尼崎事件を起こした角田美代子の生い立ちとその後!黒幕が明らかに?

2012年、主犯の自殺という最悪の結末を迎えた尼崎事件。善良な家族に介入し崩壊に追い込み、財産を巻き上げ多くを死に至らしめた凶悪犯罪でした。今回は事件のその後や真相、黒幕の存在や角田美代子の生い立ち、話題となったサザエさん相関図も合わせて詳細にまとめます。

尼崎事件とは

elianemey / Pixabay

2012年10月に発覚、社会を震撼させた連続殺人・死体遺棄事件である尼崎事件は、1987年から2011年の20年以上にわたって、多数の行方不明者、死亡者を出しながら明るみに出なかった異様な事件でした。

2011年に加害者達によって監禁状態にあった43歳の女性が警察に駆け込み事件が発覚しますが、主犯の女角田美代子が裁判前に自殺するという衝撃的な結末を迎え、現在でも真相は闇に包まれています。

尼崎事件の概要

cocoparisienne / Pixabay

尼崎事件は20年以上にわたって、主犯と言われる女性角田美代子を中心とした疑似家族が、縁戚や全くの他人の家族に強引に介入し、次第に支配し丸ごと乗っ取り財産を奪い監禁虐待し死に至らしめるなどした事件です。

現在わかっているだけでも、24年間の間に角田美代子の周りで6家族にまたがる11人が変死を遂げ、未だに2人が行方不明のままとなっています。

主犯とされた角田美代子は既に死亡しており、本事件の真相は闇に包まれています。この尼崎事件には、表面化していないものも含めるとさらに多くの被害者が存在するとの見方もあります。

尼崎事件の黒幕?角田美代子を操っていたMの存在

xusenru / Pixabay

この尼崎事件には、角田美代子を背後で操っていたMという黒幕の存在があったと噂されています。このMという人物は角田美代子より10歳ほど年上で、暴力団幹部にまで上り詰めた闇社会のエリートだと言われます。

このMという黒幕が、尼崎事件の背後で角田美代子を操り、その緻密に計算された犯行のノウハウを伝え、角田美代子はそれを発展させ実行に移したのが真相であると言われています。

この黒幕についても、後半で詳しくまとめていきたいと思います。まずは、現在まで尼崎事件についてわかっている事をまとめ、このあまりにも複雑な事件の全体像について把握していきたいと思います。

尼崎事件の主犯格・角田美代子

尼崎事件の主犯格と言われるのが、事件発覚当時64歳だった角田美代子という女性でした。まずは、後に「モンスター」とも「鬼女」とも呼ばれるこの女の生い立ちや人物像を追っていきましょう。

角田美代子の生い立ち

niekverlaan / Pixabay

角田美代子の生い立ちについて見ていきましょう。角田美代子は1948年尼崎市内に生まれています。実家は裕福であったと言われています。しかし美代子が小学校2年生の頃に両親が離婚します。

この時、角田美代子は左官の手配師をしていた父親に引き取られたそうです。父親は非常に気性の荒い人物だったそうで、家に出入りする左官職人たちを力で従わせ給与の半分近くをピンハネしていたそうです。

幼少時からその父のもとで過ごした生い立ちを持つ角田美代子もまた、度々問題を起こす子供に育っていきます。中学時代には既に、度々問題行動を起こし、少年鑑別所の常連になっていたと言います。

TheDigitalArtist / Pixabay

その後、十代の頃に、実母に売春の仕事を紹介され働き始めています。この事からも推察できる様に、角田美代子は幼い頃から一切家族の愛情や温もりを感じる事なく成長した生い立ちを持っています。

この生い立ちが、後に尼崎事件を引き起こした「モンスター」とも「鬼女」とも呼ばれる人物像へとつながっていったと思われます。角田美代子はまるで家族に復讐する様に「乗っ取り」を開始するのです。

角田美代子の性格

TheDigitalArtist / Pixabay

壮絶な生い立ちを持つ角田美代子ですが、その性格もまた苛烈で傍若無人、それでいて頭が切れ人の心を巧みに支配していきます。その生い立ちのためか、普段から周りには敵意をむき出しにしていたとも言われます。

周辺をにらみつけながら歩き、常にガラの悪い取り巻きを連れ歩いていたそうです。少しでも相手に弱い所を見つけると、難癖をつけて喧嘩を売り相手を屈服させるまで攻撃の手を緩めないタイプだったそうです。

生い立ちが関係しているのか、些細な事で激昂し、周辺の住民からはクレーマーとして恐れられ距離を置かれていたそうです。周辺住民の印象としては大柄で目つきが鋭く、威圧感があったという事でした。

角田美代子の写真取り違え報道問題とは

jarmoluk / Pixabay

尼崎事件に関するニュース報道では、発覚直後から角田美代子の顔写真が報道で使われてきました。しかし、なんと当初使わていた顔写真は全くの別人である事が判明します。

当初角田美代子の顔写真として使用されていた写真の人物は、事件とは一切無関係の尼崎市に住む54歳の女性である事が、本人からの指摘で判明、このあまりにズボラな報道姿勢には批判が集まりました。

角田美代子の家族をマインドコントロールした手口

pixel2013 / Pixabay

角田美代子はわかっているだけでも6家族を自分の支配下に置いて完全にコントロールしていました。その手口は巧妙にしてあまりにも、残忍なものでした。

まず、ターゲットとなる家族になんらかの落ち度を見つけて、屈強でガラの悪い取り巻きを使い、暴力を前面に押し出して恫喝します。相手に恐怖を植え付け上位に立つと、次にその家族内に格差をつけます。

気に入った者には極端に優しくし、それ以外の者には虐待するなどして苛烈に当たります。さらに家族同士で殴り合わせる事を強要するなどし、次第に家族の信頼関係を破壊していったのです。

尼崎事件の経緯

Free-Photos / Pixabay

ここからは、あまりにも複雑に入り組んでおり、把握する事が難しい尼崎事件の全容をわかりやすくするために、事件の経緯を時系列順にまとめていきます。

1981年、尼崎市の賃貸マンションで角田美代子と内縁の夫、三枝子の3人暮らし開始

Free-Photos / Pixabay

角田美代子は、1970年頃には後に義理の妹となる角田三枝子と共に横浜でスナックを開業しています。その後尼崎に戻り内縁の夫東頼太郎(鄭頼太郎)三枝子と共に賃貸マンション2階にて3人で暮らし始めています。

1980年代半ば、同じマンションの5階の部屋も借りる

Tama66 / Pixabay

数年後、1980年代の半ばにはその賃貸マンションの5階に隣り合った2室を借りています。借りていた部屋は全て3DKで、角田美代子らは5階に居住し、元住んでいた2階は倉庫として使っていたそうです。

安藤みつゑさんが金策のため実家の兄弟へ連絡

jplenio / Pixabay

1980年代に、角田光代の異父兄の会社の事務員だった安藤みつゑさん(当時40歳前後)が兄弟達へ連絡し、金策を頼んでいます。兄弟達が何事か尋ねても答えず、怯えた様子で飛び出して行った事もある様です。

この安藤みつゑさんは、角田美代子のお手伝い的な役割で、同居しており後に角田美代子が購入した分譲マンションの連帯債務者となった上、遺体で発見されています。

角田美代子が再婚、子供が誕生

ZahidJavali / Pixabay

1980年代に角田美代子は再婚し、内縁の夫鄭頼太郎と再婚し子供角田優太郎が誕生したとされます。実は、優太郎は角田三枝子の息子であり、角田美代子と頼太郎の息子として届け出ただけというのが真相の様です。

1990年代、マンションの空いた隣室を橋本久芳名義で借りる

Tama66 / Pixabay

1990年代に入ると、10代の頃から家族ぐるみで角田美代子の世話になっていた家族橋本家の長男、橋本久芳さん名義で角田美代子が住んでいた賃貸マンションの隣室が借りられます。

その後、橋本久芳さんは、2000年に角田美代子らが逮捕時に住んでいたマンションを総額2900万円のローンを組んで購入させられています。

さらに、翌2001年には、角田美代子の「久芳が死んだ時に年金が勿体無い」との発案により、角田三枝子と偽装結婚させられています。

1994年、三枝子の夫・橋本久芳さんの母親失踪宣告を受け戸籍上の死亡

1994年には、後に角田三枝子の戸籍上の夫となる橋本久芳さんの実母が失踪宣告を受けて戸籍上死亡扱いとなっています。この女性について、角田美枝子の関係者は殺されたと明かしています。

1997年頃、親類の葬儀に因縁をつけ、約10人の親族に帰宅を許さず軟禁状態へ

whoismargot / Pixabay

1997年頃、角田美代子は親類(母の兄の妻・猪俣家)の葬儀に出席「何で違う宗派の僧侶を呼んだ!」と激しく怒り、葬儀に因縁をつけ西宮市の高層団地内に約10人の親類を何日間もの軟禁状態においています。

1998年、三枝子と角田美代子が戸籍上の姉妹に

Free-Photos / Pixabay

翌1998年、角田三枝子が、美代子の母親と養子縁組し、美代子と美枝子は義理の姉妹同士となります。角田三枝子は角田美代子に古くから付き従い、金庫番を務めるなど、最も信頼される人物だったと言われています。

1998年頃、尼崎市の文化住宅に同居する溶接工の男性の祖母一家にトラブル

stux / Pixabay

同1998年、先述した葬儀に因縁をつけられた猪俣家の、現在も行方不明となっている30代の溶接工男性の祖母宅に角田美代子らが押し入り、「謝罪はどうするのか」などと怒声を響かせトラブルになります。

1998年頃、50代男性のアパートの別の部屋を借りて男性の家族と親類を監禁

chrisreadingfoto / Pixabay

その後、この猪俣家の50代男性が住むアパートの別の階に角田美代子が部屋を借り、親族を集めさせて住まわせ再び軟禁状態に置きます。

わざと挑発し、歯向かったものは取り巻きに徹底的に暴行させ恐怖によって支配し、給与などを奪い取るなどしています。猪俣家は角田美代子に支配され、その後一家離散に追い込まれてしまいます。

1997-1999年、橋本久芳さんの弟・橋本次郎さんが熊本へ脱走し連れ戻される

cocoparisienne / Pixabay

1997年から1999年にかけて、橋本三枝子と偽装結婚して橋本美代子の義理の弟となっていた橋本久芳さんの実弟橋本二郎さんは、虐待や数々の犯罪行為に耐えかね度々熊本や東京へ逃亡しています。

しばらく逃亡生活を続けるものの、その度に親族らに居場所を発見され連れ戻された後、激しい暴行を受けた事を後の法廷にて証言しています。

1999年、溶接工36歳男性の祖母が近所の住民に虐待を訴える

sabinevanerp / Pixabay

1999年には、前述の現在も行方不明となっている猪俣家の当時36歳の溶接工の男性の祖母が、祖母宅トイレの小窓から、近隣の住民に「姉ちゃん、こっち」と呼びかけ虐待を訴え助けを求めています。

この時祖母は、葬儀でのトラブルや、口を塞がれて水や食事も満足に与えられていないとの事情を説明したそうです。この近隣住民の女性はその時の祖母の様子を痩せ細り、シワだらけになっていたと証言しています。

それ以前にも、激しい音や悲鳴が聞こえる事を心配した女性が家を訪ねても家族の男性に「すみません、許してください」と必死に謝られ帰されたのだそうです。おそらく角田美代子に怯えていたのだと推察されます。

1999年、溶接工36歳男性の祖母が死亡

Free-Photos / Pixabay

助けを求める声も虚しく、ほどなくして祖母は前述の角田美代子が借りた高層団地へと連れて行かれ、そこで激しい虐待を受け衰弱死しています。しかし、死因は病死と診断されこの時点では事件になっていません。

2000年1月、50代男性とその家族、親類が万引きの罪で警察に出頭し、支配から逃れる

Herm / Pixabay

この猪俣家の50代男性らはその後の2000年1月、一家全員で家出し、警察に出頭。角田美代子に強要された万引きの罪であえて自ら逮捕され、ようやく角田美代子の支配から逃れる事ができています。

2000年、溶接工36歳男性が行方不明に

GDJ / Pixabay

しかし、この猪俣家の溶接工の男性36歳は、この2000年の猪俣家の一家離散と共に行方不明となり、現在までその消息はわかっていません。

また、この男性の弟、健太郎は角田美代子に気に入られ養子縁組し義理の息子となっています。現在この男は角田健太郎として橋本二郎さんの死体遺棄容疑などで逮捕され、懲役21年の実刑判決が下り服役中です。

2001年、皆吉ノリさん一家の長男が角田美代子と出会う

kellepics / Pixabay

後に虐待を受けて死亡し、谷本家隣接倉庫の床下に遺体を遺棄された皆吉ノリさん(当時80近い高齢)の長男が、2001年頃に中学時代の後輩(鄭頼太郎)の妻だった角田美代子と知り合っています。

2003年2月、李正則被告を追い出した高松市の谷本さん一家に因縁をつけトラブルに

geralt / Pixabay

尼崎市の実家に帰省していた妻から「実家が大変な事になっている」と連絡を受けた谷本家父(50代)が妻の実家へ向かうと、妻の実家の父が借金を重ね首が回らず、角田美代子が肩代わりしたとの話を聞かされます。

その代わりに角田美代子の親類で、谷本家とも縁戚にあたる李正則の世話をする様強要されます。李正則は谷本家で生活する事になりますが、上半身の刺青を見せて暴れ回るなどした為、谷本家から追い出されます。

これに対して角田美代子が谷本家に乗り込み、因縁をつけて取り巻きとともに谷本家に居座ってしまいます。一階を完全に占拠し、谷本父は2階に追いやられ、虐待を受ける家族と切り離されています。

2003年4月、谷本さん一家の姉・谷本茉莉子さんが会社を退職

Anemone123 / Pixabay

谷本家の長女谷本茉莉子さんは、高松市内でウェブデザイナーとして働いていましたが、家族で大阪へ行くと退職を希望、勤め先から大阪の営業所を紹介されますが数ヶ月で辞めています。

2003年、谷本茉莉子さん、瑠依、谷本隆さんが尼崎に連れ去られる

FotoArt-Treu / Pixabay

同年中頃には姉、谷本茉莉子さん、妹の瑠依(角田美代子に気に入られ後に養子縁組)、二人の叔父の谷本隆さんが角田美代子らに尼崎に連れ去られています。

叔父の隆さんは姉妹を心配して自ら同行したとされますが、この後行方不明となります。その後、隆さんが角田美代子らから虐待を受けて死亡していた事が発覚。遺体は皆吉ノリ宅の床下から発見されます。

2003年10月頃、谷本さん宅から一家が姿を消し、谷本さん父は角田美代子から逃れる

darksouls1 / Pixabay

同年8月から9月頃角田美代子らが押しかけ、占拠して居座っていた谷本家から谷本父が妻(この時点で角田美代子に無理やり離婚させられている)を逃し、自らも逃走、その後は親戚宅を点々と逃げ回ります。

しかし、この谷本父の行動によって結果的に残された娘二人は角田美代子らに尼崎へ連れ去られてしまいます。結果、同年10月には谷本家から一家の姿が消えています。

NEXT 2003年、皆吉さん長男が脱走し連れ戻される