宮地佑紀生の現在や近況は?暴行事件の概要・その後と真相について!

東海地方のローカルタレントである宮地佑紀生さんは、一時期テレビやラジオ、CMでも引っ張りだこで東海地方では3本の指に入るといってもいいです。その宮地さんが、以前ラジオの生放送中に暴力を働いたとした事件がありました。今回はこの事件から現在までを見ていきます。

宮地佑紀生が生放送中に起こした事件とは?

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東海地方のラジオ局東海ラジオの「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」のパーソナリティだった宮地さんが、2016年6月27日の生放送中に番組アシスタントでタレントの神野三枝さんへ暴力をはたらいた事件のことです。

百歩譲ってCM中に起きたことであれば、番組を聞いているリスナーも気づくことはなく、そのまま番組を終えることになるのでしょうが、非常に残念ながら事件は生放送中に起きてしまいました。

その起きてしまった暴行事件の内容等についてここからは見ていただくことにしていきたいと思います。

2016年6月27日に生放送された「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」

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この「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」は1997年3月、もともと夕方のワイド番組としてスタートしたのですが、番組改編などにより平日13時から16時の午後のワイド枠で19年2か月にわたり放送されていました。

番組スタート当時から宮地佑紀生さんと神野三枝さんの2人で番組打ち切りまでパーソナリティが変わることなく放送されていた番組です。

2人の軽妙な名古屋ことばのトークで人気を博す長寿番組として君臨していました。放送内では、宮地さんは神野さんを「神野さん」、一方で神野さんは宮地さんのことを「先輩」と呼び合うほどでした。

中京地区ラジオ聴取率調査で首位をキープする人気番組

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2000年から開始されている中京地区ラジオ聴取率調査においては、常に平日午後の時間帯では首位をキープするほどの人気ぶりで、全曲全番組の首位も何度も獲得するほどの番組です。

一時は、ライバルCBCラジオ「つボイノリオの聞けば聞くほど」に首位を明け渡すこともありましたが、数年ぶりに奪取するということもあるほどの人気番組でもありつつ、代表的番組でもありました。

2015年6月以降は、CBCラジオ「北野誠のズバリ」が単独維持することが多くなっています。ちなみに、北野さんもこのラジオで問題発言をすることで一時出演自粛していましたが、見事に復活を遂げています。

神野三枝を生放送中に暴行

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そんな人気番組であったこの「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」だったのですが、2016年6月27日の生放送中だった14時55分ごろ、突如事件が起きてしまいます。

まさに放送中、宮地さんが、神野さんの左足を蹴った上、マイクで顔を殴り、唇に全治10日間のけがを負わせてしまいました。この時は番組リスナーからのメッセージを紹介していました。

メッセージを紹介しているその時に、神野さんが「痛い痛い、何ですか?」などと話して、宮地さんは一言受け答えをしたのち、マイクがぶつかる音が放送され、放送後神野さんは、警察に被害届を提出しました。

翌日から二人とも休演

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事件翌日の同年6月28日からは宮地さんと神野さんはともに出演することはなく、宮地さんの冠は外れ、「聞いてみや~ち」として東海ラジオのアナウンサーがパーソナリティを務めました。

6月30日に傷害容疑で逮捕された事件

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事件から3日後の同年6月30日、宮地さんはこの事件の容疑者として愛知県千種警察署に逮捕されることになります。

当日の夕方のニュース番組では、ローカルニュースの時間帯に宮地さん逮捕の一報が各テレビ局で一斉に放送されました。地元のタレントが逮捕されたということで、非常にショッキングな出来事でした。

ほとんどのテレビ局やラジオ局に出演していた宮地さんですから、どの放送局も一様に残念なことという報道がされていました。

事件の発生により番組は打ち切り

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事件発生翌日の6月28日、29日はピンチヒッターで放送を行ったものの、30日に宮地さんが警察に逮捕されたことを受けて、東海ラジオは30日に番組の打ち切りを決定して、6月29日付で番組が終了しました。

6月30日の放送は新聞各紙の番組表で「聞いてみや~ち」と掲載していましたが、放送では番組名を付けませんでした。

当日のオープニングではピンチヒッターのパーソナリティから宮地さんが逮捕された旨の説明と、番組打ち切りに対する謝罪が行われました。

親交のあった松山千春がコンサートで謝罪

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歌手の松山千春さんは、宮地さんと親交があったからでしょうか、松山さんは自分自身のコンサートでもないのに宮地さんの傷害事件について謝罪をしたということがありました。

宮地さんは後の復帰後のイベントのゲスト出演時において、その時のことに対して感謝の気持ちを述べました。

松山千春が謝罪したときの様子とは

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松山千春さんは、2016年12月7日の名古屋でのコンサート初日公演内において、宮地さんの事件について触れていました。その時の言葉は次の通りです。

「大切なお詫びがあります。うちの宮地佑紀生が大変ご迷惑をおかけし、皆様には深くお詫び申し上げます。」ここで、膝を床につけ頭を下げて土下座のように謝罪します。その後も続けて話していきます。

「やったことは、決して許されることではないけれど、友は友としてこれからも見守ってあげたい。時期が来たら、俺が殴ってやろうかと思います。」地元名古屋での謝罪は、かなり同情的な気持ちになっていました。

12月に有罪が確定

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同年12月名古屋区検察庁が傷害罪で略式起訴して、名古屋簡易裁判所が罰金30万円の略式命令を出し、有罪が確定しました。

そして翌年の2017年9月に所属事務所は、この事件について宮地さんと神野さんは「円満に解決した」ということを発表しましたということで和解したということとなりました。

宮地佑紀生の現在は?近況について

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事件後、宮地さんは、すぐに事実上の謹慎に入ることになり、略式命令によって有罪が確定してからも一切メディアに出演することはなく、しばらく謹慎が続くことになりました。

しかし、約2年の月日を経て復帰をすることになりますが、その復帰先は意外なところでした。

2017年12月にCBCラジオで復帰

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約2年の謹慎期間を経て復帰をしたのは、東海地方のラジオ局で事件を起こした東海ラジオと競争関係にあるCBCラジオでした。2017年12月にCBCラジオのイベントにゲスト出演することになります。

事件から約1年半ぶりに公の場に姿を見せることになりましたが、そのイベントはCBCラジオの朝のワイド番組である「つボイノリオの聞けば聞くほど」の25周年記念イベントだったのです。

つボイノリオさんは、宮地さん同様、東海地方出は知らない人はいないというほどのタレントさんで、つボイさんと宮地さんはまさに東海地方のタレントツートップといっても過言ではありません。

2018年8月に東京都内のイベントに出演

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その後は、2018年の8月に吉田照美さん、上柳昌彦さんら全国各地のラジオ界のレジェンドともいえる方々とのトークライブに出演することになりました。

「老人性認知症のほとんどが短期になるらしい。本当に短気になってきて些細なことで問題になったり、些細なことで逮捕され…」などと自身の気持ちをトークライブの中で吐露していました。

イベントでは、謹慎中のことを冗談交じりで話し笑いを取ろうとしたものの、逆に反省していないとみられることになり、改めて反省している旨を頭を下げて述べ、仕事を干され、家族から白眼視されるなどを話しました。

2018年10月からレギュラーラジオ番組に復帰

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イベントから2か月後の2018年10月1日、CBCラジオ『~ともだちラジオ~本音でゴメン!!」に同じく東海地方のタレントの河原龍夫と共にパーソナリティとして2年3か月ぶりのラジオ番組に復帰しました。

これに先駆けて、CBCラジオの改編発表をした翌日である9月18日の『つボイノリオの聞けば聞くほど』にゲスト出演して、謹慎後初めてのラジオ出演を果たし、CBCラジオの番組に初めて登場しました。

その一方で、東海ラジオには2016年6月の事件以降、残念ながら復帰は実現していません。

メディアの露出はなく復帰を求める声が上がっている

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ラジオには復帰を果たしているのですが、テレビなどへの露出は現在に至っていても一切ありません。時間は経過していても、現実は難しく厳しいものであるということなのでしょう。

やはり、暴行事件を起こした、しかも生放送内での出来事のため、放送局側としても正直なかなか起用するには戸惑いや不安など危惧することが多いからと考えられているのではないでしょうか。

一時は朝の情報番組のMCも務めていたこともある宮地さんですが、軽妙なトークなどは東海地方の朝の顔としても有名だっただけに、メディアへの復帰を求める声も少なからず上がっていることも事実です。

宮地佑紀生が神野三枝を暴行した理由や動機は?

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事件から復帰までをご紹介してきましたが、再度暴行事件の理由や動機などを紹介していきたいと思います。宮地さんと神野さんの掛け合いはとても人気を博していたのですが、なぜこうなってしまったのでしょうか?

ただ、いろいろとみていくと、短絡的という見方と、今までの神野さんの発言や行動に対しての不満の蓄積などによって暴行事件が起きたというさまざまな見方がされています。

そのあたりを見ていただいて検証していきましょう。

神野三枝が制止を無視してリスナーを優先したから?

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当日のラジオでは、先程も触れた親交のある松山千春さんからリスナーへのプレゼントをいただいた話から始まります。神野三枝さんは、松山さんへのお礼もほどほどに喜ぶリスナーからのメッセージを紹介していきます。

その後、神野さんは、リスナーからもらったお土産についての話題をしていました。すると、宮地さんはその話題をやめるようにそっと指示を出しのですが、その制止を振り切って、お土産の話題を続けていました。

そんな神野さんの対応や態度などに怒りを覚えて、宮地さんは神野さんに対して暴行を働くことになってしまうのです。

恒例の流れを無視したから怒った?

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今までは、リスナーからお菓子などのお土産をいただいた際には、お礼を兼ねて番組で紹介していましたが、その時は必ずそのお土産を食べた後でお礼を言うのが恒例になっていました。

しかし、この日に限っては、そのお土産を食べる前にお礼を言ってしまったために、ラジオの中でも宮地さんが発言した「いただいた人の(お土産)をいただきゃええやん」の言葉が出たというのが有力といわれています。

ちなみに、この言葉における最初の「いただいた」は、「もらった」という意味で、後の「いただきゃええやん」については、「食べればいいじゃないか」という意味です。

神野三枝の進行がもたついたから

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単に、神野さんの進行がもたもたしていると常々宮地さんは感じていたという情報もありますので、そういったことの積み重ねで怒りがピークに達し、切れてしまったという話も出ています。

ただ、このあたりの真相は当事者のみぞ知るというところです。

宮地佑紀生の娘への風俗発言説

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神野さんは、番組の中において、宮地さんの娘さんが風俗で働いているのではないかということを発言しています。その発言に対して怒りを買ってしまったといおうことも言われています。

神野さんは「娘は大門(名古屋のソープランド街)で働いとるちゅー噂やないですか?」と発言すると、宮地さんは「はぁ、このくそたわけが何言っとりやぁーす」と返していました。

神野さんは「宮地さん、冗談、冗談」と返すものの宮地さんは、冗談じゃ済まないということで「冗談やないわー、えーえーこのチンピラ女が!」という返しをしていました。ただこの掛け合いは日常茶飯事でした(笑)。

この発言は一度だけではなかった

このような発言は、お互いに日常茶飯事なのですが、やはり自分の子供が風俗嬢といわれてしまうと子を持つ親の立場からしてみれば、決していい気持ちになる人はいないというものです。

決して冗談半分で発言したとしても、言っていいこと悪いことはあるものです。そういった「親しき中にも礼儀あり」が事件を引き起こしてしまったのでしょうか?

宮地佑紀生は更年期障害だった?

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関係者から発表された無視できない事実の中に、宮地さんは事件発生前から更年期障害に悩まされていたのではないかというものがありました。

実際に、宮地さんは、気に入らないことがあると、すぐに腹を立てて、ディレクターなどのスタッフさんが何人も首になってしまったということです。

実際に被害にあってしまった神野さん自身も、数々のトラブルの後、いつか暴行事件が起きてしまうのではないかという危惧をしていました。

宮地佑紀生が神野三枝を暴行した真相は?

いろいろと憶測めいたものが実際に飛び交っていましたが、それではこの暴行事件の真相というのはいったい何なのでしょうか?そのあたりを突き詰めていきたいと思います。

事件前からトラブルが多かった

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先ほどの項でも触れていますが、事件発生の前から宮地さんの様子が少しおかしくなってきたという意見はかなり多く挙げられていました。更年期障害ではないかとの意見が上がるほど、イライラが多かったようです。

スタッフさんもクビになるなどのトラブルも起きていました。実際被害者になってしまった神野さん本人も危惧をしていましたし、これまでにも暴力はないものの、威圧的態度をとられることはあったとのことです。

真相は明らかになっていないが進行が原因だったと言われている

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いろいろな理由や動機は発表されていますが、どれも少なからずは原因としてあるのかもしれませんので、可能性の0というものはないといえます。

しかし、実際のところはやはり神野さんの進行に問題があるのではないというのが濃厚であるといわれています。しかし、暴力をふるうということは当日の進行だけをとって起きるとは考えにくいところもあります。

実際のところは、さまざまな事情が重なったことでの暴行というのが現実的ではないでしょうか。

宮地佑紀生の生い立ちと経歴

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それでは、そんな暴行事件を起こしてしまい長期謹慎という結果を生んでしまった宮地佑紀生さんの生い立ちや経歴についてここからは迫っていきたいと思います。

実は、いろいろな苦労を重ねている苦労人の一面も持ち合わせたりしています。

宮地佑紀生について

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宮地さんは、1949年(昭和24年)1月9日生まれで愛知県名古屋市出身のタレント、ミュージシャンです。タレントなどの活動は1974年(昭和49年)25歳から始まりました。

名古屋市内の小中学校を卒業して、地元で育った生粋の名古屋っ子といえます。その後高校卒業後、愛知学院大学を卒業してデザイナー専門学校を卒業して23歳でアクセサリーショップを創業させます。

そのアクセサリーショップは、「参百六拾六日の店」という名前で営業をしていくのですがその後、あるきっかけでタレントとしてデビューすることとなるのです。

名鉄セブンの生CMがきっかけでラジオパーソナリティに

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25歳の時に、当時の名古屋のデパート名鉄セブン社員による生CMに出演したのがきっかけで、東海ラジオのプロデューサーの方から誘いを受けてラジオパーソナリティとなりました。

デビュー当時は、東海地区のオールナイトニッポンのような深夜ラジオ番組『ミッドナイト東海(月曜日担当)』や、土曜14時からの電話リクエスト番組『どんどん土曜大放送』などを担当していました。

しかし、宮地さんを起用することに対しては、東海ラジオの社内会議においては反対の声も上がったが、先ほどのプロデューサーの方の尽力によって最終的には出演が決定したといういきさつもあります。

1976年にバンド「無有(むう)」を結成していた

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1976年(昭和50年)には、「無有(むう)」というバンドを結成することになり、「名古屋っ子」などの楽曲を発表することになるのですが、売れることは全くありませんでした。

経営者としても活動していたが次々と閉鎖

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タレント活動をしていく一方で、「参百六拾六日の店」の経営も続けていて、好調時には愛知県の豊橋市や長野県の軽井沢など全国で13店舗まで展開をしていましたが、徐々に借金が増えていき店は次々と閉店しました。

借金は1億円あった時もあり、その時に宮地さんは、自殺も考えていたといいますが、結果としては事件を引き起こす番組となってしまった『宮地佑紀生の聞いてみや~ち』を始める際に最後の店舗を友人に譲渡しました。

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