を与えていました。頭のいい患者にはレントゲン検査や脳波の測定までやらせていました。末端になると敷地内のゴルフグランドで玉ひろいをさせていました。

入院患者の外部との接触は制限されていた

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患者を作業療法として使役し始めて事件発覚までに10年ちかくの年月が経っています。10年もの間、患者が逃げ出すことなく統制を取れていたのには理由がありました。

その理由は、入院患者に外部との接触をほとんど不可能にしたことでした。宇都宮病院の閉鎖病棟では患者の金銭管理を行っており、内部に公衆電話はありましたが、電話で助けを求めることができませんでした。

患者を不必要に強制入院させていた

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当時の報徳会宇都宮病院は経営中心の思想を持っており、空きベッドがあることを嫌いました。石川委員長は宇都宮病院のベッド数920を上回る948人を入院させました。

地元宇都宮の患者だけでなく、地方からの患者も積極的に受け入れをしていました。中には入院の必要のない患者まで入院させ、医療保険料を国へたくさん申請していました。

不正経理の実態も

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宇都宮病院は患者をコントロールするために患者から現金を預かっていました。そのあずかっていた現金をどんぶり勘定していて、実際には3300万円不足していました。

また、生活保護患者の受け入れについて看護料を自治体に不正に請求しました。その結果1億円をだまし取り有印私文書偽造、同公使、詐欺の罪に問われました。

東大医学部との癒着

東大医学部の医師たちは報徳会宇都宮病院と共同研究を行っていました。宇都宮病院の患者を使い数多くの論文を発表していました。東大医学部は宇都宮病院から謝礼や研究費用を受け取っていました。

宇都宮病院側は東大医学部に謝礼や研究費用を渡す代わりに、非常勤医師の数を水増すことができました。さらに、東大医学部というブランドで病院の見かけの格上げを行うことができました。

東大の医師は病院の実態を黙認

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東大医学部は宇都宮病院との癒着で閉鎖病棟内で何が起こっているのかは把握していました。事実、症例検討会を録音したテープには宇都宮病での虐待について触れられている場面が確認されています。

しかし、東大医学部はその実態を黙認しています。この行為は入院患者の人権よりも研究の方が大切であるという東大医学部の方針が表われています。

宇都宮病院が事件を起こすまで

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はじめから犯罪を起こして殺人事件にまで発展させようと考えて開業する医師はいません。しかし、なぜ宇都宮病院ではこのような悲惨な事件が起きてしまってのでしょうか?

宇都宮病院の前進は1952年に開院した石川医院

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事件が起きた宇都宮病院は精神科の閉鎖病棟でありましたが、その病棟作る前に石川院長は石川医院という病院を開業しています。石川院長自身は内科医でり、精神科についての知識は当時はありませんでした。

1961年、石川院長は東大医学部の武村氏の指導を受け精神科の宇都宮病院経営へ

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石川医院を拡大したい目的を持っていた石川院長は1961年に東大医学部の武村信義指導を受けました。武村は当時、東大医学部脳研究施設神経生物部門に所属しており、臨床医としてのポジションはありませんでした。

石川院長は武村のもとで精神科医療の研修生として学び、宇都宮病院の精神科を設立しました。

1965年、精神衛生鑑定医の資格を取得し、宇都宮病院内に解剖室を新設

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石川医院長は武村へ師事して4年後の1965年になると、精神衛生鑑定医の資格を取得しました。精神衛生鑑定医の資格を取得したことで宇都宮病院に解剖室を新設することができるようになりました。

問題の多い患者を積極的に受け入れ、病院を拡張

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精神衛生鑑定医の資格を取得して病院の拡大の見込みが立った石川医院長は病床数を拡大させていきました。さらに、解剖学を進めるため精神科にかかる人の中でも問題の多い患者を積極的に受け入れていきました。

その結果、病院はどんどん拡大していきました。1967年には病床数は375床になり、問題を抱える患者の受け入れ先として全国でも有数になっていきました。

宇都宮病院事件が起こった時代背景

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宇都宮病院事件は時代背景が起こした悲劇であるともとらえられます。当時の精神衛生法が現行の精神保健法に改正されるきっかけとなる事件でもありました。

隔離収容主義を引き継いだ「精神衛生法」により精神科病床が急増

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宇都宮病院事件が起きた当時の精神患者を管理する法律は「精神衛生法」という法律でした。この法律は明治時代に制定された「精神病院法」を引き継いだ内容でした。

そしてその実態は精神病患者を隔離することを目的としている隔離主義的な法律でした。精神病の治療は一般的な診療とは異なり、精神障がい者を収容することで国から援助をもらえました。

精神科診療は特別待遇を受けており、経営に有利だった

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前述したように精神科診療によって精神障がい者を収容することで国から財政補助を受けていました。そのために私立の精神科病院が多くつくられるようになったのです。

また厚生労働省による特別措置で一般診療の病院と比べて医師の人数は約3分の1、看護師数は約3分の2在籍していればいいようになっていました。つまり精神科診療は一般診療に比べて人件費を大幅に減らせたのです。

精神科医の不足に伴い、多くの内科医や産婦人科医が転身

病棟内の精神科設立による経営的な利点は当時の経営者陣には魅力的で、精神科が乱立するようになりました。その結果不足したのが精神科医であり、多くの内科医や産婦人科医が精神科医へ転身しました。

病院の利益を追求することで精神科に診療を転身させる病院は多かったです。医師はもともと精神科ではないため、レベルの低い病院が乱立されることになったのです。

宇都宮病院の石川院長も元は内科医だった

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その流れも当時の宇都宮病院は持っていました。石川院長もはじめは内科医として開業をしていましたが、精神科医に転身しました。

その方法は東大医学部精神科の研究生となることでした。そこから東大との癒着が生まれてきました。

宇都宮病院事件のその後

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宇都宮病院が朝日新聞によって掲載された後、世間では精神科医療について大きな反響がありました。それは国際問題にも発展されるものでした。宇都宮病院事件発覚のその後を追います。

1984年3月14日、宇都宮病院は家宅捜査へ

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事件発覚の1984年3月14日に栃木県警は宇都宮病院に家宅捜査に入りました。看護職員による患者への暴力、不正入院、無資格診療行為を問うためでした。

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