シリアルキラーエド・ゲインの猟奇事件とは?母親や名言も

アメリカ犯罪史上最も猟奇的なシリアルキラーと呼ばれたエド・ゲインをご存知ですか?彼は女性の死体を解体して食器や家具を作り出すなど常軌を逸した行動を繰り返していました。今回は彼が異常人格となった要因とされている母親や、名言と呼ばれる発言についてまとめてみました。

シリアルキラーと呼ばれる連続殺人鬼エド・ゲインとは

エド・ゲインとは1957年にアメリカで逮捕された連続殺人鬼です。そのあまりの猟奇的で常軌を逸した犯行から、事件の詳細を知って気分が悪くなったという人まで出てくるほどでした。

そもそも「シリアルキラー」とは一定の時間をあけて殺人を繰り返す犯人のことを表し、被害者は2人以上であることを定義しています。また、一度の犯行で複数の人々を殺害する大量殺人とは区別されています。

今回は最も猟奇的なシリアルキラーと呼ばれ、アメリカだけでなく世界中を恐怖に陥れたエド・ゲインについて、その生い立ちや母親との関係、名言とも呼ばれている発言などをご紹介していきます。

アメリカの20世紀を代表する殺人鬼の一人

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アメリカの犯罪史上、最も猟奇的で異常な殺人鬼だと言われているエド・ゲインですが、彼は地元の墓場に土葬されている女性の死体を掘り起こし、その死体を使って「戦利品」と呼ばれるものを作っていました。

エド・ゲインの家を家宅捜索していた警察が15人分の死体を発見し、ベテラン警察ですら凄まじい光景に恐怖を通り越したと言われるほど凄惨な現場だったため、「20世紀を代表する殺人鬼」とまで言われました。

この事件は何度か映画化されていますが、そのあまりの残虐性にR指定を受けたり上映禁止になった作品もあるほどです。映画化された作品についての詳細は後半でまたご説明します。

シリアルキラーと呼ばれているが実際に殺害したのは二人

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最も猟奇的なシリアルキラーと呼ばれてはいますが、彼が実際に殺害したとされているのは2人だけで、あとは先ほどもご説明したように墓場の死体を掘り起こして犯行に及んでいました。

では、もっと多くの人を殺害している殺人鬼もたくさんいる中で、何故彼が「最も猟奇的なシリアルキラー」と呼ばれているのでしょうか。その理由は、彼の悪趣味な「コレクション」にありました。

ではこれから、彼が行った残虐で常軌を逸した犯行やコレクション、さらに凄惨な現場の様子について詳しくご説明していきます。ショッキングな文章も含まれますので閲覧には十分ご注意ください。

エド・ゲインの警察も笑うしかなかったコレクション

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まず先ほども少し触れました、彼の「コレクション」についてご説明します。エドの家を家宅捜索してコレクションの数々を目にした警察は、その凄まじい光景に恐怖を通り越して笑うしかなかったと語っています。

そこでは、人間の死体がまるで屠殺された牛か豚の死体のように、ゴロゴロと転がっていたと言われていて、さらに家の中の家具や食器棚の中など至る所から人間の死体の「一部」が見つかりました。

警察が最初に発見した遺体

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ごみ屋敷のように汚い家の中で警察が最初に目にしたのは、天井に逆さづりにされた人間の死体でした。その死体は胸部から陰部までが縦に切り裂かれていて、屠殺された家畜のように内臓は全て抜かれていたといいます。

さらに近くには切断された9つの首が「干し首」となっていて、数々の凄惨な現場を見てきたというベテランの警察でさえも大きなショックを受け、さらに新任の警察は外に飛び出して嘔吐してしまうほどでした。

ここまで見ただけでも残虐でショッキングな内容ですが、警察はさらに惨いものを次々と発見することになります。

冷蔵庫と靴箱の中身

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凄まじい現場の中で家宅捜索を続けていた警察は、次に古くなった靴箱の戸を開けました。するとその中からは切断されている9人分の女性器が見つかり、さらに削がれた鼻だけが詰められた箱も見つかりました。

ほとんどが乾いて縮んでいたが、1つだけは銀色に塗られ、紅いリボンで飾られていた。もう1つはとれとれの新鮮なやつで、保存用に塩がまぶされていた。(引用:殺人博物館)

そして冷蔵庫の中には死体から抜き出された人間の内臓が保存されていて、食用のために保存されていたものもあったといいます。鍋の中には、まだ切断したばかりと見られる心臓もありました。

遺体を解体し食器や家具を加工

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他にも彼は死体で食器や家具などを作り上げていたようで、テーブルの上には人間の頭蓋骨で作られたスープカップがあり、椅子の座面はなめした人の皮で覆われていました。なめすとは以下の意味です。

動物の皮は、一般にそのままだと固くなったり腐敗してしまったりする。これらを防ぎ、皮を柔らかくして耐久性や可塑性を加え、皮革として利用するために必要な作業がなめしである。(引用:Wikipedia)

さらにスプーンやフォークは持ち手の所が骨でできていて、食器棚の中には複数の頭蓋骨が並んでいたといいます。人皮の椅子や骨でできた食器などは、実際の写真がネット上に出回っています。

人間の皮で加工した服など様々な小品も見つかる

そして食器や家具以外にもブラインドには唇で作られた日よけ、女性の乳首がいくつも付けられたベルト、皮膚をなめして作られたストッキングや靴下も発見されました。

さらにエド・ゲインの代名詞とも言われる「人皮チョッキ」が発見されました。これは人間の皮や肉で作られたチョッキであり、胸の位置には切断された女性の胸も付けられていました。

エド・ゲインが死体を解体する際の「儀式」

エドが墓場から掘り起こした死体を解体するのは決まって月が出ている夜だったようで、人皮チョッキを羽織り、さらに人の皮で作られたマスクをかぶっていました。この格好で踊り狂いながら解体していたといいます。

墓場から掘り起こしてきた死体というのは、亡くなった母親に近い体型・年齢の女性ばかりだったため、母親に対しての強い執着があるとされました。母親に関しては少し後に詳しくご説明します。

エド・ゲインのコレクションが販売されてる!?

死体の一部を使って家具やチョッキなどを作っていたことに影響を受けたオーストラリアの芸術家が、彼のコレクションを模擬したハンドメイド作品を「Etsy」というサイトで販売していると話題になりました。

ラテックスというゴムのような素材を加工することで人間の皮を表現していて、何人もの顔がつぎはぎにされているジャケットやバッグなどを主に販売しています。

偽物だと分かっていても気味が悪い作品ですが、サイズのオーダーメイドなどもしてくれるようで、実際にいくつか売り上げが上がっています。過激な見た目ですので、画像の検索には十分ご注意ください。

エド・ゲインの生い立ち

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エドの自宅から数々の惨殺死体が発見されて逮捕される前は、プレインフィールドに住む50代の無口で静かな普通の男性だったと近所の住民は証言しています。

母親を亡くして天涯孤独となった彼に同情する住民も多く、真面目な性格だったため「頭は少し弱いけどとても良い人」という印象を持たれていたとされています。

彼は何でも屋のような仕事をしていたこともあり、住民はしばしば彼に仕事を頼んでいたようですが、彼はどんな仕事を頼んでも決して嫌な顔はせずに引き受けてくれたと住民は語っています。

生まれ

そんなエド・ゲインは1906年8月27日、アメリカのウィスコンシン州にあるバーノン郡で生まれました。家族構成は、父ジョージと母オーガスタ、兄ヘンリーの4人家族でした。

ジョージは重度のアルコール依存症だったようで、何度も失業と転職を繰り返していました。食料雑貨店を経営している母オーガスタはルター派信者であり、かなり狂信的にのめり込んでいたといいます。

のちに母オーガスタは住んでいた場所から少し離れたプレインフィールドという何もない田舎町に農場を買い、エド・ゲインの家族はそこで農場の仕事をしながら暮らすことになりました。

母の教育

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母オーガスタはルター派に狂信的にのめり込んでいたこともあり、歪んだ考え方を子供に押し付けて異常な教育をしていたとされています。そのせいで息子たちは社会からほとんど孤立していました。

彼女は外の世界の物事を全て「悪」「汚らわしい」と考えていて、息子たちが外の世界と関わることを嫌がりました。プレインフィールドにて農場を買ったのも、部外者との交流を避けるためだったといいます。

そんな母親でも、エドは心の底から彼女を愛していたとされています。それに対して兄ヘンリーは異常な教育に違和感を感じていました。母オーガスタの教育やエピソードに関しては、後でさらに詳しくご説明します。

父と兄が死に最愛の母と二人暮らしになる

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1940年、エドが30代の時に父ジョージが心臓発作で死亡し、その後は農場の仕事を手伝う兄ヘンリーとともによろず屋として働いていたので町の住民からは頼れる存在という印象を持たれていました。

エドは隣に住む家族の子守りをしていたこともあり、子守りを心から楽しみました。順調に見えた生活でしたが、兄ヘンリーは母親の異常な教育に反感を持っていて、母親を愛していたエドを否定するようになりました。

1944年5月16日に農場の近くで火事が起こり、兄ヘンリーが遺体となって発見されました。警察は事故死としましたが、頭部に傷があったことから、エドが殺したと主張する人も多いです。

母の死後はほとんどを家に引きこもり暮らす

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兄ヘンリーが死亡してからエドと母オーガスタの2人で暮らしていましたが、1年も経たないうちに母オーガスタは脳卒中で倒れ、1945年に死亡しました。家族が次々と亡くなり、エドはついに孤独となりました。

純粋に母を愛していたエドは大きな悲しみを受けましたが、その後も農場に住み続けました。近所の農家の手伝いや子守りの仕事も続けていたため、近所の住民からは「善良な住人」として受け入れられていたといいます。

ですがそんなエドは徐々に人の死体や解剖、カニバリズム(人間の死体を食べること)に興味を持つようになっていきました。特に人間の皮でランプのかさを作ったイルゼ・コッホという女性をに心を奪われたといいます。

変身願望をいだき墓を掘り返す行為を10年ほど続けた

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性行為を悪としていた母親の影響で、彼は自分の性器を切り落として女性になりたいという「変身願望」がありました。その欲求を墓場にある死体を解剖するなどして満たしていったといいます。

切断した女性器を自分の男性器にくるみ、冒頭でもご説明した「人皮チョッキ」を着て皮のマスクをかぶることで女性になりきっていたという話は有名で、映画「エド・ゲイン」でも描かれています。

エドは1947年から1954年の10年間でなんと40回以上も墓場を訪れていて、その中から母親に似た体型・年齢の女性ばかりを狙って掘り起こしていました。

エド・ゲインの母親オーガスタ・ゲインについて

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彼が女性の死体ばかり掘り起こして、解体したり食器や家具を作ったりするなど異常で猟奇的な犯行をしたことに関して、最も大きな要因と考えられているのは母オーガスタとの関係性です。

日本でも海外でも、両親や家族との関係性は犯罪に大きく関係していると言われていて、特に人格が形成される幼少期などにどのような教育を受けていたのかが重要だとされています。

彼は母親の呪縛から逃れられなかったためシリアルキラーとしての人格が作り上げられ、異常な犯行に手を染めてしまったと主張する人は現在でも多くいます。では、そんな母オーガスタについて詳しくみていきましょう。

狂信的なルター派信者

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息子たちに異常な教育をしていたと言われる母オーガスタ自身も、敬虔なルター派一家に生まれています。特に彼女の父親は狂信的だったようで、時には暴力を振るうという厳しすぎる躾をされて育ちました。

この影響もあり、オーガスタは自分よがりな考え方を人に押し付け、それを強要するような人間になってしまいました。特に彼女は、男女の性交が許せませんでした。

性格

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オーガスタは夫のジョージに対して「役立たず」と罵ることが日常となっていて、人前でも気にせず夫を嘲り笑いました。そして息子たちには夫のようになってほしくないという思いから厳しくしていたといいます。

日頃から罵倒されていたジョージですが、彼は重度のアルコール依存症であり、お酒を飲むとオーガスタに暴力を振るうことがたびたびあったため、オーガスタは夫が早く死ぬことを毎日祈っていました。

さらに2人の息子に対して旧約聖書の中の「ノアの箱舟」の話をたびたびしていて、「そのうち神様がこの腐った世界を滅ぼすことになる」という終末論まで聞かせていました。息子達は恐怖で震えていたといいます。

異常な性教育を子供たちに施す

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オーガスタにとって外の世界の全ての事柄が「悪徳」「堕落」であり、またプロテスタントの信仰の由来から息子たちに「男性器は悪の象徴」だとして、自分の男性器にツバを吐くことを強要していたといいます。

実際にプロテスタントの信仰の中には、男性器や性交を悪とする教えはなかったのですが、彼女は「性交は子作りのためにのみ許される」と教えていました。

彼女は特に若い女性を毛嫌いしていて、女性との交流を禁止しました。さらにアルコール依存症の夫を罵り、彼と結婚したせいで不幸になったと語り「早く死ぬように祈れ」と息子たちに強要していました。

エド・ゲインの犠牲者

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女性の死体から家具やチョッキを作り上げてコレクションとしていたエド・ゲインですが、その死体のほとんどは墓場から掘り起こしたものであり、彼が自分の手で人を殺害したのは2人だけでした。

その2人の女性は、のちの家宅捜索の際に切り刻まれた死体が発見されています。では、その2人の被害者であるメアリー・ホーガンとバーニス・ウォーデンについてご説明していきます。

メアリー・ホーガン

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1954年12月8日、メアリー・ホーガンという女性が経営する酒場を訪れたシーモアという農夫は、姿を見せないメアリーと、呼びかけても何の応答もないことに異変を感じてカウンターの中を覗きました。

するとカウンターの床には大きな血だまりがあり、さらに引きずられたような痕もあったためすぐに警察に通報しました。店内には争った形跡がなく現金も残されていたため、動機不明の未解決事件となりました。

ですがその3年後、別件で家宅捜索をされたエド・ゲインの自宅から彼女の切り刻まれた死体が発見されると、エドは「ライフルで頭を撃ち抜いて射殺したあと車で自宅に運んだ」と自供しました。

笑えないジョークを放っていた

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エド・ゲインの犯行だと判明する前、この未解決の事件は町で大きな話題となっていました。製鉄所で働いていたエルモ・ウエックもこの事件が気になり、塀を修理しに来ていたエド・ゲインに事件の話題を振りました。

するとエドは肩をすくめて笑いながら「彼女はいなくなってなんかない、うちにいるよ」と返答しましたが、エルモは「珍しく真面目なエドがジョークを言った」程度にしか思わなかったといいます。

ですが3年後の1957年にこの時のジョークが真実であったと知ることになり、さらにこのジョークが彼の名言として語り継がれるようになるなんて、エルモは思ってもみなかったといいます。

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