沙織事件とは?18禁誕生のきっかけ!関連人物や裁判・その後について

現代に当たり前にある『18禁』制度ですが、よく考えるとこの制度はいつ何をきっかけにできたのかご存知ですか?それは、ある男子中学生が起こした万引きが起因となてしまった沙織事件が原因でした。世間を騒がせた沙織事件と、関連人物についてまとめます。

沙織事件の概要

18禁制度ができたきっかけである沙織事件とはどういったものだったのか、その概要をまとめていきます。中学生のある行動で思わぬ事態まで発展してしまった、18禁制度起用への大まかな流れを見ていきましょう。

1991年に中学生がコンピュータゲームを万引きして発生した事件

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事の発端はある男子中学生が万引きをした事でした。1991年京都府にて、男子中学生が盗んだものは「沙織-美少女達の館-」というパソコンで操作し遊ぶ、いわゆるアダルトゲームだったのです。

万引きで終わるはずの事件がアダルトゲーム開発を摘発する事件へ

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“学生が万引きを起こしてしまっただけの事件”で通常なら終わるはずのところ、万引きした品がアダルトゲームだった事で事件は思いもよらぬ方向に発展していくのです。

それはアダルトゲームを開発している会社を摘発するといったものでした。兼ねてからあった、ある人物の発言や様々な出来事が会社摘発まで引き起こす形となっていったのですが、詳しい部分は後ほどご紹介します。

コンピュータゲームの当時の概念

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現在自分のパソコンを持っている人は、当たり前のようにたくさんいます。しかし1980〜1990年代にかけてはパソコンを所持する人も少なく、パソコンや所持する人に対する見られ方はひどいものでした。

当時はまず、パソコンを所持しているだけでオタクだと言われ、オタクという言葉自体”蔑み”を意味が含まれていました。そのため、コンピュータゲームの存在を知らない人も多かったのです。

沙織事件の時系列

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ここからは沙織事件の始まりから終焉まで時系列に沿ってまとめていきます。どのようにして『18禁制度』が生まれたのか、全貌をお見せいたします。

1991年京都府の男子中学生が「沙織-美少女達の館-」を万引き

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1991年京都府にて、ある男子中学生が「沙織-美少女達の館-」を万引きしました。思春期真っ只中だからこそ興味があったのでしょう。盗んだゲームはアダルトゲーム、現在の言い方でいうと”エロゲー”でした。

しかる処分で終わるはずが批判はコンピュータゲームへ

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窃盗罪としての罪を問われるだけで終わるはずだった男子中学生の万引き事件は、盗んだものがアダルトゲームだったことから思わぬ方向へ展開していきました。

“盗んだ人が悪い”という考え方が一般的であるのにも関わらず、”中学生という未成年の男子が万引きしたくなるほどのゲームを開発した会社が悪い”という考えが世間で取り沙汰されたのです。

このことから「沙織-美少女達の館-」を製作販売した会社やその親会社、家電販売店にまで強制捜査の手が及びました。

同年11月25日、警察(京都府警察少年課)は『沙織』の発売元である「X指定」及び「フェアリーテール (FAIRYTALE)」ブランドを有するキララ及び、親会社のジャスト (JAST) 、そして家電販売店など4箇所の家宅捜索に着手した。

(引用:ウィキペディア)

猥褻図画販売目的所持で逮捕される

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強制捜査の結果、実際に企画制作した会社キララの親会社ジャスト(JUST)の社長と販売責任者であるキララの配送室長が、猥褻図画販売目的所持の罪で逮捕されてしまったのです。

このように1人の男子中学生が起こした万引きが大きな事件に発展し、ゲームタイトルから名前をとり『沙織事件』と言われるようになりました。

さらにこのことから、アダルトゲームのような未成年に有害な結果をもたらしてしまう物への対処が、本格的に考えられるようになっていきます。

逮捕には「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」が関係

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中学生の万引きが沙織事件へと発展したのは、別のある事件が背景にあったことが関係しています。それは、1988年〜1989年の間に起きた『東京・埼玉連続幼女誘拐殺害事件』です。

この事件は約1年の間に4人もの幼女が、誘拐され殺害されるといったものでした。被害者となった幼女は4歳から7歳の子で、連れてこられた山林の中で全裸にされ写真やビデオを取られ殺害されたというものでした。

犯人の宮崎勤は、幼女に対し殺害前に性的暴行を行うだけでなく、殺害後死後硬直した幼女にまで性的暴行を行い、その後幼女を野焼き、遺族へ送りつけるなど極めて残酷異常な行動をとっていました。

宮﨑勤の逮捕

犯人の宮﨑勤は1989年7月23日、猥褻事件の現行犯で逮捕されました。東京都八王子市で幼い姉妹を狙い、妹の全裸写真を撮影している間に知らせに来た姉によって、姉妹の父親に取り押さえられたのです。

連続幼女誘拐殺害事件の犯人だと発覚したのは、取り調べの最中でした。取り調べの中で反抗をほのめかすような供述をした、宮﨑勤の言葉通りに遺体が発見されたことから逮捕に至ったのです。

1997年4月14日、東京地方裁判所で死刑判決。判決時の被告は時折周囲をしらけた表情で眺めるくらいで、いつものように机上に広げたノートに何かを書き続けていた。法廷を出る際は、薄笑いを浮かべていた。

(引用:Wikipedia)

犯人の宮﨑勤は裁判で死刑判決を聞くことになりました。第一審裁判にて、責任能力ありと判断されこの判決ヘチ至りましたが、即日控訴しています。

その後2001年6月28日に行われた控訴審裁判では、一審を支持し控訴棄却の判決が出ていますが、翌月7月10日に上告しています。

そして2004年に上告審裁判が行われましたが、ここでも上告棄却とされ死刑判決は確定となったのです。

宮崎勤のコンテナから有害コミックが大量に見つかる

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では、なぜアダルトゲームへのバッシングへと繋がったのかについてですが、犯人の宮﨑勤が生活をしていたコンテナから大量の有害コミック(18禁コミック)が見つかったことが原因となりました。

報道の際有害コミックの大量所有とともに、犯人の宮﨑勤は『オタク』『ロリコン』『ホラーマニア』として報道されることが多く、それは「オタク=危険予備軍と」いった解釈へと繋がっていきます。

さらに「オタク=パソコン所有者」という考えから『アダルトゲーム=悪影響』と考える人も多く、事件の熱が冷めやらぬうちに起こったアダルトゲームの万引きが、沙織事件へと発展していくのです。

2008年刑執行

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裁判にて死刑判決を受けた宮﨑勤元死刑囚は、2008年6月17日東京拘置所にて死刑執行がなされました。宮﨑勤元死刑囚は死刑当日、執行を冷静に受け止める様子を見せていたと言います。

沙織事件で問題となったアダルトゲーム作品

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猥褻図画販売目的所持の対象となったアダルトゲームは『沙織-美少女達の館-』だけではなく、他に『ドラゴンシティX指定』『天使達の午後3 番外編・反省版』『天使達の午後4~ゆうこ~』などがあります。

当時のアダルトゲームはモザイク加工がしていなかったり、キーボードある2つのボタンを同時に押すことでモザイク処理を消すことができたりと、性的な表現への線引きが極めて曖昧でした。

沙織-美少女達の館-

沙織事件の原因となった『沙織-美少女達の館-』は、キララという会社が所有する「フェアリーテール」ブランドから発売されていたアダルトゲームです。

白い仮面をつけた男2人組によって、拉致監禁されたヒロイン沙織が性の幻覚を見るといったもので、マニアックで過激なシーンが多いことで知られています。

ドラゴンシテイX指定

沙織事件をきっかけに対処を余儀なくされたゲーム2つ目は『ドラゴンシティX指定』です。こちらもキララのフェアリーテールブランドのひとつとして発売されていました。

このゲームは明確な年齢制限を敷いていないにも関わらず、男女の性器をモザイク処理せずに販売していました。

モザイク処理がされていなかったのは、当時は今より画素がかなり粗かったことも関係していたと言われています。しかし事件後には、制作会社によってこのゲームは封印されました。

天使たちの午後3 番外編・反省版

沙織事件をきっかけに対処を余儀なくされたゲーム3つ目は『天使たちの午後3 番外編・反省版』です。こちらは、JUSTから発売されたシリーズ物で、アドベンチャー形式アダルトゲームの元祖と言われています。

そしてこの『3 番外編・反省版』は1990年に発売され、1991年の家宅捜索を受けた際に回収されています。内容は登校中に遭遇したお嬢様を口説き落とすといったものです。

天使たちの午後4~ゆう子~

沙織事件をきっかけに対処を余儀なくされたゲーム4つ目は『天使たちの午後4〜ゆう子〜』です。こちらは先ほど紹介した『3 番外編・反省版』と同じく家宅捜索で回収されています。

主人公が、親戚の依頼で学園に教師として潜入し、事件を解決していく内容である。

(引用:Wikipedia)

沙織事件のその後

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沙織事件で年齢規制・販売規制に関して注目が集まるようになり、今まで適正年齢表示があってもはっきりとした規制がなかったことに喝を入れられました。

この事件をきっかけに各所が様々な対応をするようになったのですが、一体どのような対応がなされたのでしょうか?18禁が生まれた経緯等をみていきます。

1992年18禁シールが製作・販売

沙織事件後の1992年4月1日、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会が性的描写のあることを伝える、18禁シールを政策・販売するようになりました。

そもそも年齢規制を設けることを決めたのは、コンピュータソフトウェア倫理機構という組織で、レイティング(数値化)を行い審査、これを通過していないソフトウェアは問屋に下ろすことができないようにしたのです。

家庭用ゲーム機では2002年よりCEROによる審査が行われる

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コンピュータソフトウェアに関しては、コンピュータソフトウェア倫理機構が審査を行うようになりましたが、家庭用のゲーム機に関しても年齢制限を行うようになりました。

沙織事件後、しばらくはメーカーによる独自審査が行われていましたが、家庭用ゲーム機はコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)によって、2002年から審査が行われています。

2003年よりCSAにより審査が加わる

さらにコンピュータゲームにおいて、2003年からコンピュータソフトウェア倫理機構の他に、CSA(コンテンツ・ソフト協同組合)による審査も加わりました。

この一連の事件は、コンピュータゲームにおいて自主規制の審査やレイティングを設ける契機となり、業界の年齢規制に対する意識を変えるものになったのでした。

年齢制限が更に規制

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年齢制限に関して、初めは『全年齢対象』と『18禁』のふたつのみでしたが、1994年6月新たに『15禁』のR指定レイティングを設けました。

しかし、アダルトゲームとは別区分である美少女ゲームに分かれることで15禁は撤廃(2011年10月)、一般ソフトの区分を「15歳以上推奨」「12歳以上推奨」へと細分化するようになりました。

コンピュータソフトウェア倫理機構とは

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そもそもコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫)についてですが、日本のアダルトゲームなどのコンピュータソフトウェアに対し、倫理的な審査や規制・レイティングを行う機関です。

沙織事件をきっかけにアダルトゲーム制作会社が集まって話し合った結果設立され、現在もソフ倫の審査を通過しなければ流通できないようになっています。

18歳未満の作品に対しての規制について

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沙織事件までは曖昧となっていた、アダルトゲーム作品に出てくる18歳未満と思われるキャラクターに対しても、明確な呼称を決めるようになりました。

『女子高生』や『学院・学園』をキャラクターや環境に関して必ず用いるようになり、18際以上のキャラクターに関しても『大学』というワードを使用するようになりました。

また、児童ポルノとの関係で、18歳以上のキャラクターにもランドセルなどの児童ポルノを連想させるようなワードの使用が禁止されることとなったのです。

摘発の対象となった各々の対応

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では規制対象となったアダルトゲームを政策販売した会社は、各々どのように対応したのかをみていきます。各社によって対応は違っていました。

フェアリーテール

フェアリーテールはきららが有するアダルトゲームブランドですが『沙織-美少女達の館-』と『ドラゴンシティX指定』は製品登録を抹消、封印されました。

そして、それ以降公式サイトからこの二つのゲームの存在は掲載されなくなり、ゲームの存在自体をなかったものとされました。

きらら

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きららはフェアリーテールブランドを有している制作会社で、現在は株式会社F&Cという会社になっています。摘発されたきららは対象の商品を全て廃盤とし、それをもって世間に対する謝罪の意を込めました。

ジャスト

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きららの親会社であるジャスト(JUST)の対応は、きららとは違ったものでした。

社長が逮捕されることになってしまったジャストがとった行動は、対象作品を廃盤にするところまではきららと同じ対応だったのですが、作品のタイトルと1部の内容を変更修正し、再度発売をしたのです。

問題となったモザイク処理などの画像修正はもちろん行いましたが、2社の対応の違いにアダルト業界は驚きを隠せませんでした。

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