パリ人肉事件の概要!佐川一政の生い立ちと現在!なぜ捕まらないの?

優雅、御洒落、芸術的。そんなイメージを抱く人も少なくないパリ。花の都とも呼ばれるその街でかつて、1人の日本人の手により猟奇事件が引き起こされました。事件の名はパリ人肉事件。その犯人である佐川一政はなぜ凶行に及んだのか、今回は彼の現在も合わせ調査してみました。

パリ人肉事件とは

人気漫画ジョジョの奇妙な冒険第5部。その中で登場人物の1人が「人間の肉は美味いか否か」と語る場面があります。それを聞かされている仲間は難色を示している事からも分かる通り、人肉食はタブーとされています。

大飢饉の際やヒカリゴケ事件に代表されるように、どうしようもない状態でもない限り人肉を食べたい、食べようと考える人間は基本的に居ないでしょう。しかし、佐川一政は違いました。

人を殺し、その死体を犯し、そして食べると言う行為を彼は実行しています。そして、パリ人肉事件とは佐川一政の起こした一連の猟奇殺人事件の名称となっています。

パリ人肉事件の詳細

それでは、パリ人肉事件はいつ発生した事件なのか、いかなる手口をもって行われたのか。ここでは事件の詳細について、説明させていただきます。

1981年6月11日、佐川一政はオランダ人留学生・ルネを自室に招く

当時佐川一政は31歳でパリの大学に在籍していました。かねてより人肉食への欲求を持っていた佐川一政ですが、その欲求はいつしか食べなければいけないと言う強迫観念じみたものへと変貌していました。

加えて、佐川一政は白人女性に並々ならぬ執着を持っていました。そして、そんな彼が目をつけたのが同じ大学に通う当時25歳のオランダ人留学生ルネ・ハルデヴェルトでした。

佐川一政は大学の教授にドイツ語の詩の翻訳を頼まれたから手伝って欲しいと言葉巧みにルネを自室へと招きます。しかし、それはでっち上げの嘘であり、本当の目的は彼女を殺し、そして食べる事でした。

ルネをカービン銃で殺害し、屍姦

佐川一政の本心など知る由もないルネは誘い文句を信じ、椅子に座って詩の翻訳作業を行っていました。そして、その背後で佐川一政はカービン銃を取り出すと、銃口をルネの首許に向け引き金を引きました。

至近距離から銃弾を受けたルネですが、即死する事は無くしばらく呻いた後に絶命したとされます。それを受けて、佐川一政の取った行動はまず裸になる事でした。

続いて、彼女の頭部から吹き出す血を受け止める為に床にタオルを敷くと、彼女の服を脱がせて屍姦、つまりは彼女の遺体を犯しました。その上で、佐川一政は遺体の写真を撮っています。

佐川はルネの右側の尻にかぶりつく

続いて、佐川一政はルネの右側の臀部へとかぶりつきます。右側の臀部と言う場所は、かねてより決めていた場所でした。

しかし、佐川一政の予想に反して想像以上に硬く、噛みちぎる事が出来ません。それならばとばかりに、キッチンにあった果物ナイフを使用します。それでも、上手く行かず佐川一政は次なる行動へと移りました。

ナイフを購入し遺体を食べる

佐川一政は一旦部屋を出ると、新たにナイフを購入します。そして、そのナイフでルネの遺体の肉を削ぎ落すと、まずは生でその肉を食べました。続いて乳房を削ぎ落しフライパンで焼き塩胡椒で味付けをして食べました。

佐川一政はその味に小躍りし、予想通り美味かったと後に出版した著書に記しててあります。佐川一政曰く人肉の味は「匂いのない、まぐろのトロよう」なのだそうです。

翌日の朝食はルネです。生で脚の肉を食べ、陰部は焼いて食べました。遺体の手を使って自慰を行った後に今度は鼻、唇、舌を食べました。その感想を以下のように佐川一政は語っています。

鼻は軟骨そのままのこりこりした噛み心地。唇は意外に固くて生では食べられなかった。舌も同様だが、苦心して噛みくだこうとしているときふと、鏡を見ると、舌と舌とが絡み合っているのが見えた

(引用 【閲覧注意】裏社会の都市伝説)

この他にも、切断した頭部を持ち、鏡に自身の姿を映した際は「カニバル!」叫びたかったなどとも述べており、相当興奮していた事が窺えます。

6月13日、ルネの遺体を解体しスーツケースに詰め、タクシーを呼ぶ

残った肉は冷蔵庫に保存していましたが、完全に収納するには至りませんでした。ましてや6月のパリは暑く、腐臭の気になりだした佐川一政は遺体を遺棄すべく、肉切り包丁や電動ノコギリなどを使い解体を開始します。

尚遺体の解体については、嫌悪感があったと後に語っていました。

やっとの思いで解体を終えた遺体をスーツケーツ2つに詰めると、佐川一政はルネの死体遺棄の目的地に向かうべくタクシーを呼びました。

タクシー運転手に不審に思われながらブローニュの森へ

目的地のブローニュの森は大学近くにあります。荒廃していた時期もありましたが、ルイ11世やナポレオン3世などにより整備された由緒正しき場所であり、世界各地に広まったホワイトディナー発祥の地でもあります。

無事タクシーは到着しましたが、ここで佐川一政をひやりとさせる出来事が発生します。タクシーの運転手が佐川一政の荷物を持った時、その重さから「死体でも入っているのでは?」と口にしたのです。

これを受けて佐川一政は「本が入っている」と答え、その場を切り抜けました。

大男がスーツケースを開け、事件発覚

佐川一政がブローニュの森に辿り着いたのが午後20時頃。20時と言っても日本の同時刻のように暗くはなく、その明るさは昼間とほとんど変わりません。その為、ブローニュの森にはたくさんの人が居ました。

これを受けて、佐川一政は気が動転しましたがなんとかして重たい2つのスーツケースを運び、水辺まで辿り着きます。そこには平和な光景が広がっており、水面に映る夕焼けなどに佐川一政は見惚れていたそうです。

しかし、それも束の間、佐川一政の背後では大男が遺体入りのスーツケースに手をかけていました。大男にスーツケースが所有者かどうか問い掛けられ、佐川一政は反射的にそれを否定します。

そして、ついに大男の手によってスーツケースが開かれます。当然ながら中身が中身故に騒然となりました。大男のツレの女性が「人殺しだ」叫びましたが、佐川一政はそもままその場を立ち去りました。

佐川一政は逮捕されるも不起訴処分に

しかし、人目の多さが幸いして佐川一政は数日後に逮捕されます。白人ばかりの中に居る東洋人、ましてや佐川一政は身長150cmと子供のような体型をしており、非常に目立っていました。

警察は目撃証言や情報提供に基づき佐川一政のアパートに張り込み逮捕に踏み切ります。逮捕時佐川一政は全く抵抗をしなかったとされ、また小柄で細身な体系故に手錠がすり抜けてしまう為に手錠無しで連行されました。

取り調べに対し佐川一政は自供。また事件現場となったアパートの家宅捜索の結果冷蔵庫やフライパンからはルネの肉片が発見されています。報道を受け佐川一政の凶行にフランス中が騒然となりました。

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しかし、佐川一政は起訴される事はありませんでした。精神鑑定が行われ、その結果心身喪失状態であったとの判断が下され、精神病院への入院措置が取られます。

なおこの入院期間中に事件を映画化する話が持ち上がっており、佐川一政は唐十郎に依頼しています。しかし、その希望は叶えられる事は無く小説を言う形で発表され、唐十郎は芥川賞を受賞しました。

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パリ人肉事件の犯人・佐川一政について

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事件の持つ猟奇性、異常性故に悪名高いパリ人肉事件。それでは、佐川一政はなぜこのような凶行に及んだのでしょうか。ここでは、佐川一政のルーツを紐解く事で、事件の背景に迫っていきます。

佐川一政の生い立ち

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佐川一政は1949年4月26日、兵庫県神戸市で生を受けました。しかし、彼はいつまで生きられるのか分からない程の未熟児であり、父親の掌に乗るほどに小さな体だったそうです。

出生1年後には腸炎を患うなどしたものの、両親の心配を跳ねのけ順調に成長していきました。とは言え、虚弱体質ではあったようです。

佐川一政は内向的な性格でしたが、シェークスピアなどの文学、音楽ではベートーヴェンなどを愛したいわゆる芸術少年でした。それと同時に以下のように行動力も持ち合わせていたようです。

高校時代には白樺派に傾倒し、志賀直哉の『暗夜行路』に影響を受けて短編小説を書いたことがある他、紹介状も持たず武者小路実篤に会いに行き、武者小路の書斎で1時間ほど面談したこともある

(引用 Wikipedia)

祖父の影響で「カニバリズム」に目覚める

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出生の苦難を乗り越え、家族の愛情を受けながら順調に成長していく佐川一政。しかし、後に彼を凶行へと走らせる一因となったカニバリズムへの興味は既に小学生の頃から芽生えていたようです。

それは祖父から何度も繰返し聞かされていた「幼い子供を誘拐し、鍋で食べてしまう魔法使いの話」が原因であるとされています。

尚佐川一政のこの話を聞かせたのは、叔父であるとも言われています。

「カニバリズム」とは

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カニバリズムとは人間の肉を食べる事や習慣を指します。とは言え、この言葉の中には、葬儀の際など故人の長寿や功績にあやかる、強い哀惜の念を表すなどの儀礼的なものも含まれています。

しかし、そういった社会的な裏付けや遭難や飢饉など緊急性の無い状態で行われる人肉食を人肉嗜食と呼びます。なぜそれらが行われるかについては様々ですが、性的嗜好や復讐、愛情などが理由としてあげられます。

復讐については、対象を食し、消化。そして、それを排泄する事が一連の流れのようです。

性的な愛情なら、キスや甘噛みなどは「愛するあまり相手を取り込みたい」という感情の初期発露であるといわれる。

(引用 ニコニコ大百科)

佐川一政の場合はルネへと抱いていた感情は憎しみでは無く憧れだったと述べており、犯行時の精神状態は性的幻想の中にあったとされます。

高校時代には精神科医に相談

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幼いころから食人への興味を抱いていた佐川一政ですが、全く対策を取らなかった訳ではありませんでした。

高校生になった佐川一政は、精神科医に自身の内なる食人への欲求について、何度も精神科医に相談していました。

しかし、佐川一政の相談はまったくと言っていいほど取り合っては貰えませんでした。

和光大学時代にはドイツ人女性に強姦未遂、お尻の肉を食べようとした

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パリ人肉事件よりも前、実は佐川一政は大学時代に1度逮捕された事がありました。この時も被害者は白人の女性です。

被害者は中年のドイツ人女性であり、就寝中に部屋へと侵入。傘で頭を叩いて気絶させた挙句、包丁を持ち出して女性の尻の肉を食べようとしましたが途中で女性が意識を取り戻し、悲鳴を上げたために逮捕されました。

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余談ですが身長150cm、体重35kgと非常に小柄な体系がコンプレックスとなり、自身にないものを求めて白人女性を狙ったのではないか、と指摘する声が幾つも存在しています。

また容姿端麗な事でも知られる連続殺人鬼テッド・ハンディについて佐川一政は「自分が彼ほどの容姿であれば、犯罪は犯さなかっただろう」ともコメントしていました。

尚当の佐川一政本人は自身の容姿に対するコンプレックスについてはっきりと否定しており、殺人を犯したのは生い立ちや容姿に関係無く、幼い頃から持っていた衝動による結果と述べています。

佐川一政の父親が示談金を払い起訴されず

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強姦目的で逮捕された佐川一政。しかし、佐川一政の家は裕福であり、父親が示談金を支払ったために起訴される事はありませんでした。

尚パリ人肉事件の際にも、父親がフランスで最も高名であると同時に、最もお金のかかると言われた弁護士を雇ったとも言われている事も付け加えておきます。

パリ人肉事件のその後と現在

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起訴こそされなかったものの、精神病院への入院措置が取られた佐川一政。その後彼は一体どうなり、現在はどうしているのか。ここでは、佐川一政の逮捕後から現在の状況について解説致します。

1984年、佐川一政は日本に強制送還される

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佐川一政に下された入院措置期間は無期限。これは一生出さない、ではなく治るまでは退院させないという意味です。しかし、病院では精神疾患が認められず、14ヶ月後に退院。佐川一政は日本へと帰って来ています。

これには、縁もゆかりもない東洋人。それも、猟奇的な犯罪を犯した異常者を国税で養うべきではない、との不満や批判が続出した事も一因であり、帰国では無く実質強制退去でした。

日本に帰国した佐川一政はマスコミの注目の的に

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帰国後、佐川一政は都立松沢病院に入院。尚松沢病院においても、佐川一政の精神疾患は認められず、彼について同病院の副院長が以下のように言及しています。

“佐川は精神病ではなく人格障害であり、刑事責任を問われるべきであり、フランスの病院は佐川が1歳の時に患った腸炎を脳炎と取り違えて、それで誤った判断を下したのではないか”

(引用 Wikipedia)

警察もまた副院長と同意見で再び裁判にかける方針でした。しかし、いくつかの理由により結局佐川は裁判にかけられる事はありませんでした。そして、入院から15ヶ月後佐川一政は退院します。

当然ながら日本でもパリ人肉事件については知れ渡っていました。退院した佐川一政はマスコミの注目の的であると同時に有名人として扱われています。

佐川一政の父親は退職、母親は神経症に

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しかし、その一方で刑事的責任を問われる事がなくなった事により、社会的制裁を下すべきだという佐川一政の批判が高まっていました。また事件の影響を受け、父親は退職、母親は神経症を患っています。

佐川一政の両親が彼に沢山の愛情を注いでいましたが、同時にその愛情は過剰や甘やかされていたとの意見も存在します。

「ルネさえ息子の前に現れなければ、息子は犯罪者にならなかったのに」

(引用 探偵ファイル)

また事件について、母親は上記のような言葉を口にしていました。

佐川一政は小説家となり講演会やトークショーにも出演

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その後、佐川一政は過去の自身の経験を生かして小説家となり「霧の中」などを執筆しています。

また東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人である宮崎勤が逮捕された時には、猟奇事件の理解者として扱われ、忙しい時には4本もの連載を持っており、印税だけで収入が月100万に達した事もありました。

他にも講演を行ったり、トークショーに出演したりと生殖的に活動していました。

1993年には白人女性2人と旅行も

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1993年にはドイツ人男性と知り合っており、その男から2名の白人女性を紹介されています。その女性2人と佐川一政は、カナダやメキシコなどへの海外旅行を楽しんでいます。

しかし、彼女たちにとって佐川一政は金づるでしかなく、旅行に関する費用のほとんどは佐川一政が支払っていました。加えて、肉体関係もありません。

彼女たちは、佐川一政がパリ人肉事件を引き起こした事を知りませんでしたがある日それが露見。その結果、絶交されています。

その後生活苦からギャグビデオやアダルトビデオに出演

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一時はマスコミの寵児として扱われた佐川一政ですが、いつまでもそのような扱いが続くはずもなく、次第に生活に困窮する様になりました。

そこでテリー伊藤が監督を務めるギャグビデオへ出演したり、アダルトビデオに出演したりと手あたり次第に色々な仕事へと手を出しました。

それでも、収入の低下に歯止めをかける事は出来ず、2001年ごろにはほとんどの仕事が途絶えています。

ヤミ金や家族を頼る生活へ、2005年には佐川の父親が死去し母親が自殺

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そんな困窮した状態にありながら佐川一政の白人女性に対する欲求は衰える事はありませんでした。白人女性と付き合う資金を捻出するの為、闇金に手を出すばかりか家族の鐘やカード、私物に至るまで手を付けています。

全然ぼくは反省しなくて、相変わらず白人女性と付き合う、それにはお金が要るというんで、初めのうちは親父の財布から万札を一度抜いたぐらいですけど、だんだんデッドヒートして、弟のチェロを売り飛ばしたり、絵を売り飛ばしたり、最後にはカードまで使って

(引用 【閲覧注意】 裏社会の都市伝説)

そして、2005年の1月4日に父親が死去。死因は脳梗塞で3度目の脳梗塞でした。翌日には母親が後を追い自殺。その時、佐川一政は闇金の取り立てから逃れるべく千葉県にいた為、死に目にあえませんでした。

そればかりか、葬儀は社葬であった為に出席も断られています。借金については、相続した遺産で返しており、4月には公団住宅へと転居しています。

また2002年時点で糖尿病と通風を患っており一切の肉食が禁止。千葉県に住んでいた頃には糖尿病の悪化した結果生活保護を受けていました。

過去には500通ほどの履歴書を書き、会社回りをしたものの、ことごとく採用を拒否されているという。一度だけ「本名で応募してくる根性が気に入った」と採用決定された語学学校もあったが、職員たちの反対を受けて不採用となる。小説を執筆しているが、「どこの出版社からも取り上げられない」と語っている。

(引用 Wikipedia)

尚2006年の週刊新潮に掲載された記事では、上記のような仕事に関する回答の他生活保護の受給を現在は受けていない事を答えています。

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