少年A(酒鬼薔薇聖斗)の現在!神戸連続児童殺傷事件のその後!

酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年が引き起こした神戸児童連続殺傷事件、少年は事件後少年aと呼ばれ、矯正プログラムを受けた後社会復帰しています。今回は少年aの事件後、母親や父親などの家族、結婚して嫁がいるとの噂、本名や顔、現在の住所まで明らかになっている事をまとめます。

酒鬼薔薇聖斗が起こした神戸連続児童殺傷事件とは

1997年5月、酒鬼薔薇聖斗と名乗る犯行声明文とともに、当時小学五年生だった土師(はせ)淳君の遺体の一部が発見され、社会を震撼させた「神戸連続児童殺傷事件」が発生しました。

事件の犯人はなんと当時14歳の地元の中学に通っていた少年でした。猟奇的で残忍な犯行であるにも関わらず、未成年であるとして本名は公表されず、後に「少年a」と呼ばれる事になります。

まずはこの「少年a」が引き起こした「神戸連続児童殺傷事件」の大まかな概要から見ていきましょう。

2名が死亡、3名が重軽傷を負った事件

「神戸連続児童殺傷事件」は1997年に兵庫県神戸市須磨区で発生し、2月から5月の間に小学生2名が殺害され、3名が重軽傷を負わされています。

2月に小学生女児が何者かに殴られる事件、3月に女児が殺害される事件が立て続けに発生、通り魔事件として全国区でニュースとなりますが、この時はまだ犯人が14歳の少年だと考えている人は誰もいませんでした。

そして、5月に入り第三の事件が発生、当時小学5年生だった土師(はせ)淳君の遺体の一部が神戸市立友が丘中学校の校門の前に遺棄されているのが発見され、そのあまりに猟奇的な事件に日本中に衝撃が走ります。

遺体には酒鬼薔薇聖斗と名乗る挑戦状

さらに、この時中学校校門前に遺棄されていた遺体には、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る何者かの犯行声明文が一緒に置かれており、その猟奇的で警察を挑発するような文面も公開され連日マスコミが事件を取り上げます。

各テレビメディアには度々犯罪の専門家などが登場し、この異常な犯行の犯人の人物像を「30代から40代の体格の良い男性」ではないか?との推察をしています。

逮捕されたのは普通の中学3年生

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誰もが、強い異常性を持つ成人男性を犯人像として思い描いていましたが、驚くべき事に実際に逮捕された犯人は地元の中学校に通うごく普通の14歳の少年でした。

この衝撃の事実に、社会は一時パニックのような状態になり理解しがたい事実に浮き足立ちました。この少年は一体どのような人間なのか?という事に報道の焦点は移っていきます。

この「少年a」と呼ばれた酒鬼薔薇聖斗の犯行以降、10代の少年少女の凶悪犯罪が目に見えて増え、酒鬼薔薇聖斗を崇拝して犯罪を犯す少年少女まで現れています。これが少年法が改正されるきっかけにもなりました。

神戸連続児童殺傷事件の経緯

続いては、酒鬼薔薇聖斗こと「少年a」が引き起こした神戸児童連続殺傷事件の経緯について、当時の事件報道の流れ、少年a逮捕後の真相の発覚を順に追いながら、さらに詳しく見ていきましょう。

1997年5月27日、中学校校門に男児の頭部が発見される

1997年5月27日に、神戸市須磨区にある神戸市立友が丘中学校正門前の路上に、何者かに切断されたと見られる小学生男児の頭部が遺棄されているのを、通行人が発見して警察に通報します。

この時、男児の頭部は登校してくる生徒たちを迎えるかのように、校舎側の反対方向を向いてまっすぐに立てるように置かれていたのだそうです。そして、その口には犯行声明文が挟まれていました。

頭部は5月24日から行方不明であった男児のものと判明

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置かれていた頭部は、三日前の5月24日から行方不明になり、須磨警察署に捜索願が提出されていた地元の小学校へ通う5年生土師(はせ)淳君11歳のものである事が判明します。

被害者の口に挟まれていた犯行声明文の内容

土師淳君の遺体の頭部に挟まれていた犯行声明文には、「ゲームの始まり」「愚鈍な警察諸君」「ボクは殺しが愉快でたまらない」といった挑発的な内容が書かれていました。

さらに文面の後半には、「汚い野菜共には死の制裁を」「積年の大怨に流血の裁きを」といった、社会に対する恨みを持っている様な内容が書かれています。

最後には意味不明なマークの横に「SHOOLLKILL」という意味をなさないアルファベット列、その下に「学校殺死の酒鬼薔薇」と書かれており、当初これは何かの暗号ではないか?と推察されていました。

1997年6月4日、第二の犯行声明文が神戸新聞社へ

猟奇的な犯行に、意味不明な文字列を含む不気味な犯行声明文に各メディアは連日ニュースとして取り上げる中、6月4日、犯人からと見られる第二の声明文が神戸新聞社宛に郵送されてきます。

その声明文は便箋にびっしりと赤い字で書かれ、報道が「酒鬼薔薇」を「おにばら」と読み間違えた事に対する不満に始まり、さらに警察を挑発し煽り立て、さらなる犯行を企てている事を匂わせる内容となっていました。

これを受けて、さらに各メディアの報道はさらなる過熱を見せ、社会全体は不安と好奇心が混ざり合った様な奇妙な雰囲気に包まれ、どこも酒鬼薔薇聖斗事件の話題で持ちきりとなっていました。

1997年6月28日、中学3年生で14歳の犯人を逮捕

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事件発生から1ヶ月以上が経っても未だ犯人は逮捕されず、連日の報道が続いていた1997年6月28日、「神戸児童連続殺傷事件」の犯人がついに逮捕されたとのニュースが飛び込んできます。

そして、逮捕された人物はそれまでに犯人像として推察され報道されていた内容とはかけ離れた、地元の中学に通う3年生で14歳の少年だったのです。この衝撃の展開に再び社会は騒然とする事になりました。

1997年2月10日、女児2名がショックレスハンマーで殴られ1人が重傷

ここからは、逮捕後の少年aの供述から明らかになった事件の真相を順番に追っていきます。少年aは1997年2月10日、午後4時頃に神戸市須磨区の路上で小学生女児2名をショックレスハンマーで殴っています。

この時一人が重傷を負います。被害者の父親は女児の証言から犯人がブレザーの制服姿、学生鞄を持っていたとして、近隣の中学校に生徒全員の写真を見せる様に要望しますが拒否されています。

これは後に、この時に通り魔事件の犯人として酒鬼薔薇聖斗こと少年aが捕まっていれば、後の凄惨な事件が防げた可能性があるとして、学校側の対応が批判されるきっかけとなりました。

1997年3月16日、小学4年生女児を金槌で殺害、小学3年生女児を刺し重傷

上記の通り魔事件から約ひと月後の1997年3月16日午後0時25分頃、少年aは神戸市須磨区竜が丘の公園にいた小学4年生の女児に「手を洗える場所はないか」と声をかけ学校まで案内させています。

その後、「お礼を言いたいのでこちらを向いて」といい、振り向いた女児の頭部を金槌で殴りつけて現場から逃走しています。女児は病院に運ばれますが、3月23日脳挫傷によって亡くなっています。

女児を殴りつけたわずか10分後には、別の小学3年生女児をナイフですれ違いざまに突然刺し全治2週間の怪我を負わせています。この女児もあとわずか傷が深ければ死亡していたとされています。

1997年5月24日、土師淳君を誘い出し殺害

そして、1997年5月24日、少年aは人を殺害したいという気持ちが抑えきれなくなり、殺害する対象を探すために昼過ぎに自転車にのって家を出ます。

しばらく自転車で殺害する対象を探し回っていた少年aは、学校近くの歩道上を歩いてくる顔見知りだった小学生男子土師淳君を発見します。

少年aは土師淳君ならば自分よりも小さいので殺害できると考え、淳君が亀好きだと知っていた事を利用し、「向こうの山に亀がいた見に行こう」と殺害現場の高台に誘い出し、首を絞めて殺害しています。

神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗(元少年A)とは

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ここからは、神戸連続児童殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗こと元少年aとは一体何者だったのか、本名や性格、顔など、現在までわかっているその人物像についてもまとめていきます。

酒鬼薔薇聖斗の本名は東真一郎(顔写真あり)

酒鬼薔薇聖斗こと少年aの顔写真は事件後に一部週刊誌が公表しており、その本名は東真一郎であると言われています。ただし、事件後、法務関係者と養子縁組し名前を変えて生活しているとされています。

少年aは2004年に医療少年院を退院しましたが、週刊女性セブンによると、退院の後に特例により改姓改名して本名を変え、本名のイニシャルは「K.M」であるという事でした。

また、少年aは一時期、本名を「西岡真」にして生活していたとの情報もあり、事件以降何度か本名を変えている可能性が高いと思われます。現在はどの様な本名で生活しているのかは不明です。

酒鬼薔薇聖斗の性格

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少年aが通っていた友が丘中学校の当時の校長岩田信義氏によれば、少年aは他の生徒の靴を隠して燃やす、ラケットで突然人の頭を叩く、他の生徒の自転車のタイヤをナイフで切り刻むといった行動があったそうです。

また、岩田元校長は、少年aが中学に上がる際に小学校側から少年aの異常な行動として、以前、ナイフを大量に突き立てた不気味な粘土細工を作成していた事があるとの報告を受けたとも証言しています。

さらに、当時の担任教師の話によれば少年aは表情があまり動かず、教師から注意を受けてもほとんど目を合わせず、心はいつも上の空の様で、何を言っても言葉は届かないという印象であったとされます。

酒鬼薔薇聖斗の絵が不気味

酒鬼薔薇聖斗は事件を起こす前から、かなり異常な印象を受ける不気味な絵を描いています。まるで化け物の様な絵ですが、女性の顔をモデルにした印象の絵が多く、一部の絵は母親を抽象化したものだと言われています。

酒鬼薔薇聖斗の異常な性癖

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酒鬼薔薇聖斗は、性癖においてもかなり異常なものを持っています。小学校5年生の時、カエルの解剖をした時に性的な興奮を覚えたそうです。中学に上がると人を殺してその臓物を食べるのを想像して興奮したのだとか。

土師淳君を殺害した際にもこれまで経験した事がないほどの満足感を得たと供述しています。淳君の頭部を家に持ち帰り、それを風呂場で洗っている時にも性的な興奮を得て射精したとも後に書いています。

酒鬼薔薇聖斗の家族

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続いては、酒鬼薔薇聖斗の父親や母親などの家族についてもまとめます。一部の専門家からは少年が異常化した原因は父親が多忙であった事や母親の愛情不足だった事など家族にも原因があったのではと指摘されています。

また、母親の事件当時や事件後の行動などから、ネット上では酒鬼薔薇聖斗の母親が少しおかしいのではないか?との批判的な声も上がっている様です。

父親は多忙だった

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酒鬼薔薇聖斗の父親は、非常に仕事が多忙であったと言われています。さらにこの父親は酒鬼薔薇聖斗には普段から無関心で、たまの休日もゴルフへ行ってしまい、ほとんど関わらなかったと言います。

酒鬼薔薇聖斗が隠し持っていたナイフを発見した時も、猫などの動物虐待が発覚した際にも父親は一切注意などはしなかったと言われます。にも関わらず、時に理不尽に感情的になって激昂する事もあったとされます。

また、この父親は酒鬼薔薇聖斗に対して理不尽なところがあったとされ、兄弟喧嘩をすれば兄である酒鬼薔薇聖斗だけを一方的に叱りつけ、時には暴力を振るう事もあったと言われています。

母親の愛情不足だった?

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父親は酒鬼薔薇聖斗にとって非常に理不尽な存在であったとされますが、母親はどうだったのでしょうか?母親は無関心ということはありませんでしたが、反面、かなり厳しくしつけを行なっていたと言われます。

世間で恥を掻く事が無いようにと、幼い酒鬼薔薇聖斗にトイレや食事のマナーなどを厳しくしつけたとされます。さらに、この母親には酒鬼薔薇聖斗がノイローゼになるほどの過干渉なところもあったと言われます。

一方で動物虐待に対しては一切注意をせず、事件後も酒鬼薔薇に冤罪の可能性はないの?と聞くなど少し常識と外れた言動も目立ちます。ネットでは、この母親が原因でおかしくなったのでは?との意見もあります。

事件後の酒鬼薔薇聖斗

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事件が発覚し、逮捕された後の酒鬼薔薇聖斗についてもまとめていきます。現在は社会復帰を果たしている酒鬼薔薇聖斗ですが、事件後、しばらく医療少年院主導での疑似家族を形成しての矯正プログラムが組まれました。

1997年10月13日、関東医療少年院へ

逮捕から約3ヶ月が経った1997年10月13日、精神鑑定などの結果を受けて、神戸家庭裁判所は酒鬼薔薇聖斗の医療少年院装置が相当であるとの判断を下します。

この決定によって心身に著しい障害がある物を収容する施設である、関東医療少年院へと移送されています。少年aは犯罪者ではなく病人として扱われています。

精神鑑定にて、家族の愛情不足が原因と診断されていた酒鬼薔薇聖斗はこの施設にて、主治医を父親、女医を母親に見立てた疑似家族を形成しての矯正プログラムを受けています。

1999年、死亡した女児の遺族との示談成立

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1999年、第二の事件で酒鬼薔薇聖斗が金槌で殴り死亡させた小学四年生女児の遺族との間に、約8000万円の慰謝料を支払うという事での示談が成立しています。

2001年11月27日、東北中等少年院へ

2001年11月27日、医療少年院での治療が順調との判断が下され、東北中等少年院へと移送されます。こちらは心身に著しい障害がない者を収容する施設です。

しかし、ここで少年aは奇行を繰り返し、他の収容者たちからのイジメにあうなど度々騒動を起こしています。院生の一人がたまたま書類に記載されていた少年aの名前が偽名である事に気づきます。

これがきっかけとなって神戸児童連続殺傷事件を起こした酒鬼薔薇聖斗である事が発覚、いじめが過激化し少年aの方もカッターナイフを振り回し奇声をあげるなどの奇行を繰り返すようになります。

2004年3月10日、 仮退院

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この奇行騒動の後、神戸家裁は少年院収容継続を決定しています。その後、2004年3月10日に少年の仮退院が決定しています。

この決定は被害者の家族にも法務省を通じての連絡が行きますが、わずか半年で矯正が完了したというのか?と疑問と批判の声が上がります。

2005年1月1日、本退院認可

さらに、2005年1月1日には本退院が認可されます。この時点で少年aは未だ完全に矯正されておらずまた何か問題行動を起こす可能性があると法務省は認識していたとの噂があります。

にも関わらず、少年の退院が決定した理由として、国の威信をかけた矯正プログラムの成功を示したかった為、携わった人間の面子を保つ為、一刻も早くこの異常な少年を手放したかった為など様々な噂が上がっています。

酒鬼薔薇聖斗の現在は結婚している?嫁は誰?住所は?

家族の愛情不足が凶行の原因ともされた酒鬼薔薇聖斗でしたが、社会復帰を果たした現在、結婚して嫁がいるとも噂されています。その嫁は酒鬼薔薇聖斗を神格化したファンクラブの女性とも言われます。

また、結婚した嫁とはどこに住んでいるのかも注目を集め、住所などの割り出しもネット民の間で行われ、一時住所が発覚する事態にもなっています。酒鬼薔薇の結婚した嫁や住所についても見ていきましょう。

嫁はファンクラブの女性?

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現在、結婚して嫁がいると噂れる酒鬼薔薇聖斗ですが、異常な殺人鬼とも言われるこの少年aと結婚した嫁とはどんな女性なのでしょうか?噂ではこの結婚した嫁は酒鬼薔薇の信者であったと言われています。

当時、酒鬼薔薇聖斗の前代未聞の犯行は一部の人々の間でカリスマ化され、ファンクラブのようなものまで作られたとされます。その中の酒鬼薔薇の熱烈なファンの一人が現在結婚した嫁であると噂されているのです。

もちろんこの結婚の噂自体が信ぴょう性の低いものであり、嫁の顔写真なども出てきていません、ただし少なくとも一時期同年代女性との同性関係があったとの関係者からの証言は実在するようです。

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