湊伸治の現在の顔画像やムエタイ!両親が共産党!?<コンクリ事件>

事件当時の近隣住民の目撃情報

事件当日の2018年8月19日、湊伸治は近隣住民に目撃されていました。

午後5時半頃のことです。JR東川口駅から車で約10分の距離に湊伸治の自宅アパートがありました。

湊伸治はアパートの前で半袖短パンの姿で仁王立ちをしていて、帰宅したであろうアパート向かいの駐車場の車に奇声を発し、さらにガンを飛ばしていたのです。

これは事件当日に限った話ではなく、湊伸治は毎日のように夕方同じ場所に立って駐車場に停車する10台程度の車の運転手に無差別に喧嘩を売っていました。

隣のアパートに住む被害者の会社員男性が帰宅したのはその時です。後輩が運転するワゴン車で帰ってきたところでした。

アパートの奥の道は行き止まりになっていたので、後輩はUターンを試みます。自動車の頭を湊伸治が住むアパート側に振りUターンしようとしたところで、湊伸治が寄ってきて言いがかりをつけました。

近隣に住む目撃者は「テメーこの野郎ブッ殺すぞ!」という声を聞き家の中から外を覗いたところ、男性が二人取っ組み合いになっていた場面を目にします。

その場を離れようと車を出す直前、開いていた車の窓の隙間から湊伸治が手を入れて刺したように見えた、会社員男性は血まみれだったと語っていました。

その後、通報されパトカーと救急車が到着します。けれど湊伸治は自宅に立てこもり一時間ほど出てこなかったのです。

やがて湊伸治は連行されましたがその時の様子はニヤニヤしていた、不気味だったと近隣住民は話していました。

元々異常であった湊伸治の様子を近隣住民が激白

湊伸治は事件が起きる二ヶ月ほど前、このアパートに引っ越してきました。事件が起きる前から近所では危険人物だと有名でした。

湊伸治が住んでいたのはアパートの二階です。下の階の住民は夜になると湊伸治が意味もなく床を蹴り散らすためドンドンと音が響き困っていました。

また、仕事をしているのかどうかは不明ですが夜になると車でどこかへ出かけることがあったそうです。同居していた女性もいたという話もありました。

昼間は「カーッ!」と大きな咳払いをしていたり、奇声をあげて周囲を睨みつけるなどの異常な行動をしており、坊主姿でさまよっていたと別の近隣住民は話しています。

住民の自宅周辺の私道にさえ入って来たので恐ろしかった、恐怖のあまり目を合わさないようにしたと言っていました。また、事件を起こしそうだった、完全にヤバいヤツで怖かったとも語っています。

湊伸治が住んでいたアパートの住所は?

湊伸治が住んでいたのは「埼玉県川口市東内野」だと報じられています。詳細な住所は不明ですが住んでいた可能性があるアパートの画像がありました。

湊伸治が住んでいたアパートの大家さんは最近変わっていました。そのため以前は6万5千円くらいだった家賃を下げて3万9千円にしていたのです。

これは以前の家賃では入居者が少なく半分ほどしか入居していなかったためと考えられますが、家賃を下げたせいで湊伸治よろしく変な連中が入居するようになったと近隣住民は証言しています。

湊伸治は元々東京都足立区に住んでいたと言われています。しかし女子コンクリート殺人事件の後は千葉県市川市、京都市伏見区、大阪府、会津と各地を転々としていました。

今回の殺人未遂容疑の逮捕で、最近では埼玉県川口市東内野に住んでいたことが明らかとなったのです。

湊伸治が犯した「コンクリート事件」とは

殺人未遂も大きな犯罪ですが、より注目を集めているのは犯人である湊伸治が過去に犯した女子コンクリート事件の殺人犯の一人だったという事実があるためでしょう。

女子高生コンクリート事件とは、1988年11月から1989年1月に起きた極めて凄惨な事件です。

逮捕されたのは4人の少年、宮野裕史、小倉譲、湊恒治、渡邊恭史(事件当時15~18歳)ですが実際に関わった人間はこのほかにもいただろうと言われています。

なお、当初少年法により加害者の実名報道は控えらえていました。しかし週刊文春が「野獣に人権はない」と実名報道に踏み切ったのです。

事件が起きたのは1988年11月25日、埼玉県三郷市内の路上で被害者である女子高生(当時17歳)古田順子さんが不良少年グループの一人に拉致されました。

その後およそ40日間、不良少年グループのうちの一人湊伸治の家にて監禁、暴行及び強姦を受けます。

少女の陰毛を剃り、更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどした

(引用:Wikipedia)

古田順子さんは当初逃走を試みたり、自宅に電話をしようとしていましたがそのたびに暴行されて抵抗することをやめました。

少女の陰部に鉄筋を挿入して何回も出し入れしたり、肛門にガラス瓶を挿入するなどの異物挿入をしたり、少女にシンナーを吸引させてウイスキー、焼酎などの酒を一気飲みするよう強要し、寒気の厳しい夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませ、たばこを2本一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返した

(引用:Wikipedia)

その後も激しい暴行と凌辱は繰り返されます。古田順子さんの怪我は化膿し栄養失調状態となり衰弱していきました。

1989年1月4日、古田順子さんは暴行、太ももに火をつけられるなどの行為を2時間受け続け死亡しました。

その後少年たちは犯行が発覚することを恐れて遺体を遺棄しようと動きます。毛布で遺体を包み、旅行かばんに入れました。

ドラム缶を用意して遺体を入れたかばんとコンクリートを流しいれ、煉瓦などを入れて固定させます。そしてドラム缶にごみ袋をかけてガムテープで密閉したのです。

少年たちはドラム缶を東京都江東区若洲にある埋め立て地に捨てました。

なおこの事件には芸能人の飯島愛さんが関与していたのではないかという噂が流れました。

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