レッサーパンダ帽男殺人事件の概要と犯人の山口誠や家族、その現在について

犯人が軽度の知的障害を患っていたとして、社会に衝撃を与えた「レッサーパンダ帽男事件」今回は事件について振り返りつつ、山口誠の生い立ちやある意味でもう一人の被害者と言える妹、本人や残された家族達の現在、類似事件としてアイドル襲撃事件等についてまとめます。

レッサーパンダ帽男殺人事件の概要

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レッサーパンダ帽男殺人事件とは、2001年4月30日の午前10時35分頃、東京都台東区浅草の路上にて発生した、29歳の男が19歳の短大生を包丁で刺し失血死させた通り魔殺人事件です。

犯人がレッサーパンダ帽を被り、春先だというのに白と黒の縞模様の毛皮のコートを着用するという奇妙な格好をしていたため、レッサーパンダ帽男殺人事件としてマスコミが取り上げ、注目されます。

報道は一時加熱しますが、その後の調べにより、犯人の山口誠が軽度の知的障害者である事が発覚すると報道は一瞬で沈静化しています。

2001年4月に浅草で女子短大生を殺害

2001年4月30日午前、被害者の19歳の女子短大生は、ボーイフレンドのブラジリアン柔術の試合を観戦するために、浅草駅から800mほどの台東リバーサイドスポーツセンターに向かって通りを歩いていました。

午前10時35分頃、レッサーパンダ帽をかぶった男が、交差点で女子短大生を刺し、無理やり近くの小さな路地へと連れて行き、首を絞めて押し倒してから馬乗りになって被害者の腹部を執拗に刺しています。

女性の悲鳴を聞きつけた、近隣の商店の店主が駆けつけ「何をしているんだ!」と怒鳴るとレッサーパンダ帽をかぶった男は隅田公園の方向へと走って逃走。被害者女性は失血により死亡しています。

レッサーパンダのような帽子を被った男と言われた

警察はその後逃走した男の行方を追い、捜査員がその日の夜現場近く隅田公園の茂みの中で、血のついた包丁とレッサーパンダを模した帽子を発見しています。

レッサーパンダの様な帽子をかぶった男との情報が公開されると、近隣から男の目撃証言が相次ぎました。レッサーパンダ帽男は事件発生の数日前から近隣でたびたび目撃されており、不審な行動も目立った様です。

この犯人の特徴的で不気味な格好から本事件は「レッサーパンダ帽男殺人事件」や「浅草レッサーパンダ事件」などとも呼ばれています。

レッサーパンダ帽男殺人事件の時系列

犯人のレッサーパンダの様な帽子をかぶった男は、被害者の女子短大生を殺害する前にも近隣で不審な行動が度々目撃されていました。

まずは、そうした事前の目撃情報も含めて、レッサーパンダ帽男殺人事件を発生から逮捕に至るまでを時系列でまとめて行きます。

2001年4月26.27日に男性を殴る

事件から数日前の2001年4月26日か27日頃の昼間、浅草雷門付近の路上にて、50代くらいの男性を後ろから無言で何度も殴るレッサーパンダ帽をかぶった男が付近にいた女性に目撃されています。

4月29日長時間隅田川を眺めるレッサーパンダ帽男が目撃される

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それから2日か3日後の4月29日の午後2時前には、その後刺殺の現場となる場所から約30mほど離れた公園のベンチに長時間座り、隅田川を眺めるレッサーパンダ帽をかぶった男が目撃されています。

不審に思った近隣住民が声を掛けると、レッサーパンダ帽男は無言で立ち去っていくそぶりを見せたそうです。

4月30日別の女性を襲う

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レッサーパンダ帽男殺人事件発生の約1時間10分前の、4月30日午前9時半頃、レッサーパンダ帽男は隅田川下流にある吾妻橋の上で、被害者の女子短大生とは別の若い女性を刃物で襲おうとしています。

レッサーパンダ帽男は橋の中央付近でこの女性と出くわした際、突然懐から刃物を取り出す仕草を見せたため、女性は大声をあげ差していた傘を振るって抵抗、レッサーパンダ男はすぐに逃走しています。

その後犯行に及ぶ

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それからわずか1時間と少しの後、レッサーパンダ帽男は江戸通りを台東リバーサイドスポーツセンターに向かっていた被害者の女子短大生を路地に連れ込み、突然刃物で滅多刺しにして殺害しています。

その後、犯人逮捕後の警察の取り調べでの供述によると、偶然見かけた被害者を「かわいいな」と目をつけたレッサーパンダ帽男は、被害者の後をつけて歩き始めたそうです。

そのまま道を歩きある交差点付近に差し掛かった際、被害者が突然振り向き自分を見て驚いた表情をした為「自分が侮辱された」と感じた犯人はカッとなり、無理やり被害者を路地へと連れ込んでいます。

レッサーパンダ帽男はそれから被害者の首を両手で締め、そのまま押し倒して馬乗り状態になり、持っていた刃渡り20cmほどの包丁で被害者の背中や胸、腹などを思い切り何度も刺したと供述しています。

この時の心境についてレッサーパンダ帽男は「侮辱されたと感じた」「殺してでも自分のものにしたいと思った」などと支離滅裂な供述をしています。

包丁や帽子などが発見される

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女性を襲っている時、駆けつけた近隣住民が大声を張り上げた事で、レッサーパンダ帽男は隅田公園方面へと逃亡します。レッサーパンダ帽男はこの時隅田公園内のトイレにて手を洗おうとしたそうです。

その日の夜には、男の行方を追っていた警察の捜査員によって、犯行現場から200mほど離れた隅田公園の茂みの中からレッサーパンダを模した帽子や犯人のかけていた色付きの眼鏡などが発見されています。

5月1日の午後には、帽子の発見場所からさらに50mほど上流に行った地点にて犯行に使われた刃渡り20cmの血のついた包丁が発見されます。特に隠された形跡はなく茂みに引っかる状態で放置されていたそうです。

勧誘された仕事に偽名で勤務

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事件後、行方をくらませていたレッサーパンダ帽男は、東京駅で野宿しているところを建設現場作業員の勧誘員に声をかけられ「コバヤシ」という偽名を名乗り5月8日から建設現場で働き始めています。

会社関係者が情報提供

この時、警察はレッサーパンダ男の似顔絵を作成し、公開して情報提供を求めていました。建設現場で働くレッサーパンダ男を見た会社関係者が「似顔絵に似た男がいる」と埼玉県所沢警察署へ出向いて通報。

事件発生直後から、事件と犯人の行方が依然わかっていない事が男の似顔絵と共に盛んに報道されていましたが、レッサーパンダ男は報道を見ておらず、自分が捜索されている事に気が付いていませんでした。

5月10日に逮捕

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埼玉県警からの連絡を受けた警視庁捜査本部は、5月10日東京都代々木にてレッサーパンダ男を逮捕、その後の取り調べにて男は山口誠という29歳の男だと判明します。

取り調べの際に、わからない事を質問されると必ず「お母さんが知っている」と答えたそうです(この時すでに山口誠の母親は死亡)また、調べによるとこの時山口誠の所持金は48円しかなかったそうです。

報道されるも軽度の知的障害者だったため報道は沈静化

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レッサーパンダ帽に黒白の毛皮のコートを着たという異様な風体の男(しかも身長180cmの大柄)が起こした通り魔殺人というセンセーショナルな内容とその不気味さにマスコミ各社の報道は加熱します。

しかし、その後の取り調べで山口誠が軽度の知的障害を持っていた事が明らかにされると、報道は一気に沈静化する事になります。週刊誌なども、この事実が判明すると一切に記事の掲載を取りやめています。

レッサーパンダ帽男殺人事件のその後

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2001年5月10日、犯人山口誠が逮捕され、一応の解決を見たレッサーパンダ帽男殺人事件の裁判の様子や判決など、その後の展開についても見ていきましょう。

逮捕後について

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逮捕後、犯人山口誠は警視庁浅草署に拘置されます。そこに接見に訪れた弁護士会の当番弁護士(逮捕された人が一回無料で弁護士に面会し相談できる制度)の接見を拒んでいます。

この時山口誠は「自分はこれ以上親にも迷惑をかけたくないし、お金もない」との手紙を自らしたため、それを捜査員を通じて当番弁護士に渡しています。この時、公判では国選弁護人を依頼する事を希望しています。

2005年4月1日無期懲役が確定

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事件の裁判では、被告の山口誠が軽度の知的障害を持っていた事から、責任能力の有無について検察側と弁護側で意見が対立します。

しかし、「弁護側が主張するように、被告が広汎性発達障害に当たるとしても、完全な責任能力を有していたことは明らか」2004年11月26日、東京地裁は無期懲役を言い渡します。

この判決を不服として弁護側は控訴しますが、2015年4月1日山口誠は東京高裁への控訴を取り下げ無期懲役刑が確定しています。以降山口誠は現在まで服役中です。

山口誠の日記について

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山口誠は警視庁浅草署に拘置されている間に日記をつけています。その内容の中で毎年5月に行われる浅草神社の三社祭について書き、続けて被害者への想いを書き記しています。

拘置所内で音が聞こえたのか「朝からふえのねいろやたいこのおとがきこえました」と書き続けて「ひがいしゃの女の子がいきていたらお祭りなどを見にいったりしたとおもいます。」と恋心を抱いていた事を匂わせます。

さらに続けて「女の子のいっしょうを自分がこわしてしまったとゆうことは、つぐなってもつぐないきれないと思います」と反省するような心情も書き綴っています。

山口誠の生い立ち

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被害者にとってあまりにも理不尽で凶悪な犯行を犯した山口誠には、軽度の知的障害がある事が明らかになりました。それを直接関連づけるのが適切かはわかりませんが、その行動はあまりにも理解不能なものでした。

そして、山口誠はこれまでにも数々の問題行動を起こしています。本事件の原因は山口誠の知的障害にあると言えますが、それがどう関係したのかを正しく理解するためには彼の生い立ちを知る必要があります。

山口誠の生まれは?

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山口誠は1972年2月、北海道札幌市にて生まれ育った生い立ちを持ちます。山口誠の両親はこの時、父が27歳、母が23歳で前月に入籍したばかりでした。山口誠は二人の間に生まれた最初の子供でした。

5人家族で知的障害があった

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山口誠が生まれた2年後に次男が、さらにその2年後に妹が誕生し、両親と二人の弟妹の5人家族で育っています。山口誠には生まれた時から軽度から中程度の知的障害がありました。

酒に溺れた父親に暴力を奮われる

山口誠は幼い頃から、酒に溺れた父から度々暴力を振るわれ、この父を恐れていたそうです。父は仕事を転々としパチンコ店に入り浸り金の管理は全くできず、一家の生活は困窮を極めたそうです。

後に、山口誠が度々家出し放浪を繰り返すようになったのは、この父からの暴力などの悲惨な生い立ちに原因であったとされています。

中学時代の夢は調理師で大人しいタイプだった

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中学時代の山口誠は、教師の印象にはあまり残らないおとなしい少年だったと言われます。調理師になる夢を持っていたそうで、進路は専門学校を望んだようですが、学校の勧めで養護学校へと進んでいます。

家に友人を呼んで爆音で音楽を響かせたというエピソードもあるようですが、中学の成績はオール1に近く、学校では酷いイジメにあっていたようです。

1989年に最愛の母親が病死し転々とする生活

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山口誠は父の暴行や学校でのいじめを受け、一家は父の浪費癖により困窮するなど悲惨な毎日を送っていましたが、母がパートに出て生活を支える事でなんとか一定の秩序は保たれていた様です。

しかし、1989年、山口誠が17歳、高等養護学校3年の時に母親が白血病で亡くなり、家庭は崩壊状態に陥り家族は転居を繰り返す様になり明日。この頃に山口誠も3日から4日程度の家出を繰り返す様になります。

高校卒業後は仕事を転々とする生活

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そんな中で山口誠は1990年3月に高等養護学校を卒業、クリーニング店に就職します。しかしここでも知的障害者である事をバカにされ陰湿なイジメに逢い1ヶ月ほどで辞めてしまいます。

続いて印刷会社に就職しますが、ここでも酷いイジメにあっています。この職場でのイジメは凄惨なもので、山口誠は暴力を受けて前歯を全て失うという悲惨な生い立ちを持っています。

1991年から1999年に掛けての問題行動

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山口誠はこうした悲惨な生い立ちを原因としてか、次第に犯罪行為などの問題行動を起こす様になります。1991年には札幌駅で置き引き、1992年8月には旭川にて銃刀法違反にて逮捕、8千円の罰金。

1994年7月には、函館にて34歳女性をモデルガンで脅し、強盗とわいせつ行為をしようとして、強制わいせつ・強盗未遂にて逮捕され、懲役3年執行猶予5年の判決が下っています。

1995年になると家出をして放浪、5月には熊本県にて自転車窃盗を起こし、函館での強制わいせつと強盗未遂での執行猶予が取り消され、佐賀少年刑務所へと送られ3年間服役しています。

1998年2月に刑期11ヶ月を残して仮釈放されますが、翌1999年4月に今度は青森県で無銭飲食で捕まり、詐欺罪にて逮捕保護観察処分は取り消され、青森刑務所へと送られ再び服役しています。

2001年家出人として保護される

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2001年1月に青森県刑務所を仮出所しますが、山口誠はこのまま行方をくらませ、東京へと向かったそうです。しかし所持金が尽きた山口誠は、交番へ出向いて保護を求め2月に家出人として保護されています。

レッサーパンダの帽子を購入

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山口誠の悲惨な生い立ちと、高等養護学校卒業以降に犯した多くの犯罪について見てきました。そんな山口誠の代名詞ともなるレッサーパンダ帽はどうやら山口誠にとって大切なものであった様です。

この帽子は函館で購入したものの様で、逮捕後の取り調べで「小さい頃、猫を飼っていて、動物が好きなのでかぶっていた」と供述しています。また、レッサーパンダではなく犬だと思っていたとも供述。

事件を起こす約2ヶ月前の2001年3月、上野のカプセルホテルに宿泊した際、ホテル従業員が「可愛い帽子だね」と話しかけると、嬉しそうに帽子を差し出しきたそうです。

上京を決意し4月3日に浅草寺雷門付近で野宿生活

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山口誠は事件を起こすまでの間、上京して浅草雷門付近で、ダンボールをしくなどして野宿生活を送り、ほぼホームレスと同様の生活をしていた様です。

事件の凶器となった包丁もこの4月に浅草雷門付近で購入しています。包丁の購入目的については「人を脅かす目的と自分の身を守るために買った」と後の取り調べで供述しています。

山口誠の悲惨な生い立ちを見てきましたが、この年の4月30日ついにレッサーパンダ帽男殺人事件を起こしてしまいます。生まれてずっとギリギリの所で生きてきた山口誠は、ついに一線を越えてしまったのです。

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