アルカポネ(アメリカのマフィア)とは?生涯と関連作品、その他マフィアも紹介!

アルカポネはアメリカのマフィアとして生きた人物です。アルフォンス・ガブリエル・カポネといい、アルカポネはマフィアとして、波乱万丈な生涯を送り、その生き様は多大な影響力で、映画の題材などとしても使われています。アルカポネの生涯や関連の作品をまとめました。

アメリカのマフィア・アルカポネとは?

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アルカポネはマフィアという犯罪組織集団、悪の道へと進みましたが、その生き方は多くの人を魅了させ、現在でも広く知られています。

アルカポネはマフィアといういわば犯罪のプロでありながら、人間らしい一面を見せる事があったため、アルカポネを悪と知りながらも愛する人は多くいます。

また、アルカポネは映画などの様々なメディア作品の題材にもなっているため、自分が生きている時だけではなく、亡くなった後にも多大な人に影響を与えてきました。

禁酒法時代に犯罪組織を統合近代化した伝説的マフィアのボス

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アルカポネは、禁酒法が制定された時代に自身の組織を指揮し、拡大に成功しました。禁酒法とは、アメリカで1920年から1933年まで施工された法です。

禁酒法では、消費のためのアルコールの製造や販売、輸送を全面的に禁止するといった法律です。しかし、アルコールを欲する人は多く、アルカポネは密造酒の製造や販売でも資金を得ていきました。

アルカポネはほかにも売春業や、賭博業を組織で行い、さらに組織を総合近代化していきました。潤沢な資金や成功している裏事業に与する人間は多かったのです。

顔の傷から「スカーフェイス」(向こう傷)の異名を持っていた

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アルカポネは顔に傷があったため、スカーフェイスというニックネームがありました。これはアルカポネがハーヴァード・インで働いていた時に起きた事件についた傷です。

ハーヴァード・インで働いていたアルカポネは、とある女性客に卑猥な言葉を投げかけました。するとその女性の兄であったフランク・ガルチョはアルカポネに対して怒り、殴った後に左頬と首筋を切りつけたのです。

事件後、アルカポネは復讐しようとフランク・ガルチョを探し当てましたが、話し合いで解決し、後年に権力を持ったアルカポネは、ガルチョに仕事を与えたりもしました。

アルカポネは「シカゴの裏市長」

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アルカポネは、密造酒の製造や販売で多額の資金を得た後、その資金で市議会議員、警察などの官憲を買収し、シカゴで多大な権力を得る事に成功しました。

その権力は実質、シカゴの市長のようなものであったため、シカゴの裏市長などと称される事もありました。そうしてアルカポネは組織の拡大を図りつつ、安泰化させていきました。

様々な事業をしつつシカゴでの権力も身に着けたアルカポネは、シカゴで既に有名人であり、アルカポネの組織の収益は現在でいうと8億3千万ドルという巨額なものとなっていました。

アルカポネの邸宅は豪華、お金はあるだけ全て使う?

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自身の組織のトップであり、伝説のマフィアとまで呼ばれているアルカポネは、自宅も豪邸を建てています。現在もフロリダ州マイアミビーチにこの豪邸は残っています。

アルカポネの豪邸は、アルカポネの亡くなった後は遺族が所有していましたが、その後所有者は変わっていっています。伝説のマフィアの豪邸という事で、その価値は今でも上がり続けています。

アルカポネは豪邸を建てるだけではなく、マフィアのトップらしく、かなり派手にお金を使っていました。アルカポネのお金の使い方を見て、自分もそうなりたいと思う部下も多かったのでしょう。

刑務所でも職員を買収しVIP待遇だったアルカポネ

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密造酒の製造や販売だけではなく、脱税など他にも多数の悪事を働いていたアルカポネは、ついに国に目をつけられ、刑務所に入ることになりました。

しかしそこでも潤沢な資金に目をいわせ、刑務所所長や、職員を買収し、とても服役中とは思えないほどのVIP待遇で扱われていました。

VIP待遇にあったアルカポネは、刑務所にいても自身の組織への指揮をすることができたため、刑務所に入る前と変わらず、アルカポネは自身の組織を指揮していました。

殺し屋である一方、貧しい人々に炊き出しもしていた

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アルカポネは、組織の商売の邪魔になるものや、自身の命を脅かす存在は容赦なく排除してきました。しかし、その恐ろしい行いの反面、貧しい人々への炊き出しを無料で行っていました。

それは民衆を味方につけるために行っていたと言われていますが、実際に炊き出しを受けた人たちはアルカポネに感謝し、アルカポネの味方となっていきました。

ただ、この炊き出しの為の食材は地元の食料関係を扱うお店などから略奪したりしたものだったので、アルカポネに感謝する人が増える反面、アルカポネを憎む人も増えていきました。

若い頃は家族思いの青年で、金を稼いで母親に渡していた

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アルカポネは、まだ若く、チンピラのような時期の頃はお金を稼いできては、母親に渡す、ということをしており、とても親孝行で家族思いな人物として知られています。

また、アルカポネがシカゴに自分名義で家を購入した時も、その時ブルックリンに住んでいた妻や子どもだけではなく、母や兄弟たちも一緒に呼びました。

ただの悪党ではなく、このような家族思いな人物としてもアルカポネはよく知られており、それもまた、人を引き寄せる要素の1つとなったのでしょう。

堅気で働いていたこともある

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マフィアとなる前の若いころのアルカポネは、成長するにつれて、色々なギャングに加わったりもしていました。しかし堅気の仕事もしていました。

その仕事は製本工場やボーリング場といったものでした。また、アルカポネは結婚してからはギャングの下で働くのをやめて、建設会社に簿記係として勤め始めました。

この時のアルカポネは頭の良く、好青年であったと近隣住人への印象も良かったようです。しかし、アルカポネの父が亡くなったのをきっかけに、またギャングとの付き合いを始めました。

享年48歳、短い生涯を遂げたアルカポネ

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アルカポネは1899年に生まれ、マフィアとして成功した後、その壮絶な人生を1947年に終えています。アルカポネは享年48歳という短い生涯を遂げたのでした。

48年という短い人生の中でしたが、激動の時代に壮絶で波乱万丈な人生を送ったアルカポネは、伝説のマフィアとして今でも語り継がれています。

先述した家族思いなところなどの人情味溢れる部分も、悪党でありながらもアルカポネを愛する人が絶えない理由となっています。

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アルカポネの生涯

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短い生涯を遂げたアルカポネですが、その人生はかなり濃密なものとなっています。アルカポネという人物は、ただのマフィアや悪党としては、片づけることはできない人物です。

その能力は若いころから発揮され、自身の組織を指揮する際にも存分に発揮されていました。また、マフィアのトップにもかかわらず人望もあり、その能力の高さはまさに伝説のマフィアです。

また、敵対組織や商売敵には容赦のないところはやはりマフィアといった感じですが、民衆の支持を得るということもぬかりなく行っており、その才能は元々の人格や性格も関わっていました。

1899年、イタリア系アメリカ人の家に9人兄弟の4番目として誕生

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アルカポネは、アメリカ合衆国ニューヨーク州で生まれています。ニューヨーク市ブルックリン区イタリアのカンパニア州サレルノ県アングリ出身であった両親から生まれました。

アルカポネは、イタリア系アメリカ人の9人兄弟の4男として生まれました。父であるガブリエーレの職業は理髪師であり、母のテレサは裁縫婦を職業としていました。

本名のアルフォンス・ガブリエル・カポネはAlphonse Gabriel Caponeという綴りで、カポネというのはイタリアでの発音であり、英語ではカポーンという発音という方が近いです。

貧困ながらも成績はトップクラスだったアルカポネ

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当時アルカポネの家は貧しく、ほそぼそとした生活をしていました。アルカポネもその頃は幼く、まだギャングなどとの付き合いもありませんでした。

しかしすでに頭の良さは発揮されていて、勉強はよくできて、成績はトップクラスでした。その後も6年生までのアルカポネは頭も良く、成績も良かったと言われています。

しかし、勉強も良くでき、成績も良かったアルカポネは成長するにつれて、だんだんと不良少年への道へと進んでいったのです。

教師と殴り合いの喧嘩の後、学校に行かなくなった

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6年生まで成績の良かったアルカポネは、その頃から学校へはあまり行かないようになりました。学校をサボり始めたのです。7年生に進級する時期に、アルカポネを当時担任をしていた女性の教師に注意を受けました。

その注意がきっかけで、女性教師と殴り合いの喧嘩まで発展し、その事件からアルカポネは学校へ行かなくなりました。学校へ行かなくなったアルカポネは、お洒落をして外で遊び歩くという不良少年になっていました。

この頃には、アドニス社交クラブという危険な店によく出入りし、銃の使い方なども会得していました。このクラブでアルカポネはイタリアン・マフィアの幹部だったジョニー・トーリオという人物に出会っています。

工場で働くも一方でギャングと交流が始まったアルカポネ

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アルカポネは、外で遊びあるくだけではなく、工場で真っ当に働いてもいました。この時、僅かでも稼いだお金は母親に渡すという、とても家族思いな行動をとっていました。

このような生活をしているうちに先ほどのアドニス社交クラブでイタリアン・マフィアのジョニー・トーリオと出会い、そしてジョニー・トーリオの紹介から、フランキー・イェールに出会いました。

フランキー・イェールはニューヨークのギャングで、本名はフランチェスコ・イオエーレと言います。アルカポネはフランキー・イェールに気に入られ、関係を強くしていくこととなります。

先輩のギャングが経営するバーで働くようになる

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ニューヨークのギャングであるフランキー・イェールに気に入られたアルカポネは、フランキー・イェールが経営していたバーのハーヴァード・インで働かせてもらえることになりました。

ハーヴァード・インでのアルカポネの働きぶりはかなりもので、皿洗いから始まり、給仕やバーテンダーなど何でもこなしていきました。さらには店の用心棒までもアルカポネはこなしました。

その働きぶりで、アルカポネはさらにフランキー・イェールに気に入られ、仲間として認められることになります。そして、アルカポネは本格的に、マフィアへの道へと歩むことになります。

シカゴへ行き、1年立たずに施設の支配人に出世、家族も呼び寄せる

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仲間として認められたアルカポネは、酒の密輸をする縄張りを争ってアイルランド系のギャングをかなり痛めつけています。そのためアイルランド系ギャングのボス、ワイルド・ビル・ロベットに狙われていました。

その時、ジョニー・トーリオに呼ばれ、シカゴのマフィアであるジム・コロシモという人物の売春宿で働くことになります。この時にジョニー・トーリオの不正事業を組織化して反対派と和解するといった手法を覚えます。

アルカポネは、1年もせずに出世していき店の支配人となり、ジョニー・トーリオとは雇われる身ではなく、相棒という関係になっていきました。そして稼いだお金でシカゴに家を購入し、家族を呼び寄せました。

1925年1月12日、アルカポネ暗殺を企てられるも不在で無事

アルカポネはこの頃にはすでに、商売敵などの暗殺などをしていたため、アルカポネの命を狙うものは少なくありませんでした。アルカポネは警戒し、ボディーガードを必ずつけるといった対策を行っていました。

他にも必ず移動時は車で移動するという対策もしていました。そこでアルカポネの暗殺を企てたギャングは、アルカポネの車にトミーガンというサブマシンガンで攻撃しました。

ボンネットは裂けてぐちゃぐちゃになり、エンジンは破壊されるという悲惨な状況で、運転手は負傷しましたが、その時アルカポネは乗車していなかったため無事で、暗殺は失敗に終わりました。

禁酒法を利用して酒の密売へ

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シカゴでマフィアの一員としてその手腕を発揮していたアルカポネは、禁酒法という法律を利用し、さらに事業で成功を収めるために動き出しました。頭のいいアルカポネは法律を逆手にとっていました。

法律で酒が規制されたため、一般的には酒が手に入らなくなりました。そこでアルカポネは他のギャングとの争いに買って手に入れた密輸ルートを駆使し、酒を密輸し違法に販売しました。

法律で禁止されたとはいえ、酒を飲みたい人は多く、違法と知りながらもアルカポネが与する組織から酒を買う人は多くいました。そのような実績を上げ、アルカポネは益々組織の信頼を得ていきました。

ボスだったジョニー・トーリオが引退、アルカポネがギャングのボスに

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ジョニー・トーリオの相棒として、マフィアでの地位を高めていたアルカポネに転機が訪れます。1925年にジョニー・トーリオが別のギャングに襲われ、引退しました。

するとジョニー・トーリオは相棒だったアルカポネに縄張りを譲り、組織のトップとしてやっていくように言ったのです。これはまだアルカポネが26歳という若さの時でした。

ジョニー・トーリオに縄張りを譲られ、組織のトップになったアルカポネは組織を指揮して、さらに酒の密売に力を入れていき、莫大な資金を得ていきました。

酒の密売の利益で警察や裁判所、政治家等を次々に買収しシカゴの裏市長へ

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組織を指揮して酒の密造や密売を行いつつ、その資金を使って同時に組織も大きくしていき、組織を大きくしたアルカポネは組織の力で商売に邪魔になるものを排除していきました。

他のギャングなどの邪魔者を排除したことにより、同じ商売をするものが減っていき、さらに入る資金は増え、組織も拡大化していきました。この循環でアルカポネの資金と組織は巨大なものになっていきます。

巨額の資金に巨大な組織を得たアルカポネの勢いはとどまる所を知らず、さらに権力を得るためにシカゴの政治家や警察などに賄賂を渡し、味方につけていき、アルカポネはシカゴの裏市長と呼ばれるようになりました。

1929年2月14日、聖バレンタインデーの虐殺の実行

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様々な敵を暗殺してきたアルカポネは敵も多く、その中でもモランというギャングは、アルカポネの命を執拗に狙っていました。信頼する部下からも、モランの一味を排除するべきだと言われていました。

アルカポネはジャック・マクガーンという部下に、1万ドルと暗殺にかかる経費を払うことを約束し、モランの暗殺を任せました。こうしてアルカポネ一味とモラン一味の抗争が始まりました。

ジャック・マクガーンは警察官に扮して、モラン一味に接触し、騙されたモラン一味は指示に従い不意を突かれ一掃されました。この残酷な事件の全貌はマスコミによって知れ渡りました。

1929年5月、自作自演の拳銃の不法所持で逮捕

今まで悪事を働いても賄賂を渡していた事で罪に問われなかったアルカポネでしたが、聖バレンタインデーの虐殺があまりにも凄惨な事件だった事や、マスコミによって民衆に知れ渡った事が失敗でした。

あまりに悲惨な事件に民衆には憎まれ、暗殺時に警察に変装していた事も、今までの悪事を見逃していた警察の反感も買ってしまいました。ついに警察はアルカポネを首謀者として逮捕するべく動き始めました。

アルカポネの目的は別の罪で捕まることによって、民衆の非難の目を逸らす事でした。計画通り拳銃の不法所持で逮捕されたアルカポネは、刑務所の所長や刑務官を買収しVIP待遇で過ごしました。

逮捕を逃れるため貧しい人に無料で炊き出しするも、材料はぶんどった物だった

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計画通りに逮捕されたアルカポネでしたが、一度向けられた民衆の非難の目は逸らすことができず、警察もアルカポネを本格的に逮捕するべく動き出しました。

そこでアルカポネは、民衆の支持を得ようと考え、貧しい人に無料で炊き出しをするということを大々的に始めました。このアルカポネの行動は新聞にも取り上げられ、民衆には非常に好印象でした。

しかし、この炊き出しの食料は地元の飲食関係のお店から強奪したものであり、結局は悪い事をしていたのでした。警察もアルカポネに対して厳しくなり、確実な証拠を掴むため動いていました。

1931年6月5日、アルカポネは脱税で起訴される

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アルカポネは無料の炊き出しなどで民衆の支持をある程度は得ましたが、あまりにも禁止されている酒の密売、密造を大々的にやっていた事と、巨額の脱税をしていた事で国からも目をつけられました。

逮捕を逃れるため色々と策を講じたアルカポネでしたが、結局脱税の罪で告発されてしまいました。アルカポネは裁判にかけられる事になるのですが、事前に陪審員のリストを手に入れ、1人千ドル渡し買収しました。

しかしそのことも密告されていて、結局陪審員は裁判が開廷すると同時に変えられ、買収は徒労に終わってしまいます。刑を言い渡されたアルカポネは自身の想像より厳しい刑だったのでショックを受けました。

アルカポネは刑務所へ入所

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1931年にクック郡刑務所に入所したアルカポネは、再び刑務所長や刑務官を買収し、以前と変わらぬ豪華な生活を過ごしていました。組織の指揮も変わらずアルカポネが刑務所からとっていました。

アルカポネはその後、1932年に再審請求をしたのですが認められず、最高裁から退けられてしまいました。最高裁に望みをかけていたアルカポネは、かなりのショックを受けました。

こうして、アルカポネはひとまずアトランタ刑務所に入りました。今までの刑務所のようにはいかず、アトランタ刑務所ではアルカポネは他の囚人に罵倒されたりしていました。

1936年頃、アルカポネは梅毒を発症し別人に

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アトランタ刑務所からアルカトラズ刑務所に移ったアルカポネは、風呂掃除の係としてとても真面目に刑に服していました。態度も良く、仲のいい他の囚人と楽器を使って演奏したりもしていました。

真面目に過ごしていたアルカポネですが、若いころに感染した梅毒が悪化し始めました。梅毒が悪化した事により、痴呆の症状もでてきてしまったアルカポネは、他の囚人に頭がおかしくなったと思われていました。

さらに1936年にジミー・ルーカスという囚人に金をゆすられ、それを断ったアルカポネは刃物で刺されてしまいます。その後、梅毒はさらに悪化していきアルカポネは弱っていきました。

出所後1947年1月に死去、死因は脳卒中と肺炎

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梅毒という事が判明したアルカポネは、連邦矯正施設で残りの刑期を過ごし、出所しました。出所後、メリーランド州のユニオン記念病院で治療を受けました。

アルカポネは4ヶ月の治療を終え、フロリダのパームアイランド島で家族とともに生活をしていました。この時には、暗黒街の住人が訪れ、アルカポネとたわいのない話をしたり、兄弟と商売の話などをしていました。

療養していたアルカポネですが、1947年に脳卒中とそれに伴う肺炎で亡くなりました。それは1月25日の土曜日で、次の日の日曜日の新聞にも大きく載り、悪夢の終わりと伝える新聞社もありました。

アルカポネの子孫は?

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アルカポネは結婚していて、息子もいるのですが、伝説のマフィアであるアルカポネの息子、という立場で生まれてきた子どもは、どのような人生を送ったのでしょうか。

アルカポネは家族思いで知られていて、息子とっては良い父であったかもしれませんが、周りの人にとってはマフィアの子どもであるアルカポネの息子は、大変な思いをしたに違いありません。

有名な伝説のマフィアの息子と知られてしまったら、仲の良かった人でも態度は一変するかもしれません。アルカポネの息子は大丈夫だったのでしょうか。

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