阿部定事件の概要!阿部定の生い立ちと晩年!名言や子孫についても

実在の事件を元に映画などの作品が作られる事は少なくありません。その中でも阿部定事件は度々題材となっており、今もなお語り草になっている事件です。それでは、犯人阿部定は一体いかなる女性だったのか。事件の経緯や彼女の晩年、そしてその最後について調査してみました。

阿部定事件の概要

阿部定事件の持つ特異性と猟奇性故に、発生当時から人々の関心を集め大々的に報じられていました。平成に入っても事件を題材に作品が作られており、時が経過して尚多くの人々が興味関心を抱いています。

純愛故の事件とも称される阿部定事件。そもそもどういった事件だったのか解説して参ります。

1936年に起きた猟奇殺人事件

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阿部定事件とは鰻料理店の店主・石田吉蔵を同店の女中で愛人関係であった阿部定が絞殺した事件です。この部分だけ見ると、単なる男女関係のもつれによって引き起こされた事件のように見えます。

しかし、この事件の特異性は殺害後の阿部定の行動にもありました。彼女は吉蔵を殺害後、局部を切断し持ち去っています。逮捕後、阿部定は「吉蔵を自分だけのものにする為に殺した」と動機について語りました。

一連の猟奇殺人事件は人々の興味を強く惹き、事件発生後と阿部定逮捕後に号外が出されています。

阿部定パニック・阿部定ブームを巻き起こす

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阿部定事件は多数の注目を集めており、彼女の捜索に日本中が熱狂。これらは「阿部定パニック」と呼ばれ、「阿部定が出た!」と情報が流れる度に町はパニックになりました。

阿部定事件の3ヶ月前にはニ・ニ六事件も発生しており、上野動物園黒豹脱走事件と合わせて昭和11年3大事件に数えられています。

その他の猟奇殺人事件についてはこちら

阿部定事件の時系列

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阿部定事件の概要については前述の通りですが、阿部定と吉蔵はいかにして出会い、そして愛人関係に至ったのでしょうか。また殺害後から逮捕までの間、阿部定はどのような足取りと辿ったのでしょうか。

本項では事件発生から阿部定逮捕までの経緯を時系列に沿って解説していきます。

交際相手の大宮五郎の紹介で石田吉蔵と出会う

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事件前、阿部定は名古屋に身を置いており、そこで商業高校校長で市議会議員も務めていた大宮五郎と出会い交際。大宮は娼婦や妾をしていた阿部定を叱り、真面目な職へと就くように諭しています。

諭された阿部定自身、売春から足を洗おうと決意しており、大宮が新宿の口入屋を介して石田吉蔵が店主を務める鰻料理店吉田屋を紹介。田中加代の偽名を使い、住み込み女中として働き始めました。

行く行くは阿部定に店を持たせようと考えていましたが、働き始めて間も無く阿部定と吉蔵は関係を持ちました。

妻に関係がバレて駆け落ち

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吉蔵は妻帯者であり、2人の関係が吉蔵の妻にバレた事がきっかけで駆け落ち。各地の旅館や待合を転々します。この間、阿部定は大宮に嘘をついて、逃亡資金を工面して貰っています。

そして、1936年5月11日から待合旅館満佐喜に滞在。そこで繰返し性行為に及びました。行為中、阿部定は吉蔵の局部にナイフを置いて独占欲を吐露し吉蔵に凄みましたが、彼はこれを笑って流しました。

また阿部定は行為中に吉蔵の首を締めており、吉蔵もまた快感が増す事彼女へと伝え続けるように促したとされます。また16日には腰紐を使って吉蔵の首を締めています。強く締めた結果吉蔵の首は鬱血しました。

「俺が眠る間、俺の首のまわりに腰紐を置いて、もう一度それで絞めてくれ…おまえが俺を絞め殺し始めるんなら、痛いから今度は止めてはいけない」

(引用 Wikipedia)

阿部定は吉蔵の痛みを和らげるべく薬局に走りましたが、時間経過以外に対処法は無く気休めに睡眠薬を購入。数回に分けて30錠ほど吉蔵に飲ませ、居眠りし始めた吉蔵は上記のように漏らしたとされます。

尚吉蔵は一連の阿部定の行為に対し、少しも怒る素振りを見せませんでした。また逆に阿部定が首を絞めるよう求めるも、「かわいそうだよ」と述べ、実行する事はなかったといいます。

5月18日犯行に及ぶ

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吉蔵は家に帰って休みたいと漏らしていました。その発言に阿部定はショックを受けます。そして、同月18日の午前2時、眠っている吉蔵の首に腰紐を巻き付けて絞殺、朝まで吉蔵の遺体を抱きしめたとされます。

また包丁を使って吉蔵の局部を切断。ハトロン紙に包んで逮捕までの間肌身離さず持ち歩きました。血を使って左ももに「定吉2人」、シーツに「定吉二人キリ」と刻みました。

左もものものは吉蔵を1人残して行く訳ではない、どこまでも一緒ですと言う気持ちの表明。シーツのものは死して尚妻も愛人も吉蔵に近寄らせないとの意味で刻んだと阿部定は供述しています。

阿部定は出ていきその後遺体が発見される

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同日午前11時頃、旅館従業員によって吉蔵の遺体が発見され事件が発覚します。しかし、この時既に阿部定は待合を後にしていました。尚この時彼女は吉蔵のシャツとステテコを身につけた上で立ち去っています。

当然ながら警察の捜査が開始。捜査線上に阿部定の存在が浮上しました。彼女が待合を後にしたのは午前8時頃で、従業員に対し「ツレは具合が悪くて寝ているので午後になるまで起こさないで」と告げていました。

大宮五郎と休憩して別れる

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待合より立ち去った阿部定は喫茶店で大宮と落ち合い繰返し謝罪しています。これは、自身の起こした事件によって大宮に迷惑がかかる事への謝罪でしたが、この時大宮が阿部定が殺人を犯した事など知る由もありません。

その為、大宮は謝罪についてさほど気にする事無く、その夜に阿部定と関係を持ちました。後の裁判においては、阿部定との関係について証言しています。

また大宮は後に重要参考人として拘束され取り調べを受けており結果は不問でしたが、卒業生たちに合わせる顔がないと述べ、事件後隠居生活を送ったとされます。

5月19日新聞で報じられ阿部定パニックに

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後に昭和11年3大事件にも数えられる阿部定事件。5月19日に事件報道がなされると各地で阿部定じゃないか、と勘違い通報が相次ぎました。新聞社はパニックの様子を面白おかしく書きたてています。

一方当事者である阿部定ですが、報道の過熱ぶりを他所に買い物をしたり映画を見たりして過ごしています。

5月20日あっさり逮捕

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事件後の阿部定は大阪方面への逃亡を考えていました。また生駒山中での自殺を考えていたとも言われます。その為、一旦品川駅前の旅館に宿泊。この時は大和田直なる偽名を使用していました。

阿部定は旅館でマッサージを受けたり、友人や大宮への別れの手紙を書いています。その一方で、捜査の手はすぐ傍まで迫っていました。

20日の午後4時、警察が阿部定の宿泊している部屋へと踏み込みます。この時の彼女は落ち着き払った様子であり、逆に警察の方が驚いたほどでした。

「阿部定を探しているんでしょ?あたしがお探しの阿部定ですよ」

(引用 Wikipedia)

かくして彼女は逮捕され、「阿部定逮まる」との号外が発行されました。

阿部定事件の動機

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なぜ阿部定は吉蔵を殺したのでしょうか。また何故彼の局部を切り取り、逮捕に至るまで肌身離さず後生大事に持ち歩いたのでしょうか。その理由について、本人の供述や最新の心理鑑定を交えて解説していきます。

殺した理由

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純愛。これが広く言われる阿部定による吉蔵殺害の理由です。とにもかくにも、阿部定は吉蔵を他の誰にも渡したくありませんでした。実際の供述でも吉蔵を愛していた事や吉蔵の全てが欲しかった事を述べています。

それと、同時に不倫と言う自身らの関係故に不安もあったようで、自身が吉蔵を殺せば二度と他の女性が吉蔵に触れる事はないと思い殺害に至ったと供述しました。

しかし、阿部定事件は1930年代の事件です。現在は様々なものが進歩し、当然ながら心理鑑定も当時と比べて大きく進歩しています。その結果、阿部定事件の動機について新たな側面が浮かび上がってきました。

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阿部定の初体験はレイプによるものでした。それ故心の奥底に男性への憎悪が根付き、吉蔵の首を絞めた事で憎悪が攻撃性となって噴出。瞬間的に殺意が生まれたと推測されています。

精神科医の福井裕輝氏は、定の性格には相手に対する非常に強い執着心(独占欲)、見捨てられることへの極度の不安(依存的性格)、そして破壊的衝動という、「境界性パーソナリティ」の傾向があったのではないかと指摘する。

(引用 AbemaTIMES)

また上記の引用に加えて、逮捕時の阿部定の写真から自己愛パーソナリティ障害の可能性を指摘。阿部定はヒロインのような感覚だったと推測の上で自己愛だとコメントしました。

この他著書「ぼっけぇ、きょうてえ」などで知られる作家の岩下志麻子さんは阿部定事件について「男の夢とロマンで出来た物語」と評しています。

局部を切り取り持ち歩いた理由

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彼女が吉蔵の性器を切断、その後持ち歩いた理由については「一番可愛い部分」だったからと述べています。またそのままにしておけば湯棺の時に、吉蔵の妻に触れられてしまうのでそれを防ぐ意味合いもあったようです。

吉蔵が死んだことが分かった定は自分を楽しませてくれた吉蔵の局所を切り取って自分の肌から離したくないと考えた。局所を切り取るというのは定の吉蔵に対する愛情であり、これ以上の表現はないというのが定の考えであった。

(引用 無限回廊)

同時に吉蔵とずっと一緒に居たいと言う思いも理由でした。尚阿部定は、切り取った局部を持ち歩いた他眺めて舐めたり、当ててみたりしたとも供述しています。

また事件の詳細が知れ渡ると、吉蔵の局部が驚異的なサイズだったと情報が流れました。しかし、阿部定が吉蔵のものは平均的なサイズであると供述しており、サイズに対する情報はデマである事を警官が否定しています。

尚吉蔵の局部ですが、阿部定の逮捕後東京医科大学の博物館へと送られ、第二次世界大戦後に一般公開されています。

阿部定の生い立ち

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日本中を震撼させた阿部定。彼女は一体いかなる生い立ちを歩んできたのでしょうか。ここでは、生誕から事件発生までの彼女の足取りと解説して参ります。

裕福な家庭に生まれる

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阿部定は1905年、江戸時代から続く畳店「相模屋」の末娘として誕生。彼女は8人兄弟で長女、次男、三男は他界しており、四男は養子に出されていました。また親とは孫ほど、長男とは20以上も年が離れています。

その為か、母カツの乳の出は芳しくなく、1歳になるまで近所の家で育てられました。また4歳になるまで、実家族と会話できなかったと言います。また生まれた時は仮死状態でした。

相模屋のおさぁちゃんと有名に

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阿部定の両親は彼女を猫可愛がりしました。母は進学する以前から、彼女に三味線などを習わせていますが、毎回新しい着物を着せて、髪を結わせた上で通わせています。

また阿部定自身が、着物も結った髪も似合う美少女でした。それは近所でも相模屋のさぁちゃんとして有名な程で、両親は鼻が高かったようです。

尋常小学校に入ってからも習い事は続けていましたが、学校の授業よりも三味線などの習い事を優先しており注意を受けています。また齢10歳にして、性行為の意味を阿部定は知っていました。

15歳で大学生にレイプされる

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そんな阿部定が友人N子宅に遊びに行った時の事です。N子兄の友人である大学生も遊びに来ており、彼とふざけあっていたところレイプされてしまいました。

この時はまだ処女だった阿部定は大きなショックを受けました。2日も血が止まらず、恐ろしくなり母に相談。母は大学生の家へ訪問するも、本人には会えず泣き寝入りする事になりました。

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このレイプ事件によって御嫁にいけないと阿部定は考え、思いつめた結果自暴自棄となります。

また母はそんな阿部定を不憫に思い優しく声を掛けたり、物を買い与えたりするも効果は無く、寧ろ母親の行動や言動は癪に触り彼女を苛立たせました。

遊び周る阿部定

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またこの頃、家族間で揉め事が発生していました。原因は長男夫婦と三女夫婦の軋轢によるもののようですが、兎に角母は阿部定に揉め事を見せたくないと、小遣いを渡して外へと遊びに行かせました。

結果彼女は不良とつるむようになり、浅草界隈で遊びまわるばかりか男と肉体関係を持ち始めました。また家から大金を持ち出すようにもなり、父は厳しく叱りつけ時に折檻しています。

また16歳の頃には女中奉公に出されましたが、奉公先で窃盗を働き1ヶ月で送り返されました。これを受けて、父は激怒。約1年間監禁に近い状態で過ごしました。

長男蒸発

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長男がありったけの金を持って失踪すると、畳屋を閉める事を余儀なくされます。これを受けて、一家は埼玉県にある現坂戸市へと引っ越しました。

長男に金を持ち逃げされたものの、阿部家は都内に何件かの貸家を持っていたため生活に困る事はありませんでした。

見かねたと父と兄に売り飛ばされる

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転居先でも阿部定の行動は変わりませんでした。相変わらず金を持ち出し、数多くの男と関係しました。近所の男を愛人にして評判になったとも言います。

「そんなに男が好きなら芸妓になってしまえ」

(引用 Wikipedia)

父はこう発言し、本当に阿部定は売り飛ばされてしまいました。

売却先は長男の前妻の妹旦那である秋葉正義。秋葉は女衒であり、阿部定に夜這いをかけて関係を結んだ他彼女のヒモとなりました。

源氏名「みやこ」として芸者の世界へ

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かくして、阿部定は芸者の道へと足を踏み入れる事となりました。最初は現横浜市中区住吉町にあった春新美濃に在籍。前借金は300円で源氏名はみやこでした。

春新美濃には1年ほど勤め、同じ横浜や長野で芸者として働きました。

なお阿部定は三味線の演奏以外に特筆した特技は持っていませんでした。その為性交を強いられる事が多く嫌だった述懐しています。

秋葉正義との問題の果てに遊女へ

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1923年に発生した関東大震災によって、秋葉の家が全焼します。丁度遊びに来ていた阿部定は秋葉を助ける事を決意。富山県にあった平安楼に店を移りますがその際、約1000円の前借をしています。

当時の1000円は一軒家が建つ程の大金です。阿部定は前借で前の店の前借を返済。秋葉には300円を、以後秋葉一家の面倒を見ていく事となりました。

20歳の頃秋葉に騙されている事に気付きます。関係を断とうとしますが、平安楼の契約書が秋葉と連判であった為に借金を返済せねばならず再度店変え。しかし、ここでも秋葉との連判で契約せざるを得ませんでした。

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移籍先では「静香」と名乗り、売れっ子になりましたが、性病を患ってしまいます。この出来事は阿部定が遊女に身を落とすきっかけとなりました。

遊女には月一で性病検査の義務がある一方で阿部定のように、体を売る芸者にはその義務はありませんでした。この事から、彼女はどうせならばと考えたようです。

またこの際母に秋葉との関係などを全て伝えており、連判の契約書を返して貰っています。

売れっ子娼妓を辞めるまで

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遊女となった阿部定は父の連判で大阪飛田新地の高級遊郭と契約。名を園丸と名乗り売れっ子になりました。

ここでは、常連客である男性会社員から身請けの話も持ち上がりましたが、男性の部下も阿部定の常連だったため実現しませんでした。

「その頃から私は客を相手にするのが嫌ではありませんでしたから、面白く働きました」

(引用 オワリナキアクム 又ハ捻ジ曲ゲラレタ怒リ~)

半年程同店に務めた後同じ大阪の遊郭に移転。その後も店を転々としますが、店のランクも客層もどんどん悪くなっていきました。

25歳の時には大阪で客の指輪を盗むなど窃盗事件を起こし、翌年兵庫県篠山にあった下級遊郭「大正楼」から逃げ出して神戸へと向かいます。また、この時をもって遊女としての仕事を辞めています。

尚この大正楼は廃業こそしているものの建物は現存していました。訪れる人も少なくありませんでしたが、老朽化が激しく2019年2月、取壊す事が決定しました。

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