大阪2児餓死事件の概要とまとめ!下村早苗の生い立ちやその後は?

大阪2児餓死事件は、母親である下村早苗がマンションの一室に子供達を閉じ込め、自らはホストクラブで遊んでいて、子供を餓死させた事件です。下村早苗の父親や生い立ちがこの事件の原因になっている可能性もあります。事件の裁判結果やこの事件の関連漫画なども紹介します。

大阪2児餓死事件のまとめ

bogitw / Pixabay

大阪2児餓死事件とは、母親である下村早苗によるネグレクトによって、2児が餓死させられた悲惨な事件であり、その後の下村早苗の供述により信じられない事実が分かってきました。

2010年7月に発覚した児童餓死事件

MasashiWakui / Pixabay

この大阪2児餓死事件は、2010年7月に発覚した事件で、大阪市西区のマンションで3歳の女児と1歳9カ月の男児が、母親のネグレクト(育児放棄)によって餓死した事件です。

亡くなったのは、下村容疑者の長女の桜子ちゃん(3歳)と長男の楓ちゃん(1歳)でした。

犯人は風俗店で勤務する母親の下村(中村)早苗

容疑者である母親の下村早苗は、死体を遺棄容疑で逮捕されました。

下村早苗は大阪市の風俗嬢であり、ファッションヘルスの店員でした。しかし、2人の子供をの育児を完全に放棄し、飢え死にする可能性があるのを知っていて、故意に家を出たりしていました。

下村早苗は、大阪府警の調べに「ホストクラブで遊ぶのが楽しくて育児が面倒になった。もっと遊びたくて家を出た」と供述しています。

大阪2児餓死事件の時系列

Counselling / Pixabay

マンション住民から、大阪市子供相談センター虐待ホットラインに何度も通報があり、そのたびに大阪市子供相談センター職員が訪問しましたが、容疑者には接触できませんでした。

下村早苗は2人の子供を部屋に残し家出、6月下旬に下村早苗は一度帰宅しているが、子供が死んでいるのをみても、家出するような残忍な行動をとっています。

不信に思った風俗店の同僚男性が2遺体を発見し、その事がきっかけとなり、下村早苗は逮捕されています。

2010年1月に風俗店に勤務し育児放棄になりがちに

Monsterkoi / Pixabay

下村早苗は、風俗店に勤め始めた、2010年の1月頃に店が借りているこの部屋に住み始めました。

しかし、その頃から2人には食事を与えたり、風呂に入れたりするのが嫌になり「子供なんていなければいいのに」と思うようになったといいます。その思いにはホストクラブにおぼれていたこともあるようです。

3月30日住民により子ども相談センター虐待ホットラインに通報

WikimediaImages / Pixabay

2010年3月、マンション住民から大阪市子供相談センター虐待ホットラインに、最初の通報がありました。

その後3月31、4月1日、4月2日の3回に渡って大阪市子供相談センター職員が訪問しましたが、容疑者には接触できませんでした。接触できなかった理由などは分かっていません。

5月8日再び住民が子ども相談センターに通報

qimono / Pixabay

5月8日に再び、マンション住民から大阪市子供相談センターに通報があり、5月9日にセンター職員が再度訪問しましたが、不在であり、子供の泣き声はしていなかったそうです。

5月18日さらに住民が子ども相談センターに通報

qimono / Pixabay

5月18日に再び、マンション住人から大阪市子供相談センターに通報があり、その日の午後に相談センター職員が訪問しましたが、やはり不在でした。その時も物音は一切聞こえなかったといいます。

6月に下村早苗が子供を残し家を出る

Tama66 / Pixabay

6月中旬に下村早苗は、2人の子供を残して家を出ています。室内の住居部分と玄関までの廊下を仕切るドアの縁には、粘着テープが貼られた跡があり、ドアを固定して子供達が外に出られないようにしていたそうです。

また、ベランダや室内には、スナック菓子やハンバーガーの袋とおむつが散乱していました。下村早苗は子供達にはファストフードやお菓子ばかり与えていたとみられています。

6月下旬子供の死亡を確認し下村早苗は家出

Fotoworkshop4You / Pixabay

6月下旬に下村早苗は一度帰宅していますが、子供達が死んでいるのを見つけましたが、再び家出しています。

子供達が死んでいるのを見つけても、そのまま放置したうえに再び家出する行為はあまりにも残虐な行為だといえるでしょう。

同僚にネグレクトを認めていた

下村早苗は風俗の同僚には、自分のネグレクトを認める発言をしていたそうです。

下村早苗の父親の大介は、雑誌の取材で6歳頃の早苗が、2人の妹と共に、浮気をして家を出た実母からネグレクトを受けていたと証言しています。下村早苗の非行やネグレクトはそれが原因だと考えていたようです。

従業員の電話に「ごみだらけやら見に行かんといて」

FirmBee / Pixabay

下村早苗は、遺体発見の直前に、風俗店の従業員からの電話に「ゴミだらけやから見に行かんといて」と言い、既に死んでいる子供を見られるのを恐れていたような発言をしています。

7月29日腐敗の様を見届けてまた家出

jplenio / Pixabay

7月29日に下村早苗は、再度帰宅しましたが、腐敗している子供を見て、また家出してしまいました。

7月30日事件発覚並びに逮捕

7月30日、下村早苗が勤務していた風俗店の同僚が部屋に入り、2人の子供の遺体を発見します。同日午後に下村早苗は逮捕されました。

発見時の遺体や部屋の様子について

glcphoto / Pixabay

2人の子供が発見された時、遺体は既に腐敗や白骨化していて、一部ミイラ化していました。司法解剖の結果、死因は不詳で、死後1~2ヶ月経っていたそうです。

胃や腸には食料は残ってなく、府警は少なくとも数日間は何も食べていない状態で、餓死の可能性があるとみています。

骨折や出血などの外傷はなく、2人は部屋の中央付近に裸で仰向けに倒れ、布団なども敷かれていませんでした。

大阪2児餓死事件のその後について

大阪2児餓死事件はその後、どのような展開になっていくのか、下村早苗被告の判決はどうなったのかを調べてみました。

下村早苗の供述について

下村早苗は事件後、弁護士との話の中で、弁護士が「子供たちがいなくなって欲しいという考えは?」という問いに対し「ありません」と答えました。

2012年公判が始まり衝撃の事実が発覚

下村早苗は、遺体を発見した後、連絡を取って知人の男性と会い、性交渉をしていたことが分かっています。

検察側の調べでは、2010年1月頃に名古屋から大阪に転居した理由に、下村被告の不在中に桜子ちゃんが水道の蛇口をひねり、部屋の床を水浸しにした出来事に言及しています。

その時の下村被告は、謝罪や修繕はおろか、家賃も払わないまま夜逃げするという非常識な行動をとっていました。

父下村大介の証言

qimono / Pixabay

下村早苗の父親である下村大介は、四日市のラグビー強豪校の三重県立四日市農芸高校の有名監督でした。

父親は、今回の事件をについて、下村早苗が離婚して1年以上、娘にも孫にも会っていなかったと言います。娘らがどこにいるのかも分からなかったそうです。

父親は、ラグビー部を花園常連校に育てた熱血指導者ですが、娘の子育ての悩みについては、父親に相談したり助けを求めたりすることはなかったといいます。

裁判

pruzi / Pixabay

この幼い姉弟2人の遺体が見つかった虐待死事件で、殺人罪に問われた母親の下村早苗被告は、裁判員裁判の判決が2012年3月16日に大阪地裁で開かれました。

西田真基裁判長は、下村被告には殺意があったと認定し、懲役30年(求刑無期懲役)と言い渡しました。

2012年12月5日に控訴判決が大阪地裁で開かれましたが、森岡安広裁判長は一審判決を支持し、下村被告人の控訴を棄却しました。

事件があったマンションのその後は?

Free-Photos / Pixabay

事件のあったマンションの部屋は、かなりの異臭がしていたそうです。

また、これだけの大きなニュースになったマンションですから、同じマンションの住民もマスコミの目もあって苦痛な日々を送っていたのではないでしょうか。

その後、事件のあったマンションでは毎月一度、住人交流会が行われているそうです。

事件のマンション所有していた人の苦悩

ErikaWittlieb / Pixabay

現場となった1室を、投資目的で所有していた大阪市内の資産家夫婦は、自分名義の部屋で最悪の事件が起きたことへの強いショックがあるといいます。

また、2児の殺人容疑者である下村早苗の関係者ではないかと、誤解されることに苦しむ日々だったと語っています。

下村(中村)早苗の生い立ちと現在

Free-Photos / Pixabay

犯人の下村早苗は、この事件と関連付けされるような生い立ちや、家庭環境があったとみられています。

生い立ち

Free-Photos / Pixabay

下村早苗は、1987年に高校教師の父と、父の教え子だった母親との間に三人姉妹の長女として生れています。

 下村早苗の父は妻に対してDVもあり、母親は早苗らを育児放棄するようになったといいます。母親もいわゆるネグレクトだったのです。早苗は中学時代は、家出を繰り返していたそうです。

家族

sasint / Pixabay

下村早苗の父親は、ラグビー部を花園常連校までにさせた熱血教師だったようですが、2度の離婚をしています。また、子供のことは妻に任せていたそうです。

父親が離婚したあと、三姉妹は父親に引き取られますが、優等生だった早苗は中学入学以降非行グループに入るようになります。

父親は3度の結婚をし、3人目の妻は早苗よりも年下であり、父親は事件で捕まった早苗の身元引受人も拒否したといいます。

2006年12月、当時大学生だった羽根直樹と結婚して、夫の両親と共に暮らしていましたが、下村は古い友達と連絡をとるようになり、子供を家において朝帰りをくり返すようになりました。

下村の不倫は、すぐに夫や家族に知られ、夫婦は結局2009年5月に離婚してしまいます。その時長男はまだ7ヶ月でした。

もと夫の羽根直樹は「株式会社デンソー」の契約社員として働いていますがその後、正社員にまでなっているようです。

ネグレクトになった原因は?

Tama66 / Pixabay

下村早苗の最初の母親(早苗の実母)が家を出て行った理由は父親のDVでした。母親は父親のDVによって、早苗達三人姉妹を育児放棄することとなります。母親もまた、浮気をしていたと父親は証言しています。

育児放棄を経験している下村早苗は、ネグレクトを受けた人が、それを我が子に向けるケースが多いといわれる通り、ネグレクトと虐待を行うようになったとも考えられます。

下村早苗の現在

ColiN00B / Pixabay

下村早苗は、2012年に懲役30年(求刑無期懲役)と言い渡され、現在服役中です。服役中の下村早苗の詳しい情報などは分かっていません。

大阪2児餓死事件の関連作品

この大阪2児餓死事件をもとにした映画が製作されていますが、現在でも不定期に上映されるなど、反響のある映画となっています。また、この事件関連の書籍や漫画も出版されています。

NEXT