全米一のカルト集団指導者チャールズマンソンの卑劣な犯罪や人物像

チャールズマンソンとはアメリカのカルト集団の指導者でありながら大量殺人鬼でもあります。チャールズマンソンは、音楽活動もしておりアルバムも出していて、その音楽を評価するものもいます。この記事ではチャールズマンソンの犯した犯罪やその人物像についてまとめました。

全米を震撼させたカルト集団指導者チャールズマンソン

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チャールズマンソンはチャールズ・ミルズ・マンソンという名前で、綴りはCharles Milles Mansonになります。チャールズマンソンはカルト集団の指導者として有名な人物です。

チャールズマンソンはアメリカ合衆国のオハイオ州シンシナティで生まれました。1934年に生まれたチャールズマンソンの誕生日は11月11日か12日となっています。

11日か12日なのかはっきりしないのは、産んだ母親がどっちだったか覚えていないという理由です。チャールズマンソンはあまり良い環境とは言えない所生まれ、育ちました。

マンソン・ファミリーでの共同生活と洗脳の実態

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チャールズマンソンは酷い母親の元に生まれてしまいました。母親はチャールズマンソンにしばらく名前を付けもせず、まともに育児をしていませんでした。

まともに育てられなかったチャールズマンソンは、社会での真っ当な生き方を知らず、9歳の時に犯罪に手を染めました。その後チャールズマンソンは刑務所で暮らします。

出所後に世の中にでたチャールズマンソンの目の前に広がっていた世界は、自由に憧れる人が増えていました。そんな世の中で家出少女達を誘惑し集め、ファミリーと呼ばれる集団生活を始めました。

自分は殺人せず、ファミリーに殺させる?最初の殺人事件

チャールズマンソンが史上最悪などと呼ばれるには訳があります。それは、チャールズマンソンの殺人の仕方が卑劣そのものだったためです。

チャールズマンソンは、人を殺す時に自分では手を下さず、集めて洗脳した家出少女達に殺人計画の実行を命令しました。チャールズマンソンは集めた少女に麻薬を使っていました。

少女達は完全にチャールズマンソンの言いなりに殺人を犯しました。最初の犠牲者となったのは、ゲイリー・ヒンマンという麻薬の売人でした。殺したのはお金の為でした。

事件から1週間後に実行犯ボビー・ボーソレイユ逮捕

ゲイリー・ヒンマンを襲ったのはファミリーの存続に、お金が足りなくなったからでした。チャールズマンソンの手に入れた情報によると、ゲイリー・ヒンマンは2万ドルの遺産を引き継いだということでした。

しかし実際襲ってみると2万ドルの遺産は見つからず、さらにゲイリー・ヒンマンに罵られたチャールズマンソンは激しく怒りました。ゲイリー・ヒンマンの耳を切り落とした後、ファミリーの殺せと命じました。

命令通りゲイリー・ヒンマンを刺し殺したのはボビー・ソレイユという人物でした。ボビー・ソレイユは事件の1週間後、盗んだゲイリー・ヒンマンの車を運転していて捕まりました。

メアリー・ブルンナー逮捕

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ゲイリー・ヒルマンを襲った時、刺し殺したのはボビー・ソレイユでしたが、メアリー・ブルンナーとスーザン・アトキンスも一緒にいました。

ボビー・ソレイユが捕まった2日後に共犯者のメアリー・ブルンナーも捕まりました。メアリー・ブルンナーはゲイリー・ヒルマンから盗んだクレジットカードを持っていたという事で捕まりました。

ファミリーであるボビー・ソレイユとメアリー・ブルンナーが捕まったことを知ったチャールズマンソンは「遂にヘルター・スケルターの時が来た!」と叫びました。ヘルター・スケルターとは混乱といった意味です。

第2の事件・レコードプロデューサー宅襲撃

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チャールズマンソンは、捕まったファミリー2人の殺人の容疑を晴らす為に、2人のいなくなった状態で、新たに殺人の計画を練ります。この殺人計画はゲイリー・ヒルマンの時とは違い、完全に殺す為だけの計画です。

チャールズマンソンはこの計画でテリー・メルチャーというレコードプロデューサーの殺人計画を立てます。このプロデューサーは、チャールズマンソンのレコードを出すいう約束を反故にした人物です。

チャールズマンソンは裏切られ、以前家まで文句を言いに行ったのですが、ぞんざいな対応を受けました。その時の怨みもあって、標的をテリー・メルチャーに決めたのです。

被害者の中にはハリウッド女優の「シャロンテート」も

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テリー・メルチャー宅を襲撃したチャールズマンソンでしたが、実はすでにテリー・メルチャーは引っ越しており、襲撃時に住んでいたのは別の人物でした。

襲撃時に元テリー・メルチャー宅に住んでいたのは、映画監督をやっているロマン・ポランスキーとその妻である女優のシャロン・テートの2人でした。

ロマン・ボランスキーは欧州に出かけていていませんでしたが、代わりにシャロン・テートが友人を家に呼んでいました。こうして家にいたシャロン・テートとその友人は殺人計画の餌食となりました。

第3の事件・スーパーマーケット店オーナー宅襲撃

チャールズマンソンは第2の殺人の時は殺す計画を伝え、現場での指揮は任せていました。実際に殺したのは有名な女優やその友人たちだったとテレビの報道で知りました。

ニュースで大々的に報道され、チャールズマンソンは興奮し、次は自分も現場に行き、指揮をとることに決めます。第3の殺人計画は、スーパーマーケットのオーナーのレノ・ラビアンカに決定されました。

この時は、別に金さえ持っていれば誰でも良く、スーパーマーケットのオーナー等とは知らず、ただ金持ちという理由で決めました。家にいたレノ・ラビアンカとその妻は滅多刺しにされ、死亡しました。

2週間後にマンソンファミリー逮捕

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最初の殺人計画は、1969年7月25日に実行されました。それから第2、第3の殺人事件を起こした後の8月16日、チャールズマンソンは他の20名にもなるファミリーと一緒に逮捕されました。

しかし、この時マンソンファミリーが逮捕されたのは、殺人容疑ではなく、自動車泥棒の容疑でした。警察は一連の殺人事件とマンソンファミリーとの関連は掴んではいませんでした。

自動車泥棒も証拠不十分で釈放されましたが、ボビー・ソレイユの恋人だったキティ・ルートシンガーが警察に保護してもらおうと、ファミリーと事件の関係を話した事で、ファミリーは捕まりました。

異常!マンソンファミリーとはどんな集団?

チャールズマンソンの作ったカルト集団であるマンソンファミリーは強盗や殺人を繰り返しました。それもチャールズマンソンの計画に従い、躊躇なく行われています。

そんな異常な集団であるマンソンファミリーは、なぜそこまでチャールズマンソンに従っていたのかと言うと、丁度時代がチャールズマンソンの生き方や風貌にぴったりだったからです。

さらに、元々チャールズマンソンの生き方や見た目に陶酔していたマンソンファミリーのメンバー達は、LSDなどの麻薬も使っており、もはやチャールズマンソンから離れて生きてはいけなくなっていました。

きっかけは刑務所からの強制釈放

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チャールズマンソンは若い頃から犯罪を繰り返しており、ほとんどを刑務所で過ごしてきました。そして1958年に仮釈放された2年後の1960年にまた小切手の偽造で逮捕されています。

保護観察中の違反行為として10年という長い刑に処されるのですが、7年目に突然仮釈放されます。その理由は刑務所が満員になり、殺人などの凶悪な犯罪を起こしたものを優先的にいれることになったのです。

その為、チャールズマンソンは仮釈放されるのですが、自分は社会に適応して真っ当に生きていくことを出来ないと考えていて、刑務所に残してくれと抵抗しました。しかし結局仮釈放になってしまいました。

図書館職員メアリーブルンナーを誘惑

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久しぶりに外の世界に出たチャールズマンソンは、意外にも自分にとって居心地の良い世の中という事に、気づきました。当時のアメリカはベトナム戦争が激化しており、社会に嫌気がさしている若者が増えていたのです。

社会から外れた若者は、麻薬を使いながら音楽を聴いたりセックスすることで現実逃避していました。また、見た目も髪を髭も伸ばし、浮浪者のような恰好が好まれていました。

元々チャールズマンソンはそのような感じでしたので、すぐに他の若者に受け入れられました。そして、女性の扱いが得意だった為、始めに大人しい図書館職員のメアリー・ブルンナーという女性を誘惑しました。

マンソンに誘惑されたのは中流階級の娘たち

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メアリー・ブルンナーを誘惑し、家に転がり込んだチャールズマンソンは、他の女性も次々に誘惑していきました。リネット・フロームという女性は父親と喧嘩し、家出していた少女でした。

パトリシア・クレンウィンケルは両親が不仲で、愛を求めている女性でした。どちらも中流階級の娘で、チャールズマンソンの言葉と顔に誘惑され、陶酔していきました。

チャールズマンソンに完全に魅了された娘たちは、チャールズマンソンの事をまったく疑わず、心の底から信じ切っていました。ここまできたらチャールズマンソンの言う事は何でもやるようになるでしょう。

女を提供して男性も勧誘

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チャールズマンソンの元に、女性は自分に愛を与えてくれる、といって、どんどん人が集まっていきました。かなり人数が増えてきた頃、その女性たちが自分たちはマンソンファミリーと言い出しました。

こうしてマンソンファミリーという集団をつくる事に成功したチャールズマンソンは、女性だけではなく、肉体的に強そうな男性も勧誘することに決めました。

ファミリーの中でも容姿の良い女性に、男性とセックスするように命じたのです。女性を提供することで、男性も勧誘していき、さらにマンソンファミリーを増やしていきました。

チャールズマンソンの魅力的な容姿とカリスマ性

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チャールズマンソンは元々容姿が良い、いわゆるイケメンでした。さらに子どもの頃から辛い環境で生き抜いてきた為か、人の心の機微を読むことに長けていて、人に取り入るのが上手でした。

音楽もやっていたチャールズマンソンは、ギターを弾けて自身で作曲した歌も歌いました。さらに瞑想なども行いました。

生まれや育ちからヒッピーと呼ばれる若者たちの生き方をしてきて、さらに容姿端麗なチャールズマンソンは、他の若者とは一味違い、高いカリスマ性を発揮してファミリーをどんどん陶酔させていきました。

刑務所で学んだ洗脳術

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チャールズマンソンにマンソンファミリーを作ることができたのは、容姿やカリスマ性だけではありません。刑務所で過ごす期間が長かったチャールズマンソンは、よく本を読んでいました。

その本の内容が、人を洗脳する方法や、コントロールする方法の本でした。刑務所での自由時間にはこのような本を読み、洗脳術を勉強してきていたのです。

そして学んだことを実践し、さらに練度を高めていったのです。また、刑務所内というアウトローな人間が集まる場所で過ごしてきたことも、チャールズマンソンのメンタルの強さを高くしていったのでしょう。

チャールズマンソンの生い立ち

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家出娘を誘惑して集めていたチャールズマンソンは、自身の母親も家出娘で、ろくでなしでした。そのような生い立ちも家出娘や、世の中に嫌気がさしている若者の心を掴む役に立ったのでしょう。

大人になって凶悪な犯罪を犯したチャールズマンソンですが、子どもの頃は母親に愛してもらおうと必死でした。しかし母親は本当に酷い親だった為、チャールズマンソンを愛する事はありませんでした。

それどころか、育児もせずにほったらかしどころか、チャールズマンソンを邪魔者扱いするような親で、犯罪も平気で犯すような人間でした。幼い頃からこのような環境で育ち、チャールズマンソンは歪んでいきました。

アルコール依存症の売春婦の息子

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チャールズマンソンの母親の名前はキャスリーン・マドックスと言い、16歳でチャールズマンソンを産みました。キャスリーン・マドックスの職業は売春婦で、父親はカール・スコットという男でした。

この父親も正確かどうかは定かではなく、どちらにせよカール・スコットもろくでなしの男でした。キャスリーン・マドックスは本当にチャールズマンソンには興味が無く、名前も数ヶ月つけませんでした。

しばらくしてチャールズという名前を付けられ、キャスリーン・マドックスが一時の気まぐれで結婚した際にマンソンという性を貰いました。そうしてチャールズマンソンという名前になりました。

母親の逮捕と育児放棄

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チャールズマンソンが5歳になった時、母親は酒を求めてガソリンスタンドを襲い、懲役5年の実刑を受け、捕まってしまいました。

その為、チャールズマンソンは親戚の家を転々とし、最終的に叔父と叔母の家に住むようになりました。チャールズマンソンは度々刑務所にいる母親に会いに行きました。

この時の母親は冷たいもので、会いに来たチャールズマンソンを邪魔だと言い、見捨てました。辛い幼少期を過ごしたチャールズマンソンは、1人で生き抜かなければいけませんでした。

9歳で学校に放火し少年院に入る

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誰も頼るものがいなく、母親に見捨てられたチャールズマンソンは、人間不信に陥っており、母親すら信じられないのに他人なんてもっと信じられないという考えになっていました。

釈放された母親が帰ってきて、自宅に戻ったチャールズマンソンでしたが、家に居場所はなく山に住む変わり者の叔父の家で過ごす事が多くなりました。

あまりまともではなかった叔父は、学校はヤンキーだらけだから行くな等とチャールズマンソンに言い、その言葉を聞いて学校に放火してしまいました。この事件で、チャールズマンソンは少年院に入れられてしまいます。

思春期は軽犯罪の繰り返し

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少年院から出てきたチャールズマンソンは万引きなどの軽犯罪を繰り返した事もあり、元々チャールズマンソンを邪魔だと思っていた母親のキャスリーン・マドックスは引き取りを拒みました。

その後、チャールズマンソンはジボー・スクールという男子を更生させる為の高校に入れられます。チャールズマンソンはこの更生施設を脱走し、また母親の元に戻ろうとしますが、拒否されてしまいます。

母親に拒否されたチャールズマンソンはその後も度々脱走しましたが、食べる物やお金などを手に入れる為に盗みを働き、また捕まる、という事を繰り返していました。

ロザリーウィリスと結婚~離婚

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脱走を繰り返していたチャールズマンソンは、最終的にはバージニア州ピーターズバーグとオハイオ州シンシナティの国が管理する厚生施設に入れられました。そして19歳になったころ、仮釈放されます。

仮釈放された後、当時17歳でウェイトレスをやっていたロザリー・ウィリスと出会い、結婚します。しかし、チャールズマンソンは社会に適応できず、色々仕事をしましたがうまくいきませんでした。

仕事をまともに出来なかったチャールズマンソンはまたお金に困り、強盗をしてしまいます。また刑務所行きになったチャールズマンソンとロザリー・ウィリスは離婚しました。

2度目のレオナスティーヴンスとの結婚~離婚

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仮釈放されたチャールズマンソンでしたが、今度は売春の斡旋をしていた事でまた逮捕されます。その時はレオナ・スティーヴンスという女性を売春させていたという事で捕まっています。

しかし、当時から女性を手籠めにするのが上手かったチャールズマンソンは、レオナ・スティーヴンスも完全に味方につけており、かばわれています。

それから24歳になったチャールズマンソンは、レオナ・スティーヴンスと結婚します。結婚後、息子が産まれるも、また犯罪に手を染め、10年の禁固刑を言い渡され、その服役中に離婚しました。

チャールズマンソンのサイコパス性

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サイコパスとは反社会的で、異常人格者のことを言います。チャールズマンソンはまさにサイコパスと呼ばれる類の犯罪者でした。

チャールズマンソンは弱い人間だった?

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チャールズマンソンが殺人に手を染め、終身刑となった後に接した事があるジョージ・ハープという男がいました。ジョージ・ハープは捕まった後にチャールズマンソンと話し、意外な一面を知りました。

「あの娘達が、おれのじょうだんをほんきにしてやっちまったんだよ。だけど、後から冗談だったなんて言えないじゃないか」
「新聞では、すべておまえの指示に基づいた殺人と書いてあるが、違うのか?」
「ジョージ、俺はそんな人間じゃねぇよ。だけど陶酔している時、何を言ったかは覚えていないさ。豚は殺せ!とか言ったんだろう。それを彼女達は俺の指示だと思って実行してしまったんだ」
七人の命を奪ったマンソン・ファミリーのリーダーであるチャールズ・マンソンが世間で考えられている非常で残忍な殺人鬼でなく、弱気で見栄っ張りなLSD常習者であったとはジョージには意外だった。

(引用:刑務所の王)

チャールズマンソンの残した恐ろしい言葉

チャールズマンソンは凶悪な犯罪を起こしただけではなく、恐ろしい発言もしています。むしろ、普通の発言やよく意味の分からない言葉でも、チャールズマンソンが発したとなれば恐ろしくなります。

それほどまでにチャールズマンソンは恐れられていました。チャールズマンソンの残した言葉は記録され、多くの人に知られていますが、どれも薄気味悪いものや、恐ろしく感じるものばかりです。

「俺は誰でもない」

この時の表情が、なんとも言えなく、色々な感情を表しており、相当不気味なものとなっています。

「俺はずっと昔に自分を世間一般の尺度で測るのをやめてしまっていた。」

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この言葉もチャールズマンソンの異常性を感じさせています。

「ただ薬局に立ち寄るようなものさ」

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これが一番恐ろしいと言われている発言です。全文は以下に記述してあります。

「俺が誰かを殺したいと思えば、この本であんたを殴り殺すだけだ。そんなことをしても俺は何も感じない。ただ薬局に立ち寄るようなものさ」

(引用:ロケットニュース24)

チャールズマンソンと音楽

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マンソンファミリーを作り出したチャールズマンソンは、ザ・ビーチ・ボーイズという音楽グループのメンバーだったデニス・ウィルソンと知り合い、そこでも女性を餌として利用し、家に住み着きます。

デニス・ウィルソンを洗脳し、他のミュージシャンやスターに自分を紹介させました。自身もデニス・ウィルソンのスタジオで、ミュージシャンとしてデビューし、一攫千金を企てました。

しかしこの目論見は外れ、デビューどころかチャールズマンソンが作詞作曲したものを改変し、ザ・ビーチボーイズの曲として出版してしまいました。チャールズマンソンはこれに大激怒しました。

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