フリッツル事件の概要とその後の現在!映画化で話題に?動機もまとめ 社会

フリッツル事件の概要とその後の現在!映画化で話題に?動機もまとめ

「オーストリアの実娘監禁事件」として日本でも報道されたフリッツル事件。関連する書籍や映画が誕生し話題となりました。父が娘を監禁するという衝撃的な事件、フリッツル事件の詳細とは?犯人の動機は?被害者であるエリーザベトやその子供たちの現在などに迫りました。

目次

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フリッツル事件とは

フリッツル事件とはエリーザベト・フリッツルが父であるヨーゼフ・フリッツルに24年間、自宅の地下室に監禁された事件です。

監禁されている間、エリーザベトは何度も肉体的な暴力、性的暴力を受けており父親との間に7人の子供を妊娠、出産しており1度流産の経験をしています。

フリッツル事件の詳細

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父のヨーゼフによるエリーザベトの監禁は24年間続きその間にエリーザベトは何度も強姦され妊娠、7人の子供を出産しました。

子供達のうち1人は死亡、3人は地上で暮らし、残る3人はエリーザベトとともに地下室で生活します。

長女が重い病気にかかり、エリーザベトの頼みでヨーゼフは長女を病院に連れていきました。しかしそこで病院のスタッフが矛盾を感じ通報、事件が発覚することになったのです。

フリッツル事件が起こるまで

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エリーザベトは1966年に誕生しました。1977年、彼女が11歳の時に虐待が始まったと言われています。フリッツル事件が起こる前から予兆はあったのです。

義務教育が終わる15歳の頃、エリーザベトはウェイトレスになる訓練をスタートしました。そして1983年1月に家から逃げ出しています。

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仕事で知り合った仲間達と一緒にウィーンに隠れるように住んでいましたが、家出から3週間以内には警察に発見されてしまいました。

家に連れ戻されたエリーザベトは再度訓練を始めます。1984年の半ば頃に訓練は終了、リンツ郊外の都市で働き始めました。事件が起こったのはその後です。

ヨーゼフ・フリッツルが実の娘であるエリーザベトを監禁

事件が起こったのは1984年の8月29日です。ヨーゼフはドアを運ぶのが困難のように見せかけ、エリーザベトを自宅地下室に誘い出しました。

ヨーゼフが運ぼうとしていたドアは地下室を密封するためのものです。エリーザベトがドアを支えている間、ヨーゼフが枠の長さを測りました。

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ドアがはまったところでヨーゼフがエリーザベトの顔にタオルを投げました。このタオルにはエーテルが染み込ませてあり、エリーザベトは意識を失います。その後、エリーザベトを地下室に入れドアの鍵を閉めました。

強姦はその翌日からスタートします。ヨーゼフはチェーンを持って地下室に入り、エリーザベトを強姦しました。

ヨーゼフはエリザーベトに手紙を書かせていた

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1984年、エリーザベトが監禁された当時ヨーゼフの妻・ロゼマリアは失踪届を提出しています。

しかしその一月後、エリーザベトから家族との生活が嫌になって友人とブラウナウに住んでいるという手紙が送られてきました。

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探そうとすれば国から出ていくと書いてあった手紙の消印はブラウナウでした。

この手紙はヨーゼフがエリーザベトに書かせたものだとされています。

エリザーベトの地下室での生活

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地下室の環境はけっしていいものではありませんでした。ネズミは歩き回り、空調が悪いため呼吸が切れて、長時間動き回ることができない状態だと言われています。

電気は何度も切れました。時には何週間も電気が切れたままでした。

エリーザベトは、最初の数日は壁に体当たりし、天井を引っ掻き、痛みに呻き、助けを求めて苦悶していたことを明らかにしている。彼女の爪は剥がれ、腕に血が垂れるまで指の皮膚で引っ掻き続けた。数日経つと、彼女は休日にハイキングにいっていると思い込もうとした。かつて見たことのある遠くの山を選んで、心の中でそこに辿り着くまでの計画を立て、出発した。

(引用:Wikipedia)

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エリーザベトは食糧や日用品を与えられていましたが食糧はすぐになくなります。ヨーゼフがいつ訪れるのかわからないため、効率よく分配することを必要とされていました。

エリーザベトは地下室にいた時何度も自殺しようとしていたと言われています。常に恐怖や鬱状態だったのです。加えて鎖に繋がれていました。

最初のうちは時計もなかったため時間もわからなかったと言います。

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エリーザベトはヨーゼフに服従するように教えられました。ヨーゼフがいなければ生きていけないことを幾度も示して戻ってこないと脅すこともあったようです。

エリーザベトは精神的に追い詰められていました。特に妊娠中は不安定になっていました。

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妊娠、出産に関して医療的な行為は受けることができませんでした。そのため妊娠するたびエリーザベトは恐怖しました。

また、地下室の環境の悪さから何度も病気になったと言われています。しかしヨーゼフが持ってくるのは咳止めや痛み止めのみでした。

エリザーベトは24年間監禁・強姦され7人の子供が誕生

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監禁されていた24年間、ヨーゼフは3日に1度の頻度で地下室を訪れたと言います。ヨーゼフはエリーザベトの意思に反して近親相姦を繰り返していたことをのちに認めています。

エリーザベトは24年間の間に7人の子供を出産しました。

1993年3月、リザが地上へ

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1992年にエリーザベトはリザを出産しました。1993年の5月、リザが9ヶ月の時に家の外のダンボールに入っているところ発見されヨーゼフと妻のロゼマリアに育てられます。

最初に地上へと出たリザは娘が家に置いていった子なのだとヨーゼフは周囲に説明していました。

「育てられないのでお願いします」という置き手紙(父親に書くように言われたという)と共にドアの前に置いて行ったと装った。

(引用:Wikipedia)

1994年12月、モニカが地上へ

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1994年の10月、生後10ヶ月のモニカがリザ同様に家の外で見つかります。モニカもまたリザと同様に家の外に置かれました。この際エリーザベトからロゼマリアに電話があったと言われています。

子供を育ててほしいと頼む電話だったそうですがこれはヨーゼフによって録音されたエリーザベトの声だったと考えられています。

なお、エリーザベトが新しい電話番号を知っていた事実に驚き、ロゼマリアは警察に通報しています。

1997年8月、アレクサンダーが地上へ

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1996年5月、エリーザベトは双子を出産しました。そのうちの次男アレクサンダーが15ヶ月の時、1997年8月に姉と同様に自宅の外で発見されました。

アレクサンダーも姉達に続いて地上でロゼマリアに育てられました。ヨーゼフとロゼマリアは孫を孤児として社会福祉事務所に届けを提出しています。

長男は死亡、3人は地下で生活

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双子のうちの1人、アレクサンダーの兄の長男は3日後に亡くなっています。ヨーゼフは家の庭で火葬しました。

役所の人間が幾度となく訪れましたがヨーゼフは子供達を拾った時の状況をしっかりと説明しており、不審に思われることはなかったのです。

1989年に誕生した長女のケルスティン、1990年に誕生したシュテファンは地下室で生活を送っていました。その後、エリーザベトは2002年12月、三男のフェリックスを出産しています。

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母のロゼマリアはすでに3人の子供の面倒を見ていました。これ以上は世話をすることができなくなるためフェリックスも地下室で育てられます。事件発覚時、フェリックスは6歳でした。

地下室は1994年にも増改築されており、冷蔵庫やホットプレート、TVや浴室、便器などもありました。

フリッツル家は近所の住民にも全く怪しまれていなかったといいます。近所の住民は「あの家の庭にはプールがあり、よく3人の子どもの遊び声が聞こえた」と語りました。

フリッツル事件の発覚!長女の病気がきっかけに

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24年間もの長い間、フリッツル事件は発覚にいたりませんでした。事件が発覚したのは、地下でエリザーベトと暮らしていた長女ケルスティンの重い病気がきっかけとなりました。

長女ケルスティンの重い病気で事件が発覚

ヨーゼフとエリーザベトの子供は遺伝的な疾患を持って誕生しました。長女のケルスティンはその中でも重大な疾患を患っていたのです。

ケルスティンの病状が悪化してしまい、2008年4月19日、ケルスティンは意識を失ってしまいました。

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エリーザベトの頼みでヨーゼフはケルスティンを病院に連れていくことにします。この際、ケルスティンを地上へと運ぶ手伝いをエリーザベトが行いました。

24年ぶりに見る外の世界でしたがエリーザベトはそのまま地下室に戻されます。

ヨーゼフ・フリッツル逮捕

ケルスティンが病院に搬送されたのち、彼女のポケットに「助けてください」というメモが入っていることにドクターが気が付きました。

ヨーゼフの話と手紙に矛盾を感じたドクターは警察に通報します。この通報が事件発覚のきっかけとなりました。

ケルスティンは重篤な腎不全でした。そのため過去の病歴を知るべきだと言うドクターがヨーゼフに母親の居所を聞きました。病気の子供がいてその母親が行方不明だということはテレビ等でも報じられます。

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一方、警察はドクターからの通報を受けてカルト宗教に詳しい男性に話を聞きにいきました。

ヨーゼフがエリーザベトがカルト宗教に入信していると、2008年1月、エリーザベトから手紙が送られてきていたことを証言していたからです。

しかしヨーゼフが語っていたカルト宗教は存在しないことが男性によって明らかになりました。そして、エリーザベトの手紙は言われたことを書かされているようだと不自然な点を指摘します。

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地下室のテレビで報道を知ったエリーザベトは、自分を病院に連れていってほしいとヨーゼフに懇願しました。

そうして長女ケルスティンが搬送されてから1週間後に、地下室で暮らしていた2人の息子と地上に出たのです。

この際、ヨーゼフは妻のロゼマリアに「娘が帰ってくることを決心したようだ」と話していたと言われています。

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ヨーゼフとエリーザベトは病院に到着したのち警察に連行されました。連れていかれた警察署内でヨーゼフと離れたエリーザベトでしたが、事情聴取をしても話をしませんでした。

警察官が「父親に会う必要がない」と言ってようやく事件を語り始めたのです。こうしてフリッツル事件が明らかとなりました。

フリッツル事件の加害者父について

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映画にもなった衝撃的な事件、このフリッツル事件の加害者であるヨーゼフ自身に問題があったことが明らかとなっています。

ヨーゼフは以前からパーソナリティ障害を指摘されていました。また、実の母を軟禁していたことがわかっているのです。

父、ヨーゼフ・フリッツル(犯人)の生い立ち

ヨーゼフ・フリッツルはヨーゼフ・フリッツル・シニアとマリア・フリッツルの間にできた子供でした。誕生日は1935年4月9日、アムシュテッテンの生まれです。

ヨーゼフが4歳の時、父親は家族を捨てて家を出ています。その後連絡はありませんでした。

母のマリアが働き、ヨーゼフは一人っ子として育ちます。高等技術工科大学に入学、リンツの鉄鋼会社で働き始めました。

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1956年、21歳の時に17歳だったロゼマリアと結婚し、2人の息子と5人の娘が産まれたのです。

男の子2人、女の子5人の計7人の子供に恵まれています。エリーザベトはその中の一人でした。

ヨーゼフは以前、母親も軟禁していた

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ヨーゼフの母親は仕事にも子供にも大変厳しかったと言われています。ヨーゼフは母親から「穀潰し」「悪魔」「人生の汚点」とも言われたことがありました。

抱きしめてもらうこともなく育ったヨーゼフは母親の愛情を知ることができませんでした。

ロゼマリアと結婚したその後も母親から監視されることとなったヨーゼフは母親を屋根裏部屋に軟禁しました。これはフリッツル事件が起きる前の話です。

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記録は残っていないものの母親が死ぬまでのおよそ20年間軟禁状態が続いたと言われています。

ヨーゼフ・フリッツルの犯行の動機

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フリッツル事件は事件の異様さからか犯行に至った動機が注目されています。

ヨーゼフ・フリッツルは犯行の動機について娘の秩序ある生活のためだったと語りました。

「エリーザベトが10代となって様々な規律を破っていくのを見ていた。そのため行動を起こさなければと思った。力づくでも外界から遮断、保護、監視するべきだ」

このような内容の供述をしていることから母親の厳しい教育、そしてそれを受け継いでいることが理解できます。また、この思想が犯行の動機に関連したものだということもわかります。

さらに、ヨーゼフが教育を受けていたのはナチス党の独裁政権時代であり、その事実もまた異常なまでに規律に執着する人格をつくり上げた原因の一つではないかと言われています。

つまり、ヨーゼフがフリッツル事件を起こした犯行の動機は彼の受けてきた教育から誕生した思想によるものだと考えられているのです。

妻のロゼマリアについて

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ヨーゼフの妻ロゼマリアは、先にご紹介したとおり、娘が監禁されていることを知らずに失踪したのだと24年間信じてきました。

ロゼマリアが事件を知ることができなかったのはヨーゼフが釘をさしていたからなのです。

ヨーゼフ・フリッツルの裁判

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ヨーゼフ・フリッツルには犯罪歴がありました。フリッツル事件が起きる以前にも強姦を犯していたのです。

犯罪歴があるのにも関わらずフリッツル事件の発覚は遅れました。それはオーストリアの法律に問題があったからだと言われています。

フリッツルの過去の犯罪歴

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ヨーゼフは1967年に強姦と強姦未遂、合わせて2件の犯罪を起こしています。

1件目の強姦はヨーゼフがリンツで働いていた頃に犯しました。夫がいない隙を狙って24歳の看護師の家に押し入ります。喉にナイフを突きつけて脅し強姦しました。

同じ年に再び他の21歳女性に対して強姦をしようとしましたが未遂となりました。

ヨーゼフはこの犯罪行為によって懲役18ヶ月の刑を受けました。釈放後は1971年までアムシュテッテンの建築資材工場で仕事をしてその後営業職となっています。

ちなみにヨーゼフは宿泊施設と隣接するキャンプ場を購入しており、1972年から1996年まで夫婦で経営していました。

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ヨーゼフはこのほかにも何か所か不動産を持っていました。それを貸し出していたと言われており、不動産収入があったと見られています。

ヨーゼフ本人が供述したフリッツル事件の犯行動機は娘の規律のためとそれらしいものでしたが、過去に強姦を繰り返していることを考慮すると果たして語った動機は真実なのか疑問が生じます。

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