鉄の処女とは?中世ヨーロッパの拷問器具?名前の由来や使い方まとめ

中世のヨーロッパに、鉄の処女と呼ばれる拷問器具がありました。鉄の処女は英語ではアイアンメイデンという名前で訳されていますが、その由来や使い方などを紹介します。また鉄の処女は実在したのか?といった疑問の声もありますが、どうしてそう言われるのかも調べました。

恐ろしい拷問器具「鉄の処女」とは?使い方や名前の由来は?(画像あり)

鉄の処女といわれる拷問器具が中世ヨーロッパに存在していました。処女の名前は、聖母マリアをかたどった器具からつけられたようです。

現在は鉄の処女の模造が各地に公開されていますが、残念ながら実際に使われていた鉄の処女は現存していません。

鉄の処女の意味は中世ヨーロッパで処刑や拷問に用いられていたと言われている器具

鉄の処女というのは、中世のヨーロッパで刑罰や拷問に使われた器具です。空想上の拷問器具の再現という説もあります。聖母マリアをかたどったとされる女性の形をした高さ2メートルの、中が空洞の刑具です。

鉄の処女の使い方は、罪人をこの鉄の処女の内部に入れ扉を閉じますが、同時に扉に取り付けられた多くの棘に全身を刺されることになります。

その釘の長さは、さまざまで生存できる空間はほとんどないものから、身体をを動かせば刺し傷で済みそうなものまであったそうです。

鉄の処女の名前の由来は?①:鉄の処女は聖母マリアを象っている?

鉄の処女は、女性の形をしていますが、「聖母マリア」を模したとされたことで「鉄の処女」という名称になったという説があります。他にも諸説ありますが、この説が有力なようです。

しかし鉄の処女が実在したかどうかも分かっていませんし、現存は模造したものしかありません。

鉄の処女の名前の由来は?②:バートリ・エルジェーベトの伝説

鉄の処女には、ハンガリーの伯爵夫人であるバートリ・エルジェーベトが作らせたものだとする伝説があります。メイドの少女がエルジェーベトの髪を櫛でとかしていたら、髪を誤って引っ張ってしまいました。

激怒したエルジェーベトは、髪留めでメイドの胸を何度も突き刺し、心臓をえぐった(鉄の棒で殴り殺したとも)といわれています。

処女の血を浴槽に入れて浴びる為に、その刑具を使ったという説もありますが、定かではありません。

バートリ・エルジェーベトとはどんな人物だったのか

血の伯爵夫人と呼ばれたバートリ・エルジェーベトとは、史上名高い連続殺人者とさえれて、更には吸血鬼伝説のモデルといわれています。

エルジェーベトは、ある日折檻していた使用人の血が自分の肌に飛びましたが、その時その部分が若返ったと感じたそうです。その事がきっかけとなり、年若い娘を鉄の処女で殺して、その血を浴びたといいます。

残酷行為は更に酷くなり、拷問器具で指を切断させてその苦痛な表情を見て快感を覚えたり、使用人に命じて娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出して興奮するなど、性癖異常者だったといわれています。

バートリ・エルジェーベトの最後とは

残虐行為の限りを尽くしたとされる、バートリ・エルジェーベトはその後どうなったかといえば、犯行は貴族の娘まで被害が及び、ハンガリー王家でもこの事件が噂され始め、ついに捜査が行われることになりました。

バートリ・エルジェーベトはその残虐行為が明るみに出て裁判が行われ、死ぬまで幽閉されることとなります。しかし高貴な家系であったために、死刑にできなかったといわれています。

英語では「アイアンメイデン(iron maiden)」

鉄の処女は、ドイツ語では「アイゼルネ・ユングフラウ」と呼び、英語では「アイアン・メイデン(Iron Maiden)」と表記されます。

1857年にドイツのニュルンベルクで作られた模造品が最も有名で、各地の模造品もこれを量産したものです。名称とは違い大部分のものは木製であり、本体で鉄製なのは釘やその留め金具と扉の蝶番のみです。

「ヴージェノヴ・ニュアレンバーグ(ニュルンベルクの処女)」と表記される場合も

鉄の処女は、英語では「アイアン・メイデン(Iron Maiden)」ですが、「ヴージェノヴ・ニュアレンバーグ」と表記されることもあります。

鉄の処女の使い方は?「落し扉構造」があった?

鉄の処女はこの刑具を使って、罪人を殺した後は、前の扉を開けることをせず、死体がそのまま下に落ちるような「落とし扉構造」となっていたという噂を記述した文献もあるそうです。

明治大学博物館には鉄の処女が展示されている

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東京の明治大学博物館は、ギロチンや鉄の処女など歴史的な拷問器具や貴重な資料を集めた真紅の博物館です。英語で「ギロチンの刑場」のことを、真紅の劇場と呼ばれています。

明治大学博物館は、昭和4年から続く由緒ある博物館ですが、2004年にリニューアルしています。外観はおしゃれですが、博物館内の刑事部門では、身の毛のよだつような展示品がずらりと並んでいるそうです。

明治大学博物館は日本で唯一鉄の処女を展示する博物館?

明治大学博物館は、日本で唯一「ギロチン」や「鉄の処女」が展示されています。

世界的にも拷問は禁止されていますが、日本国憲法では「公務員による拷問は絶対にこれを禁じ、かつ、拷問によって得られた自白は証拠として使えない」と定められていて、唯一「絶対に」と明文化されています。

鉄の処女は実在しなかったという説もある?

鉄の処女は中世のヨーロッパで、刑具として使われていたといわれていますが、当時使われていたものは実存せず、展示されているものや画像などで紹介されているものは、全て模造したものです。

ですから、鉄の処女が当時実際に使用されていたのかは、疑問だという意見もあります。実は鉄の釘は後年つけられたもので、元々なかったともいわれています。

鉄の処女を罪人に見せて、恐怖を煽るために使ったという説もあります。

鉄の処女には公的な資料や記録がない?

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鉄の処女は、博物館にも展示されていますが、中世のヨーロッパで実際にこのような拷問器具が使われていたのかどうか、実在を疑う研究者も多いようです。

その理由としは、その存在を記述したものが、19世紀のロマン小説や風聞に基づくものばかりで、公的な資料や記録は皆無だからということです。

鉄の処女の原型はファイストリッツ城のものとニュルンベルクのものの二つ

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鉄の処女は各地の博物館などで展示されていますが、その原型はオーストリアの「ファイストリッツ城」にあるものと、1857年にニュルンベルクで作られたものと2種類に分けられます。

鉄の処女(アイアンメイデン)を擬人化?イラストも人気

中世のヨーロッパで使われていたのではないか?といわれる鉄の処女ですが、現在では、その鉄の処女を擬人化したり、イラストにしている作品もあります。

たとえば、育成型戦略SLG『りっく☆じあ~す』の遊撃要塞デルベントがそうですし、「影牢~ダークサイドプリンセス~」にも鉄の処女をモチーフにしたものがあります。

鉄の処女を題材にした作品は?

鉄の処女は、深見真の『ちょっとかわいいアイアンメイデン』という、日本の拷問4コマ漫画作品に使われています。

また、永井豪さんの作品に「鉄の処女JUN」がありますが、内容は拷問具とはちょっと違って、筋肉美とパワーあふれる美少女明日香じゅんが主人公です。

漫画:金田一少年の事件簿

金田一少年の事件簿で、印象深い残酷な殺害のされ方の中に、蝋人形城のリチャードが鉄の処女で殺害され、死体の胸に杭を打ち込まれる場面があります。

小説:三毛猫ホームズの騎士道

「三毛猫ホームズの騎士道」という小説では、その物語の中で資産家の次男である永江英哉は妻智美との結婚を機にドイツで古城を購入しました。

しかし、新婚旅行中にその城内の礼拝堂にあった鉄の処女による事故で、妻の智美が死んでしまいます。

この事件を英哉は殺人と判断し、真相究明のために長男の和哉の家族と、和哉の秘書北村、片山兄弟、石津、ホームズを古城に招待します。

「鉄の処女」(大倉燁子)

大倉てる子さんが書いた小説の中に「鉄の処女」があります。大倉さんは、1886年生まれで、二葉亭四迷や夏目漱石に師事した明治時代の小説家です。

「鉄の処女」は昭和10年2月に柳香書院から発表されましたが、後に「ジョホールから帰ってきた男」と改題されています。大倉燁子の「鉄の処女」の紹介記事がありましたので紹介します。

東伯爵夫人の依頼でサーカスの女を捜すS夫人。女は伯爵を誘惑し情夫を使って脅迫しようとしている悪質な娼婦らしい。そこへ伯爵夫人が死亡したという突然のニュース。世間は原因不明の自殺と騒ぐ。なお調査を進めたS夫人はとあるサーカスで見つけた男に接触した。シンガポールから来た男で、狒狒の着ぐるみを来て美女と戯れ、「鉄の処女」で処刑されるという役の男。彼はS夫人に呼び出されると、すぐに自分の正体を告白した。

(引用:大倉燁子研究所)

医師が作ったとされるギロチンは実は人道的な処刑具

ギロチンの発明者は医師のジョセフ・イニャース・ギヨタンとされていて、ギロチンの名前もその医師の名前からとったといわれています。彼は機械的な処刑装置を導入することを、議会に提案しただけでした。

ギロチンが人道的だとする理由

処刑用具にギロチンが使われる以前は、剣によって斬首していました。しかし、首を切る役人の技量もあって、失敗する事も多かったそうで、できるだけ苦痛を少なくするための方法を求めていたといわれています。

当時は貴族は苦痛の少ない斬首刑で平民は絞首刑、平民の重犯罪者は八つ裂きの刑などの残酷な刑を執行していました。ギヨタンは死刑の方法を上位の執行方法である斬首刑に統一するように意見を出していました。

そこで、名前の由来にもなった、フランスの内科医だったギヨタンが、苦痛の伴わないギロチンを発案したといわれています。その方法は執行者の苦痛もやわらげ、処刑者に対しても人道的な方法だといえます。

ギロチンの実際の開発者

ギロチンを発案したのはギヨタンでしたが、実際に処刑用具としてギロチンを実用化させたのが、死刑執行人のアンリ・サンソンと宮廷医師のアントワーヌ・ルイでした。

実はそれまでに、ギロチンのような処刑方法は13世紀のフランスの一部の地域で、使用されていたようですが、その後に改良されてきました。

ルイ16世は自分の発案したギロチンで処刑

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ルイ16世はギロチンによって処刑されています。

ルイ16世はギロチンによる処刑に関して、当時の半月状の刃の形に対して刃を斜めにしてはどうかと意見を出したという記述が、アンリ・サンソンの回顧録にあります。

その回顧録が本当なら、ルイ16世は自分が改良させたギロチンによって処刑されたことになります。

ギヨタン自身がギロチンによって処刑されたというのは本当か

ギヨタンが、自分が考案したギロチンによって処刑されたという噂がありますが、それはたんなる噂であり、同じ医師のJ・M・ギヨタンという別の人物がギロチンにかけられています。

そのことから、同名である発案者のギヨタンがギロチンで処刑されたという噂がたったのかもしれません。実際のギヨタンは左肩にできた、悪性のおできによって亡くなっています。

見る人を恐れさせる鉄の処女の目的とは

中世のヨーロッパで拷問具として使われていたとされる鉄の処女ですが、名前だけではいったい何に使われるのかすぐに分からない名前です。特に聖母マリアをかたどったとされる刑具は、異様な印象を与えています。

その刑具が、釘や扉の蝶番以外は木製であることからも、研究者が言っているように釘の部分は後から付けたのかもしれません。

当時、本当に鉄の処女を使って罪人を殺害したり、傷を負わせたのか不明ですが、罪人に対する恐怖感を与えるためというのが、真実なのではないでしょうか。いずれにしても見る人を恐れさせる効果は十分にあります。