染谷悟が殺害され東京湾へ浮かぶ!プチエンジェル事件との関係は?

フリーライターの柏原蔵書(本名・染谷悟)はプチエンジェル事件を追っていましたが、2か月後に東京湾で遺体となって発見されました。今回は彼を殺害した犯人や、顧客名簿が発見された途端に捜査も報道もピタリと止んだ謎の多いプチエンジェル事件についてまとめてみました。

染谷悟は「プチエンジェル事件」を追っていたフリーライター

暴力団や人身売買などの裏社会を取材して雑誌に掲載していたフリーライターの染谷悟(筆名・柏原蔵書)は、2003年に起こったプチエンジェル事件に興味を持ち事件を追っていました。

事件は顧客名簿が発見された途端に捜査や報道がピタリと止んでしまい、顧客名簿の中に日本の権力者や大物政治家の名前があってそれをひた隠しにしているという噂が広まりました。

上記のことや、プチエンジェル事件の真相を暴こうとした唯一の人物である染谷悟が遺体となって東京湾で発見されたことから、プチエンジェル事件は「追ってはいけない事件」と言われるようになりました。

多く出回っている顔写真は別人?

「染谷悟」の名前でネット検索をかけると男性の顔写真が多くヒットしますが、こちらの男性は筑波大学・筑波フューチャーファンディングのキュレーターであり、今回のテーマとは全く関係のない人物です。

よく2人が混同されてこの男性の顔写真やFacebookが紹介されることがありますが、プチエンジェル事件を追っていたフリーライター染谷悟とは同姓同名の別人になります。

染谷悟が追っていた「プチエンジェル事件」とは?

プチエンジェル事件とは、2003年7月に東京都で発生した誘拐・監禁事件です。犯人の吉里弘太郎が「プチエンジェル」という無店舗型の児童買春デートクラブを経営していたことから、この名前で呼ばれています。

7月13日、吉里弘太郎は「下着を売ったり裸を撮影させてくれれば稼げる」と勧誘して数日前から連絡を取っていた少女ら4人に、1万円を払うからマンションを掃除してくれと頼みました。

赤坂にあるマンションに集まり掃除を始めた4人でしたが、突然吉里弘太に手錠と目隠しをされて監禁されました。その4日後、物音がしなくなった隙をみて逃げ出した1人の少女によって事件が発覚しました。

謎が多く残る事件

犯人の吉里弘太郎が練炭自殺をしたことで動機などが分からないなか、犯人が借りていた埼玉県のアパートから2,000人にも及ぶプチエンジェルの「顧客名簿」が発見されました。

通常なら顧客名簿から芋づる式で利用客も逮捕されるのですが、そのほとんどが偽名だったとして警察は捜査を打ち切りました。警察は解決したと言い張り、マスコミもこの事件を報道することはなくなりました。

のちに少女たちの矛盾する証言の数々や、犯人の自殺方法の違和感などが次々と明るみに出てきましたが、それでも警察による再捜査が行われることはありませんでした。

染谷悟は「柏原蔵書」として活動していた

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染谷悟は1991年にフリーライターとしての仕事を始め、1995年からは本名ではなく「柏原蔵書(かしわばらくらがき)」というペンネームで雑誌に掲載するための記事を執筆するなどして活動していました。

家族の情報や妻の有無については不明となっていて詳しい経歴なども公表されていませんが、雑誌への記事掲載だけではなく小説も何冊か発行していたとされています。

危険な取材でも臆することなく自ら取材していたという「柏原蔵書」こと染谷悟について、どのような雑誌に記事を掲載していたのかみていきましょう。

アングラ専門のフリーライターとして活動

柏原蔵書はアングラ、つまり「アンダーグラウンド」と呼ばれる表には出せないような裏社会に関する記事を専門に執筆していて、「裏ブブカ」という雑誌を中心に記事を掲載していました。

特に薬物・暴力団・風俗・人身売買などに関する記事が多く、危険を顧みずに自分の手で取材を行っていたので記事には臨場感があって読み応えもあり、面白いと好評だったといいます。

この「裏ブブカ」は、児童ポルノ映像を雑誌付録のDVDとして二次転載していたために編集長が逮捕されるという事件も起きており、かなり過激な記事を掲載していたと言われています。

「山口六平太」としても活動

染谷悟には柏原蔵書以外にもペンネームがあり、先ほどもご説明した「裏ブブカ」という雑誌では「山口六平太」という名前で活動していたことが判明しています。

山口六平太というペンネームでは他にもゴシップネタや週刊誌の記事も執筆していたようですが、それ以上の詳しい経歴や執筆したとする記事については不明となっています。

2003年7月に「歌舞伎町アンダーグラウンド」を出版

2003年7月に発売された「歌舞伎町アンダーグラウンド」という歌舞伎町の裏社会を描いた小説が彼、柏原蔵書の代表作であり、犯罪件数や捜索願が多い歌舞伎町の闇が詳細に描かれているとして高評価を得ました。

多くの人が訪れ常に変化しつづけている街、歌舞伎町。暴力団が巣くい、風俗店が建ち並ぶ歌舞伎町の、普通の人は知らない水面下の闇の世界を徹底的に取材し、その実態を映し出した一冊!(引用:Amazon)

そしてちょうどこの小説が出版された月に、プチエンジェル事件が起こっています。元々裏社会に関する記事を取材・執筆していた染谷悟がこの事件に興味を持つのは当たり前とも言われました。

染谷悟が殺害され、東京湾に浮かぶ

プチエンジェル事件が解決と見なされて報道が止んでから、報道関係者の中で唯一、染谷悟だけがこの事件を追っていました。裏社会を暴いてきた彼にとって、この事件は興味深いものでした。

ですが事件から2か月後、東京湾で彼の刺殺体が発見されます。人々はプチエンジェル事件の顧客名簿の中身を知ってしまったから殺されたのだと推測し、「追ってはいけない事件」だと恐れるようになりました。

2003年9月12日、東京湾で遺体が見つかる

9月12日の朝、トラックの運転手をしていた男性が東京湾に死体のようなものが浮かんでいるのを発見し、通報しました。遺体の身元は当時38歳の染谷悟でしたが、状態はかなり凄惨なものでした。

遺体は背中に8か所もの刺し傷があり、頭に2か所殴られたような傷があったといいます。さらに、着ていた洋服の上から鎖を巻きつけられ、腰にはダイビングなどで使われるベルトが巻かれていました。

発見された場所というのは東京湾の岸壁であり、船舶が港に到着した時に横付けにするような場所だったため普段は一般の人が立ち入り出来ないような場所でした。

以前から身の危険を感じていた

染谷悟は殺害される前、プチエンジェル事件の真相を追っている中で「中国のマフィアに狙われている」「殺されるかもしれない」と漏らしていたことが判明しています。

彼は元々かなり危険な取材をしていたことと、雑誌の掲載内容のことで何人かの人物とトラブルを起こしていたこともあり、これがプチエンジェル事件に関することなのかは不明です。

ですがプチエンジェルという児童買春デートクラブで、中国のマフィアと日本の暴力団の人身売買の取引が行われていたという噂もあったため、この発言はプチエンジェル事件のことではないかと言われています。

空き巣や盗難の被害にもあっていた

実際に自宅の窓ガラスが割られていたり、ベランダの柵が壊されていたりしたことが何度かあり、「逃げてもダメだぞ」というメモ書きが落ちていたことまであったといいます。

さらに空き巣や盗難の被害にあったこともあり、2002年9月には自宅からパソコンやカメラなど合わせて77点もの私物が盗まれたこともありました。

9月5日以降に行方不明に、落ちていたカメラについて

染谷悟は2003年9月5日の午後に、仕事に関する用件で雑誌の編集者と電話で会話をしていますが、彼の生存が確認されたのはこのときが最後となり行方が分からなくなりました。

6日にはJR池袋駅近くの路上でカメラが落ちているのが発見されて警察に届けられ、これが染谷悟のカメラだと知人によって判明しました。

9月7日に「旅に出る」と不審メール

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そして7日には知人である雑誌編集者の携帯電話に「旅に出る」というメールが届いていたことが判明しています。

染谷悟の名前でしたが、使われていたメールアドレスが今までのものとは違ったため、彼を殺害した犯人が隠蔽工作として送信したのではないかとされています。

染谷悟を殺害した犯人について

背中を8か所もメッタ刺しにするという方法で殺害しして東京湾に遺体を捨てるという残忍な事件でしたが、警察は9月22日、死体遺棄容疑などの罪で3人の男性を逮捕しました。

3人の犯人達は遺体発見の前日、深夜に染谷悟を拉致してかなり激しい暴行を加えたと証言していて、彼の頭蓋骨が陥没するほど殴りつけたといいます。

犯人は、鍵業者だった

染谷悟殺害事件の犯人として逮捕されたのはプチエンジェル事件とは無関係だった、鍵業者の桜井(木原)景三、プロのダイバーだった熊本恭丈、染谷悟の助手だった藤井亮一の3人でした。

特に主犯格の桜井(木原)景三は鍵技師を育成する会社を立経営しており、プロと呼ばれる程の開錠技術を持っていたため、強盗などの犯罪者も多く教わりに来ていたといいます。

自分の鍵業界での評判に敏感だった桜井(木原)景三は、批判的な記事を書く人に対して脅迫をするなど凶暴な性格で、過去に恐喝未遂や売春防止法違反で逮捕されている前科持ちです。

帰化して日本国籍を取得した

彼は元々、在日朝鮮人で「木原」という苗字でしたが、日本に帰化した際に「桜井」に改姓しています。暴力団に所属していた時期もあるようで、周りの人からも恐れられていたといいます。

帰化(きか)は、ある国家の国籍を有しない外国人が、国籍の取得を申請して、ある国家がその外国人に対して新たに国籍を認めること。 (引用:Wikipedia)

桜井(木原)をよく知る人物は彼のことを「絶対に関わりたくない人」と語っていて、警察ですら「むやみに近づいてはいけない危険人物」だと言うほど凶悪な人間だったといいます。

殺害理由は「歌舞伎町アンダーグラウンド」

桜井(木原)が「あいつを消さなくては」と染谷悟の殺害計画を漏らしたのは8月頃だったとされていて、殺害に至った大きな理由としては、「歌舞伎町アンダーグラウンド」の掲載内容に関することでした。

染谷悟は雑誌に桜井(木原)をモデルとした「原木」という人物を登場させていて、ターゲットに拳銃などを持たせて警察に逮捕させるという「復讐請負人」として掲載しました。

これに立腹した桜井(木原)は他2人の共犯者を集めて殺害に至ったとされています。染谷悟の助手だったという藤井亮一も、給料の未払いなどで染谷悟には恨みがありました。

イスラエル製の鍵に関する暴露をしようとしていた

染谷悟は次作の雑誌で、桜井(木原)が販売していた鍵はイスラエル製の鍵を真似て作ったものであるということを暴露しようとしていたので、この暴露を阻止するという理由もあったと言われています。

染谷悟を殺害した3人は有罪として実刑判決が下されました。

染谷悟の殺害とプチエンジェル事件の関係性は?

染谷悟を殺害したとして逮捕された桜井(木原)景三、熊本恭丈、藤井亮一でしたが、彼らは果たしてプチエンジェル事件と関係のある人物だったのでしょうか?

逮捕された3人のプチエンジェル事件への関連性や、その後の動きについてみていきましょう。

真の犯人はプチエンジェル事件の関係者である可能性

染谷悟殺害事件は、3人の男性が逮捕されたことで表向きは収束がつきました。ですが今現在でも染谷悟が「狙われている」と言っていた中国マフィアが真犯人なのではないかと言われています。

さらに、主犯格の桜井(木原)が自分を批判する人物を脅迫するという凶暴な人格だったのは確かですが、どんなに批判した人も殺害には至っていません。では何故、染谷悟だけは惨殺したのでしょうか。

これに関しては、プチエンジェル事件の真相に近づいていく染谷悟を危惧した顧客名簿の人物、つまり大物政治家や権力者が桜井(木原)達を利用して殺害させたのではないかと言われています。

染谷悟は顧客名簿を手に入れたのか?

染谷悟がこの事件を追っていた一番の理由は、捜査や報道が一瞬で止んだきっかけとなった顧客名簿の内容を暴くことだったとされています。

彼がどこまで真相に迫っていたのかは今となっては分かりませんが、殺害されるに至ったということは大物政治家や権力者の実名を少なくとも数人は入手していたのではないかと言われています。

染谷悟殺害後、「プチエンジェル事件」を追う者はいなくなった

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事件を追っていた唯一のフリーライターである染谷悟が殺害され東京湾に沈められるという事件が発生して口封じのために消されたという憶測が広まると、プチエンジェル事件の取材をする人は誰一人いなくなりました。

この事件に関してネット上で発言する一般人は現在でもいるようですが、「追ってはいけない事件」「探ったら殺される」「深追いは危ない」というコメントが相次いでいるといいます。

プチエンジェル事件の不可解な点

冒頭で「矛盾する証言」や「吉里弘太郎の自殺方法」について少し触れましたが、この事件には彼一人の犯行だとするにはおかしな点が多く存在しています。

事件は赤坂のマンションで起きたのにも関わらず、マスコミは「渋谷区での事件」だと報道しました。実はこの赤坂のマンションは、ある大物政治家が所有していたマンションだったという情報もあります。

では、特に不可解だと話題になった事柄についてご説明します。

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