アルバート・フィッシュの事件は?異常な性癖、生い立ちや家族も

大なり小なり人は何かしら性癖を持っていますが、それが人様に迷惑をかけないのであれば何ら問題はありませんが、アルバート・フィッシュの場合そうではありませんでした。今回は彼の生い立ちや性癖、死刑判決までの流れやその筋では有名な恐怖の手紙などについて調べてみました。

史上最悪の変態食人鬼「アルバート・フィッシュ」

満月の狂人、グレイマン、ブルックリンの吸血鬼。アルバート・フィッシュには禍々しい異名がついており、アメリカ犯罪史上最悪の殺人鬼とも称されています。

彼の行動や嗜好は常人には理解しがたく異名の通り狂人と呼べる人物であり、1910年から逮捕される1934年までの間に何人もの人間の命を奪いました。それもただ殺すだけに留まらない場合も多々ありました。

被害者を裸にして吊るし、時間をかけてじっくりと拷問。その上で殺害し、被害者の遺体を調理して食べたと言われています。また彼はその時の様子を綴った手紙を被害者遺族に出した事もありました。

狙うのは6歳に満たない男児が多かった

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犠牲者となったのは主に子供でした。特に貧困層の黒人の子供を狙って犯行に及んでいます。その理由として、貧困であるが故に十分な行動を取る事が出来ない事をアルバート・フィッシュは知っていたからです。

加えて、彼の容姿もまた被害者を誘い出すのに有利に働きました。彼の風貌は老紳士と言う言葉がぴったりで、真っ先に子供を預けたくなるとも称されるほど殺人と無縁そうな風貌でした。

多くの子供たちを殺害したアルバート・フィッシュですが、どんな時でも1度も子供を憎いと思った事はないと語っています。

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シリアルキラー、アルバート・フィッシュが起こした事件の経緯

多くの子供たちの命を奪った最悪の殺人鬼アルバート・フィッシュ。では、彼はいかなる方法を用い、またどんな経緯で殺害に至ったのか。ここではアルバート・フィッシュの事件とその経緯などについて解説致します。

尚記事の特性上、猟奇的およびグロテスクな表現がある事をお伝えしておきます。

1910年から1934年の間に400人以上もの子供を殺したと自供

アルバート・フィッシュが初めて人を殺したのは1910年、逮捕されたのは1934年の事です。逮捕間際まで彼は凶行を続け、実に24年に渡って多くの尊い命を奪ってきました。

とある殺人事件の容疑で逮捕されたアルバート・フィッシュですがあっさりと罪を認めています。そればかりか、余罪を追求されると400人以上もの子供を手に掛けてきたと供述しました。

この供述を受けて、警察は多数の人員ど動員しアルバート・フィッシュの供述の裏付け捜査を開始します。

アルバート・フィッシュは少なくとも15人は殺害している?

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捜査の結果、アルバート・フィッシュが手によって命を落としたとされた犠牲者の数は15人。しかし、この数字はあくまでも少なくともです。

400人と言う数字は虚言が混じっているとも言われますが、説によってはこの時の捜査で裏付けが取れた被害者の数は100人とも言われています。

1910年、最初の被害者はトーマス・ケッデン

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殺人を犯す以前からアルバート・フィッシュは好みの男児への強姦を繰り返していました。更に1903年には重窃盗罪で逮捕され1年半ほど服役しています。そして、1910年に最初の殺人に手を染めました。

「痛みに苦しむ幼児の顔が見たい」と言う衝動のもと、ケッデンを古い家屋へと連れ込むと、以後2週間に渡って拷問。男性器を切断したと供述しています。

しかし、犯行の発覚を恐れたアルバート・フィッシュは切断した男性器などを持ち被害者を置き去りにして立ち去ったとされる他、刺殺したとも言われており、いずれにせよこれが彼にとって初めての殺人だったようです。

1924年、フランシス・マクドネルを殺害

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1924年、フランシス・マクドネルが姿を消し両親が警察に通報しています。この時、アルバート・フィッシュの姿をフランシスの友人が目撃しており、証言を聞いたマクドネルの母親もその姿に見覚えがありました。

「ぶつぶつ言いながら通りをウロウロしていました。手の動きも変でした。髪の毛はグレーで、ヒゲもグレーで伸びていました。全部が色あせてくすんでいた印象があります」

(引用 カラパイア)

しかし、それらの情報も虚しく、マクドネルは無残な姿で発見されました。サスペンダーで絞殺されたマクドネルの遺体は木に吊るされていて、暴行の痕跡が窺えました。

この時アルバート・フィッシュは、マクドネルの性器を切り取るつもりでしたが、人が近づいてきたので逃げたと供述しています。

またこれ以前にも1919年にニューヨークとワシントンで、それぞれ少年を殺害、1926年には少女を誘拐し殺害したと言われている事を付け加えておきます。

1927年、ビリー・ガフ1927年には4歳のビリー・ガフニーを誘拐し殺害。

この時もアルバート・フィッシュはガフニーの友人に目撃されており、友人はブギーマンが来たと証言しました。ブギーマンとは子供をさらうとされるお化けです。

事件は大々的に報じられましたが、アルバート・フィッシュはガフニーを解放せず、強姦や拷問を行った末に殺害。解体して重しを入れた袋に詰めて湖に捨て、気に入った部分は持ち帰って4日間かけて食べました。

逮捕後、アルバート・フィッシュは弁護人にあてた手紙にこの時の詳細を書き記しています。

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手紙によると鞭で血が流れるまでガフニーの尻を叩き、鼻や耳を切り取り、目玉をくりぬいて口を裂いています。この段階でガフニーは死亡。その後アルバート・フィッシュはナイフで腹を刺し流れる血を飲みました。

更に解体後、ガフニーの遺体を食べるにあたっての調理法やその感想まで記述してあり、ガフニーの尻の肉を使った自身の料理について「ローストターキーなんかと比べ物にならない」と述べています。

1928年、グレース・バッドを殺害

1928年、新聞紙上にて仕事を求める広告を目にしたアルバート・フィッシュは、フランク・ハワードの偽名を使ってバッド家を訪問。自分は農場主だと偽り、家族と話した後この日は何もせずに帰路につきました。

そして、同年6月3日。アルバート・フィッシュはカッテージチーズを手土産に再びバッド家を訪問、グレースの兄で広告主あるエドワードに採用を告げた上で一家と昼食を共にします。

アルバート・フィッシュは一家の次男に小遣いを渡すなどしすっかりと打ち解け、グレースの両親もフィッシュの事を信じ切っていました。

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アルバート・フィッシュの標的はエドワードでしたが、昼食時にグレースが膝の上に乗り、キスをして来た事で標的を彼女へと変更しています。

姪の誕生日会があると嘘をついてグレースを誘い、両親も二つ返事で愛娘を送り出しましたがそれが今生の別れとなりました。アルバート・フィッシュはグレースを空き家へと連れ込み殺害します。

グレースの遺体は9日を掛けてアルバート・フィッシュの胃袋に納められました。尚翌日には両親は警察に届け出ており、フランク・ハワードが存在しない人間である事が発覚しています。

6年後の1934年、グレース・バッドの母が奇妙な手紙を受け取ったことで逮捕へ

グレースが姿を消してから6年が経過したある日、グレースの母親あてに匿名で一通の手紙が届きます。

手紙にはグレースを絞殺した事、食べた事などが図入りで細かく記されており、手紙の最後はレイプはしていない、娘さんは処女のまま天に召されたとの一文で締めくくられていました。

手紙の中には犯人とバット家しか知り得ないお土産のカッテージチーズが記されており、母親は慌て手警察へと駆け込みます。そして、この手紙がアルバート・フィッシュ逮捕の足がかりとなりました。

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手紙が入っていた封筒にNYPCBAの刻印が発見されます。これはニューヨークの個人運転手組合の事で警察は組合員全員の筆跡を調べるも該当者はいません。しかし、1人の運転手が私用で持ち出した事が判明します。

その運転手の証言をもとに、アルバート・フィッシュの下宿が割り出しました。そして、張り込みの末に遂にアルバート・フィッシュを逮捕。遂に満月の狂人の犯罪に終止符が打たれたのです。

尚グレース殺害後から「無性に生贄が欲しくなった」と述べており、逮捕までの6年の間も次々と子供を殺害したと見られています。

アルバート・フィッシュの異常な性癖や行動

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一言で言えばアルバート・フィッシュは狂人であり、実際に彼の犯罪を知った多くが「狂っている」と断じています。ここでは、アルバート・フィッシュの持つ異常な性癖や行動について触れていきます。

泣き叫ぶ子供たちを見て絶頂を迎えるアルバート・フィッシュの異常な性癖

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連続殺人犯の中には被害者を傷付け苦しめる事や殺害する行為に興奮を覚え、性器に触れる事無く絶頂に到達するケースが存在します。アルバート・フィッシュもまたこのケースに含まれます。

アルバート・フィッシュは被害者の子供を拷問に掛ける際、猿轡を噛ませたりしませんでした。それは、子供たちの悲鳴や痛みに泣き叫ぶ声を聞きたいが為です。

執拗に様々な拷問を行って子供たちを痛めつけ、その悲鳴を耳にする事でアルバート・フィッシュは絶頂に至ったとされます。また被害者を痛めつけた理由として、以下のように語っています。

「私はいつも誰かに苦痛を与えたかったし、苦痛を与えられたかった」

(引用 ミステリーニュースステーションATLAS)

また拷問に際して、ベルトに釘を打ち付けた上で半分程度に切ったものを鞭として使用しており、アルバート・フィッシュはこれを地獄の器具と呼んでいました。

殺害した子供たちを食人

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アルバート・フィッシュが殺した子供たちの肉を食べていたのは前述の通りです。中には食べる事を目的として、殺害された子供も居ました。

また変な言い方ではありますが、アルバート・フィッシュは人肉の調理にも手間をかけており、野菜と一緒に煮込んでシチューにしたり、時間をかけて人肉を焼き上げるなどしています。

2時間ほどすると、肉はこんがりと焼き上がりました。ぽっちゃりした坊やのお尻のおいしいことといったら、ローストターキーなんか比べものになりません。私は4日かけて、そっくり平らげました。

(引用 殺人博物館)

また逮捕のきっかけとなったグレース殺害について手紙。これはあまりの美味さゆえに、誰かにこの気持ちを伝えたいという思い故に書いたとされます。

アルバート・フィッシュの逮捕後

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逮捕の際、アルバート・フィッシュは一見冷静に見えましたが、カッターナイフで警察に切り掛かり取り押さえられたとされます。それでは、逮捕後の彼は一体どのような態度でどのような処遇が下されたのでしょうか。

裁判ではアルバート・フィッシュの精神異常による責任能力の有無が問われた

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アルバート・フィッシュの裁判において、彼が正気か否かが争点となりました。何人かの精神科医が、マゾヒズム、ペドフィリアや糞尿性愛について証言しています。

またアルバート・フィッシュ本人は自身は子供を殺せと言う神の啓示を受けたと述べ、著名な精神科医フレデリック・ワーサムもまたアルバート・フィッシュが精神異常者であると明言しました。

加えて、ワーサムはアルバート・フィッシュの異常性癖は不幸な環境によって作り上げられたものであり、当人の気質によるものではなく、アルバート・フィッシュもまた被害者であったと主張しています。

アルバート・フィッシュは死刑判決に

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見た目に騙され、冤罪に加担したくないと辞退した陪審員も居たと言われますが、世間の多くが彼の死刑を望んでいました。そして、裁判は僅か10日で終了。アルバート・フィッシュには死刑が宣告されます。

それを受けて、ワーサムはこう反論したのでした。

「この男は治療出来ないばかりでなく、罰することも出来ないのです。彼の歪んだ心は、最後に味わう究極の苦痛として電気椅子を待ち望んでいるのです」

(引用 殺人博物館)

アルバート・フィッシュは死刑判決に不服も、電気椅子に興奮

被告人であるアルバート・フィッシュは死刑判決にはかなり不服だったようです。その一方でマゾヒスト故に電気椅子に対しては興奮を抱いていました。

アルバート・フィッシュはその時の心境を記者たちに対し語っており、それは意訳するならば「電気椅子に座る日を楽しみにしている」なるものでした。

1936年、アルバート・フィッシュの死刑執行にはいくつかの逸話が

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服役中のアルバート・フィッシュの態度はお世辞にもいいとは言えず、懺悔の時間に自慰を行うなど再三に渡り注意を受けていました。もちろん反省の意などなかったとされます。

判決から時は流れ1936年1月16日。遂にアルバート・フィッシュが刑に処される日がやって来ました。電気椅子に腰かけ、手足を職員にベルトで固定される際にも「最高のスリル」と語ったと言われています。

そして、死刑執行。この時アルバート・フィッシュは興奮の余り激しく勃起していたとも言われており、その他にも幾つかの逸話があります。

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アルバート・フィッシュの性癖に起因しますが、彼は体内に釘や針が残っており、それらの存在で機械がショートしたと言われ、二度電流を流す事でようやく死刑は完了しました。

また一度目の電撃終了時には、頭から煙をあげつつ笑っていたなどの噂もあり、この噂を受けて金属片を飲み込む死刑囚が続出したと言われます。

しかしながら、そもそも電気椅子による死刑は警戒の為2度電流が流されるのが通例であり、これらの説は間違っていると考えられています。

アルバート・フィッシュの子供は遺体受け取りを拒否、刑務所の墓地へ埋葬

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アルバート・フィッシュは同性愛者ではなく両性愛者でした。過去には結婚歴もあり、子供も6人設けていました。

その6人の子供ですが、全員アルバート・フィッシュの遺体を受け取る事を拒否します。その為、彼の遺体は刑務所内に埋葬されました。

アルバート・フィッシュの最期の言葉は「なぜ、私がここにいるか分からない」

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最悪の変態殺人鬼アルバート・フィッシュがこの世で最後に発した言葉が「なぜ、私がここにいるか分からない」でした。

この言葉は子供を殺そうが、拷問にかけようが、その死体を食べようが自分自身では悪い事をしたつもりはなかった為に発せられた言葉だと考えられており、アルバート・フィッシュはこんな言葉も口にしています。

「あなた方がいかに私に後悔をさせようとしても無駄だよ。どんな言葉を聞いても私は後悔をしそうにないんだ」

(引用 世界の猟奇殺人者)

アルバート・フィッシュの生い立ちや人物像、家族は?

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裁判の際、アルバート・フィッシュの異常性は環境により作り上げられたと弁護があった事は先程紹介させて頂きました。一体アルバート・フィッシュはいかなる生い立ちを辿り、狂気の殺人者と成り果てたのでしょうか。

アルバート・フィッシュの家系は精神疾患が多かった

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アルバート・フィッシュがこの世に生を受けたのは1870年の5月10日でした。出生当時父の年齢は75歳、母よりも43歳年上であり、アルバート・フィッシュは12人兄弟だったようです。

母は幻覚症状に悩まされ、父は躁うつ病、兄弟は精神薄弱者であったと伝えられます。

また父親は宗教狂であったとも言われ80歳の時に心臓発作を起こして死去。当時5歳だったアルバート・フィッシュは孤児院に預けられる事となりました。

孤児院で芽吹いたサディズム、マゾヒズム

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孤児院では非常に厳しい躾が行われていました。何かやらかせば待っていたのが鞭による体罰で多くの子供たちはその罰を恐れましたが、アルバート・フィッシュは次第に鞭で打たれる事に快感を見い出すようになります。

また興奮を得る材料は自身が鞭打ちを受けるだけに留まらず、他の子どもが罰として鞭を打たれる姿にも興奮を覚えます。

「反省するたびに鞭打ちを喰らうのだが、これは何の意味も無い。子供たちは、鞭で殴られるたびに悪くなっていった」

(引用 Wikipedia)

鞭打ちによる罰に対し上記のように述べる一方で鞭打ちを楽しみにしているのは自分だけだった事を語っています。

そんな孤児院での生活は母が迎えに来る7歳の頃まで続き、退院時にはしっかりとサドマゾ嗜好が彼の中で芽生えていました。

兄や変態な少年との出会いに影響を受けた異常な性癖

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数年ぶりに家族と過ごせる事となったアルバート・フィッシュ。それと同じくして、兄が軍を除隊して家に戻って来ていました。

兄はアルバート・フィッシュに対し、ポルノ写真を見せたり戦争体験について聞かせます。実際に戦地で目撃したと、食人についても語った結果アルバート・フィッシュの中で人肉食への興味が芽生えました。

アルバート・フィッシュは兄の食人の話に夢中になったのです。

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12歳の時には売春宿で電報配達人をしていた少年と出会い性行為に及びます。その少年の影響でアルバート・フィッシュは糞尿性愛と両性愛に目覚めました。

この頃には自身より年下の男児が好きだと言うのも自覚。15歳で学校を退学、20歳の頃に一家でニューヨークに移住した頃ホームレスの男児を言葉巧みに誘っては強姦を繰り返すようになっていました。

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