秋葉原通り魔事件・加藤智大の生い立ちや現在!母親の影響?弟は自殺?

2008年6月8日に発生した秋葉原通り魔事件は17人が襲われ、うち7人が死亡するという最悪な事件となりました。今回は死刑となった犯人・加藤智大の生い立ちや家族、自殺した弟についてまとめました。さらに犯人がネット上に投稿した「名言」についてもご紹介していきます。

加藤智大が起こした秋葉原通り魔事件とは

秋葉原通り魔事件とは、2008年6月8日に当時25歳の加藤智大が2トントラックで暴走して人を次々と撥ね、さらに持っていたダガーナイフで通行人を切りつけていった無差別殺傷事件のことです。

この事件で10人が重軽傷を負い、7人が死亡しています。過去30年に起こった通り魔事件で最も凶悪と言われていて、歩行者天国の一時中止や銃刀法の改正など大きな影響を与えました。

のちに、この事件の模倣犯だとされている「八王子通り魔事件」や「新幹線無差別殺傷事件」が起こってしまいます。今回はそんな秋葉原通り魔事件について、犯人の生い立ちや家族、名言などについてご説明します。

秋葉原通り魔事件の概要

この事件は人口密集地だった秋葉原で発生したため目撃者は多かったですが、その多くはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされているといいます。

そんな凄惨な秋葉原通り魔事件ですが、短時間に17人もの人が死傷したという凶悪性と、犯人である加藤智大の壮絶な生い立ちが話題となりました。ではまず、事件の詳しい概要や経緯についてみていきましょう。

2008年6月8日、加藤智大が運転する2トントラックが交差点に侵入

2008年6月8日の午後12時半過ぎ、東京都千代田区外神田(通称「秋葉原」)で、2トントラックが赤信号を無視して交差点内に侵入するという事態が発生しました。

青信号の横断歩道を渡っていた5人の歩行者を撥ねたため、交通事故だと思った周囲の人々はすぐさま撥ねられた人の救護に駆け付けました。この時、トラックがブレーキをかけた様子は一切なかったといいます。

タクシーと接触して停車後、加藤智大はダガーで殺傷

2トントラックは当時のソフマップ本店脇にて近くにあったタクシーとぶつかって停車しましたが、運転席から降りてきた犯人・加藤智大は持っていたダガーナイフで、救護に駆け付けた人を次々と襲いました。

目撃者の証言によると、雑踏の中で「刃物を持っている!」「逃げろ!」という叫び声が聞こえるとともに、多くの人が一斉に逃げ出したとされています。加藤智大は、必死に逃げ惑う人々を追いかけ回しました。

加藤智大は通行人を刺しながら逃走も路地で現行犯逮捕

その後加藤智大は奇声をあげながら12人を切りつけました。警察官、学生、会社員などが次々と刺され、あたりは血の海だったといいます。

駆け付けた秋葉原交番の警察官も防護服を切られるなどしたため、警棒で応戦しました。その警棒は加藤智大の側頭部に当たり、出血していたのが当時の写真からも分かります。

その後警察官は拳銃を取り出して「武器を捨てないと発砲する」と威嚇し、犯人の加藤智大を当時のサトームセン本店前にて現行犯逮捕しました。この時には非番の蔵前警察署の警察官も駆け付けていました。

被害者17名うち死亡は7名

この事件では通報と救護の迅速性が評価されたように、12時43分には最初の救護隊が駆け付け、さらにDMAT(災害派遣医療チーム)も出動していました。

素早い救護でしたが、トラックで撥ねられた5人のうち3人が死亡、ダガーナイフで切りつけられた12人のうち4人が死亡という最悪の結果となってしまいました。

トラックで撥ねられて死亡した3人は背中刺創や全身打撲が死因となっていて、ナイフで切りつけられた4人は失血や背中刺創、胸部貫通刺創などが死因となっています。

加藤智大死刑囚の不幸な生い立ち、母親からの影響

加藤智大は1982年9月28日、青森県五所川原市で4人家族の長男として生まれました。父親と母親、そして弟がいましたが、父親は教育に無関心だったのに対して、母親からは相当厳しい教育を受けたといいます。

母親に怒鳴られたり虐待まがいのことをされても、父親と弟は横目で見るだけ、という家族の冷え切った関係性が彼の人格を作り上げていきました。

事件後は彼の壮絶な生い立ちが明るみに出て、家族、特に母親に対して非難の声が相次ぎました。では、そんな家族関係や加藤智大の生い立ちについて詳しくご説明していきます。

加藤智大の家族、母親は県下一の新学校卒の教育ママ

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地元の信用金庫で働き家族を顧みない父親と違い、母親は近所でも有名な教育ママで、常に世間体だけを気にするような人物だったといいます。母親は県下一だと言われている青森高校に進学しました。

ですが大学受験で思うようにいかず就職という道を選んでいて、このときの屈辱を子供で晴らそうとするかのように厳しい教育をしました。

加藤智大が受けた厳しい教育エピソード

上記でもご説明したように、加藤智大は母親から度を超すレベルの厳しい教育をされていたといいます。そろばん、水泳教室、塾などに通わされ、友達と遊ぶことは禁止されていました。

それに加え男女交際も禁止、テレビは「まんが日本昔ばなし」と「ドラえもん」の2つだけしか見てはいけませんでした。かけ算を間違えた時にはお風呂に顔を沈められたことまであると語っています。

さらに中学1年生の時、食事中に突然怒り出した母親が床に新聞紙を敷いてその上に食べ物をばら撒きました。そこで食べるようにと怒鳴られた加藤智大は、泣きながら新聞紙の上の物を食べたこともあるといいます。

加藤智大の小中学生時代は成績優秀・スポーツ万能

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母親は常に先生からの評価を気にしていて、学校の宿題である絵画や作文は必ず厳しいチェックが入り、先生ウケする内容に変えられていました。

作文などをチェックする母親から「どういった意図でこう書いたのか?」と聞かれることがあり、加藤智大が10秒以内にきちんと答えられないとビンタが飛んでくる「10秒ルール」もありました。

上記での厳しいチェックと、数々の習い事をさせられていたこともあってか、小中学校での成績は優秀でスポーツもできる優等生だったといいます。

県立青森高校入学後、成績低迷し問題行動も

母に進められたこともあって青森高校への入学を無事に果たしますが、先ほどもご説明したように県下一の高校だったため加藤智大は周りの生徒達に埋もれていきました。

世間体ばかりを気にして息子を操る母親への怒りは蓄積し始め、加藤智大は家庭内暴力をするようになりました。窓ガラスを割ったり壁に穴を開けたりするほど暴れたこともあるといいます。

高校卒業後は短期大学へ

青森高校を卒業した後は、自分の希望だった自動車関係である岐阜県の中日本自動車短期大学に入学しました。加藤智大は高校を卒業する際、生徒会誌に「ワタシはアナタの人形じゃない。」という言葉を残しています。

アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」に登場する少女(綾波レイ)が、理不尽な戦いを強いる司令官に告げた決別のセリフである。(引用:Sharetube)

短期大学進学は母親への反発?

母親に幼い頃から「北海道大学の工学部に進むように」と言われていた加藤智大は、本当は自動車関係の仕事に就きたいという思いを素直に母親に打ち明けられませんでした。

結局自動車関係の短期大学を選んだ加藤智大に関して、教育ママである母親にせめてもの抵抗をしたかったのではないか?と言われています。

短期大学では資格を取得せず卒業

加藤智大はこの短期大学での2年間を「学校には失礼だけど、無駄な2年間だった」と語っています。

結局、彼は自動車整備士の資格の取得しませんでしたが、これには「口座にある奨学金を父親が使ってしまった」という出来事が関係しているようで、それに反発するためだったといいます。

加藤智大の名言

加藤智大はネットの掲示板に依存していて、そこだけが自分の居場所だと感じていました。ネット依存症だった彼は、掲示板に数々の「名言」と言われる言葉を残しています。

ほとんとが「考え方が変わっても顔は変わらない」「不細工には始まりすら無い」といった外見へのコンプレックスや、「結局、人を救うのはお金」といった人生を悲観する内容でした。

これらの名言に対し、同じように人生に疲れたネットの人々からは「彼を称えよう」「彼の言う通りだ」「素晴らしい名言」などと犯行を肯定する人まで現れるほどでした。

事件後の母親と父親(写真あり)

犯罪者を育てたとして大きな非難を浴び続けた家族ですが、両親は秋葉原通り魔事件が発生した日と前後して離婚していて、今はどこかでひっそりと暮らしているとされています。

事件後は両親による謝罪会見も行われましたが、世間からの大きなバッシングや嫌がらせ行為が止むことはありませんでした。そんな事件後の母親と父親についてご説明していきます。

謝罪会見の様子

事件から2日が経過した6月10日の夜19時半頃、加藤智大の両親による謝罪会見が青森市の自宅前にて始まりました。開口一番、父親が「重大な事件を犯して申し訳ございません」とハッキリした口調で言いました。

「謝っても謝っても償いきれるものではないと思います」などと話した。(引用:朝日新聞)

上記のように語った父親は、泣き崩れて足元がおぼつかない母親の腕を引っ張りながら、家の中に入っていきました。上の画像は当時の謝罪会見の実際の様子です。

母親は精神科に入院

事件後、母親は息子である加藤智大の人格を作り上げてしまったのは自分だという罪悪感から、心身ともに調子を崩してしまいました。

精神科に入院するほど弱り、一時は面会すら出来ないほど悪化していたとされています。ですが何とか退院まで至り、そのあとは県内の実家に身を寄せました。

母親の母親、つまり加藤智大の祖母も事件のことを知って体調を崩し、急死しました。その後は青森市でアパートを借りてひっそりと暮らしているといいます。

父親は職を失い身を潜めて暮らす

当時、地元の信用金庫で働いていた父親は退職を余儀なくされ、事件から数か月後に会社を辞めました。自宅にはマスコミが何度も訪ねてきて、さらに嫌がらせや脅迫の電話が止まず、電話も解約しました。

母親が出て行ってからは一人で暮らしているようで、カーテンはずっと閉め切られたままだといいます。そして夜になっても電気がつくことはなく、ロウソクの明かりだけで生活しているとされています。

事件後、弟は取材に協力

加藤智大は4人家族だとご説明しましたが、彼には加藤優次という3歳離れた弟がいました。ですが事件から6年後、弟の加藤優次は自らの命を絶ってしまいました。

自分が両親にどう思われるかより、両親が周りからどう思われるかを気にしていた弟は、両親を助けたい一心で雑誌のインタビューに答えました。ですがその告白が逆効果となってより大きな批判を生んでしまいました。

ではそんな弟のインタビューの内容や、自殺を実行してしまうまでの経緯について、詳しくご説明します。

弟への事件による影響

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社会との唯一の接点だったという会社を退職せざるを得なくなり、報道が落ち着き始めた頃には東京を出てアルバイトを始めました。その後は住居を転々とし、仕事も退職を繰り返していたといいます。

元々人付き合いが得意ではなかった彼は、ネット上に自分に関する事実や嘘の情報が多く書き込まれているのを見て、さらに人間関係を築くことに抵抗を持つようになりました。

当時結婚まで考えていた彼女がいて事件のことも告白していましたが、引っ越してもすぐにマスコミが詰めかけて来る状況や将来への不安がストレスとなり、別れる結果となってしまいました。

両親を助けたい思いで母親との関係を明かす

事件後、テレビで近所に住む住民などから虐待についての証言が取り上げられ、世間では「両親の教育が原因だ」という印象が広まりました。

事件の1週間後に弟の加藤優次は雑誌のインタビューに答えましたが、それは「両親が原因」だという風潮をなくしたかったからだと語っています。

でも、親のせいなら、僕も事件を起こすはず。だけど僕はそんなことはしない。たしかに両親への恨みや憎しみはありましたが、親のせいではないということを証明したかった。(引用:講談社)

取材への協力で両親を追い込む結果に

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上記のインタビューで告白した母親の教育方法などについて、日本中で大きな反響があったといいます。ですが弟の加藤優次の思惑とは違い、余計に両親が追い込まれる結果となりました。

犯人の加藤智大が厳しすぎる教育を受け、壮絶な生い立ちがあることを知った人々は、今まで以上に両親の責任だとして攻め立てました。実際に自宅への嫌がらせ電話などが多発していたといいます。

両親の汚名を晴らしたかった弟の加藤優次でしたが、逆にその告白で余計に両親を追い込み、人々の怒りを倍増させてしまいました。

2014年、弟は自殺

2014年2月上旬、加藤優次は餓死による自殺を試みます。ですが耐えられなり、10日後に水を飲んでしまったため自殺には至りませんでした。

そして同年4月、弟の加藤優次は「死ぬ理由に勝る生きる理由がない」という言葉を残して、首を吊って自殺しました。彼は最後まで、自分は幸せになってはいけないと思っていました。

加藤優次の自殺に対して、父親は「どうにも出来なかったことだから、そっとしておいて欲しい」と静かに語ったといいます。

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