グリコ森永事件の真相!犯人は宮崎学?未解決事件に潜む謎

未解決事件となったグリコ森永事件ですが、その真相や犯人について見ていきましょう。キツネ目の男と呼ばれる不審者の似顔絵に近いとされた宮崎学とはどのような人物なのでしょうか。脅迫テープに子供の声が使われていたことや日航機墜落事故との関連性についても調べて見ました。

グリコ森永事件とは

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グリコ森永事件とは、1984年から1985年に起こった事件です。阪神地方の食品会社を標的として脅迫、放火、誘拐などを起こしたが、全ての事件の時効が成立したため未解決事件となりました。

グリコ森永事件の犯人・かい人21面相について

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グリコ森永事件を起こした犯人は「かい人21面相」と名乗りました。その犯人と思われる人物について見ていきましょう。

犯人像①元グリコ関係者

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元グリコ関係者ではないかと推測された理由としては、江崎グリコ社長が誘拐された事件の実行犯が江崎家の長女の名前や社長の運転手の名前を知っていたことがあげられます。

一般的には知られていないグリコの関連会社を知っていたことなどもあげられます。また、他の企業を脅迫した時にはなかった特徴としては他にも人質をとったり放火したことなどがあります。

脅迫状に他の会社の社長は苗字で書かれていたにも関わらず、グリコの社長だけが名前で書かれていたりなどと他の会社を脅迫した時と違いが見られことから、グリコに怨みを持つ者の犯行ではないかと言われました。

犯人像②元暴力団組長グループ

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1979年に暴力団の元組長がグリコから5億円を脅し取ろうとした過去があり、拒否されています。さらに、犯行に使われた物と同じ種類のライターやタクシー払い下げ車輌を親族が所有していました。

グリコに怨みを持つ者も周りにおり、被害にあった企業の関係者から暴力団の元組長の銀行口座に3億円の入金があったことも根拠となり、犯人候補となりました。

元暴力団組長グループへの捜査は捜査本部が総力を挙げて取り組み、史上最大の捜査となりましたが、容疑を認める人はいない上に物証もなく、主要メンバーにはアリバイもあっため、この捜査は終了となりました。

犯人像③株価操作

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株価を操作するために起こされた事件とも推測されました。グリコの株は1984年1月には745円でした。しかし事件があった翌日には598円まで下落しました。

商品問題による株価の下落を考えれば、結果としては24.5%ほどの利益が得られたことが考えられます。事件が終息し、株価が戻ることを想定していたらもっと利益を得ることができます。

株価操作での利益を得ることが目的だった可能性も考え、事件の標的となった企業の株について目立った動きが見られた人物や団体は徹底的に調べられました。

犯人像④被差別部落

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脅迫テープを分析した結果、男の子の声の他に皮革製品に使用される特殊なミシンの音が入っていたり、マイノリティの多い場所の近くのスーパーで購入されたものが犯行に使われていました。

こういった根拠から被差別部落の関係者が事件に関係しているのではないかとも言われていました。

しかし、部落解放同盟が抗議を行ったことから捜査が打ち切られたとされています。

犯人像⑤北朝鮮工作員グループ

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兵庫県の貿易会社の社長は、北朝鮮の非合法的な活動の黒幕と言われる存在であり、53年テープの声に似ているとされていました。

その周囲にはキツネ目の男やビデオの男に似たような人物がいることや江崎グリコ社長を恨む北朝鮮工作員もこのグループにいました。

犯人グループがグリコに要求していた金塊を持っていたことがきっかけとなり、捜査が行われましたが1987年にグループの中心とされた貿易会社の社長は死去しました。

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さらに1998年には、グループ周囲にいるとされていたキツネ目の男やビデオの男と思われた人物の面割捜査で別人であると結論が出たことで捜査が打ち切られました。

犯人像⑥宮崎学

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宮崎学はキツネ目の男に似ていると言われ、さらに警察を敵対した過去があることや会社の倒産による借金があったことから犯人として疑われていました。

しかし、宮崎学にはアリバイがあり、物証もなかったことで捜査は打ち切られることとなりました。

江崎グリコ社長誘拐事件

この事件は当時、江崎グリコ社長であった江崎勝久さんが誘拐された事件です。事件について詳しく見ていきましょう。

江崎グリコ社長・江崎勝久さん誘拐

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1984年3月18日、兵庫県西宮市にある江崎グリコ社長の江崎勝久さんの母親の家に銃を構えた2人組の男が勝手口を破って家の中に入り、母親を縛って社長の家の鍵を奪い取りました。

そして隣にある社長の家に勝手口から侵入した後、社長の妻と長女を襲って手を後ろで縛り、トイレに閉じ込めました。

その後2人組の男は浴室へ向かい、入浴中だった長男と次女、そして社長を襲って全裸の状態で誘拐しました。社長の妻は縛られた手を自力でほどいて警察に通報しました。

脅迫状の指定場所に犯人現れず

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犯人に男から江崎グリコ取締役に電話があり、指定場所に来るよう言われました。その取締役が指定場所に行くと脅迫状があり、内容は社長の身代金10億円と金塊100kgを要求するものでした。

その後再び犯人から電話があり、指定場所に身代金を持ってくるよう要求があったにも関わらず、指定場所に犯人は現れませんでした。

要求があったお金や金塊を用意したにも関わらず、指定場所に現れなかったことからこの犯行はお金目的ではなく怨みを持つものの犯行ではないかと言われました。

グリコ社長自力で逃げ出す

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事件から3日後、大阪府茨木警察署は国鉄職員から通報を受けて江崎社長を大阪貨物ターミナル駅の構内で保護しました。

大坂府摂津市にある安威川沿いの水防倉庫から自力で逃げ出したと江崎社長は話しました。

江崎グリコ脅迫事件

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1984年4月2日に差出人不明の脅迫状が届いたことから始まった脅迫事件です。

塩酸入りの目薬と脅迫状が届く

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江崎社長の家に脅迫状と塩酸入りの目薬の容器が届きました。脅迫状の内容は4月8日に現金6000万円を指定場所に持ってくることを要求したものでした。

しかし当日、指定された場所には警察も張り込み準備態勢は整っていたが、犯人が現れることはありませんでした。

マスコミ宛てにも挑戦状

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4月8日には大阪の毎日新聞と産経新聞へ犯人グループから速達封書で挑戦状が届きました。この挑戦状は警察へ向けられたもので封書の差出人名には江崎社長の名前が使われていました。

A4の白色タイプライター用紙に「けいさつのあほどもえ」という書き出しからタイプで打たれたものでした。さらにこの挑戦状の最後に「かい人21面相」と初めて名乗っています。

4月23日には2回目の挑戦状が届き、この時も「かい人21面相」と名乗っています。そして以降は自称「かい人21面相」と名乗るようになりました。

脅迫の終了を宣言

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事件発生から約2ヶ月半後の6月26日に再び、マスコミ宛てに犯人グループからの挑戦状が届きました。

その内容は、江崎グリコへの脅迫の終了を宣言する「江崎グリコゆるしたる」というものでした。この挑戦状には海外へ逃亡するような内容もありました。

しかし、後日届いた別の挑戦状で事実上は海外へ逃亡することを断念したようなことが書かれていました。

江崎グリコ本社放火事件

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最初の脅迫状が届いた8日後の1984年4月10日、大阪市西淀川区にある江崎グリコ本社で放火とされる不審火が発生しました。

工務部試作室が火元となり、棟続きとなっていた作業員更衣室にまで火は燃え移り工務部試作室に関しては全焼しました。

グリコ栄養食品でも放火

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江崎グリコ本社で放火が発生した30分後に、およそ3キロ離れた場所にあるグリコ栄養食品でも放火が発生しました。

布が詰められたガソリンの入った容器に火をつけ、車庫にとめてあったライトバンが燃やされました。直後には帽子を被り、バッグを持った男が逃げる姿を目撃されています。

こちらの放火についてはすぐに消し止められたことで、大きな被害はありませんでした。

キツネ目の男と疑われた宮崎学

この画像は捜査員の目撃情報を元に描かれたキツネ目の男の似顔絵です。キツネ目の男は、犯人と現金受け渡しを行うはずであった場所の周辺で2回ほど捜査員によって目撃されています。

丸大食品脅迫事件の現金受け渡し場所の周辺で、捜査員を見張るような不審な動きをしていたので、捜査員が尾行しましたが男は捜査員の尾行に気づいたのか不自然な動きを繰り返したため見失いました。

ハウス食品脅迫事件の現金受け渡し場所の周辺でも帽子を被り、サングラスをかけた不審な男2人が捜査員によって目撃されており、そのうちの1人は丸大食品脅迫事件で目撃された男と同一人物でした。

宮崎学が疑われた理由

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キツネ目の男の年齢は35〜45歳、身長は175〜178cmで当時の宮崎学の年齢は39歳、身長は178cmと外見が一致し、似顔絵もよく似ていたことから犯人の1人ではないかと疑われました。

事件以前に江崎グリコの労働争議に関わっていたり、事件のあった場所が宮崎学の経営していた会社の所在地から近かったことなどが根拠となりました。

さらに、事件に使用された車両に似たものを親族が所有していたことや犯人グループが使用した和文タイプライターと同じ種類のものを親族の会社の経営者が所有していました。

決定的なアリバイがあり逮捕ならず

宮崎学に対し、任意での事情聴取が行われましたが事件に繋がる物証はひとつもなく、キツネ目の男が目撃された丸大食品事件の現金受け渡し日時とハウス食品事件の現金受け渡し日時の両日にアリバイがありました。

キツネ目の男が目撃された6月28日に宮崎学は東京都内の音楽大学で行われていた労働組合会議に出席していました。2度目に目撃された11月14日には弁護士と打ち合わせをしていました。

完璧なアリバイがあったことで宮崎学へ対する捜査は打ち切りとなりました。

グリコ森永事件より前の出来事

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グリコ森永事件が起きるよりも前に起きた事件で関連しているとされる事件があります。

53年テープ

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グリコ森永事件が発生する6年前である1978年に江崎グリコ常務にテープが届いた事件です。内容はグリコに対してお金を要求するものであり、1時間弱にも及ぶテープでした。

テープの送り主の男は部落解放同盟幹部を名乗り、江崎グリコ社長の誘拐やグリコ本社の放火を予告するような内容であり、犯行と引き換えに現金3億円を要求するなどしました。

テープが届く2年ほど前から江崎グリコ常務の家に手紙が届いたり、電話で脅迫を受け続けていましたが、グリコはこのテープの要求に応じませんでした。1993年にこの53年テープは公開されました。

ニセ夜間金庫事件

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この事件は1973年に現在の三菱UFJ銀行である三和銀行阪急梅田北支店の夜間金庫で発生した窃盗未遂事件です。客が不審に思い、警備員に連絡したことで判明しました。

本物の夜間金庫には故障の貼り紙がされており、ニセの夜間金庫が設置されていましたが、客が現金を投入したことによりニセの金庫は割れていました。窃盗未遂容疑で捜査されたが1980年に時効が成立しました。

1984年9月に起きた森永製菓脅迫事件で要求した1億円を奪取する際のトリックのような手口がニセ夜間金庫事件と似ていたため、関連しているのではないかとされました。

事件の終息

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犯人からの終息宣言を機にグリコ森永事件は完全に動きがなくなり、終息を迎えました。

滋賀県警本部長が自殺

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滋賀県警本部長はハウス食品事件で犯人ではないかと思われる不審車両を取り逃がしています。そして1985年8月7日の退職日に焼身自殺をしました。

遺書などは残されておらず、責任を取ろうとした上での自殺だったのではないかと言われています。また、全ての責任を負わされ、抗議の意味での自殺だったのではないかとも言われています。

犯人からの終息宣言

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滋賀県警本部長の自殺から5日後の8月12日、「くいもんの会社いびるのもおやめや」と書かれた終息宣言が犯人グループから届きました。

滋賀県警本部長の自殺を受けて、その香典の代わりという理由での終息宣言となりました。

ハウス食品工業社長が墜落事故

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脅迫事件の被害に遭った食品会社であるハウス食品工業社長の浦上郁夫さんは、事件の終息を受けた8月12日に創業者でもある父親の墓前に報告をしに行くことにしました。

その際に日本航空123便に搭乗し、乗員乗客の524名中520名が死亡することとなった史上最悪の日航機墜落事故に遭い、事故の犠牲となりました。

グリコ森永事件の時効成立

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グリコ森永事件は全ての事件が時効を迎えたことで、未解決事件となりました。

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