ジル・ド・レとは?ジャンヌ・ダルクの戦友の生い立ちと最期!シリアルキラー

創作物の登場人物として偉人が登場するのはよくある事です。聖女ジャンヌ・ダルクとともにフランスを救い英雄と称されたジル・ド・レもそんな1人です。その一方でシリアルキラーとして血塗られた一面も持つジル・ド・レ、今回は彼の生い立ちや最期などについて調査しました。

悪魔貴族と言われるジル・ド・レとは

血を好む狂った領主。ファンタジー作品に有りがちな存在ですが、ある時期を過ぎたジル・ド・レはまさしくそんな存在でした。それを踏まえて、ここではまずジル・ド・レについて説明していきます。

尚媒体によって記述がジルドレ、ジル・ド・レェであったりしますが、本記事中ではジル・ド・レで統一させて頂きます。

シリアルキラージル・ド・レの本名は?

rawpixel / Pixabay

100年戦争の英雄ジル・ド・レ。広く知られるこの名前は実は本名ではありません。彼の本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァルと言い、ジル・ド・レは通称となっており、またレは所領の名前の事です。

かつてはジャンヌ・ダルクの戦友だった

ジル・ド・レを語る上で欠かせないのが、聖女ジャンヌ・ダルクとの存在です。

当初の2人の関係は、監視役と監視対象者でした。しかし、いつしかジャンヌ・ダルクに感化されて、以後協力的になったとされ、絵戦友と呼べる間柄となりました。

ジル・ド・レのジャンヌ・ダルクに対する思い入れは大変深く、心酔や崇拝のレベルだったと言われている他彼女の見た目が後述するジル・ド・レの好みに合致していた為に惹かれたと言う説もあります。

黒魔術にのめり込み80人~200人もの少年を拷問殺人した人物

ArtCoreStudios / Pixabay

ジル・ド・レは美男子でした。そればかりか、武術や芸術の才能を有しており、敬虔なキリスト教徒。立ち振る舞いも洗練された人物だったとも言われています。

しかし、そんなジル・ド・レですがある時を堺に狂気の片鱗を見せ始め、とある錬金術師との出会いにより黒魔術にのめり込みました。狂気は更に加速し、遂には次々と少年を凌辱し拷問にかけては殺害し始めました。

犠牲者の数は80~200人とされますが、800人や1500人とする媒体もあるなど犠牲者の数は安定しません。また誇張された説もあるなど正確な数については不明なようです。

その他のシリアルキラーの記事はこちら

ジル・ド・レが行った殺戮

Hans / Pixabay

悪名高きシリアルキラーと言われた男はかつての英雄でした。一体何が彼を凶行へと駆り立てたのでしょうか。また彼はいかなる手段を用い、少年たちを惨殺したのでしょうか。本項では彼の凶行やその経緯に迫ります。

ジャンヌ・ダルクの死後黒魔術にのめり込む

LAWJR / Pixabay

ジル・ド・レは囚われの身となったジャンヌ・ダルクの救出を試みましたが、結局それは叶わず彼は荒み始めました。そして、彼女の死が決定だとなり、それをきっかけに狂ったとされます。

この頃ジル・ド・レは国内随一の財力を有し、それらを湯水の如く浪費しながらも、領地内から自身好みの美少年たちを集め、時には誘拐しては身の回りの世話をさせ、夜の慰みも命じたと予想されています。

ジル・ド・レには妻が居ましたが、関係は冷めきっていました。何よりジル・ド・レには元々少年性愛の気があり、女性には興味がなかったと言われます。

Pexels / Pixabay

その他領地内に自費で聖堂を建て少年合唱団として彼らを使い、また宴会を開いた際には腰布1枚で来客の接待をさせ、悪酔いした客が彼らを押し倒し事に及ぶ様を眺めるなど放蕩の限りを尽くしていました。

また錬金術師フランソワ・プレラーティとの出会いがジル・ド・レを黒魔術の道へと誘いました。美少年だった彼はジル・ド・レの性的パートナーだったとも言われると同時にジル・ド・レの起こした事件の加担者でした。

彼との出会い以前から錬金術に興味を持っていたジル・ド・レですが、出会いを期により一層のめり込んでいきます。そんな彼をフランソワは成功の為には黒魔術使う必要があり、それにはを生き血が必要だと唆しました。

それも、死んだ者の血では役に立たない。生き血が必要というのである。

生き血は、若い女のものでよかったが、子供の血であればなおさらベターということであった。悪魔は子供の生き血を好んでいたというのである。

(引用 世界不思議館)

湯水の如く使った財産を取り戻そうとした、ジャンヌ・ダルクが処刑された事で神に対して絶望した、など理由については様々な推論がなされています。

本当の理由は不明ですが、何れにせよジル・ド・レは黒魔術へと没頭し、多数の少年を手に掛けていく事となります。

1432年~33年に12歳の少年を殺害したことが始まり

sabu728 / Pixabay

ジル・ド・レの最初の犠牲者は召使いだった12歳の少年でした。詳細な時期については不明ですが、1432年~33年の間であったと言われています。

その後もジル・ド・レは多くの少年たちをその手に掛けますが、それは黒魔術の為の生贄目的ではなく、自身の欲求を満たし、快楽に浸る為だけに行われる欲望のままの殺人でした。

殺人の手口は性的虐待で変態そのものだった

ジル・ド・レの居城ティフォージュ城に連れて来られた少年たちは、まず暖かく迎えられます。続いて、風呂に入れられ体を清められ、髪も綺麗に整えられます。続いて、与えられるのは美しい服でした。

綺麗に着飾った少年たちを待つのは、城に来なければありつけない豪華な食事です。ジル・ド・レはこうした手段を用いて、少年たちを安心させ、信頼を勝ち取っていきました。

そして、ジル・ド・レは少年の肉体を貪ります。ジル・ド・レの腹心の証言によると、最後は少年の腹上に射精したとされます。しかし、これで終わりではなく、彼にとってみればここからが本番でした。

ジル・ド・レは短剣やロープ、滑車など拷問の為に様々な道具を揃えていました。部下に首の切断をじた事もあり、ジル・ド・レは少年が血を流し、死んでいく様を眺めながら酷く興奮した様子で自慰に耽ったとされます。

ジル・ド・レは死に瀕した少年の腹部に再び射精し、同時に首を描き切ってトドメを刺しました。その後、死んだ少年を抱きしめた後で腹腹部を切り裂くと、内臓を取り出して匂いを嗅ぐなどして遺体をも弄びました。

ジル・ド・レが心行くまで少年の肉体を堪能した結果少年の体はバラバラになり、部屋は血まみれでした。それらは従者の手によって片づけられ、無残に焼却されたとされます。

犠牲者は80人~200人に及んだ

kalhh / Pixabay

ジル・ド・レは切断した少年の首を眺めるのも好みました。少年たちの首を並べ、従者へ「どの首が1番綺麗だと思う?」と尋ねた事もあります。そして、最も気に入った少年の首を数日間傍に置いて繰返しキスしました。

当然子供たちが忽然と姿を消す事や帰ってこない事は波紋を呼び噂で領内は持ち切りとなりました。

また一度に4人の子供が姿を消した事もありましたが、噂だけでありこの時点でジル・ド・レの悪行が暴かれる事はありませんでした。

ジル・ド・レの生い立ちと英雄話

azboomer / Pixabay

ここまでジル・ド・レの負の面を紹介してきましたが、それ以前英雄と称された頃の彼は一体どんな人物だったのでしょう。またどんな幼少期を過ごしてきたのでしょう。ここでは彼の生い立ちや活躍について解説します。

裕福な名門貴族の長男して生まれる

Free-Photos / Pixabay

ジル・ド・レがこの世に生を受けたのは1404年の事。父ギー2世・ド・ラヴァルの長男として生まれました。父方のラヴァル家は名門であり、家格はシャルル7世の王家にもひけをとらない程でした。

母マリー・ド・クランもまたフランス屈指の貴族の出であり、両親それぞれが広大な土地を有していました。まさしく名門中の名門であり、裕福な名家の世継ぎとして生まれたのがジル・ド・レです。

尚ジル・ド・レが後に引き起こす凶行は、幼少期に受けた虐待が原因とも言われており、実際当時の貴族の子供へ行われる帝王学の教育は虐待と呼んで差し支えない異常に厳しいものでした。

父母が亡くなり問題ありの祖父に育てられる

jarmoluk / Pixabay

ジル・ド・レには父が家庭教師をつけており、順調に育っていましたが1415年、ジル・ド・レ11歳の時に相次いで両親が亡くなります。これを受けて、弟とともに母方の祖父へと引き取られ以後祖父に育てられます。

しかし、この祖父ジャン・ド・クランは手段を択ばない方法で領土を広げた問題有りの人物で、実際にジル・ド・レの父はジャンが子供の後見人となる事を禁じていましたが、遺言は守られる事はありませんでした。

父は教育方針についての遺言も残していましたが、それらは完全に無視され祖父はジル・ド・レを溺愛し甘やかして育てました。ジル・ド・レが男色の味を覚えたのも祖父の影響とされます。

elianemey / Pixabay

ジル・ド・レを引き取って以後も祖父の強引な領土拡大の目論見は尽きず、彼を政略結婚の手駒とするばかりか、ある時は近隣領主の娘を拉致。強引にジル・ド・レと結ばせ既成事実を作り上げました。

こうした祖父の手段を択ばない強引な手法はジル・ド・レにも確実に影響を与えており、姑を誘拐した上で領土の割譲を要求。拒否すれば派兵し占領するなどの悪行を行っています。

またジル・ド・レの母方の曾祖父は軍資金の横領をしたり、唆されてフランス大元帥の暗殺未遂事件を起こしており、クラン家は名家ではありましたが問題人物も多かったようです。

軍人デビューしジャンヌ・ダルクと出会い共に戦う

WolfBlur / Pixabay

成長したジル・ド・レは軍人デビューを果たし、1424年には祖父のコネとは言えど宮廷入りを果たします。1427年には出世を果たしており、この年には初陣を飾っています。

1429年のオルレアン包囲網ではジャンヌ・ダルクらと協力してパテーの戦いに参戦。そこで獅子奮迅の活躍を果たし、戦争の終結に多大な貢献をしたとして人々から「救国の英雄」と称えられるようになりました。

フランス元帥になるもジャンヌ・ダルクが敵の手により死ぬ

Gellinger / Pixabay

同年7月に行われたシャルル7世の戴冠式に出席しており、そこで元帥の名をたまわった他家紋に王家の百合が添えられるという大変な名誉を授かっています。

一方戴冠式の以後、ジャンヌ・ダルクとシャルル7世が考え方の違いから対立。1430年5月、ジャンヌ・ダルクはブルゴリーニョ軍に捉えられた後イングランド軍に身柄を引き渡されます。

魔女と断じられ、1431年にジャンヌ・ダルクは火刑に処されこの世を去りました。またジャンヌ・ダルクとジル・ド・レが最後に会ったのは、1429年9月のパリ包囲戦でした。

ジル・ド・レの悪事が明かされ最期を迎える

DasWortgewand / Pixabay

ジャンヌ・ダルクの死後、自らの欲望の為に多数の少年を殺害したジル・ド・レでしたが、その悪行にも終わりがやって来ました。彼の悪行は如何にして暴かれ、そして彼には如何なる審判が下ったのか解説して参ります。

度重なる浪費により弟たちと対立する

stevepb / Pixabay

少年の虐殺を続ける一方でジル・ド・レは資金繰りに苦心しており、借金を重ね所有する美術品などを片っ端から売り捌いています。それでも、浪費は納まらず実弟ルネ達と対立し始めます。

結果居城を占領され、その時に少年の骨が発見されましたが、直後に奪い返し処分した事で虐殺が発覚する事はありませんでした。1438年には仲裁が入り、弟たちとの対立は一応の解決を見せました。

1439年にはジャンヌ・ダルクの偽物に兵を与えていますが、その他黒い噂が付き纏った事以外に目立った行動は無く世間からは忘れられた存在となっています。

1440年僧侶とトラブルが起き幽閉

所領を巡る争いが発端となり、サン=テティエンヌのミサに60名の兵士を引きいて乱入し聖職者を拉致した挙句幽閉します。この聖職者は所領を争う諸侯の弟でした。

当時ミサを乱す行為は重罪であり、ジル・ド・レの行いはまさしく暴挙でした。この一件は大司教の逆鱗に触れ、ジル・ド・レを告発。彼に付き纏う黒い噂も相俟って、身辺調査が行われる事となります。

ナント司教が城を調査し衝撃の事実が明らかになる

bluebudgie / Pixabay

城を調査したナント司教は、ジル・ド・レの凶行の痕跡の数々を発見します。それは遺体であったり、悪魔崇拝のあったり、男色であったりしましたが、その何れもが当時において重大な罪でした。

更にはただ殺害するのではなく、凄惨な拷問までもが行われていた事が発覚します。

かくして、9月15日にジル・ド・レは錬金術師フランソワと共に逮捕され、ナント宗教裁判所に出廷する事となります。

裁判記録から削除された法廷でのジル・ド・レ

qimono / Pixabay

裁判において、ジル・ド・レは泣きながら自身の罪を告白し懺悔し、その場に居る人間に許しを請いました。彼は地獄に堕ちる事を酷く恐れていたようです。

またジル・ド・レの所業のあまりの恐ろしさ故に、気絶する者が後を絶たなかったと言われる他、ジル・ド・レの悪行を悪魔の力を借りて行ったと信じたとされます。

加えて、一連の事件に関するジル・ド・レの証言のおぞましさは凄まじく、それ故に証言の一部は裁判記録から削除されました。

人々は何故こんなことをしたのかと嘆く

rliessum / Pixabay

救国の英雄と謳われたジル・ド・レ。それ故に民衆は、彼の所業を恐れると同時になぜなのかと嘆いたと言われています。

尚ジル・ド・レの事件や裁判については、裁判官である司祭がジル・ド・レの財産を狙う、言わば政敵であった為に彼の所業を誇張した可能性がある事を否定できません。

また彼の所業の告発にあたっては、ジル・ド・レの所領に対し執着していたブルターニュ公ジャンが裏で糸を引いていたと言う陰謀説も存在します。

10月26日不名誉な絞首刑で最期を迎える

Foundry / Pixabay

ジル・ド・レに下された判決は死刑。それも絞首刑の末に死体は火刑に処されると言うものでした。一般的に貴族が死刑となる場合は斬首刑が用いられており、絞首刑での死刑は不名誉な事です。

また死後、遺体を焼き払われる事は死者への冒涜を意味し、またキリスト教では最後の審判まで肉体が残っていなければならない、と考えられている為肉体を完全に消失させる火刑は精神的な意味でも恐ろしいものでした。

しかし、ジル・ド・レの死体を火刑に処するのは取り止められ、最期は10月26日絞首刑にてこの世を去りました。処刑後、民衆は彼の遺体を取り囲むと魂の冥福を願い、涙とともに祈りを捧げました。

しぶとく生き延びたフランソワ

qimono / Pixabay

ジル・ド・レを唆した錬金術師フランソワ・プレラーティ。彼はジル・ド・レと共に裁判に掛けられ、事件への関与を認めています。結果終身刑が言い渡されました。

しかし、フランソワは脱獄を慣行。見事に成功し、監獄から逃げおおせた彼はその後は権力者に取り入って代官となりましたが、1445年に再度捕えられ絞首刑に処されています。

ジル・ド・レをモデルにした作品

cocoparisienne / Pixabay

英雄と狂人の二面性が創作意欲を掻き立てるのか、ジル・ド・レは様々な作品でその存在が取り扱われています。ここでは、ジル・ド・レが登場する作品を幾つか紹介させて頂きます。

Fate/Zero「キャスター」

MiraCosic / Pixabay

多数の偉人達が登場するFateシリーズ。その中の一つであり、アニメ化もなされたFate/Zeroにおいてもジル・ド・レは登場しており、ウェブサイトなどでは名前をジル・ド・レェと表記されています。

蛙顔の巨躯として描かれており、作中では登場人物の1人をジャンヌ・ダルクと誤認。変質的な愛を捧げようとしている他、史実と同じく多くの子供たちを虐殺するなど狂気的なキャラクターです。

本項で紹介したジル・ド・レはジャンヌ・ダルクの死後の彼、少年たちを無残に殺害していた頃のジル・ド・レとなっています。

Fate/GrandOrder(FGO)「ジル・ド・レェ」

4317940 / Pixabay

スマートフォン向けゲームである通称「FGO」には、狂気に獲りつかれる以前のジル・ド・レが登場。当然ながら前述のキャスター、ジル・ド・レェと同一人物です。

こちらは寡黙ではあるも、穏やかな紳士と言った性格をしており、一見して生真面目一辺倒のようにも見えますが、ユーモアにも理解があるようで彼の口から下らない洒落が発せられる事もあります。

また彼のスキルには「プレラーティの激励」と言う名前のものがあり、不穏な雰囲気を醸し出しています。

モンスターストライク(モンスト)「ジルドレ」

TeroVesalainen / Pixabay

モンストことモンスターストライクにも、ジル・ド・レは登場しています。

ゲーム内では、神化させた場合は救国の英雄ジル・ド・レとなり、進化させた場合は魂に潜む悪魔ジル・ド・レとなるようで、英雄とシリアルキラーの両面が描かれています。

ドリフターズ「ジルドレ」

analogicus / Pixabay

異世界に転移した偉人達が激闘を繰り広げる「ドリフターズ」にもジル・ド・レは登場。また同作にはジャンヌ・ダルクも登場しており、行動を共にしていました。

劇中でジル・ド・レは十字槍を操る長髪の巨漢として描かれ那須与一と戦闘。急所に何発も弓を受けても絶命しない驚異的な生命力を見せるも、ガトリングガンを受けてバラバラになり同質量の塩となり絶命しました。

彼の所業の原因について語る回想があり、ジャンヌ・ダルクは地獄に行ったと考え彼女のもとに行くために悪行を重ねた事になっています。

Pexels / Pixabay

また単行本収録の巻末漫マンガでは「歩く青少年条例違反」などジャンヌ・ダルク共々いじられキャラとなっています。

NEXT 童話「青髭」