シリアルキラー・テッドバンディはサイコパス?事件の全貌もまとめ

テッドバンディは、アメリカで最も有名なシリアルキラーです。テッドバンディは、高いIQと端正な顔を持ち、死刑囚の身でありながらたくさんの女性ファンがいたといいます。この世界でも有名な殺人鬼・テッドバンディの全貌と彼の人生をまとめてみました。

シリアルキラー・テッドバンディはどんな人だったの?

テッドバンディは実は本名ではありません。セオドア・ロバート・バンディという名前が本名で、彼は1946年の11月24日にバーモント州バーリントンで、

21歳のルイーズ・コーウェルの私生児として生まれました。またテッドの父親の素性は、今なお謎です。学生になったテッドの成績は大変優秀でした。

しかし、そんな優秀な生徒でありながらテッドは先生からあまりよく思われていない生徒でした。小さなころから、いつも狂暴な一面を持っていたといいます。

テッドバンディは30人を超える若い女性を殺した残忍な性犯罪者

テッドバンディは過去に立件されるものだけで、なんと30人以上の女性を殺害しています。しかし実際は殺害した女性の数は100人近くに及ぶと言われています。

彼が殺害した女性たちは皆、白人であり髪が長い女性でした。テッドは学生時代目立たない人間で、彼女がいても手を握ることすら出来なかったのです。

そんな奥手だったテッドは、学生時代は毎晩夜中に女子寮に潜り込んで、のぞき見を趣味とし自慰行為に励むという変態な面も常に持ち合わせていました。

テッドバンディが犯した主な殺害方法

約50人近くの女性たちを殺害したテッドバンディですが、テッドの殺害の方法は一体どんな方法だったのでしょうか?彼は自身の容姿に自信がありました。

女性からもモテる容姿だったテッドは、それを利用して怪我人や障害者のふりをして近づき、その後一目のつかない場所に移動して力で屈服させて強姦しました。

さらに、テッドは殺した女性の最低でも12人の首を切り取ったと言われていて、その後は自分のアパートでその女性たちの首を記念品として保管していたのです。

テッドバンディは知的で高学歴だった?IQ160?

1965年に高校を卒業したテッドは、ピュージェットサウンド大学に一年だけ在籍、その後は中国語を勉強するため1966年にはワシントン大学に移りました。

なんとテッドのIQは160と言われていて、通常140以上が天才と言われているので160がどれだけ高い数値か分かりますね。またテッドは高学歴だったことから、

またワシントン州の共和党員として、州知事選の選挙活動に参加し、犯罪対策委員会やシアトル自殺救済電話相談室でボランティア活動をして表彰されました。

テッドバンディはイケメン?刑の確定後も女性ファンが現れ社会現象に

テッドはその容姿と高学歴な一面で、殺人者として死刑が確定した後も女性ファンが常に集まり、公の場に出るときはこの女性ファンたちに笑顔で手を振ったり、

死刑執行までの間になんとテッドは、数百枚以上のラブレターも受け取っていたと言われています。また、公判中に婚約者と結婚したこともあり話題になりました。

立証された殺人件数が36件ですが、実際は100人以上にも及ぶのではないかと言われているなかで、女性ファンを作ったテッドは伝説の殺人鬼と言われています。

テッドバンディの生い立ち

テッドバンディことセオドアバンディはアメリカのバーモンド州に1946年に生まれました。テッドの母は厳格なクリスチャンな家庭で育った女性でした。

そんな母は、一夜を共にした男性との間に子供が出来ました。しかし厳格なクリスチャンな家庭だったことから中絶させることも許されませんでした。

婚外子といえば、社会的に不名誉な時代であったので母親の両親の家でテッドは暮らすことになります。テッドは10歳まで実の祖父を父親だと思っていたそうです。

父親は祖父だったのではという説も

テッドは、フィラデルフィアにある祖父母の家で育てられ、祖父母を父親・母親だと教えられました。また実の母のことは姉だと言われて育ってきました。

テッドバンディを育てた祖父は、絶対的暴君だったそうです。またこの祖父は動物なども平気で殺す残虐さもあり、家族にも平気で暴力を振るっていたのです。

そんな祖父を見て育ったテッドは、反社会性パーソナリティー障害を患いました。また母親は本当の父親について全く語らず、テッドはそれを怒っていました。

テッドバンディは頭も顔もよく評判がよかった?

テッドバンディは、IQ160だったと言われ、またその端正な顔立ちで女性からも人気だったのですが、彼の表向きな性格もとても優しく評判が良かったのです。

大学時代のテッドは「誰の目からもハンサムで知的な男性」であるように努力を惜しまず、精力的にボランティア活動に励んだり政治活動にも参加しました。

そんなテッドの学生時代の友人は、「テッドはとても温厚で礼儀正しい人間にしか見えなかった」と実は殺人鬼であったテッドバンディの性格を語っています。

一方、テッドバンディには悪い評判も?盗み癖もあった?

そんな評判の良かったテッドですが、実は悪い評判もあったとされています。それは盗み癖です。テッドは裕福な家庭で育っていないため、高級品が好きでした。

テッドにはもう一つの病気があった。盗癖である。彼は我が家のつましい収入では到底手が届かない高級品を平気で盗んだ。彼は力に飢えていた。

力を持つことが、私生児としての出生のハンデを埋めるものだと信じた。飢えを充たすためにテッドは、自らこうありたいと願う虚構の自画像を思い描いた。

(引用:殺人博物館)

テッドバンディが殺人鬼となったきっかけは元婚約者のステファニー・ブルックス①

では、この世界的に有名となったテッドバンディが殺人鬼となったきっかけは一体なんだったのでしょうか?彼を史上最悪な殺人鬼にしたきっかけを見ていきます。

テッドバンディが殺人鬼となったきっかけは、実は元婚約者のステファニーが原因でした。テッドの弟も「兄は彼女に会わなかったら殺人鬼になっていなかった」

と語っています。1965年に奨学金で大学に進学したテッドは、背が高く、長い黒髪の美人、裕福で知的なスティファニー・ブルックスと恋に落ちました。

テッドバンディが殺人鬼となったきっかけは元婚約者のステファニー・ブルックス②

このステファニーのすべてにテッドは夢中になりました。しかし、実際のテッドはステファニーと釣り合う人間ではありませんでした。虚像のテッドだけが、

彼女と釣り合う人間だったのです。現実のバンディは、貧しく、粗野で、我が儘な私生児だったといいます。そんな不釣り合いな関係に嫌気がさしたのか、

夏の終わりに婚約を破棄します。その後、バンディは学業も手につかず大学も退学を余儀なくされてしまいました。この彼女がテッドを変えてしまったのです。

テッドバンディの犯した殺人

ここでテッドを何かが変えてしまいます。テッドは、この婚約破棄をきっかけに新しい目標が出来ました。それは、「いつか彼女を跪かせてやる」でした。

そこから、テッドの行動すべてがステファニーと同じような【髪の長い女】というものに支配されていきます。テッドは彼女を跪かせるために、虚構の自分を、

とにかく外見だけでも少しづつ変えました。マナーを磨いて、服装を気を付けて、社交的となったのです。あの殺人鬼テッドはここで誕生し始めたのです。

1973年のクリスマス、ステファニー・ブルックスとの約束と婚約を破棄し殺人

そのテッドの努力の甲斐があってか、外見もすべてが魅力的になったテッドにかつて婚約を破棄したステファニーが夢中になったのです。2人は再度婚約します。

ところが、テッドは燃え上がった2人の恋をあっさり切り捨てました。ステファニーが電話で釈明を求めても、テッドは受話器を取ることもありませんでした。

テッドはただ、ステファニーに復讐するためだけに再度婚約をしたのです。自分がステファニーと釣り合う男だったことを証明したかったとのちに語っています。

1974年1月、一人目の被害者が死亡

その婚約者ステファニーと別れた1年後の1974年に、テッドは1人目の被害者を出します。実際に、立証されている殺人はこれが初めてだと言われています。

テッドは初期の殺人の犯行についてあまり多く語らず、また言っていたこともバラバラだったために、実際はいつが最初の殺人なのか分かっていません。

1974年1月、一人目の被害者が死亡②

最初のテッドバンディの被害者となったのは、リンダ・アン・ヒーリーというワシントン大学の学部生で、同時に朝のラジオで天気予報のレポーターでした。

彼女はとても知的な女性だったといいます。テッドは夜中にリンダさんの寮に侵入して、拳でパンチを食らわして気絶させたのちに服を着せて誘拐します。

テッドは殺害した女性を強姦、またアナルセックスもしていました。また襲った女性たちは全員センター分けの長い髪の持ち主で、ステファニーと似ていました。

その後ワシントン州で次々に若い女性を殺害

その後、テッドはだいたい1ヶ月に1度のペースで女性たちを誘拐して殺害していきます。なんと1974年は4ヶ月の間に6人もの女性たちが失踪していたのです。

ワシントン州のシアトルで次々に殺害に及んでいたテッドでしたが、警察も必死にこの失踪事件を追っていました。しかし、物理的な証拠は見つかりませんでした。

この時期に失踪していた女性たちに共通していた点は、大学生くらいの年齢で、白人女性、そして全員センター分けの長髪だったということくらいだったのです。

当時テッドバンディと同棲していたメグ・アンダースが通報するも相手にされず

実は失踪した女性たちが最後に目撃された瞬間、全員がなんと【テッド】と名乗る男と会話をした直後に失踪。テッドはなんと本名を使い、腕にギブスをして、

女性たちに近づいていました。全米は【テッド】という殺人鬼に怯えました。その時、警察署にはたくさんの【テッド】にまつわる情報が寄せられていて、

似顔絵も公開されました。当時テッドが同棲していた彼女メグは、家でギブスも発見し、殺人鬼はテッドだと確信。通報するも相手にしてもらえなかったのです。

1974年秋頃、犠牲者の遺体が発見される

1974年の9月ごろに、ライチョウを取っていたとされる2人のハンターが州立公園で女性の白骨化した遺体を発見しました。また、この同じ州立公園から実は、

別人とされる大腿骨と脊椎骨も発見されています。また、テッドがよくハイキングに出かけていたとされる山では、別人のあごの骨や頭蓋骨も見つかっています。

また複数の遺体はテッドが死刑前に犯行を告白しなければ、見つからなかった遺体もありました。そして、いまだに発見されていない遺体も数多くあるのです。

テッドバンディはその頃ユタ州へ

1974年に当の本人のテッドバンディは、ユタのソルトレイクシティにあるロースクール(法律学校)から合格通知が来ていたためにユタ州に引っ越しています。

初年度のカリキュラムを勉強するのはこれで二度目だったが、「彼は自分にはない、何か知的な能力を持っている学生がいないか必死になって探していた。

しかし彼が通うクラスにそれを求めても無意味だということに気づいた。『心底がっかりしたよ』と彼は語った」

(引用:Wikipedia)

テッドバンディは1974年10月からユタ州で殺人

1974年8月にユタ州の法律学校に通い始めたテッドでしたが、なんとこの1カ月後からは新居地であるユタ州でも殺人を始めていきます。なんとこのユタ州では、

以前は大学生くらいの年齢ばかり狙っていたテッドでしたが、ここではターゲットが若くなり17歳や16歳といった少女たちが被害者となっていたのです。

ここでは、遺体が白骨化される前に発見され、遺体から多くの情報を得ることが出来ました。被害者はレイプされ、アナルセックスをされ、絞殺されていました。

1974年11月テッドバンディに声をかけられたキャロル・ダロンシュが逃げ出す

1974年の11月にテッドは、18歳のテレフォンオペレーターであったキャロルに声をかけています。その時テッドは警察官の振りをして近づきました。

テッドはキャロルに、「君の車に誰かが押し入ろうとしていたから、被害届を出すためについてきて欲しい」と話しかけましたが、異変に気付いたキャロルは、

テッドともみ合いになりながらも、やっとの思いで逃走することが出来たのでした。テッドのその時の顔は、絵に描いた悪魔のような顔をしていたといいます。

1975年1月からコロラド州でも殺人

1975年になり、スキーシーズンになるとテッドはコロラド州にも出向くようになりました。ここでも、テッドは立証されただけで6人の女性を殺害しています。

テッドは高いIQを持っていただけあって、同じ場所で何度も犯行を繰り返す危険さも認知していて、州をまたいで移動しながら殺人を繰り返していたのです。

1970年代の当時の警察は、今のように高い捜査技術を持っていなかったために、このテッドの移動戦略にまんまと操られてしまい捜査が難航していました。

1975年8月、テッドバンディがキャロル・ダロンシュ誘拐容疑で逮捕

そんな中、初めてテッドが逮捕される日がやってきます。テッドはある夜に不審車両として警察に捕まってしまいます。深夜であるにもかかわらず、

ライトを消して、警察の車両を猛スピードで追い越したといいます。テッドから逃げ出したキャロルが通報した車両と一致したので、警察は車両を調べました。

車内を調べると、拷問装具や手錠や女性の髪の毛まで発見されて緊急逮捕となりました。その後キャロルが呼ばれ、テッドを誘拐した犯人だと証言しました。

警察は連続殺人事件で告発する準備を進める

この緊急逮捕の後、テッドは保釈金を払って釈放されますが、当時の刑事のジェリー・トンプソンはテッドこそが誘拐事件の犯人だと確信していたのです。

その時の刑事の同僚が「あんな二枚目が女性を誘拐する必要があるのかね?」という一言で刑事は【テッド事件】を思い出しました。そこで刑事は調べてみると、

バンディこそが【テッド】なのではないかと疑問を抱きました。確かにテッドがユタ州に来てから、殺人鬼テッドはシアトルに出現していないのでした。

1977年6月7日、テッドバンディがコロラド州の裁判所から逃走

そして刑事は慎重に証拠を集めて、テッドを誘拐及び殺人未遂の容疑で逮捕することが出来たのです。テッドの見た目と経歴は、殺人鬼と一致せず多くの人が、

冤罪ではないかと疑いましたが、陪審員によってテッドは1年から15年の刑期を言い渡されます。しかし、テッドは自らの弁護は自分で引き受けるといいました。

当時アメリカでは自分で自分の弁護を務める被告人には、一定の行動の自由が認められていました。例えば、図書室での判例集の閲覧などが許されていたのです。

1977年6月7日、テッドバンディがコロラド州の裁判所から逃走②

テッドはその特権を見事に利用した形で、その日も図書館に行きました。テッドは手錠と足かせは外された状態だったそうです。そしてなんと9メートルもある、

地面に飛び降りたのです。しかし飛び降りた際に足首をねんざしてしまい、その後車を盗んで逃走したテッドですが、足首のせいで蛇行運転をして発見されます。

テッドが逃走したときは全米中が大騒ぎになりましたが、実際にテッドが逃走していたのは6日間だけでした。その後、厳重な護衛付きで拘置所に帰還しました。

1977年12月30日スプリングス裁判所への移送が決定しテッドバンディが逃走

そして、刑務所に戻ったテッドでしたが逃走事件以降は、必ず足かせが付けられたままでした。コロラド州で行われたテッドの裁判はスプリングス刑務所という、

全米でもっとも死刑判決が下される刑務所の係属になりました。それを聞いたテッドは、「この私に死ねというのか!」と怒鳴ったと言われています。

その後、なんとテッドは16キロの減量をして、天井に地道に開けた穴を使って痩せた体で2度目の逃走をしました。シアトルには厳戒態勢が引かれました。

1978年1月、フロリダ州で殺人

その時、テッドがかつて殺人を繰り返していたシアトルやユタでは非常線が張られました。テッドの元彼女でもあったメグも警察の管理下にありました。しかし、

肝心のテッドは、シアトルとは真逆の方向であるフロリダ州へと逃走していたのです。テッドは殺人をすることをやめようと考えていたと言われていて、

名前も変えてフロリダ州で心機一転、人生を立て直すつもりでした。しかし、史上凶悪な殺人鬼であったテッドは殺人衝動を抑えきれずにまた殺人を犯します。

NEXT 1978年2月、シアトルに戻り殺人で逮捕