エリザベート・バートリの残虐行為とは?吸血鬼だった?子孫や城の現在

吸血鬼伝説のモデルの1人とされているエリザベート・バートリは「鉄の処女」と名付けた拷問具で処女の生き血を抜き取っては浴び、美しさを維持したと言われています。今回は、貴族の家系に生まれ、子孫も残した殺人鬼エリザベート・バートリについてまとめます。

血の伯爵夫人エリザベート・バートリとは

血の伯爵夫人として後世にまで名を残す事となるエリザベート・バートリは、当時トランシルヴァニア公国を代表する名家、バートリ家に生まれました。

ポーランドを収めたイシュトヴァーン9世の姪にあたることからも、エリザベートの高い地位が伺えます。

しかし、高い地位にあったバートリ家の子孫の中には「悪魔崇拝者」「色情狂」などと噂される者もおり、エリザベート本人も幼少の頃から感情の起伏が激しく、風変わりな子供だったようです。

エリザベート・バートリ(バートリ・エルジェーベト)は連続殺人者

明確な人数はわかっていませんが、エリザベート・バートリは80人以上の人間を殺害したとされます。1610年、エリザベートの城に監禁されていた娘が逃げた事で、エリザベートの犯行が明るみに出ました。

実は、エリザベートの大量殺人は、監禁されていた女性が逃げ出す以前から噂になっていました。しかし、名門貴族であるエリザベートに配慮し、事件にまでは発展していませんでした。

ですが、エリザベートの蛮行が明るみに出ると、裁判にかけられたエリザベートには死ぬよりも辛い罰が与えられました。エリザベートの裁判については後述致しますので、ぜひ最後までお読み下さい。

吸血鬼伝説のモデルともなった女性

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エリザベート・バートリが、吸血鬼伝説のモデルとなった女性である事はご存知でしょうか。

エリザベートが吸血鬼伝説のモデルと言われるようになった理由は、大量殺人を犯さなければ手に入らなかった、エリザベートの目的によるものです。

彼女が大量殺人を犯してまで欲したものは若い女性の「生き血」でした。エリザベート・バートリが生き血を欲した理由も、後述にて詳しくまとめます。

美を求めた連続殺人鬼エリザベート・バートリの残虐行為

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こちらでは、エリザベート・バートリが殺人を犯すようになったきっかけと、その残虐な行為をまとめました。

残虐行為は夫フェレンツ・ナダスティの死後から?

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エリザベート・バートリには、フェレンツ・ナダスティという5歳年上の夫がいました。エリザベートには愛人が多くいましたが、夫婦仲は円満だったそうです。

エリザベートの大量殺人にまで発展した残虐行為は、夫の死後から始まったとする説が有力です。

しかし、武人であった夫フェレンツも、捕らえた捕虜に対して残虐な処罰は好む性格で、エリザベートの残虐な行いも、夫から受け継がれたという説もあります。

メイドの返り血を浴び快感を覚えたことが始まり

エリザベート・バートリの大量殺人のきっかけとなったのが、エリザベートが激しく折檻したメイドの返り血が付いた手の甲を拭った際、肌が真珠のように輝いたからだと言われています。

エリザベートは結婚後、何もない田舎で暮らす事になります。夫は留守が多く何の楽しみもない中、彼女は自室に篭り宝石で身を固めひたすら美を求めるために、怪しげな薬にまで手を出したそうです。

しかし、年齢を重ねるにつれ、美しさには限りが出てきます。唯一の救いであった美が少しづつ失われる日々に、血を拭った後に輝いた肌は、彼女にって僥倖でした。

「礼儀作法を習わせる」と誘い出す手口

エリザベート・バートリの最初の犠牲者は、彼女の身の回りを世話していた召使いでした。何人もの召使いを殺し、生き血を取っては自身の美貌を保つ為に使っていたのです。

しかし、エリザベートは次第に召使いの生き血では効果が薄いように感じました。そこで彼女は、「礼儀作法を習わせる」と誘い出す手口で、貴族の娘を城に呼び殺害しました。

貴族の娘の方が、美しい血が取れると考えたのです。名家であるバートリ家の子孫であるエリザベートの誘いを断る貴族の娘は居らず、エリザベートは簡単に生き血を集める事が出来ました。

鉄の処女で殺し血を浴びる

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エリザベートは、様々な拷問具を使用して生き血を集めました。中でも有名なのが、血を集める為にエリザベートが作らせたとされる「鉄の処女」です。

鉄の処女は、観音開きになる箱の内側に取り付けられた針が、箱に入った人間を串刺しにする拷問具で、中世ヨーロッパでは広い地域で使用されていました。

エリザベートが使ったとされる鉄の処女は、生き血を集める為の管が取り付けられ、鉄の処女を使う際に押したボタンは宝石で出来ていたとされています。

性器や膣を取り出し興奮するという変態性欲者

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エリザベートの異常性は、美しさのために生き血を欲するだけではありませんでした。彼女は、生きたままの女性の性器や膣を召使いに切り取らせ、それを見て興奮する変態性欲者だったそうです。

変態性欲者とは、性的嗜好において異常性があるとされる者を指しますが、エリザベートの場合、同性愛・多淫・カニバリズム(食人)を行ったとされています。

その他の拷問方法

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エリザベートは「鉄の処女」のように生き血を効率良く取る為の拷問方法だけではなく、痛めつけることを目的とした拷問方法まで、実に多くの方法で殺人を犯しました。

針のついた鳥籠に女性を入れ、エリザベートのベッドの上に吊るし、鳥籠の中にいる女性を他の召使いに熱した鉄棒で突かせ、逃げる女性が針で傷つく度に滴る血を浴びていたそうです。

また、指や肌を切り、苦悶に歪む顔を見て楽しんだり、口に両手を入れ、左右に引き裂くなど残虐極まりない殺人も行なっていました。

犠牲者は600~700人にも及んだ

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1610年に、大量殺人の罪でエリザベート・バートリが裁判に掛けられた際、「確実にエリザベートが殺した」とされる人数は、約80人だとされました。

しかし、エリザベート本人の手記には、殺害した人数は650人は下らないと記されていたそうです。

また、当時ハンガリー王であったマーチャーシュ2世は、手紙でエリザベートが殺害した人数は300人だと認識している旨を残しています。

エリザベート・バートリの生い立ち

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エリザベート・バートリが殺人鬼になった経緯と蛮行をご紹介してきましたが、稀代の殺人鬼、エリザベート・バートリとはどのような生い立ちだったのでしょうか。

こちらでは、エリザベート・バートリの生い立ちについてまとめます。

名門の娘として生まれた

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エリザベート・バートリは、トランシルヴァニア公国を代表する名門、バートリ家の娘として生まれました。バートリ家は、ハンガリー王やトランシルヴァニア公も輩出している名実共に有力者の家系です。

エリザベート自身、叔父がハンガリー王であったことから、かなりの権力を持っていたとされます。

しかし、有力者であるが故、エリザベートが11歳になる頃には許嫁が決められており、許嫁の姑の元で現代での「花嫁修行」を課せられ、息苦しい環境で思春期を過ごしました。

成長するにつれ美しさが目立つが性格は女王様気質だった

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エリザベートは、幼少の頃より際立った美貌を持つ子供だったようです。それを裏付けるかのように、彼女の自画像はどれも抜けるような白肌と目鼻立ちの整った美女が描かれています。

しかし、そんな天使のような美貌からは到底想像出来ないほど、エリザベートは気位が高く、わがままな性格の「女王様気質」でした。

幼少の頃より、感情の起伏が激しい子供でしたが、年齢を重ねるにつれ「女王様気質」は顕如になっていき、気に入らない事があると、召使いにひどい折檻を行なったそうです。

結婚後は自室にこもり美が生きがいとなっていく

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エリザベート・バートリの夫フェレンツ・ナダスティは、伯爵であると同時に軍を率いる優秀な指揮官でした。その為、ナダスティは1年間の殆どを戦場で過ごしていたようです。

エリザベートは結婚後間もなく、娯楽のない田舎にあるチェイテ城で、夫のいない孤独な生活を強いられる事になったのです。まだ若いエリザベートにとって、夫も娯楽もない生活は苦痛でしかありませんでした。

そんなエリザベートの孤独と苦痛を紛らわせてくれたのが、幼少期から褒めそやされていた自身の美貌でした。結婚後、孤独と苦痛に苛まれたエリザベートは、自室にこもって自分の美しさだけに執着していきます。

エリザベート・バートリはエキセントリックな性格と言われていた

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エリザベート・バートリは、年端もいかない頃から型にはまらない「エキセントリック」な性格であったと言われています。

由緒正しいバートリ家とは、名門貴族ハプスブルク家とも所縁のある、まさに「貴族の中の貴族」でした。そんなバートリ家にあって、天使のような美貌を持つエリザベートは「貴婦人」になって当然でした。

しかしエリザベートは、11歳頃から許嫁の姑に預けられると、居住としていた「チェイテ城」から脱走するという、当時としては「貴婦人がとるはずのないエキセントリックな行動」をする子供だったようです。

バートリ家について

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エリザベート・バートリが生まれたバートリ家とは、名門の家系でありながら仄暗い噂がありました。

こちらでは、数々の偉人を輩出しているバートリ家についてまとめます。

バートリ家は遺伝子的疾患があると言われていた

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バートリ家は、ハンガリー王やトランシルヴァニア公も輩出した名実共に間違いのない名家です。しかし、王位につくような人間の生まれたバートリ家は、「遺伝的な疾患」のある家柄だと言われています。

バートリ家の子孫の中には、悪魔崇拝者や色情狂のような現代での「精神疾患」とされる人物が高い確率で見られます。

バートリ家に精神疾患のある人が多くなった原因ではないかとされているのが、親族間で婚姻を繰り返す「近親婚」です。

エリザベート・バートリの親族もまた異常だった

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エリザベート・バートリ自身、幼少の頃からエキセントリックな性格をしてましたが、バートリ家には彼女以上に「精神異常」といえる親族が多くいました。

エリザベートの実の兄であるイシュトヴァン・バートリは色情狂だったらしく、権力を振り翳し、女性であれば年齢に関係なく性行為を強要したそうです。

妹のクララ・バートリは、同性愛を始め、倒錯した性的嗜好の持ち主で、性交中に女性の首を締めて殺害したとも言われています。他にも悪魔崇拝者の叔父、同性愛者の叔母などもいました。

エリザベート・バートリの最期

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600人~700人もの女性を惨たらしく殺害した「血の伯爵夫人」エリザベート・バートリの最期をまとめます。

貴族にまで手を出し噂は大きくなっていた

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自らの美しさを保つため、若い処女の血を集める事に躍起になったエリザベート・バートリは、次第に若い処女とはいえ、召使いの生き血では美しさに対する効果が弱いのではないかと考えました。

そこで彼女は、自分より身分の低い下級貴族の娘に「礼儀作法」を教えるという口実で自らの城に招き、殺害しました。

娘達がチェイテ城に招かれた後に姿を消すため、エリザベートに疑念の目が向けられるのは当然でした。暫くしてエリザベートが娘を殺しているという噂が立ち、その噂は次第に大きくなっていきました。

膨大な死者の扱いが雑になり城壁の外へ放り投げ村人に気付かれる

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エリザベートは、殺した娘達の遺体の処理を、全て側近の召使いにやらせていました。エリザベートが殺人を始めた最初の頃は、死体の1つ1つを丁寧に埋葬していたそうです。

しかし、死体の数が増えていくと、召使い達は死体の埋葬が面倒になり、最後には死体を何の処理もしないまま城壁の外に投げ捨てました。

投げ捨てられた死体を見つけたチェイテ城の近くに住む村人は、捨てられた死体を見て、エリザベートの元へ召使いとして奉公に出ている娘達が殺されている事に気付いたのです。

監禁されていた一人が脱走したことで捜査が行われる

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エリザベートに招かれると消える娘、城から投げ捨てられた死体など、エリザベートが娘を殺しているという噂は、ほぼ確信となってチェイテ城の周りで囁かれていました。

しかし、噂が幾ら大きくなっても、トランシルヴァニア公国屈指の名家の出であるエリザベートには、捜査が行われる事はありませんでした。 

が、エリザベートが監禁していた娘の1人が逃げだし、エリザベートの悪事を上告した事で、事態は急展開を迎えます。

裁判

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1611年、ついにエリザベートは大量殺人を行った罪で裁判にかけられます。

チェイテ城には娘を殺し、血を抜き取った鉄の処女を始めとした拷問具が血がついたまま放置され、地下牢には娘達の遺体が無数にありました。

探す必要が無いほど無数に出てくるエリザベートの悪業の証拠により、エリザベート・バートリとエリザベートの殺人を補助していた召使い数人には、厳しい罰が与えられる事となります。

従僕は死刑

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エリザベートの殺人を補助していたとして、従僕の数人は死刑を言い渡されました。主人からの指示で殺人を手伝わされていたとはいえ、多くの命を奪う片棒を担いだ代償は重かったのです。

召使い達に下された処刑方法は、実に凄惨なものでした。召使い達は全ての手指を引き抜かれ、生きながらにして火あぶりにされたのです。

指を引き抜かれる際に、召使い達はこの世のものとは思えない程の凄まじい絶叫を上げたとされます。

幽閉され白骨になるまで放置された

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もちろん、残酷な方法で多くの若い処女ばかりを殺害した主犯、エリザベートにも刑罰が下されました。ですが、エリザベートの出自が高貴な名家である事、バートリ家からの嘆願により、エリザベートは死刑を免れます。

しかし、エリザベートは裁判後、全ての窓を漆喰で塗り固められ、光が入らないようにされたチェイテ城の寝室に幽閉され、幽閉されてから3年後に死亡しました。

死亡した後も、エリザベートの死体は白骨化するまで外に出されることはありませんでした。

エリザベート・バートリの逸話について

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600人以上もの娘を殺害したとされるエリザベート・バートリは、様々な逸話を残しています。

こちらでは、エリザベート・バートリの逸話についてまとめます。

殺害した血で湯浴みをしていた

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エリザベートは、殺した娘達の生き血を召使い達に湯船に溜まるまで絞らせ、湯船に溜まった生き血に、まるで湯浴みをするように浸かっていたとされます。

まだ温かいままの血を自身の肌に刷り込み、シャワーのように頭から浴びる事はもちろん、時には口に含み、飲んでいたそうです。

血の湯浴みはプラシーボ効果だった?

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自身の美貌を保つために処女の生き血に固執したエリザベートですが、実際、血液には美容効果があるかといえば「NO」と言えます。

エリザベートは、召使いを折檻した際に偶然手についた血を拭いた後の肌が輝いて見えたことから、生き血での湯浴みを始めたとされますが、肌が美しく見えたのは「プラシーボ効果」によるものだと思われます。

プラシーボ効果とは、いわゆる「思い込み」により、実際には出るはずのない効果が体に出るといったものです。プラシーボ効果が起こる理由は、未だにはっきりとした答えが見つかっていません。

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