市橋達也の現在は?リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の詳細、逃亡劇|生い立ちや家族も

市橋達也が起こしたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は事件発覚から解決まで、長い月日がかかるとともに壮絶な逃亡生活が明らかとなったため、世間を大きく騒がせました。被疑者の市橋達也の現在や生い立ち、家族について、そして事件の詳細をまとめていきます。

市橋達也が起こしたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の概要

事件が起こったのは2007年でした。市橋達也はどのような経緯でリンゼイ・アン・ホーカーさんを狙い殺したのか事件の概要からご覧ください。

2007年3月に声を掛ける

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事件の発端は市橋達也がリンゼイ・アン・ホーカーさんに声をかけたことからでした。はじめにリンゼイさsんを目撃したのは2007年3月20日の行徳駅でのことです。

市橋は「以前、洗濯機を直してあげたの覚えていませんか?」と声をかけました。それに対し、リンゼイさんは「知りません。」と答えます。

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そんな彼女を追いかけ「私は美術を勉強しています。そのために英語を教えて欲しいんです。怪しいものではないので、お水だけでも飲ませてもらえませんか?」とさらに声をかけます。

そんな市橋にリンゼイさんは、水を飲ませてあげます。そして英語教師を引き受けることになるのですが、そのことをきっかけに殺害されることとなったのです。

逃亡と整形を繰り返し2009年に逮捕された事件

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事件が発覚し家宅捜索から逃れた市橋達也は、2009年11月に逮捕されました。整形を繰り返し職を転々としていましたが、2年7ヶ月の逃亡生活の末逮捕に至ったのでした。

その逃亡生活は、一般人からすると到底想像できないような生活ぶりでした。なんと、整形に関しては整形外科でするだけでなく自分自身でも行い、住処に関しては人の目から逃れるために無人島にまで住んでいたのです。

リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の時系列

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リンゼイ・アン・ホーカーさんは、行徳駅で見かけられたのち市橋達也の英語教師となりました。事件は個人レッスンが決まった直後に起こるのです。

2007年3月に声を掛ける

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2007年3月20日深夜、行徳駅前のことでした。ある女性が「以前、洗濯機を直してあげたの覚えていませんか?」と声をかけられます。しかし彼女は「人違いです。」と返答しました。

声をかけたのは事件の被疑者である市橋達也、声をかけられたのは事件被害者であるリンゼイ・アン・ホーカーさんです。リンゼイさんは返答をしたあとすぐにその場を去りますが、市原は後を追いかけました。

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そして「私は美術を学びたくて、英語を教えて欲しいんです。怪しいものではありません、水だけでも飲ませてもらっていいですか?」と声をかけます。

家の前まで追いかけたといい、家には彼女のルームメイトがおり水を飲ませてもらったそうです。そして、英語を教えてもらう代わりに自分の連絡先ととも彼女の似顔絵を描いて渡しました。

3月25日午前9時ごろ喫茶店で英語のレッスン後自宅に招く

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その後数回メールでやりとりし、1時間3500円で英語のレッスンをしてもらうことに決まりました。そして3月25日に事件は起こります。

夜9時ごろ喫茶店にて英語のレッスンを受けましたが、市橋達也はレッスン料を自宅に忘れたと言い、リンゼイ・アン・ホーカーさんを連れ自宅に向かいました。

喫茶店で2人が一緒にいる姿は防犯カメラにも収められており、9時54分には市橋達也の自宅マンションエレベータに設置された防犯カメラにも2人の姿が写っています。

家に中に入った途端豹変し犯行へ

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お金を受け取るだけどと思って付いていったリンゼイ・アン・ホーカーさんでしたが、家に着いた途端市橋達也は豹変しました。

部屋に入った途端リンゼイさんを押し倒し、結束バンドで拘束したのです。そして性的暴行を与えました。浴室から浴槽を部屋まで持ってきた市橋達也は、彼女を浴槽へ入れ16時間もの間監禁します。

翌日早朝の2時〜3時ごろ、手の拘束を説いたところリンゼイさんが逃亡しようとしたため、頸部を絞め殺害に及んだのです。市橋は殺害に関して、殺意を最後まで否定していました。

「彼女と親密な関係になりたかったからとも語り、最後まで殺意を否定しました。しかし、その一方で市橋被告はリンゼイさんの手足を縛って浴槽内に放置していた」(阿部)

(引用:Jcastテレビウォッチ)

監禁中には、高速を解くように要求するリンゼイさんを何度か殴る蹴るなそをして暴行しています。さらに、24時ごろには当時交際中だった交際相手に対し「1週間ほど会えない」と言うメールを送っています。

ホームセンターで大量購入

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リンゼイさん殺害後、市原達也はホームセンターで大量に様々なものを購入しています。それが次のものです。

  • 赤玉土56リットル
  • 園芸土50リットル
  • シャベル1個
  • 発酵促進脱臭剤2個
  • 脱臭剤2個
  • 苗木1本

これだけの量を1人で買い物し自宅に持ち帰った市橋は、浴槽を部屋のベランダに移動させました。そして、浴槽に購入した土を入れ死体を遺棄したのです。

ルームメイトの通報により捜索が始まる

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事件が発覚したきっかけとなったのは、被害者であるリンゼイ・アン・ホーカーさんのルームメイトの女性が警察に行方不明の相談をしたことでした。

被害者宅には市橋の連絡先と被害者の似顔絵を描いたとみられる紙があり、その情報から市橋達也を突き止め家宅捜索を急行しました。

2007年3月26日午後9時40分ごろ、千葉県市川市の市橋宅に生活安全課と刑事数名で訪れました。玄関前のマンション共用部分で対応する市橋を押し退け部屋に入ろうとしたところ、市橋達也は逃走したのです。

6人の刑事を振り切り逃走

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市橋宅に訪れた警察官は6人いました。非常階段を駆け下り、マンションの駐車場部分を通り抜け東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走、途中物陰に潜んでいたところを羽交い締めにされますが、再び逃走に成功します。

市橋達也は高校生の時陸上部に所属しており、足が速いことは有名だったと言います。警察官6人を振り切れるほどの脚力の持ち主だったのです。

2年7カ月にも渡る逃亡劇が始まる

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千葉県警行徳警察署は、翌日から警察犬などを投入して犯人の後を追跡しますが、行徳駅付近で市橋の臭気が絶え、足取りがわからなくなりました。

この日から市橋達也は死体遺棄の容疑で指名手配犯に、そして2年7ヶ月にも及ぶ逃走生活が始まったのです。

指名手配犯となり報奨金額1000万円までになった

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市橋達也には懸賞金がかけられました。当初は上限100万円でしたがどんどん引き上げられ、最終的には1000万円まで引き上げられます。

懸賞金がかけられたのは2007年6月のことで、すでに逃走から3ヶ月がたったころでした。指名手配書には彼の顔の特徴であるホクロに着いて書かれており、見つかるのも時間の問題だったと感じていたようです。

被害者の家族が逮捕の協力を訴える

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被害者家族は、イギリスからマスコミとともに日本を何度も訪れ被害者の慰霊や市橋の顔写真が載ったビラを配り、犯人逮捕の協力を訴え続けました。

2007年4月1日には、当時の駐日イギリス大使であるグレアム・フライ大使が都内で記者会見を開き、市橋達也逮捕への協力を求め家族への活動支援もしました。

2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰りかえしマスコミへの出演を行った。

(引用:Wikipedia)

同年6月30日テレビ朝日にて『奇跡の扉 TVのチカラ』と言う特別番組が放送され、番組には来日中の被害者家族が出演、日本国内で情報提供の協力を求めました。

2008年に市橋達也の似顔絵や遺留品を公開

2008年3月13日千葉県行徳警察署捜査本部は、市橋達也が女装したイメージや茶髪にメガネをかけた姿をイメージした画像を公開しました。

さらに、市橋が被害者の顔を描いた似顔絵付きのメモ、さらには遺留品であるリュックサックや靴、靴下の写真も公開し情報収拾に務めました。

一般人の通報により2009年11月10日に逮捕

そして2年7ヶ月の逃走後2009年11月10日、一般人からの通報により逮捕されました。大阪南港フェリーフェリーターミナルにて身柄を確保されたのです。

市橋達也の逃亡劇の詳細

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ここからは市橋達也の逃走劇を順を追ってみていきます。壮絶と言われる逃亡生活時の彼の心の様子も届けていきます。どんな精神状態で逃走を続けていたのでしょうか?

逃亡直後の服装と所持金

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リンゼイ・アン・ホーカーさんを家に連れ込んだ翌日2007年3月26日から、市橋の逃走は始まりました。最初に持っていた所持金はたった5万円程度、これから逃走生活が始まる人物にとって少なすぎる金額でした。

そして逃走時靴と靴下、そして上着を紛失した市橋達也でしたが、ゴミ捨て場で上着とサンダルを入手しました。

交際中の女性に連絡を取るも実現ならず

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当時市橋達也には交際中の女性がいました。逃走当初、その彼女が自家用車を持っていることを思い出し、逃走ように使用できないかと考え公衆電話で電話をかけます。

しかし彼女が通話中だったことでそれは実現せず、やむなくそのまま1人で逃走することになりました。

父親の事が頭に浮かんでいた

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逃走を始めた時、頭の中には父のことが思い浮かんだと言います。市橋達也には、以前逮捕された経歴が経歴がありました。

大学時代に漫画喫茶に落ちていた財布を盗もうとし、周囲していきた店員を階段から突き落としてしまったのです。その時、結局親が示談金を出してくれたことで前科はつかずに済んだと言います。

そんな過去があったがために、もう父は頼れない。もう逃げるしかないと感じたのだそうです。

逃亡初日に秋葉原まで移動し自己整形手術

逃亡初日、両親も交際中の彼女も頼れないと感じた市橋は、放置自転車や電車を利用して上野経由で秋葉原まで移動しました。

その途中、東京大学医学部附属病院に立ち寄ります。そして障害者用のトイレで事前に買っておいた裁縫道具を使って、自分の鼻を自分縫って自己整形手術を行いました。顔の印象を変えるためでした。

後に顔の特徴として指名手配書にも記載されていたホクロをカッターナイフで除去、下唇をハサミで切って小さくするなどの自己整形も行なっています。

その後は各地を転々とし四国へ

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その後は埼玉・群馬・茨城などの北関東周辺を放浪し、熱海を経て静岡県の駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上することを決める。事件前に福岡県の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であった。

(引用:Wikipedia)

東京から新潟、そして青森まで移動をしていた市橋でしたが、青森の経済状況が芳しくなかったためその後は大阪西成を訪れています。

西成区のハローワークに行ったもののそこでは職には就かず、その後すぐに岡山を経由し四国まで移動しています。

お遍路を歩きながらも自首は考えていなかった

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四国は、香川県高松市から徒歩で徳島〜高知〜愛媛とお遍路を歩いたと言います。贖罪のつもりでお遍路をしたと言いますが、一方でこんな気持ちも抱えていました。

贖罪の気持ちはあるにも関わらず「逮捕されたら晒し者になる」「指名手配されているから、自首しても刑は軽くならない」と思っており、自首するという考えはありませんでした。

無人島生活を求めオーハ島へ

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逃亡生活の中で、市橋達也は何度かオーハ島と言う沖縄にある小島を訪れています。逮捕されるのは時間の問題だと考えた市橋は、お遍路を回っている最中に高知県の図書館で無人島のことを調べていました。

松山港からフェリーで別府港、鹿児島経由で沖縄に渡りその後オーハ島に渡っています。隣の久米島で職を探しましたが見つからず、自給自足の生活をはじめました。

オーハ島には1週間ほど滞在しましたが魚うまく釣ることもできず、蚊や見たこともない虫に襲われ水などの食料もなくそれ以上の滞在は断念したのです。

準備不足により断念し建設現場で働く

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島暮らしを断念した市橋達也は、準備不足もあり沖縄本島に戻っています。オーハ島から沖縄本島に戻る際、キセル(不正乗車)で職員に捕まっていますが、指名手配犯の市橋とは気づかれず放免となっています。

沖縄では偽名を使い建設現場にて働きはじめ、生活・逃亡資金を集めています。この経験から、これ以降はオーハ島と大阪での住み込みの仕事を繰り返す生活スタイルに、切り替えるようになりました。

大阪での住み込みの仕事は建設現場や解体現場を好んで選んでおり、船に乗る仕事や風俗に女性を送る仕事などは誘われても断っていました。

勤務態度は良好であったが、宿舎の近くに警察らしい車両が止まっていたりすると、身近に捜査が及んでいるのではないかと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した

(引用:Wikipedia)

2008年に東京ディズニーランドへ

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実は逃走中の2008年、千葉県浦安市にある東京ディズニーランドを訪れています。驚きの行動ですが、大学の卒業論文のテーマがディズニーランドだったことも訪れた理由と言われています。

その2008年春頃は自宅の近隣に所在しており、灯台下暗しとはこのことかと言うように暮らしていたのです。

2008年10月に眉間の整形

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関西で住み込みをしている時、宿舎に戻るとスーツ姿のスーツ姿の男たちが何人かいました。刑事だ!と思った市橋はすぐにその場を逃げており、再び顔を変えることを考えました。

2008年10月23・24日、名古屋にある形成外科にて鼻を高くする眉間の形成手術を受けています。当時所持金は約90万年だったといい、安く顔を変えられるところを探し名古屋の病院に行き着いたのです。

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