湯女(ゆな)とはどういう意味?江戸時代の風呂事情の歴史 芸能人

湯女(ゆな)とはどういう意味?江戸時代の風呂事情の歴史

湯女という言葉を聞いたことはあるでしょうか?ほとんどの方はないと思います。あると答えた方は、そっちの方面に詳しい方です。今回はエロに深くかかわる湯女について調べました。湯女の発祥やそれにまつわる作品について触れ、お金について考察しました。

目次

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湯女(ゆな)とは?

湯女の発症は中世の有馬温泉で、お客様のお風呂の接待をする温泉に勤める女性のことです。具体的には垢すりや髪すきのお世話をしていました。

最近ではジブリ映画の「千と千尋の神隠し」が湯女を題材にしたとして話題に上がります。しかし、実態は江戸時代に入ったころから湯女による売春行為が頻発する暗い過去を持ちます。

湯女(ゆな)の意味は?どういう女性のこと?

湯女とは文字のごとく「湯」に勤める「女」です。発症は鎌倉時代の有馬温泉とされ、徐々にその存在が都市へ拡大しました。

始めは垢すりや髪すきといった基本的なサービスでしたが、都市へ湯女が移行するにつれサービスも過激なものになっていきました。

江戸時代の有馬温泉や温泉旅館に存在した湯女のサービス内容

江戸時代になると湯女のサービスは垢すりや髪すきだけにとどまらず、過激な内容になっていきます。夜が遅くなると派手な格好に身を包み三味線を弾き小歌を歌いました。

三味線や固歌を歌う意味とはなんであるかというと、客集めでした。自分を派手に見せて、アピールをしてこの後売春を行うことを目的としていました。

湯女の都市伝説「千と千尋の神隠し」の裏設定とは?

スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」は日本歴代興行収入1位であり、だれもが知る映画です。そんな「千と千尋の神隠し」と湯女が関係しているようです。

主人公の千尋が働いていた場所も温泉地であったり、仕事内容も湯女のそれと近いです。「千と千尋の神隠し」と湯女の関係は単なる都市伝説ではないようです。

都市伝説についての記事はこちら

スタジオジブリの名作の一つ「千と千尋の神隠し」とは

「線と千尋の神隠し」は宮崎駿監督のスタジオジブリ制作の長編アニメ映画です。主人公の千尋がひょんなことから神々の世界に迷い込んでしまう物語です。

千尋はその異世界で湯婆婆という支配者から千という名前を与えられ、温泉宿で働くこととなります。両親を魔法で豚にされてしまった千尋は両親を元に戻すために奮闘します。

最後には湯婆婆に認められ、両親の魔法を解いてもらい家族そろって元の世界に戻るという結末で終わります。

主人公千尋は湯女として働いていた

主人公である千尋は湯婆婆から千という名前をもらい、温泉宿で働きました。その仕事はお客様のお風呂掃除から、館内清掃、そして入浴や食事の世話をする接待業務でした。

この、接待業務の中にお客様の背中を流す仕事の描写がありました。このことが意味するのは、やはり千尋は湯女として働いていたということです。

湯婆婆に「千」とつけられたのは源氏名だった?

千尋は湯婆婆に仕事をもらいに行く際に一度断られています。しかし何があっても「ここで働きたい」と言い続けろ、という仲間との約束を守りきり何とか仕事を得ます。

そのときに湯婆婆から「千尋」という名前は贅沢だとして「千」と名乗るように言われます。本当の名前を失った千尋は「千」としてその世界で生きることになります。

この過程を現在の働く女性に置き換えると、夜の世界で働くための源氏名であると言えます。やはり千尋は湯女として働いていたのです。

油屋自体も夜のお店にちなんだものだった?

千尋が働くことになった温泉宿の名前は油屋(あぶらや)といいます。油屋の外見は実存するモデルは無いとされますが、さまざまな観光名所の組み合わせであることがわかっています。

油屋の周りの飲食店街は現代の都心のガード下などの繁華街をイメージしており、内装には広島の遊郭をイメージしていたりします。油屋は夜の街をイメージしたものともいえます。

宮崎駿も意味深な発言をしていた

監督を務めた宮崎駿も「千と千尋の神隠し」の制作イメージについて以下のように語っています。このことからも千が湯女である設定は決定的のように思えます。

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えば、それは風俗産業だと思うんですよ。日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」

(引用:NEVERまとめ)

その後の湯女は?現在はどうなっているのか

江戸時代まで栄えていた湯女文化ですが、吉原の登場とともにその勢力は衰退していったようです。現在ではどのようになっているのでしょうか?

加賀山中温泉の「山乃湯」に湯女のような女性がいる

調べてみると石川県の加賀山中温泉の「山乃湯」に湯女のような女性がいるとの情報がありました。詳しく調べてみると、確かに湯女のような女性のサービスはありました。

それは、現代の言葉を使うとピンクコンパニオンでした。山乃湯はお出迎えもバニーガールのようで、まさに男の天国といったホテルでした。

熱海の「ほのか」でも湯女のような背中を流してくれる女性がいる

また、調べてみると静岡県熱海の「ほのか」も湯女のようなサービスがあることが分かりました。「ほのか」は高級コンパニオンの宿として売っている旅館です。

湯女のように背中を流すサービスがあるかどうかはわかりませんでしたが、「おもてなし」を「女もてなし」と呼称しているあたりかなり妖しいです。

神戸・福原ソープランド「湯女華」

神戸・福原にはその名の通りのソープランド「湯女華」というものがあります。サービス内容はソープのそれであり、湯女が行っていたことと変わりありません。

性風俗業界が現在のソープランドのことをトルコ風呂と呼んでいた時代がありました。その呼称がトルコ大使館に苦情を言われ、「ソープランド」か「湯女風呂」かの2択になったそうです。

結果、「ソープランド」で落ち着きましたが、「湯女風呂」になっていたら、ソープ嬢のことを湯女嬢と呼んでいたかもしれません。

エロ動画などではよく取り扱われている様子

湯女という言葉はAV業界で浸透しているらしく、エロ動画検索サイトで「湯女」と検索すると150件近くのヒットが出ました。湯女はAVの題材としては扱いやすいものと言えます。

ちなみに「トルコ風呂」で検索すると60件ほどしかヒットしませんでした。「湯女」という言葉の響きがかわいいこともあり、エロ業界で流行していることが分かります。

湯女が滅びた経緯

湯女は江戸時代まで温泉地から都市部に勢力を伸ばし、繁栄していました。しかし、現代ではその姿は似ている形態はあるものの見ることはできません。

なぜ、湯女の文化は衰退してしまったのでしょうか?衰退の原因は江戸時代に吉原遊郭と関係していました。

江戸の初期に流行った湯女

江戸時代の都である江戸の町はその人口の多くを男性で締めていました。そんな男性中心であった江戸には当時、湯屋に三助と呼ばれる男性による垢すり係がいました。

三助は垢すりだけでなく風呂の管理など全般の業務を行うことが仕事でした。男性社会の中、三助の業務を女性にやらせることで湯屋は流行するのは簡単に想像できます。

実際、湯屋は女性を雇い湯女として働かせていました。その実態は三助の業務ではなく、売春も行う湯女そのもので、風俗営業に拍車をかけていました。

幕府に問題視され吉原の営業妨害とみられる

湯屋に勤める湯女が行っていたのは売春行為そのものであり、江戸幕府は売春を許可していたのは吉原の遊郭だけでした。そのため、江戸幕府は湯女について取り締まるようになります。

幕府と吉原の間に癒着があったことは認められており、幕府は吉原から上納金をもらっていました。湯女の存在は吉原の営業妨害であり、幕府にとっては邪魔な存在だったのです。

湯屋に営業停止という厳しい処分を下した幕府

湯女の勢力の拡大で吉原の営業が脅かされたことに加え、江戸の街の至る所で風俗営業がされる現状に幕府は風紀的な危機も感じていました。そこで湯屋を営業停止にします。

はじめ、幕府は3人以上の湯女を置くことを湯屋に禁じ、その後湯女を雇うこと自体を禁止していきました。最終的には個々の湯屋に湯女を置いていたとして営業停止処分にしています。

制限されたことで「風呂屋女」を作った

湯女が制限されたことで、湯屋は稼ぎ頭を失いました。いつの時代でも法律の隙間を縫う悪人がいて、湯屋の人間を「風呂屋女」と呼ぶことで幕府の目を逃れていました。

風呂屋女は表向きは垢すりの業務を行うだけの人物であったが、実態は売春婦でした。ちょうど今のソープランドが、2人の男女がお風呂場で偶然出会い自由恋愛の末行為に及ぶという法の抜け穴の利用と同じです。

完全には封じ込めず混浴を禁じた

結局幕府は湯女を完全には封じ込めることができませんでした。その原因の1つは当時の江戸の風習である男女の混浴文化にあるとされています。

江戸ではもともと男女で混浴する文化があり、風紀を取り締まることが難しかったのです。そのため、江戸幕府は男女混浴の文化を取り締まるようになりました。

湯女から転身したトップ遊女「勝山」とは

吉原遊郭の遊女はその美貌と教養を兼ね揃えた姿が、江戸の庶民の羨望の的でした。遊女は湯女とは違った可憐さを持っており、トップクラスにもなると歌や茶道、華道ができなくてはいけませんでした。

そんな教養の高い遊女に湯女から転身し、トップまで上り詰めた人物がいます。その人物の名前を「勝山太夫」といいます。

様々な流行分化を作った人物

勝山太夫は江戸のファッションリーダーとして有名です。彼女のヘアースタイルは先に行くほど細くなる「勝山髷(まげ)」と言われ、服装も男物の「どてら」を改良して着ていました。

彼女は男性風のファッションで男からも女からも人気がありましたが、恋愛には興味を示しませんでした。男にこびない生き方が大衆に受けたのです。

湯女について触れている作品

現在では宮崎駿監督のスタジオジブリ「千と千尋の神隠し」が湯女を題材にしたと噂されていますが、古くから湯女について触れている作品があります。

土田麦僊「湯女図」

湯女について触れられている作品の一つが土田麦僊(つちだばくせん)による「湯女図」です。土田麦僊は大正から昭和初期にかけて活躍した画家です。

好色一代男の「ぼんのうの垢かき、兵庫風呂屋者の事」

また、井原西鶴による処女作「好色一代男」の中の一節「ぼんのうの垢かき、兵庫風呂屋者の事」の中に湯女が描かれています。主人公の男が自由気ままな生活をする作品です。

井原西鶴「好色一代女」

また、おなじく井原西鶴の作品で浮世草子の「好色一代女」にも湯女を題材に描かれています。主人公の女の売春の一生を描く作品です。

近松門左衛門「心中天網島」

人形浄瑠璃で有名な近松門左衛門による「心中天網島(しいじゅうてんのあみしま)」も湯女を題材にした作品です。物語の中心人物である小春が湯女出身です。

湯女と遊郭と現在の風俗産業、そしてお金

湯女も遊郭も現在行われている風俗産業も行われていることは同じで、女の「性」を売る売春行為です。悲しいことに女の「性」は男に高く売れるのが現状です。

そして、その売上げの多くが経営者に流れていきます。湯女なら湯屋、遊郭なら幕府へ流れていました。しかし、現在の性風俗はお金が暴力団へ流れています。

男と女の性とお金の関係は今も昔も変わりませんが、生み出されたお金の流れが現代はおかしな方向にいっているのです。ちなみにニュージーランドでは売春は政府が公認しています。

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