世界三大獣害事件は?世界の害獣事件の惨劇と日本の羆事件の惨劇

今回は、世界三大獣害事件と言われている「ツァボの人食いライオン」「ギュスターヴのナイルワニ」「パナールの人食いヒョウ」についてまとめてみました。さらに日本で起きたクマによる「三毛別羆事件」や、犠牲者が多い獣害事件をランキング形式でご紹介します。

日本や世界で起きたこれまでの獣による殺人事件

人間の生活に害を及ぼす動物のことを「獣害(または害獣)」といいます。それは農作物への被害だったり家畜への被害だったりしますが、人間を襲うという殺人事件も多く起きています。

今回は、日本や世界で発生した獣による殺人事件の数々をご紹介していきます。まずは「世界三大獣害事件」と呼ばれる3つの事件からみていきましょう。

世界三大獣害事件①映画にもなったギュスターヴのナイルワニ

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ギュスターヴとは、コンゴ共和国とルワンダとの国境を流れるルジジ川に生息しているナイルワニの固有名詞です。ギュスターヴは数か月ごとに消息をくらましながら、場所を変えつつ殺人を繰り返しました。

昔、民族同士の紛争で戦死した人の遺体を川に遺棄していて、その遺体を食べたことで人間の味を覚えたと言われています。地元民によれば、ギュスターヴが殺人を繰り返すのは娯楽目的でもあるとされています。

ギュスターヴの犠牲者は300人を超えている

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ギュスターヴはアフリカ大陸に生息する生き物の中で最も多く人間を殺している動物であり、世界三大獣害事件のひとつとして数えられています。

長い間ギュスターヴのことを研究している動物学者・パトリックによると、犠牲者は300人を超えると言われていますが、その中には他のワニによる被害も混ざっているので正確な数字ではないと主張する人もいます。

過去に射殺を試みるもすべて失敗

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世界中の狩猟家が彼を仕留めようとしますが全て失敗しています。幾度となく攻撃を受けたギュスターヴの身体にはナイフの切り傷や矢が刺さった痕があり、頭のてっぺんは弾痕によりできた黒いシミがあります。

さらに100年も生きているとされるギュスターヴはかなり頭が良く、人間が仕掛けた罠をいとも簡単にくぐり抜けるほどの知能を持っているといいます。

2008年以降目撃が途絶えていたが2015年に生存が確認

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2008年の目撃情報を最後に消息不明となっていましたが、新たに2015年6月にギュスターヴが水牛を捕食しているところを地元民が目撃しています。

通常の雄のナイルワニの大きさ

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ワニ目クロコダイル科のクロコダイル属に分類されるナイルワニというのは、気性が荒いことで有名であり、人間や家畜を食い殺すことも珍しくはないとされる凶暴な生き物です。

そんなナイルワニの大きさは、雄の平均が通常4メートルから4.5メートルほどで、5メートルを超える個体はかなり大型だとされています。

多くの被害を出しているナイルワニの大きさ

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雄のナイルワニの大きさについてはご説明しましたが、ギュスターヴはそれを大きく超える6メートルはあると言われています。そして最も危険だとされるカバでさえ食い殺すほどの凶暴性を持っています。

年齢については先ほど100年も生きているとご説明しましたが、ギュスターヴの歯の抜けが少ないことから推定60歳程度なのではないかとも言われていて確実な情報はまだありません。

映画「カニング・キラー殺戮の沼」にもなった

アフリカで最も多くの人間を食い殺したとされるギュスターヴは世界中にも大きく影響を与え、2007年にはこのナイルワニを題材とした「カニング・キラー 殺戮の沼」という映画も作られています。

アメリカのマイケル・ケイトルマン監督のデビュー作であり、「プリズン・ブレイク」で有名なドミニクが主演を務めました。この作品の中ではギュスターヴのウロコを「防弾チョッキ」と表現しています。

ワニのデスロールの恐ろしさについて

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ワニには「デスロール」という仕留め方があります。聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。これは獲物をしっかりと咥えたまま自身の身体を回転させて肉を噛みちぎることをいいます。

現存する生き物の中で最も顎の力が強いとされているナイルワニですが、それに回転の力もかけることでより確実に仕留めることが出来ます。デスロールをされたら獲物は助かることが出来ないと言われるほどです。

世界三大獣害事件②ツァボの人食いライオン

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「ツァボの人食いライオン」とは1898年に起きた事件で、世界三大獣害事件のひとつと数えられています。鉄橋工事のためにキャンプをして寝泊まりしていた作業員たちが、2頭のライオンに次々と襲われました。

この事件は現在のケニアであるイギリス領東アフリカで起こりましたが世界中に大きな影響を与え、この事件を題材とした映画や小説も多く作られています。それらの作品については後半で詳しくご紹介しています。

1898年に起きた雄ライオンによる獣害事件

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1898年3月、ケニアとウガンダを結ぶ鉄道を建設するためにツァボ川に鉄橋を架ける工事が行われていました。その最中、2頭のオスライオンが何度も作業員たちを襲い、28人もの人々が無残にも食い殺されました。

被害人数、被害内容について

繰り返し襲撃してきた2頭のライオンは人間の裏をかくほど頭が良く、仕留めることが出来ないまま犠牲者は次々と増えていきました。犠牲者は28人とされる場合や135人にも上るとされる場合もあります。

のちにカリフォルニアの学者たちが最新科学を利用して行った同位体分析では、2頭合わせて34人以上の人間を食べていたという分析結果になったため、学者たちは135人には遠く及ばないとする見解を示しています。

凶暴なライオンがいるという証言を信じなかった

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現場総監督に着任してすぐ、パターソンは「作業員が凶暴なライオンに食い殺された」という話を耳にしましたが、被害者が裕福だったため「金目当ての殺人」と考えこの話を信じることが出来ずにいました。

ですが数週間後、パターソンの元にウンガン・シンという作業員がライオンに連れ去られたという報告が入りました。突然テントにライオンが現れ、近くにいた彼の喉に食らいつき走り去っていったというのです。

遺体を見てようやく危険性に気付く

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パターソンたちがウンガン・シンのものと思われる血痕を辿って追跡すると、無残にもライオンに喰われた彼の遺体を発見しました。一同は、ライオンが彼を連れ去って食い殺したという事実に恐怖を感じました。

パターソンは木の上で夜通し寝ずに見張りをしましたが、ライオンは遠く離れたテントを襲撃しました。その後も場所を変えつつ見張りをしますが、ライオンが襲うのは決まって見張りがいないテントでした。

2頭組みのライオン、ボマを張り巡るも侵入してくる

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何度も繰り返されるライオンの襲撃に恐れ、作業員たちはテントの周りなどに「ボマ」というイバラで出来た垣根を張り巡らせて壁を作りましたが、2頭のライオンはボマを突き破るなどして襲撃を続けます。

ある夜、パターソンがブロック博士と共に貨車(貨物を運搬する列車)で見張りをしているとライオンが姿を現しました。パターソンが「ライオンだ!」と叫び2人は銃を発射しましたが、仕留めるには至りませんでした。

作業員たちは恐怖のあまり逃げ出す

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ライオンと初めて対峙したパターソンたちは仕留めることが出来ませんでしたが、その後も自作の罠を作ったり、場所を変えつつ見張りを続けました。それでもライオンは彼の裏をかいて作業員たちを襲い続けました。

12月1日になると、ライオンの襲撃による恐怖に耐えられなくなった作業員たちが仕事を放棄して逃げ出したため、鉄道工事は中断せざるを得なくなったといいます。

ホワイトヘッドに救援を要請

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パターソンは地方官であるホワイドヘッドに救援を申し出て、12月2日の夕方にツァボ駅で待ち合わせすることとなりましたが、時間になってもホワイドヘッドは現れませんでした。

翌日、ズタズタにされた衣服を着ていたホワイドヘッドと出会ったパターソンが状況を聞くと、列車を下りてこのキャンプ地まで歩いてる途中にライオンに襲われたといいます。

その際にライオンの爪による攻撃を受けたホワイドヘッドでしたが、持っていたカービン銃を発射してひるませたため助かることが出来ました。ですが同行していた現地人の軍曹アブドゥラは食い殺されたと語りました。

インド兵20名が投入されるもかすり傷程度しか与えられず

12月3日、警察長官ファーカーの命令で出動したインド兵20人がツァボに着き、さらに役人たちも協力して至る所に見張りを立てました。

パターソン自作の罠も設置し、おとりとして2人のインド兵がテントの中で待機しました。するとライオンは予想通り現れましたが、襲撃に慌てたインド兵が乱射した銃弾が罠を作動させただけだったといいます。

罠に残されていた少量の血痕はライオンにかすり傷しか与えられなかったことを表していましたが、ファーカーと20人のインド兵、ホワイドヘッドは所用のため退散することとなりました。

ついに一頭のライオンを倒す

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ホワイドヘッドたちが去ってから数日後の12月9日、ライオンを目撃したというスワヒリ人と共に林の中に入ると、ライオンが目の前に現れたためパターソンはすぐ銃を発射しました。

1発目は不発に終わりましたが、2発目は確実にライオンに当たりました。それでもライオンは立ち上がって逃げ出したため、再び戻ってくることを信じて離れた場所に足場を作って見張りました。

夜中、やぶの中からライオンが現れ大きな唸り声を上げながらパターソンに襲い掛かろうとします。冷静に狙いを定めて放たれたパターソンの銃弾は見事命中して、ライオンはのたうち回ったのちに絶命しました。

不死身のライオンは銃弾を何発受けても死なない

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1頭のライオンを仕留めてから数日後、もう1頭のライオンによる襲撃が再び始まりました。足跡を追ってやぶの中でライオンと対峙したパターソンは、見張り用の足場の上から銃を発射しました。

ライオンは大きくよろめきながらやぶの中に姿を消してしまいましたが、パターソンは相当な傷を負わせたことを確信したといいます。

その後は10日以上も姿を見せませんでしたが、12月27日の夜中、再び作業員たちのテントを襲い始めます。パターソンが木の上から放った2、3発の銃弾は命中しましたが、再び逃げられてしまいました。

ついに二頭のライオンを討伐

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12月29日の夜中3時頃、見張りをしていたパターソンはじりじりと距離を詰めてくるライオンを発見したため、十分に引き寄せてから、狙いを定めて数発の銃弾を発射しました。

再び逃げられますが、ライオンはこの銃弾で相当な傷を負って出血していたため、これをチャンスと見たパターソンは数人の作業員を集めてこの血痕を追跡しました。すると林の中で傷を負ったライオンと遭遇します。

ライオンは傷を庇いながら攻撃してきたため、一同は木の上に避難しました。そしてやぶへ引き返そうとするライオンにパターソンがすかさず銃を発射したところ、見事命中してライオンは絶命しました。

加害ライオンの大きさは?殺害人数は?

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こうして多くの作業員たちを食い殺して恐怖に陥れた2頭の「ツァボの人食いライオン」は、現場総監督のパターソンにより射殺されました。

1頭目のライオンは全長2.9メートル、高さ1.1メートルもあり、8人がかりでやっと運べるほどの重さでした。身体には2発の弾痕があり、1発は心臓を貫通していて、もう1発は右の後ろ足に命中していました。

2頭目は全長2.8メートル、高さ1.2メートルもあり、身体には6発以上の弾痕がありました。そしてどちらのライオンもイバラでできたボマを突破していたため身体中は傷だらけだったといいます。

悪魔殺しの英雄となり、労働者から崇められたパターソン

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人々を恐怖に陥れたツァボの人食いライオンを仕留めたという朗報はすぐに広まり、パターソンは「悪魔殺しの英雄」と呼ばれ、そんなパターソンとライオンの姿を一目見ようと多くの人がツァボに訪れました。

仕事を放棄して逃げ出していた作業員たちも戻ってきてくれたため、鉄橋工事を再開することが出来たことがパターソンにとって何よりも嬉しかったといいます。

ツァボの人食いライオンの剥製はシカゴの博物館に展示されています。この2頭は牙や顎に何らかの疾患があったとされていて、大型の動物を仕留められなかったため人間を襲っていたとされています。

世界三大獣害事件③パナールの人喰いヒョウ

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パナールの人食いヒョウとは、インドで数年間に渡り殺人行為を続けていたオスのヒョウのことです。その犠牲者の多さから世界三大獣害事件のひとつとして数えられています。

20世紀初頭に400人が襲われた事件

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インド北部にあるパナールという地域では、1900年頃からヒョウに食い殺されるという事件が後を絶たず、地元民は「パナールの人食いヒョウ」と呼んで恐怖に震えていました。

当時のこの地域には狩猟を得意とする人物がいなかったため、地元民たちはどうすることもできない状態でした。ヒョウによる犠牲者数はなんと400人にも上ると言われています。

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