市橋達也の現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の詳細、逃亡劇|生い立ちや家族も社会

市橋達也の現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の詳細、逃亡劇|生い立ちや家族も

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2008年10月に眉間の整形

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関西で住み込みをしている時、宿舎に戻るとスーツ姿のスーツ姿の男たちが何人かいました。刑事だ!と思った市橋はすぐにその場を逃げており、再び顔を変えることを考えました。

2008年10月23・24日、名古屋にある形成外科にて鼻を高くする眉間の形成手術を受けています。当時所持金は約90万円だったといい、安く顔を変えられるところを探し名古屋の病院に行き着いたのです。

オーハ島での生活について

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オーハ島で最初に滞在したのは、海辺の岩礁でした。その時は1週間の滞在に止まりましたが、オーハ島には全部で4回訪れており、最長で3ヶ月島暮らしをしています。

2回目の島暮らしをする前には図書館に行きサバイバルの知識を調査、そこで得た知識で野菜の栽培や蛇やヤシガニを食べるなどしてオーハ島での生活をしたのです。

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飲料水に関しては、1週間に1回島の西隣にある奥武島に泳いで渡りペットボトルに入れて持ち帰るなどしています。燃料になる薪については、流木などが豊富だったため困ることはありませんでした。

大阪での仕事とオーハ島生活を繰り返す中で、島での生活は周りに人がいないことで1時の安心のようなものを得られたと言いますが、島の子やで死のうと思ったこともあったそうです。

2009年11月に美容形成外科医院が犯人に気づく

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2008年10月に整形手術を行なった名古屋の美容整形外科医院が、2009年11月5日に警察へ通報しています。市橋達也だと気付いたのは、カルテの整理をしている時でした。

男性がほくろ除去をしていることは珍しく、それを不審に思い報道されていた市橋達也との一致部分を確認、病院スタッフが通報しました。

警察は骨格などから手術を受けたのが市橋だと断定、術後の顔写真を公開しています。市橋の顔は一重まぶたから二重に、鼻が高くなり唇は薄くなっていました。

新たな指名手配が報道され雇用主の建設会社が通報

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美容整形外科の通報により新たな顔写真で指名手配書が作られたことで、2009年10月まで働いていたとして大阪府茨木市の建設会社が警察に通報しています。

2008年2月29日から6月26日までの間、偽名を使って神戸市の建設会社で勤務し、8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社で勤務した。

(引用:Wikipedia)

全て会社の寮での住み込みの仕事ではあったのですが、無断で退去をしています。ちなみにこの建設会社は、大阪西成あいりん地区にて仕事を募集しその場で市橋も雇用したそうです。

市橋は西成では「井上」という偽名を使っていた

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西成で日雇いの仕事を紹介する「飯場」という場所で、市橋達也は「井上」という偽名を使っていました。

この飯場で手配師(仕事のあっせん)をしていた男性は、人目を避けるようにして細い路地で声を掛けてきた市橋達也を見て、直感で「訳アリだな」と確信したといいます。

関西の人間が多い西成で標準語を話し、年も若い市橋達也は西成でも異質な存在でしたが、もともと指名手配犯の潜伏も珍しくない土地のため、さして気に留めなかったのだそうです。

報道に気付きオーハ島へ逃げることを選択

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度重なる通報によって足取りがメディアによって報道されていました。福岡のホテルに滞在中そのことに気づいた市橋達也は、再びオーハ島へ逃げることを決めました。

オーハ島へ行くため鹿児島まで移動しますが、警察の警備を恐れて神戸から沖縄へ渡ることを選択します。その過程で一度警察官による職務質問を受けていますが、逃走に成功しています。

2009年11月10日にターミナルで通報される

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2009年11月10日神戸市東灘区にある六甲船客ターミナルで、同社の従業員が沖縄行きの船に乗車しようとしていた乗客の中に、市橋に似た不審な男を見つけます。

当日神戸発沖縄行きの航路は欠航していたため、沖縄行きの航路が動いている大阪南港発の線を案内していました。それを聞いた市橋は大阪南港へ行く旨を話しており従業員はそれを不審に思い警察に通報しました。

大阪南港フェリーターミナルで身柄を拘束された

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六甲客船ターミナルから大阪南港ターミナルで移動した市橋達也を待っていたのは、先回りして待機していた警察官でした。

2009年11月10日大阪南港ターミナルにて確保された市橋は、大阪府警住之江署に移送されリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の容疑者として逮捕、2年7ヶ月に及ぶ逃亡劇に終止符が打たれたのです。

市橋達也の生い立ち

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ここまで事件の内容と市橋達也の逃亡劇を中心にまとめてきましたが、ここからは彼の生い立ちについても書いていきたいと思います。

両親共に医師のエリート家系に生まれる

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市橋達也は両親ともに医師をしている、いわゆるエリート一家に生まれたという生い立ちがあります。そのため、市橋自身も医者を目指していたときがありました。

何不自由なく暮らし子供の頃は良い子だった

市橋達也の実家は岐阜県鳥羽市にあり、医者をしていた両親の元生まれました。閑静な住宅街に建つ大きな一軒家で育ち、お金に困ることのない何不自由のない暮らしをしていたのです。

幼い頃から手先が器用で絵を見たり書いたりするのが好きな子供でした。子供の頃は良い子だったと市橋の母親は言っています。

しかし、筋を通したがる性格だったため、おかしいと思うことがあったり裏切られたと感じた時は、感情をむき出しにして怒りをあらわにすることもあったそうです。

大学受験で人生初の挫折を味わう

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裕福な家庭で何不自由なく育ってきた市橋達也は、大学受験で人生の挫折を味わうことになります。両親と同じ医学部のある大学の受験に挑みますが、受験に失敗してしまったのです。

そして、毎年受験に挑戦しますが4浪ののち、千葉大学園芸学部緑地環境学科に入学しました。千葉大学では、植物についてや公園のデザイン、建築について学んでいました。

卒業後無職になり海外へ

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大学を卒業したのは2005年のことで事件を起こす2年前でした。卒業後は就職せず、海外の大学院に進学するため英語の勉強をしていました。

両親からとにかく甘やかされて育った

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両親からは、とにかく甘やかされて育っていたことが事件当時の暮らしぶりからもよくわかります。大学卒業後就職をせず、英語の勉強に集中するため親が所有している3LDKの部屋に住んでいました。

バイトなどはせず、月に15万円の仕送りをしてもらっていたのです。しかし事件直前、英語の勉強をしているにも関わらず試験に不合格となってしまったことをきっかけに、仕送り停止を通告されていました。

このように、良い子で育ってきたと思われていた市橋達也は、裕福ながらも親に甘えながら育ってきたという生い立ちがあったのです。

市橋達也の家族について

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生い立ちを簡単にまとめていきましたが、市橋達也の家族についても詳しく見ていきましょう。どんな家族の元育ってきたのでしょうか?

父親について

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父親は、前述した通り医者をしていました。愛知県内にある病院の外科の医師として働いていました。病院では外科部長を務めていましたが、事件後責任を感じ退職しています。

市橋達也は父親に逆らうことはなく、むしろその逆で尊敬していたそうです。父親は、病院退職後に重病説や自殺説が流れたことがありましたが、現在も自宅におり、ご健在とのことでした。

母親について

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母親は歯科医師をしていました。務めていた病院が何処の病院なのか詳しい部分はわかりませんでしたが、父親と同じく事件後には退職しています。

事件後の家族の様子と息子について取材を受けた際、次のように発言していましたのでそちらをご紹介します。苦しく辛い心情がよく現れた言葉でした。

「ずっと自宅にいます。私は主人がいるから生きていけている。私は生意気な人間ですけど、主人はマジメな人なんです。あの子の教育をしたのは私。あの子がもし悪いことをしたなら、それは私のせいです。」

姉について

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市橋達也には、両親だけでなく姉が1人いました。姉は2019年現在で40歳になる年で、裕福な家庭のお嬢さんとして育ちました。

事件が発生した時にはすでに結婚していましたが、事件が発生し市橋達也が逃亡中に離婚されています。彼女もまた、弟によって人生が一転してしまいました。

市橋達也逮捕を受けて両親は会見を開いていた

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市橋達也逮捕後、ご両親は記者会見を開いて謝罪と息子への気持ちを語っていました。

母親は「捕まえてもらってありがたかった」などと話し、父親も「あくまで息子はかわいいと思っているが、罪を犯せば償いをするのは社会の常識だ」と突き放した。

(引用:Jcastテレビウォッチ)

ご両親は上のように気持ちを話したうえでリンゼイさんの家族に謝罪、父親は息子が逃亡している間、ずっと遺族から送ってもらったリンゼイさんの写真に手を合わせていたことを明かしました。

事件のその後について

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市橋達也が逮捕されたことは、世間で大きな話題となりました。2年7ヶ月の逃亡の末逮捕された市橋は、そのような一途を辿ることになったのでしょうか?世間の反応とともに見ていきましょう。

逮捕後市橋達也がイケメンだと騒ぎに

市橋達也が逮捕された時、もっとも話題となったのは彼の容姿についてでした。逮捕され移送される姿をメディアに捉えられ、フードを被った姿ながらも”イケメンだ!”という声が多く出たのです。

イッチーファンクラブのコミュニティが作成され市橋ギャルが出現

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市橋達也がイケメンだったことも大きなきっかけとなりましたが『イッチーファンクラブ』といファンクラブがmixiのコミュニティで作成されました。

イッチーファンクラブに入っている女性は”市橋ギャル”と呼ばれ、多数の人がそのコミュニティーに参加していました。モラルに欠けると批判の声が上がり、2チャンネルでも批判の対象となりました。

2020年現在もネットでは「市橋達也のファンクラブって何だったんだろう?」「未だに思い出すとムカムカする」と苦々しい思いを口にする人は少なくありません。

市橋ギャルが何故誕生したのか?

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これは、個別のユーザーが批判の対象となり退会者が多数出る、という事態にまで発展しました。このファンクラブができた理由としては言われているのは、同情や共感だけでなくヒロイン的思考にあると言います。

被疑者に同情共感をし、支援支持することはマイノリティーでありリスクもあることですが、そのリスクがヒロインのような気持ちに陶酔することができたことが原因と考えられています。

さらにSNSが発展し始めた時期でもあったため、ネットツールで簡単に応援が可能となり、同じように感じている人を集めやすいという部分がイッチーファンクラブが誕生してしまった一因といえるでしょう。

市橋ファンクラブは海外でも報じられた

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2009年11月にはYahoo!韓国で市橋達也のファンクラブがあることが報じられ、韓国内でも「犯罪者のファンなんて正気の沙汰とは思えない」と話題になったといいます。

Yahoo!韓国の記事内では市橋ガールズを「猟奇殺人犯が少女漫画のヒーローのような扱いをされている」と報道。

これを受けて日本国内でも「海外にまでこんなニュースが広がって恥ずかしい」「リンゼイさんのご遺族が見たらどう思うか」との嘆く声が上がりました。

TBS記者が逮捕

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市橋達也逮捕され・送検される時あるTBS記者が逮捕されています。逮捕されたのは同局制作局所属のディレクターで、公務執行妨害での現行犯逮捕でした。

市橋が送検される際そのディレクターは、撮影のために規制線を超え、制した警察官を突き飛ばし怪我をさせてしまいます。さらに移送車両を突進して窓ガラスを数回叩いていました。

そのため現行犯逮捕されたのです。この時たくさんの記者がいたため、逮捕された以外にも現場は大混乱に見舞われ、日本経済新聞社のカメラマンが右手首にヒビが入る怪我をおっています。

市橋達也を雇用した建設会社に風評被害

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市橋達也が住み込みで仕事をしていた大阪の建設会社は、事件後に風評被害を受けています。いくら市橋だと気づかなかったと言え、犯罪者を雇用していたことで取引先との契約を切られるといったことがあったそうです。

市橋達也にかけられた1000万円の懸賞金は誰の手に?

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逮捕前、市橋達也には1000万円もの懸賞金がかけられていました。当初は逮捕につながる情報を提供した人物に100万という金額でしたが、2年の間に1000万円にまで懸賞金が増額されたのです。

市橋達也逮捕後、この懸賞金は以下の3者が受け取ったといいます。

  • 名古屋の整形外科医(手術後の写真提供)
  • 逮捕当日に市橋達也が乗船しようとしたフェリー会社
  • フェリー乗り場まで市橋達也を乗せたタクシー運転手

2011年に手記が出版される

2011年1月26日幻冬舎より『逮捕されるまでー空白の2年7ヶ月の記録ー』という手記が出版されており、逃亡中の生活や事件に対しての懺悔を書いている本です。

表紙の絵や本文説明用に描かれている挿絵に関しても、市橋達也本人が描いており、逃亡中の様子は詳細に描かれています。

編集担当者は「(被告の)観察眼、感性の豊かさを感じた」と話している

(引用:Wikipedia)

本の売り上げによって得た印税に関して、全て遺族への弁済に当てることを表明していますが、遺族は裁判前に本を書いたことに大変嫌悪感を抱いています。

2011年7月には印税は1100万円、税引き後の912万円を遺族へ渡したいと書いていましたが、次のように考え一銭も受け取ることはありませんでした。

「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」

(引用:Wikipedia)

手記には遺族が受け取らない場合、印税を公益に使って欲しい旨をあとがきで書いています。

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